Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
棺型生命維持装置を完成させてから、エイブの旅は以前より遅くなった。自分一人なら危険な区域を迂回しながら長距離を移動できたが、今はシンデレラを収めた重い装置を守りながら進まなければならない。移動補助機構を追加しても荒れた地面では何度も止まり、そのたびにエイブは車輪や駆動系へ手を入れた。
それでも、一人だった頃より気持ちは軽かった。棺の中から返事が来ることはなく、脳活動を示す数値も大きく変わらない。それでも朝になれば状態を確認し、移動を始める前には「行くぞ」と声を掛け、夜にはその日に見つけたものを報告する相手がいた。
「今日は古い整備工場を見つけた。使える部品は少なかったけど、軸受けは二つ取れた」
廃墟の奥で野営場所を作りながら、エイブは棺の表示を確認した。脳活動は安定しており、移動中に起きた電圧の乱れも予備系統が吸収している。
「あと、鏡もあった」
少し間を置いて、拾ってきた小さな手鏡を取り出した。
「割れてたから置いてきた」
眠ったシンデレラから文句は来ない。
「直せたけど、そんな暇ないからな」
さらに間を置く。
「……起きたら、ちゃんとしたのを探す」
エイブは手鏡を拾わなかったことを、なぜかその夜ずっと気にしていた。
◇
棺が完成してから三年ほど経った頃、二人が使っていた仮拠点へ五体のラプチャーが近づいた。
逃げることはできた。しかし、今いる施設にはシンデレラの生命維持に必要な外部電源と、数か月かけて集めた修理用部品が残っている。棺だけを引いて逃げれば当面の生命維持は続けられても、その後に故障が起きた時の予備がなくなる。
エイブは敵の数をもう一度確認した。
「五体」
戦闘用のボディではない自分には、多い。
けれど選択肢はなかった。
「すぐ戻る」
棺へそう告げると、エイブは使い古した銃と予備弾倉を持って外へ出た。
最初の一体は遠距離から仕留めた。二体目には接近を許し、右腕の外装を損傷したものの、露出したコアへ銃弾を叩き込んで止めることができた。問題は三体目からで、残弾を気にしながら戦ううちに距離を詰められ、敵の一撃を避けきれず建物の壁へ叩きつけられた。
頭部が硬い壁へ激突した。
一瞬、視界が真っ白になる。
「……っ」
倒れたままでは次が来る。
エイブは立ち上がり、照準の合わない視界で撃った。一発目は外れたが、二発目が敵の脚部へ入り、体勢を崩したところへ残りを撃ち込む。
四体目。
五体目。
最後の一体を倒した時、銃にはほとんど弾が残っていなかった。
「……勝った」
エイブは荒い呼吸に似た動作をしながら、地面へ腰を下ろした。
「五体」
誰も聞いていない。
「私一人で」
少しだけ誇らしかった。
次の瞬間、頭の中へ痛みが走った。
◇
拠点へ戻ると、最初に棺の状態を確認した。異常がないことを確かめてから、自分の右腕を修理しようと工具を取り出す。
そこで手が止まった。
「……?」
損傷箇所は見えている。
交換用部品もある。
何を直さなければならないのかも分かる。
だが、最初にどこを開けばいいのかが出てこない。
「配線を……」
どこから外す。
何を切り離す。
どの順番で交換する。
知っているはずだった。
自分が使っているのはミシリス製プロダクト23を基礎としたボディで、研究のために自分で選んだものだ。何度も自分で整備し、他のニケの身体も扱ってきたエイブにとって、右腕の修理など考えるまでもない作業だった。
「違う」
資料を開く。
回路図は読める。
文字も理解できる。
なのに、手順が記憶から出てこない。
「違う……」
もう一度やる。
駄目だった。
エイブは工具を強く握った。
「私は作ったんだ」
第二世代のフェアリーテールモデルを。
シンデレラを。
リトルマーメイドを。
ヘンゼルとグレーテルを。
「こんなの……」
自分の腕すら直せない。
その事実を認めた瞬間、怒りより先に恐怖が来た。
「駄目だ」
エイブは棺を見る。
「それは駄目だ」
自分の名前を忘れることより怖かった。
Vault-Nへの道を忘れたことよりも。
シンデレラを直す方法まで失うことだけは、耐えられなかった。
「私はお前を作ったんだ!」
棺へ拳を振り下ろしかける。
直前で止めた。
