Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
エイブが最初に直したのは、自分の身体ではなかった。地面へ叩きつけられた衝撃で長距離通信機は完全に沈黙し、位置情報を保持していた補助端末も内部基板が割れていたため、彼女は使える部品を拾い集めて簡易受信機を組み上げた。シンデレラたちの救難信号がどこかに残っているなら、自分の脚より先に耳を作るべきだと考えたからだった。
しかし、受信機から聞こえたのは雑音だけだった。周波数を変えても、軍用帯域を走査しても、オールドテイルズの識別信号は一つも拾えず、Vault-Nへ向けた通信も送信機そのものの出力不足で届かない。エイブは何度も端末を叩きたくなったが、壊れた機械を殴って直ることはないと自分へ言い聞かせ、最後まで使える部品だけを丁寧に取り外した。
「シンデレラ」
返事はない。
「ヘンゼル。グレーテル。リトルマーメイド」
やはり、何も聞こえなかった。
エイブは壊れた通信機を背負い、まず落下地点の周囲を歩き始めた。軌道上から落ちた全員が同じ場所へ着地したとは考えにくく、それぞれが別方向へ流された可能性の方が高いため、瓦礫の分布と落下物の方向を記録しながら捜索範囲を広げていく。自分の右腕と左脚にも異常は残っていたが、移動できる以上、修理を優先する理由にはならなかった。
数日が過ぎても、誰も見つからなかった。
◇
Vault-Nへ帰るという選択肢を、エイブは何度も考えた。
名前は覚えている。地下へ造った施設であることも、ネイトが冷凍睡眠へ入ったことも、そこにマレーンやブレイドガードがいることも忘れてはいない。だが肝心の位置情報へ意識を向けると、記憶の中にあるはずの地図だけが白く抜け落ちていた。
「……何でそこだけなんだ」
地図を開き、覚えている地形と照合しても答えは出ない。Vault-Nは敵に発見されないため、外部へ常時ビーコンを発する構造にはしておらず、場所を知る者が経路を忘れれば外から見つけることは非常に難しい施設だった。
以前なら、その判断をしたネイトと一緒になって「当然だ」と言っていたはずだった。
「こういう時だけ、ちゃんと秘密基地なんだな」
皮肉を言っても返事をする者はいない。
それでも、エイブはVault-Nを探すために無作為に歩くことはしなかった。今見つけなければならないのはシンデレラたちであり、自分一人が安全な場所へ帰るために捜索範囲を変えることはできなかったからだ。
地上には、すでに人間の姿がほとんどなかった。
避難に使われた道路は放棄され、街にはラプチャーが入り込み、軍の補給拠点だった場所も静まり返っている。残された倉庫や研究施設には使える物資があるものの、取りに入れば敵と遭遇する危険も高かった。
エイブは食事を必要としないニケであることを、初めて心からありがたいと思った。
眠る必要もない。
休む必要はある。
修理も必要になる。
それでも人間より長く、一人で歩き続けることはできた。
◇
最初の一年で、エイブは落下物を二百以上確認した。
軌道施設の外壁、連結部、破損した機材、ラプチャーの残骸。その中にはオールドテイルズの装備に使われていた素材と同じものもあったが、本人へ繋がる確かな痕跡は見つからなかった。
シンデレラのグラススリッパーズらしき破片を発見した時だけは、数日間その周囲を離れなかった。
「ここにいたんだろ」
地面に残った大きな衝突跡へしゃがみ込む。
「だったら、どこへ行った」
答えはない。
エイブは破片を拾った。
壊れていた。
それでも捨てなかった。
その夜、屋根の残っている建物へ入り、拾った破片を膝の上へ置いたまま、過去の設計図を思い出そうとした。
寸法。
出力。
接続規格。
内部構造。
ほとんど覚えている。
「まだ大丈夫だ」
誰に言うでもなく呟いた。
落下の衝撃でいくつかの記憶が取り出せなくなっていることは自覚していたが、技術知識の大半は残っていた。オールドテイルズを作った自分も、彼女たちの名前も、シンデレラの笑い方も、まだ忘れてはいない。
なら探せる。
そう考えた。
◇
二年目に入る頃には、捜索方法が変わっていた。
最初は落下軌道から候補地点を絞っていたが、それだけでは見つからないと分かり、エイブは地表の異常そのものを探すようになった。巨大なクレーター、通常とは違うラプチャーの集結、焼けた地形、不自然に破壊された建造物など、フェアリーテールモデルが落下した可能性を示す痕跡を一つずつ確認していく。
その過程で何度もラプチャーと遭遇した。
エイブは戦闘用のニケではない。
それでも戦わなければ前へ進めない場面はあった。
「来るな」
銃を構える。
「私は忙しい」
ラプチャーは当然聞かなかった。
射撃は得意ではない。
最初の一体を倒すだけでも弾を大量に使い、二体目には接近を許し、最後は工具で装甲の隙間を殴ることになった。戦闘が終わった時には右肩の外装が剥がれ、歩行系にも異常が増えていた。
「……ネイトなら笑うな」
言ってから首を振る。
「いや、怒るか」
その想像だけで、少し気分が軽くなった。
まだ名前を覚えている。
ネイト。
リリス。
マレーン。
薔花。
アンダーソン。
レッドシューズ。
エイブは時々、知っている名前を声へ出すようになった。
忘れていないことを確認するためだった。
