Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
意識が浮上した瞬間、ネイト・フォーリーが最初に感じたのは寒さではなく、身体の内側を無理やり動かされるような猛烈な不快感だった。肺が久しぶりの呼吸を始め、止められていた血流が四肢へ戻っていくたびに、筋肉という筋肉が自分の存在を訴えてくる。冷凍ポッドの蓋が開いてもすぐには立ち上がれず、ネイトは縁へ両手をついたまま何度か深く息を吐いた。
「……何度やっても最悪だな、これ」
『ネイト』
天井のスピーカーから聞こえた声に、ネイトはゆっくり顔を上げた。
「リリス?」
『うん。聞こえる?』
「聞こえる。喉は痛いし、吐きそうだし、脚も信用できないけどな」
『じゃあ、ちゃんと起きてるね』
「判定が雑じゃない?」
軽口を返しながらポッドから足を出したものの、床へ体重を掛けた瞬間に膝が折れかけた。壁へ手をついてどうにか堪えると、ネイトは自分の身体が眠りに入る前とほとんど変わっていないことを確認した。
「どのくらい寝た?」
『十四年』
ネイトの動きが止まった。
「十四日?」
『十四年』
「……マジか」
本人にとっては昨日眠ったような感覚しかない。それでも周囲の機器に刻まれた日時は十四年分進んでおり、冷凍睡眠が予定通り働いたことだけは疑いようがなかった。
「それで、何があった」
声から軽さを消す。
『エイブから緊急信号が来た』
「エイブ?」
『クイーン討伐へ向かった後、ずっと行方不明だった。シンデレラたちも戻らなかった』
「十四年間?」
『うん』
吐き気とは別の冷たさが腹の底へ落ちた。
「信号はどこから」
『最初に拾ったのは地上。でも発信源はすぐに移動して、そのままアーク方面へ入った』
「輸送された?」
『たぶん』
「現在位置は?」
『もう取れない』
ネイトは冷凍区画の出口へ向かって歩き始めた。
「俺が起きるまで何時間?」
『緊急解凍開始から、今で四時間ちょっと』
「じゃあもう地上にはいないな」
『私もそう思う』
「アークの中か」
『おそらく』
ネイトは足を止めなかった。
「なら、追いかける場所を間違えなくて済んだ」
◇
マレーンは冷凍区画の外で待っていた。
十四年前から外見はほとんど変わっていなかったが、ネイトには立ち方だけでも時間の経過が分かった。目覚めたばかりで自分が何者なのかさえ探していた頃とは違い、今の彼女にはVault-Nで十四年間を過ごしてきた者の落ち着きがある。
「おはよう」
ネイトが言う。
「十四年寝坊」
「いきなりそれ?」
「管理費も十四年分」
「俺ここ作ったんだけど!」
「維持したのはこっち」
「正論で殴るなよ……」
マレーンは少し笑ったが、すぐ端末を渡した。
「エイブの記録」
ネイトは歩きながら目を通した。
オールドテイルズによるクイーン討伐作戦。
全員の消息不明。
数年間にわたる捜索。
以降は定期的な広域監視へ移行。
そして数時間前、一度だけ起動した翼会議の緊急識別信号。
「信号はアークの中まで追えなかった?」
「入口を越えたあたりで完全に切れた。古い通信モジュールが一瞬だけ復旧したみたい」
「本人が意図して送ったわけじゃないか」
「たぶんね」
「十四年前の記憶バックアップは?」
「残ってる」
「今のエイブへ戻すのは」
「できない」
分かっていた答えだった。
「でも、何を失ったのか比較はできる」
「ああ」
ネイトは端末を返した。
「まず本人を回収する」
「どうやってアークへ入るの?」
「それを今から考える」
「考えてなかったんだ」
「四時間前まで凍ってた男に準備の良さを求めないでくれ」
◇
武器庫へ入ったネイトは、保存されていた自分の装備を順番に見ていった。
軍用ライフル。
レーザー兵器。
ガウスライフル。
そして何基ものパワーアーマー。