代わりに床へ拳を叩きつける。
「できないわけないだろ!」
返事はない。
エイブはその場で長い時間動けなかった。
やがて床へ散らばった資料を一枚拾う。
「……忘れたなら」
震える手で最初の頁を開いた。
「覚え直せばいい」
今までできていたことができなくなった。
なら、今できるやり方に変えるしかない。
エイブは自分用の修理手順書を、一から作り始めた。
◇
それ以降、エイブは何でも記録するようになった。
棺の整備手順。
自分の身体の修理方法。
部品を拾った場所。
安全だった経路。
ラプチャーの出現地点。
そして、名前。
朝起きる必要のない身体でも、一日の始まりと決めた時間になると、エイブは声へ出して確認した。
「エイブ」
自分。
「シンデレラ」
棺の中。
「ヘンゼル。グレーテル。リトルマーメイド」
離ればなれになった仲間。
「リリーバイス。ネイト。マレーン。薔花」
帰る場所にいるはずの者たち。
「レッドシューズ」
その名前だけは、口にするたび複雑な感情が残った。
ある日、そこで言葉が止まった。
「レッド……」
続きが出ない。
赤い靴。
研究者。
侵食。
拘禁。
断片だけはある。
「レッドシューズ」
ようやく出た。
エイブは胸元を押さえた。
「まだ大丈夫」
何が大丈夫なのか、自分でも分からなかった。
名前が出るまでの時間は、少しずつ長くなっていた。
◇
年数を正確に数えるために、エイブは記録端末へ日付を残していた。
棺を完成させた後も数年は比較的正確だったが、端末を失ったり、予備機へ情報を移したりするうちに、現在の日付への自信は薄れていった。それでも、軌道エレベーターから落ちた日を基準にすれば、どれほどの時間が経ったのかは大まかに分かる。
十年を越えた頃、エイブは以前の自分の顔をほとんど思い出せなくなっていた。
水面に映る傷だらけの顔が今の自分であることは分かる。しかし、白衣を着て研究所に立っていた頃の顔を再現しようとすると、輪郭がぼやける。
シンデレラの顔は覚えていた。
それでいいと思うことにした。
「お前だけ覚えていればいい」
棺を整備しながら、エイブは言った。
「いや」
手を止める。
「それも違うな」
ヘンゼル。
グレーテル。
リトルマーメイド。
他にも大事な者はいる。
忘れていい相手など、本当はいない。
「……困るな」
エイブは自分で笑った。
「多すぎる」
だから記録を残した。
頭が覚えていなくても、紙と端末が覚えている。
誰かが昔の自分にとって大切だったことだけでも、未来の自分へ渡せればいい。
◇
十四年目。
エイブは遠くで銃声を聞いた。
最初はラプチャー同士の戦闘かと思ったが、音の間隔が違う。規則的で、聞き覚えのある人類製火器の発射音だった。
エイブは立ち止まった。
「……人?」
地上で人類側の戦闘音を聞くのは、いつ以来か分からない。
棺を安全な場所へ隠し、外装へ偽装を施す。位置情報を残さず、追跡できそうな痕跡も消してから、エイブは一人で音のする方向へ向かった。
「待ってろ」
棺へ手を置く。
「設備を借りてくる」
アークのニケなら、修理設備を持っているかもしれない。
通信手段も。
地図も。
もし運が良ければ、Vault-Nへ戻るための手掛かりまで得られる。
十四年間で初めて、エイブは「助けを求める」という選択肢を現実のものとして考えた。
◇
丘を越えた先に、複数のニケがいた。
装備は見覚えがない。
制服も違う。
それでも人類側のニケであることは、ラプチャーへ向けて発砲している様子を見れば分かった。
最後の敵が倒れるまで待ち、エイブは両手を見える位置へ出して近づいた。
「待て!」
すぐに銃口が向いた。
エイブは止まる。
「敵じゃない」
自分の声が、以前より出しにくくなっていることを改めて感じた。長く話していないせいだけではなく、頭部の損傷によって言葉そのものが遅れている。
「所属を答えろ」
「エイブ」
「名前ではなく所属だ」
所属。
一瞬、言葉が詰まる。
「オールドテイルズ」
ニケたちが顔を見合わせた。
「該当部隊なし」
「ある」
「データベースに存在しない」
「第二世代……フェアリーテールモデル」
「お前が?」
「私が作った」
一人が端末を操作した。
「ボディ規格を確認。……プロダクト23?」
別のニケが近づいてくる。
「古いな」