◇
三年目の冬、エイブはヘンゼルとグレーテルらしき戦闘痕を発見した。
広い範囲に通常とは異なる損傷を受けたラプチャーが散らばっており、一部には二種類の攻撃が組み合わさったような痕跡もある。確証はなかったが、エイブには見覚えがあった。
「二人とも、生きてた」
少なくとも、この場所へ到達した時点までは。
その事実だけで十分だった。
足跡に相当する情報を追ったが、数週間後に完全に途切れた。再び何もない地上を歩く生活へ戻ったものの、エイブは以前ほど絶望しなかった。
「生きてる可能性はある」
何度もそう言った。
「シンデレラも」
可能性を口へ出す。
証拠がなくても。
それをやめれば、歩く理由まで消えそうだった。
◇
四年目になると、人類が地上にいた痕跡そのものが薄くなった。
避難時に放棄された食料は腐り、車両は錆び、野外拠点の一部は植物に覆われ始めている。以前なら人間が使用した痕跡を追えば何らかの情報へ繋がったが、今ではその方法も役に立たなかった。
エイブ自身の身体も、新しいものではない。
損傷した部品を別の量産型ニケの残骸から交換したこともあれば、ラプチャー由来の素材を最低限の補強へ使ったこともある。見た目は以前より不揃いになり、自分が白衣を着て研究所を歩いていた頃の姿からは遠ざかっていた。
ある日、水面に映った自分の顔を見て、エイブはしばらく動けなくなった。
「……誰だ」
すぐに自分だと分かった。
それでも、そう言いたくなるほど変わっていた。
額には落下時についた傷が残り、頬にも修理しきれない損傷がある。白衣はとっくに原型を失い、使える布と装甲片を重ねて作った外套のようなものを着ている。
「エイブ」
自分で名前を言う。
「私はエイブ」
水面の人物も、同じ顔を動かした。
「シンデレラを作った」
覚えている。
「ヘンゼルとグレーテルを作った」
覚えている。
「リトルマーメイドも」
覚えている。
「レッドシューズも……」
少し遅れて名前が出た。
エイブは顔を上げた。
「大丈夫」
その時はまだ、そう言えた。
◇
五年目の春。
エイブは、自分が何度目の捜索区域を歩いているのか正確には覚えていなかった。
地図には記録が残っている。
だから問題はない。
そう考えていた。
朝から遠くに大きな地形の変化が見えていた。衛星観測など使えるはずもなく、単に高所から確認した時に不自然な窪地が見えたため、調べに来ただけだった。
クレーターだった。
非常に大きい。
周囲には古いラプチャーの残骸が散らばり、中心へ近づくほど地面が焼けている。
エイブはゆっくり降りていった。
何かがある。
白い。
最初は瓦礫だと思った。
次に、壊れた機械だと思った。
その形を認識した瞬間、エイブは走った。
「……嘘だ」
足元の石に躓く。
転ぶ。
すぐ起きる。
「待て」
誰も動いていないのに言う。
「待ってろ」
壊れた脚が警告を出す。
無視した。
「シンデレラ!」
クレーター中央へ辿り着く。
白い身体が横たわっている。
損傷は激しかった。
外装は大きく失われ、四肢も完全ではなく、グラススリッパーズも見当たらない。以前の美しい姿をそのまま残している部分の方が少ないほどだった。
エイブは膝をついた。
「シンデレラ」
反応しない。
「聞こえるか」
返事はない。
震える手で診断器を繋ぐ。
電力。
ほぼない。
内部機能。
停止に近い。
脳活動。
エイブの指が止まった。
「……ある」
弱い。
非常に弱い。
それでもゼロではない。
「ある」
もう一度言った。
視界が滲んだ。
故障かと思い、目元へ手を当てる。
涙だった。
「生きてる」
五年間、探した。
毎日名前を呼んだ。
何度ももう無理だと思った。
それでも歩いた。
「シンデレラ」
身体を抱き起こす。
「遅くなった」
返事はない。
「ごめん」
自分でも何に謝っているのか分からない。
「でも」
エイブは笑った。
声が震えた。
「見つけた」
シンデレラの身体を抱きしめる。
「見つけたぞ」
五年分の言葉が、それ以上出てこなかった。
ただ同じ言葉を何度も繰り返した。
◇
喜んでいられたのは短い時間だった。
シンデレラの生命状態は、長期間放置できるものではない。残っている内部電力は僅かで、身体各部の損傷が脳の維持へ影響し始める可能性もある。
エイブはすぐに周囲を調べた。
使える設備はない。
近隣に研究施設もない。
Vault-Nへ帰る方法も、まだ思い出せない。
「……運ぶ」
選択肢はそれしかなかった。
応急的に電力を繋ぎ、損傷部を固定する。移動中の振動を抑えるため、周囲の機材から簡易フレームを作り、シンデレラの身体を載せた。
「綺麗じゃないけど我慢しろ」
昔なら怒ったかもしれない。
「後で直す」
返事はない。
「全部」
エイブはフレームを引き始めた。
「グラススリッパーズも」
地面は悪い。
重い。
何度も止まった。
「身体も」
それでも歩く。
「顔も」
エイブ自身の身体も限界に近い。
「起きた時に」
少し笑った。
「鏡を見ても怒らないくらいにはする」
約束する。
シンデレラが聞いているかは分からない。
それでも言った。
「だから」
エイブは前を向いた。
「もう少し待ってろ」
五年間、一人で探していた時間は終わった。
ここからは、一人ではなかった。
眠っていても。
答えなくても。
エイブが守るべき相手は、もう腕の届く場所にいた。