どれも、十四年前の自分が本気で戦うなら選択肢に入る装備だった。
ネイトは全部通り過ぎた。
「……そっち?」
ついてきたマレーンが尋ねる。
「ああ」
一番奥にあったのは、正規軍仕様とは呼び難いレイダー・パワーアーマーだった。パワーアーマーフレームへ形の違う金属板を取り付け、壊れた装甲を別の廃材で補修し、溶接痕すらろくに隠していない。
「もっと強いのあるよ」
「知ってる」
「そっち、見た目だけなら廃棄物だよ」
「そこがいい」
マレーンが怪訝な顔をした。
「アークはエイブを『地上で十四年生きた古いニケ』として研究したがってる可能性が高い。そこで俺まで未知の高性能兵器を持ち込んだら、研究対象が一人増える」
「だから弱そうなものを?」
「弱そうというか、実際この中じゃ弱い」
「自信満々に言わないで」
武器もパイプライフルとナイフを選ぶ。
「俺が何者かより、『どこかの地上でジャンク拾って暮らしてる変な男』と思わせた方がいい」
「変な男なのは合ってる」
「今日はみんな厳しくない?」
マレーンは答えず、レイダー・パワーアーマーの動作確認を始めた。
◇
問題は、アークへの侵入経路だった。
正面から入れば当然止められる。正式な登録も身分証明もないネイトが、地上から突然現れて「十四年前に知り合ったニケを返せ」と言ったところで、通るはずがない。
しかしVault-Nには、第一次侵攻末期の資料が残っていた。
アーク建設に使われた補給経路。
封鎖前の保守通路。
地上設備と地下施設を繋ぐ旧作業区画。
すべてが十四年後も利用可能とは限らないが、正規の出入口以外にも地下へ続く構造そのものは存在する。
「ここ」
マレーンが古い図面を拡大した。
「現在の地上派遣部隊の帰還経路とは別だけど、完全に埋められた記録がない」
「保守用?」
「元は資材搬入用。途中からアークの外周整備区画に繋がる」
「研究施設まで?」
「そこまでは分からない」
「十分」
ネイトは経路をPip-Boyへ転送した。
「中へ入ってから探す」
『通信は途中で切れると思う』
リリスの声が端末から聞こえる。
「地下だからな」
『一人になるよ』
「前の世界じゃよくあった」
『それ、安心材料にならないよ』
「俺にとってはなる」
『ネイト』
「分かってる」
ネイトは真面目な声へ戻した。
「無茶はしない。エイブを見つけて、連れて帰る。それだけ」
『うん』
「研究所ごと吹き飛ばしたりしない」
『聞いてないのに付け足したのが不安なんだけど』
「気のせい」
◇
旧資材搬入路は、半分ほど埋まっていた。
十四年間使われていないだけでなく、地上戦の振動で一部が崩落している。レイダー・パワーアーマーで通るには狭い場所もあり、ネイトは何度か装甲を外して脇へ寄せ、通過後に付け直す羽目になった。
「こういう時だけ軽装が羨ましいな」
誰も返事をしない。
すでにVault-Nとの通信は切れていた。
Pip-Boyの地図と古い構造図だけを頼りに地下へ進む。
途中で新しい配線を見つけた。
十四年前にはなかった設備だ。
まだ通電している。
「生きてるな」
ネイトは電線を辿り、現在も使用されている保守区画へ合流した。
そこから先は慎重に動いた。
アークの一般居住区へ出るつもりはない。民間人を巻き込む理由もなければ、自分の存在を広く知らせる意味もない。
必要なのは、数時間前に地上から運び込まれた旧式ニケの行き先だった。
◇
最初の情報は端末から拾った。
保守区画の作業用端末へPip-Boyを接続し、最近の搬入記録を確認する。物資、損傷したニケ、ラプチャー部品などの中に、一件だけ通常とは違う扱いの記録があった。
地上生存個体/旧規格ニケ
搬送先。
研究区画。
「見つけた」
ネイトは端末から接続を外した。
さらに詳細を探す。
旧式。
長期地上活動。
記憶領域に損傷あり。
