Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
ネイト・フォーリーが冷凍区画で眠り始めてから、それほど長い時間は経っていなかった。Vault-Nでは住民がこれまで通り生活を続け、ブレイドガードが地上との出入口を巡回し、拘禁区画ではレッドシューズの侵食研究が監督下で継続されている。眠る人間が一人増えただけで、施設そのものが止まることはなかった。
しかし、エイブの生活だけは少し変わった。新しいリリーバイスの身体を設計し、生命維持装置を点検し、Vault-Nの技術部門を見ながら、必要な時にはオールドテイルズの整備まで行う。これまでネイトが引き受けていた雑用の一部まで回ってくるようになり、本人は三日目には「起こして働かせたい」と本気とも冗談ともつかないことを言い始めていた。
『駄目だよ』
生命維持区画のスピーカーから返事が来た。
「まだ何も言っていない」
『ネイトを起こそうかなって顔してる』
「顔なんて見えてないだろ」
『声で分かるよ』
エイブは眉を寄せたが、リリスの神経活動には異常がないことを確認すると、端末から手を離した。意識を起こしていられる時間は以前より伸びたものの、長時間の会話は避けており、今日もあと数分で休眠状態へ戻す予定だった。
「オールドテイルズが動く」
エイブが言った。
少しの間、返事がなかった。
『クイーン?』
「ああ」
『また行くんだ』
「シンデレラが決めた。ヘンゼル、グレーテル、リトルマーメイドも賛成している」
『エイブも?』
「私はあいつらの製作者だ」
『答えになってないよ』
エイブは黙った。
「行く」
『そっか』
「今回は前と違う」
『どう違うの?』
「クイーンを直接倒そうとはしない」
エイブは軌道上施設の概略図を表示した。前回の攻略で得た観測結果と、帰還後に解析を続けてきた構造情報が重ねられている。
「クイーンがいる部分そのものは、正面から壊せる保証がない。だから施設側との接続を切る」
『切る?』
「軌道エレベーター上部の維持構造と、クイーンが利用している区画を繋いでいる箇所を狙う。完全に落とせなくても、少なくとも地上側との安定した接続を失わせる」
『それでクイーンは?』
「生き残る可能性が高い」
リリスは少し黙った。
『それでも行くんだね』
「ああ」
『勝つため?』
「そうだ」
『死ぬためじゃなく?』
エイブは一瞬だけ目を閉じた。
「それ、ネイトみたいだな」
『いいこと言ってたでしょ?』
「しつこかった」
『そこも含めて』
エイブは小さく息を吐いた。
「帰ってくる」
『うん』
「それで身体の続きを作る」
『待ってる』
短い返事だった。
「何年掛かっても?」
『待つよ』
「本当に?」
『エイブ』
「何だ」
『私は今、待つのが仕事だから』
エイブは答えなかった。
数秒後、会話可能時間の終了を示す表示が出る。
「寝ろ」
『はいはい』
「余計な負荷を掛けるな」
『エイブもね』
「私はニケだ」
『だからって壊れないわけじゃないでしょ』
マレーンと同じことを言う。
それを指摘する前に、接続が休眠側へ切り替わった。
生命維持装置の中で、リリスは再び静かな眠りへ入る。
「……帰るよ」
エイブは誰にも聞こえない声で呟き、設計端末を閉じた。
◇
出撃前の整備区画では、シンデレラが鏡を見ていた。
グラススリッパーズの最終点検は終わっている。ヘンゼルとグレーテルの武装も、リトルマーメイドの装備も異常はなく、残っているのは携行物資と通信装置の確認くらいだった。
「今日の私はどう?」
シンデレラが鏡越しに尋ねる。
「問題ない」
エイブは端末を見たまま答えた。
「違うわ」
「何が」
「美しい?」
「戦闘装備の状態は正常だ」
「エイブ」
「正常なら十分だろ」
シンデレラは不満そうに振り返った。
「ネイトならもう少し答えてくれたわ」
「あいつは寝てる」
「起こす?」
「やめろ」
ヘンゼルが横から顔を出した。
「ヘンゼルは、シンデレラは綺麗だと思ってる。グレーテルも綺麗だと思ってる」