エイブの身体へ簡易スキャンが走る。
「第一次侵攻期の規格が残ってる」
「地上生存個体?」
声の調子が変わった。
エイブは嫌な感覚を覚えたが、それよりも優先するものがあった。
「助けてくれ」
自分からそう言うのは、ひどく難しかった。
「もう一人いる」
「誰だ?」
「シンデレラ」
反応がない。
「フェアリーテールモデル……第二世代」
「位置は?」
エイブは答えなかった。
「設備が必要だ。修理する。私が」
「その個体も連れてこい」
「先に設備を確認する」
「位置を言え」
「嫌だ」
銃口が僅かに上がった。
「救助が必要なんだろう?」
「だから、先に見る」
「何を警戒している」
エイブ自身にも、全部は説明できなかった。
十四年間。
シンデレラを守るために身についた習慣が、危険だと告げている。
「場所は言わない」
ニケたちが視線を交わした。
「抵抗の意思あり」
「違う」
「身柄を確保する」
「待て」
一人が腕を取る。
エイブは反射的に振り払った。
「触るな!」
その動作で、空気が変わった。
「抵抗確認!」
「違う! 私は──」
電撃が走った。
古く、修復を重ねた身体が硬直する。
膝をついたエイブへ、複数のニケが一斉に近づいた。
「やめろ」
「拘束するだけだ」
「助けを……」
腕へ拘束具が掛かる。
「私は助けを求めてる!」
誰も聞かなかった。
意識が薄れる直前、通信の向こうから誰かの声が聞こえた。
『古い地上生存ニケ一体を確保。アークへ移送する』
「確保……」
違う。
エイブはそう思った。
救助ではない。
「……誘拐だ」
声になったかどうかは分からなかった。
◇
輸送車両の中で、エイブは拘束されたまま診断装置へ繋がれていた。
「古いな」
同行している技術担当が、読み出されたデータを見ていた。
「でも十四年も地上で活動してたんだろ?」
「本人申告では」
「研究所に回した方がいい。どうやって維持してたか調べられる」
エイブには聞こえていた。
目は開けられない。
身体も動かない。
それでも意味は分かる。
研究。
自分がやってきたこと。
本来なら嫌いな言葉ではない。
今は恐ろしかった。
「外部電力入れるぞ」
技術担当が古い電源系統へ接続した。
その瞬間、十四年間まともに動かなかった一つの回路へ電流が流れた。
落下時に破損した通信モジュール。
自分自身も、もう存在を忘れていた装置だった。
一度だけ起動する。
内部に保存されていた緊急識別情報を読み出す。
WINGS COUNCIL
MEMBER:ABE
通常通信はできない。
位置も正確には送れない。
それでも、最後に登録されていた緊急プロトコルだけが作動した。
短い信号が地上から地下へ向けて放たれる。
その直後、通信モジュールは完全に沈黙した。
輸送車両の誰も、それに気づかなかった。
◇
Vault-Nの最深部で、警報が鳴った。
生命維持装置の中で休眠状態にあったリリスの意識が、緊急系統によって限定的に起動される。
『……何?』
システムが受信内容を読み上げる。
WINGS COUNCIL EMERGENCY SIGNAL
SOURCE:ABE
STATUS:UNKNOWN / TRANSFER IN PROGRESS
リリスの声が止まった。
『エイブ?』
応答はない。
信号はすでに消えている。
最後に検出された方向だけが残され、その先にはアークがあった。
リリスは状況を確認しようとした。自分に身体はなく、エイブとも連絡できず、アンダーソンが現在どこで何をしているのかも分からない。
残っている選択肢は多くなかった。
翼会議の緊急手順が起動する。
冷凍区画。
認証対象。
NATE FOLEY
EMERGENCY THAW AUTHORIZATION REQUIRED
リリスは一瞬だけ黙った。
ネイトが眠る前に言っていた言葉を思い出す。
必要な時まで時間を飛ばす。
そして、エイブ自身が緊急解凍条件の一つに入っている。
『許可します』
認証が通った。
地下の冷凍区画で、十四年間消えていた照明が順番に点灯していく。ポッド内部の温度がゆっくり上がり始め、止められていた人間の時間が再び動き始めた。
ネイト・フォーリーの心拍が戻る。
呼吸が再開する。
透明な蓋の向こうで、閉じていた瞼が僅かに動いた。
十四年の眠りが、終わろうとしていた。