身元不明。
公式データベース照合不能。
「オールドテイルズの記録が消えてるからか」
十四年前のネイトには、その処理まで詳しく知る機会がなかった。
今はそれより、次の項目の方が重要だった。
初期検査完了
詳細構造解析予定
脳機能・記憶領域調査申請
ネイトの目が細くなる。
「まだだ」
初期検査だけ。
本格的な処置には入っていない。
時間は残っている。
「間に合った」
◇
研究区画の一室で、エイブは固定台へ拘束されていた。
外装の一部はすでに外され、身体には複数の診断ケーブルが接続されている。今のところ行われているのは非侵襲的な検査が中心だったが、ガラス越しに聞こえる研究者たちの会話には、その先の予定が含まれていた。
「長期地上活動による脳損傷がある。通常の検査だけでは原因を特定できない」
「記憶領域へ直接アクセスする?」
「許可申請中だ」
「本人の同意は?」
「地上生存個体だぞ。身元照合すらできていない」
「それと同意は別だろ」
一人だけ反論した。
別の研究者が首を振る。
「中央からの指示だ。十四年間単独で活動可能だった理由が分かれば地上部隊へ応用できる」
エイブは目を閉じていた。
全部聞こえている。
「……違う」
声が掠れる。
「単独じゃない」
研究者の一人が振り返る。
「何か言ったか?」
「シンデレラ」
「またそれか」
「生きてる」
「位置を言えば回収班を出す」
「言わない」
「なら調査できない」
「お前たちには渡さない」
エイブは拘束具を引いた。
力はほとんど残っていない。
「助けを求めたんだ」
研究者たちは何も答えなかった。
「研究してくれとは言ってない」
◇
研究区画の照明が一度だけ瞬いた。
「停電?」
「いや、電圧変動だ」
保守担当者が端末を見る。
その直後、廊下の監視カメラが一台消えた。
次にもう一台。
「何だ?」
警備へ連絡しようとした瞬間、研究室外の扉が開かなくなった。
「ロック?」
「こちらから掛けてないぞ」
非常回線を使おうとする。
応答しない。
「外部から侵入されてる!」
研究者たちが慌ただしく動き始めた。
エイブだけが、ゆっくり目を開けた。
聞こえる。
廊下の奥から。
重い金属音。
規則正しい軍用機械の音ではない。
何かが擦れ、軋み、時々壁へぶつかっている。
「何だ、あれ」
警備員の声。
「パワーアーマー……?」
「こんな型、登録されてないぞ!」
「止まれ!」
銃声は聞こえなかった。
代わりに、大きな衝突音が一度した。
次に男の声。
「だから撃つなって。話しに来ただけだ」
エイブの目が見開かれた。
「……」
知っている。
その声を知っている。
忘れた記憶の向こう側ではなく、今でも届く場所に残っている。
「ネイト」
◇
研究室の扉が開いた。
そこに立っていたのは、正規軍の兵器とは思えないほど不格好な鉄の塊だった。左右で形の違う装甲、継ぎ接ぎの金属板、むき出しになった修理痕に、手には粗末なパイプライフルまで持っている。
研究者の一人が呆然と呟く。
「何だ、あのスクラップ……」
ヘルメットの外部スピーカーから声が返った。
「傷つくな、その言い方」
エイブは笑いそうになった。
「ネイト」
男がこちらを見る。
「久しぶり」
「遅い」
「ごめん。十四年寝てた」
「馬鹿」
「それは起きてすぐマレーンにも言われた」
警備員が銃を向ける。
「動くな!」
ネイトはパイプライフルを床へ置き、両手を上げた。
「撃ち合いに来たんじゃない」
「侵入者が何を言っている!」
「そこのニケを連れて帰りに来た」
「研究対象だ」
「本人は?」
「何?」
「本人が研究されたいって言った?」
誰も答えなかった。
エイブが代わりに口を開く。
「言ってない」
「だそうです」
「中央政府の管理下にあるニケだ!」
ネイトの顔はヘルメットで見えない。
それでも声から軽さが消えた。