「グレーテルもそう思ってる。でも、鏡を見る回数は減らしてもいいと思ってる」
「ありがとう、二人とも」
「そっちは採用するのか」
エイブの呟きに、リトルマーメイドが小さく笑った。
「あう」
以前と変わらないやり取りだった。
それがエイブには少し安心できた。
戦争は終わっていない。
人類は地上を失った。
ゴッデスは散り、リリーバイスは死んだことになり、レッドシューズはもう同じ場所にはいない。
それでも、この四人が並ぶ姿だけは以前と大きく変わっていなかった。
「説明を始める」
エイブが大型画面を起動すると、全員が作戦図へ向き直った。
「目標はクイーンの撃破じゃない」
「分かっているわ」
シンデレラが答える。
「前回の情報から、クイーンがいる区画と軌道エレベーター側の構造は完全に一体化していない。維持用の連結部と、作業設備が集中している箇所がある」
画面上でいくつかの区画が強調される。
「そこを壊す?」
グレーテルが尋ねる。
「ただ撃てばいいわけじゃない。構造を壊す順番を間違えると、こちら側の退路が先に落ちる」
「だから安全な側から削る」
ヘンゼルが言った。
「そうだ」
前回はクイーンへ届くこと自体が目的だった。
今回は違う。
接近する経路。
攻撃する位置。
破壊する順序。
そして撤退経路。
最初から帰還までを一つの作戦として組み立てている。
「まずリトルマーメイドが周辺の敵を抑える。ヘンゼルとグレーテルは連結部への射線を確保。シンデレラは主火力だが、私が指示するまで大出力は使うな」
「分かったわ」
「本当に?」
「エイブまで私を疑うの?」
「前例がある」
「今日は美しく戦うもの」
「意味が分からない」
シンデレラは笑った。
「無理をしないって意味よ」
「最初からそう言え」
エイブは次の図へ切り替えた。
「破壊確認後は即時撤退。クイーンの状態を確認するために残ったり、追撃したりしない」
「もし、倒せそうだったら?」
ヘンゼルが尋ねる。
「帰る」
「あと一発で?」
「帰る」
「本当にあと一発でも?」
「帰る」
グレーテルが頷いた。
「グレーテルは、エイブが三回同じことを言ったから本気だと思ってる」
「ヘンゼルもそう思ってる」
「最初から本気だ」
エイブは全員を見る。
「今回の目的はクイーンと戦うことじゃない。あいつの足場を一つ奪って、生きて帰ることだ」
シンデレラの表情が少し変わった。
「生きて帰る」
「ああ」
「ネイトみたい」
「二人目」
リトルマーメイドが楽しそうに「あう」と声を漏らした。
◇
出撃直前、拘禁区画から一つの伝言が届いた。
レッドシューズからだった。
本人と直接会う必要はないとエイブが判断したため、監視担当者が内容だけを転送している。
『侵食反応について、軌道上へ近づくほど異常な信号が増える可能性があります。前回の記録と違う挙動があれば、無理に解析せず切断してください』
それだけだった。
謝罪もない。
同行を求める言葉もない。
自分の研究を認めてほしいとも書かれていない。
エイブは伝言を二度読んだ。
「レッドシューズ?」
シンデレラが尋ねる。
「ああ」
「何て?」
「変な信号を拾っても触るな、だと」
「そう」
シンデレラはそれ以上聞かなかった。
「返事する?」
「必要ない」
「本当に?」
エイブは少し考えた。
「帰ってからする」
シンデレラが微笑んだ。
「なら、帰らないとね」
「最初からそのつもりだ」
◇
地上へ出ると、空は静かだった。
人類軍の航空機はもうほとんど飛んでいない。かつて補給路だった場所にはラプチャーが徘徊し、遠くの都市から煙が上がっている。
五人は軌道エレベーターへ向かった。
以前のような大規模支援はない。
アークからの補給もない。
途中で必要になる物は、自分たちが持ち込んだ分だけだった。
それでも進行速度は前回より速かった。
シンデレラが空から大型個体を排除し、ヘンゼルとグレーテルが地上の群れを分断する。リトルマーメイドは必要な時だけ能力を使い、エイブは戦闘を避けられる経路を選びながら全員を先へ進ませた。