「十四年地上で生き延びて、助けを求めた相手に捕まえられて、それでもまだ物扱いか」
「ニケは人類の兵器だ」
「兵器が助けてくれって言う?」
警備員の指が引き金へ近づく。
「下がれ!」
「エイブを返せば下がる」
「拒否する!」
「じゃあ話し合い失敗だな」
ネイトはPip-Boyへ指を走らせた。
照明が落ちた。
◇
非常灯が点くまでの数秒で、ネイトは研究室へ入った。
警備員の銃口を掴み、天井へ向ける。引き金が引かれたが、弾丸は誰にも当たらず、天井材を破っただけだった。
二人目には体当たりする。
相手はニケだった。
レイダー・パワーアーマーごと押し返される。
「重いな!」
「お前が言うな!」
床へ倒れたネイトは、そのまま相手の脚を掴んで体勢を崩した。立ち上がるより先にナイフを抜き、武器そのものの固定具だけを切断する。
「殺す気はない!」
「侵入しておいて!」
「それとこれとは別!」
エイブの拘束台へ向かう。
途中で研究者が非常停止を押そうとしたため、パイプライフルで端末だけを撃ち抜いた。
「設備壊すな!」
「人の頭開こうとしてた奴に言われたくない!」
エイブの前まで辿り着く。
「待たせた」
「十四年」
「それ何回言うつもり?」
「死ぬまで」
「長生きしてくれるなら受け入れる」
拘束具へナイフを差し込む。
「雑」
「これしかない」
「工具使え」
「持ってきたけど開ける方が速い」
「昔からそういうところが嫌い」
「知ってる」
最後の固定具が外れた。
◇
エイブは立とうとして、その場で膝をついた。
「おっと」
ネイトが支える。
「触るな」
「今のは無理」
「歩ける」
「倒れた」
「歩ける」
「十四年経っても頑固だな」
エイブは反論しようとして、言葉を止めた。
「十四年前の私」
「うん」
「覚えてる?」
「ああ」
ネイトは彼女の腕を自分の肩へ回した。
「かなり」
「記憶……」
「Vault-Nに残ってる」
エイブの表情が変わった。
「私の?」
「ああ。出撃前まで」
「戻せる?」
答えるまでに僅かな間があった。
「書き戻すのはできない」
エイブの視線が下がった。
「……そう」
「でも、読める」
ネイトは続けた。
「今のお前と比べられる。何を忘れたか、何をまだ持ってるか、一緒に確認できる」
「それで」
エイブが掠れた声を出す。
「直る?」
「分からない」
嘘は言わなかった。
「でも、分からないから調べる」
エイブが顔を上げる。
「なければ作る」
その言葉に、ほんの少しだけ目が動いた。
「……それ」
「俺がよく言ってた?」
「ああ」
「覚えてるじゃないか」
エイブは数秒黙った。
「うるさい」
ネイトは笑った。
◇
「シンデレラ」
研究室を出る直前、エイブが言った。
「生きてる」
ネイトの足が止まった。
「本当に?」
「ああ」
「どこ?」
「隠した」
「場所は覚えてる?」
エイブは頷く。
「それは忘れてない」
「なら最優先だ」
「Vault-Nより?」
「お前が十四年守ったんだろ」
「ああ」
「じゃあ先に迎えに行く」
エイブがネイトを見る。
「リリーバイスは?」
「いる」
「身体は?」
「まだない」
「私が」
エイブは一瞬、言葉を探した。
「作る」
「その前にお前を直す」
「私より先にリリーバイス」
「順番で喧嘩するな。両方やる」
遠くから増援の足音が聞こえた。
ネイトは通路を確認する。
「そろそろ本当に逃げるぞ」
「道は?」
「来たところを戻る」
「この格好で?」
「結構苦労した」
「馬鹿」
「本日三回目」
エイブはネイトの肩を借りたまま、ほんの僅かに笑った。
研究施設の警報は鳴り続けている。
アーク側にとっては、正体不明の侵入者が貴重な地上生存個体を奪って逃げたことになる。
ネイトにとっては違った。
十四年前に「帰ってくる」と言った友人を、ようやく迎えに来ただけだった。