無理に全部倒さない。
倒す必要のある敵だけ倒す。
それだけで消耗は大きく減った。
「前より地味ね」
休憩中、シンデレラが言った。
「良いことだ」
「美しくないとは言っていないわ」
「聞いてない」
「エイブはもう少し会話を楽しんだ方がいいと思う」
「戦場で?」
「戦場だから」
シンデレラは遠くの軌道エレベーターを見る。
「次もあるって思えるでしょう?」
エイブは返事をしなかった。
代わりに水を一本渡した。
「飲め」
「ありがとう」
シンデレラは受け取った。
それで会話は終わった。
◇
軌道エレベーターの基部へ辿り着いたのは、出発から三日後だった。
前回の攻略で破壊した部分はそのままではなく、ラプチャー側による補修が進んでいる。完全に同じ経路を使うことはできず、エイブは記録と現在の構造を照らし合わせながら、維持作業用の通路へ進路を変更した。
「これ?」
グレーテルが狭い通路を覗く。
「グレーテルは、すごく狭いと思ってる。ヘンゼルも狭いと思ってる」
「ヘンゼルはまだ言ってない」
「でも思ってる」
「思ってる」
「仲いいな、お前ら」
エイブは先に中へ入った。
通路はニケ用に作られたものではなく、大型機材を運ぶための構造でもない。装備を身体へ密着させ、一列になって進まなければ通れない程度の幅しかなかった。
「グラススリッパーズは?」
シンデレラが尋ねる。
「外側から回す。位置情報だけ合わせろ」
「離れるのは好きじゃないわ」
「今回だけ我慢しろ」
「壊したら?」
「お前が?」
「エイブが」
「何で私が壊すんだ!」
背後からリトルマーメイドの小さな笑い声が聞こえた。
緊張していた空気が少しだけ緩んだ。
通路の終端に着くと、外壁の向こうから低い振動が伝わってくる。
軌道エレベーターが生きている。
上に何がいるのかも、変わっていない。
「ここからだ」
エイブが端末を開いた。
「上るぞ」
◇
高度が上がるにつれ、通信へ雑音が増えた。
周辺のラプチャー反応も増えている。
それでも今回は、クイーンへ真っ直ぐ向かわない。
主経路から離れ、外周の維持区画を使いながら、目的の連結部分へ接近する。
「前方、十二」
エイブが言う。
「見えてる」
シンデレラのグラススリッパーズが外から射線を通し、飛行型ラプチャーを撃ち落とした。
「右、四」
「あう!」
リトルマーメイドが短く声を発し、動きの鈍った敵をヘンゼルとグレーテルが処理する。
誰も立ち止まらない。
戦闘は目的ではない。
道を開けるための作業だった。
やがて、エイブの端末へ前回の記録と一致する構造が表示された。
「止まれ」
全員が動きを止める。
「ここ?」
シンデレラが尋ねる。
「ああ」
外側には、軌道施設の巨大な骨格が広がっていた。その一部がクイーンのいる上部区画へ続き、さらに複数の維持構造によって周囲へ荷重を逃がしている。
「一か所壊しただけじゃ落ちない」
「だから順番がある」
エイブが指示を出す。
「ヘンゼル、左側の支持部。グレーテルは右。リトルマーメイドは後方警戒。シンデレラはまだ撃つな」
「待ってるわ」
「珍しい」
「帰ったら怒るわよ」
エイブは構造計算を進めた。
前回の観測。
現在の荷重。
破壊後の変形予測。
退路へ影響する範囲。
全部を確認する。
「ヘンゼル」
「うん」
「撃て」
砲撃が走る。
「グレーテル」
「分かった」
反対側も破壊される。
巨大な構造物が僅かに軋んだ。
「まだ」
シンデレラのグラススリッパーズが照準を合わせる。
「まだだ」
さらに振動が大きくなる。
周辺のラプチャーが異変へ反応し始めた。
「エイブ」
「待て」
「来るわ」
「分かってる」
警告が増える。
赤い反応が四方から接近する。
「今!」
シンデレラが撃った。
光が連結部へ突き刺さる。
巨大な構造が一度だけ持ち上がったように見え、その直後、外側へ大きく裂けた。
音はほとんど聞こえなかった。
代わりに足元から伝わる振動が、成功を知らせた。
「離れた!」
ヘンゼルが叫ぶ。
「一部だけ!」
グレーテルも画面を見る。
「十分だ!」
エイブは叫んだ。
「撤退!」
「クイーンは?」
シンデレラが上を見る。
「見るな!」
エイブが腕を掴んだ。
「目的は終わった!」
ほんの一瞬、シンデレラは上空を見続けた。
巨大な影が動いている。
生きている。
倒せてはいない。
それでも、彼女は追わなかった。
「分かった」
エイブの手を振りほどく。
「帰るわ」
五人は退路へ走り出した。
◇
最初の異変は、計算より早く起きた。
「エイブ!」
グレーテルの声と同時に、床が大きく傾いた。
「何だ!」
「反対側も壊れてる!」
「攻撃だ!」
リトルマーメイドが指さした先から、巨大な光が走った。
クイーン側からの反撃だった。
狙われたのは彼女たちではない。
破壊された連結部の周辺そのものだった。
「構造を捨てる気!?」
シンデレラが叫ぶ。
「たぶん!」
エイブは端末を確認した。
自分たちが切った部分より広い範囲で、軌道施設の荷重が崩れ始めている。
「退路変更!」
「どこへ?」
「外周!」
「そこ、帰れない!」
「ここにいるよりマシだ!」
床が裂けた。
ヘンゼルとグレーテルが左右へ飛ぶ。
リトルマーメイドがシンデレラの腕を掴んだ。
エイブも走る。
その瞬間、別の一撃が構造物へ直撃した。
視界が白く染まった。
◇
エイブが目を開けた時、身体が浮いていた。
違う。
落ちている。
「シンデレラ!」
返事がない。
「ヘンゼル!」
雑音。
「グレーテル!」
何も聞こえない。
「リトルマーメイド!」
通信は死んでいた。
周囲には壊れた施設の破片が落ちている。
自分もその一つと一緒に地表へ向かっていた。
「くそっ……!」
緊急推進装置を起動する。
反応しない。
もう一度。
片側だけ動いた。
身体が回転する。
高度表示が速すぎて読み取れない。
遠くに別の光が見えた。
シンデレラかもしれない。
グラススリッパーズかもしれない。
「シンデレラ!」
通信は戻らない。
それでも叫んだ。
「生きろ!」
何も聞こえない。
「全員!」
地表が近づく。
「死ぬな!」
最後に見えたのは、空へ残った巨大な構造だった。
切断した部分は戻っていない。
作戦は成功した。
クイーンは生きている。
自分たちは帰れていない。
「……最悪だ」
エイブはそう呟いた。
その直後、身体が地面へ叩きつけられた。
◇
どれだけ時間が経ったのか分からなかった。
目を開けた時、世界は横向きだった。
右腕が動かない。
左脚も感覚が薄い。
視界にはノイズが走っている。
何より、頭が痛かった。
「……」
起き上がろうとして、吐き気に似た感覚で動きを止める。
ニケの身体に人間と同じ吐き気があるわけではない。それでも頭部の損傷が、感覚系へ異常な信号を送っていることは分かった。
「シン……」
名前を呼ぼうとした。
途中で止まる。
「……誰だ」
エイブは眉を寄せた。
今、誰を呼ぼうとした。
考える。
白い髪。
鏡。
四つの巨大な兵装。
笑う顔。
「シンデレラ」
名前が出た。
胸の奥が少し軽くなる。
「そうだ」
自分の名前は。
「エイブ」
分かる。
ここは。
分からない。
何をしていた。
空へ行った。
誰と。
「……」
頭に霧が掛かる。
手を伸ばし、通信装置を探した。
壊れている。
位置情報も出ない。
Vault-Nへ戻る経路を開こうとして、端末の認証画面で指が止まった。
「Vault……」
知っている。
知っているはずだ。
だが、場所が出てこない。
「何で……」
何度考えても、座標が思い出せない。
頭部の損傷。
記憶領域。
まず修復する必要がある。
エイブはゆっくり立ち上がった。
周囲に仲間はいない。
遠くにも応答はない。
「シンデレラ」
もう一度呼ぶ。
今度は名前を忘れなかった。
「待ってろ」
どこにいるのか分からない。
生きているのかも分からない。
それでも、探す対象だけは分かっている。
エイブは壊れた身体を引きずりながら歩き始めた。
「私が見つける」
空へ行った時、帰るつもりだった。
その約束だけは覚えている。
だからまず、帰る相手を探さなければならなかった。