Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
研究区画から抜け出した後も、ネイトたちはすぐ地上へ向かうことはできなかった。侵入時に利用した保守経路はすでに警備側へ把握され始めており、同じ道をそのまま戻れば途中で挟み撃ちにされる可能性が高い。ネイトはPip-Boyへ残しておいた旧構造図を開き、十四年前の資材搬入路と現在使われている整備区画を見比べながら、追跡を避けられそうな別経路を探した。
「こっちだな」
「分かるのか」
「半分くらい」
「残り半分は?」
「勘」
「帰る」
「どこへ!?」
エイブは壁へ手をついたまま、本気で引き返そうとした。十四年前ならそこで言い争いになっていただろうが、今は脚部の状態が悪く、数歩進むだけでも動作が不安定になるため、ネイトは問答無用で彼女の腕を肩へ回した。
「歩ける」
「歩ける奴は五分で三回よろけない」
「二回だ」
「数えてたの?」
「お前がな」
エイブは不機嫌そうに顔を背けたが、腕を振りほどこうとはしなかった。しばらく無言で進んでから、低い声で「十四年も寝てたくせに」と付け加えるあたりは、記憶を失っていてもエイブだった。
追跡側は研究区画の封鎖を優先したらしく、保守路へ入ってからは銃声も足音も遠ざかっていった。ネイトは途中で監視系統の配線を切り、さらに使用していない分岐の扉を開けたまま残すことで、どの経路へ進んだのか分かりにくくしていく。エイブはその作業を黙って眺めていたが、三つ目の扉でようやく口を開いた。
「昔から、こういうことしてたか?」
「ウェイストランドじゃ日常茶飯事だった」
「ウェイストランド」
「俺のいた世界」
「知ってる」
エイブは少し眉を寄せた。
「……知ってる。たぶん」
ネイトは歩みを緩めなかったが、それ以上は尋ねなかった。思い出せることと思い出せないことを、その場で一つずつ試させる必要はない。Vault-Nへ戻れば記録も設備もあるし、何よりエイブ自身が落ち着いて確認する時間を持てる。
「急がなくていい」
「急ぐ」
「シンデレラがいるから?」
「ああ」
「じゃあ、それだけは急ごう」
エイブは一度だけネイトを見た。
「お前、変わったな」
「十四年寝てただけだぞ」
「その前からだ」
「どっち?」
「分からない」
そう答えたエイブの声には、自分でも判断できないことへの苛立ちが混じっていた。ネイトは何も付け足さず、ただ彼女の腕が肩から落ちないよう支え直した。
◇
地上へ出た時には、空が明るくなり始めていた。
ネイトはアーク側の追跡がないことを確認すると、ようやくVault-Nへ短い暗号通信を送った。詳細な位置や施設名は送らず、本人確認用の符号と「二名確保、追加一名回収予定」という最低限の内容だけを流す。
『ネイト!?』
数秒後、マレーンの声が返ってきた。
「ただいま。まだ帰ってないけど」
『エイブは?』
「隣」
「いる」
エイブが通信へ割り込んだ。
向こうが静かになった。
『……エイブ?』
「マレーン?」
『うん』
「生きてたか」
『そっちが言う!?』
通信越しでも分かるほど声が大きくなり、ネイトは思わず受信音量を下げた。エイブは少し驚いた顔をしてから、ほんの僅かに口元を緩める。
『十四年だよ! 十四年! 何してたの!』
「シンデレラを探してた」
マレーンの声が止まった。
「見つけた。生きてる」
『……本当に?』
「ああ」
『今どこ?』
「隠してる」
エイブは場所を言わなかった。
ネイトにもまだ正確な位置は伝えていない。それでもマレーンは問い詰めず、代わりに少し呼吸を整えてから返事をした。
『分かった。迎えに行く』
「追跡される可能性がある。直接Vault-Nから出すな」
ネイトが通信へ戻る。
『じゃあ第二合流地点』
「それで。俺たちは先にシンデレラを回収する」
『薔花さんも行くって』
「止めても来る?」
『もう準備してる』
「じゃあ頼む」
通信を切る直前、マレーンがもう一度エイブを呼んだ。
『エイブ』
「何だ」
『おかえりは、会ってから言う』
エイブはすぐには答えなかった。
「……分かった」
◇
シンデレラを隠した場所へ辿り着くまで、さらに半日を使った。
エイブは記憶を確かめるように何度か立ち止まりながらも、道そのものを忘れてはいなかった。幹線道路を避け、崩れた建物の間を抜け、最後には森の奥へ入っていくと、岩と瓦礫で不自然さがないよう覆われた古い地下施設が現れた。
「ここ」
エイブは入り口の前へ立つと、周囲を何度も確認した。
「追跡はない?」
「少なくとも俺には見えない」
「本当に?」
「心配ならもう一周見る」
エイブは数秒考えた後、首を横へ振った。
「いい。入る」
偽装を外し、いくつもの手動ロックを解除して地下へ降りる。内部には人が生活した痕跡よりも、長い時間を掛けて一人の技術者が機械を維持し続けた痕跡の方が色濃く残っていた。壁には整備手順や交換時期を書いた紙が貼られ、使える部品は種類ごとに分けられ、動かなくなった機械からも再利用できる部分だけが丁寧に取り外されている。
ネイトはそれを一つずつ見ながら奥へ進んだ。
「お前、十四年間ずっとこうしてたのか」
「全部は覚えてない」
「でも残ってる」
壁の記録を指す。
「誰が何を忘れても分かるようにしてある」
「忘れるから書いた」
「正解だったな」
「褒めるな」
「何で?」
「嫌な気分になる」
エイブはそれ以上説明せず、最奥の扉を開けた。
その向こうに、大きな棺型の装置が置かれていた。
外装は継ぎ接ぎで、ところどころ違う規格の金属が使われている。配線も洗練されているとは言い難く、Vault-Nでエイブが扱っていた設備と比べれば、使えるものだけで無理やり成立させたことが一目で分かった。
けれど、動いていた。
側面の表示には生命維持系統の状態が並び、内部の脳活動も微弱ながら確認できる。
「……すごいな」
ネイトが呟いた。
「どこが」
「これ、地上で一人で作ったんだろ」
「一年掛かった」
「十分すごい」
「部品がなかった」
「それでも動いてる」
エイブは棺へ近づき、側面へ手を置いた。
「シンデレラ」
返事はない。
「迎えが来た」
ネイトは少し離れた場所で待った。
「ネイト」
「何?」
「こいつ、本当にネイト」
誰へ説明しているのかと思い、ネイトは苦笑した。
「本物だぞ」
「ダサい鎧だけど」
「今それ必要?」
「必要」
エイブはそこで初めて少し笑った。
「帰れる」
その言葉を聞いた瞬間、ネイトは何も言えなくなった。十四年間を地上で過ごし、そのうち五年をシンデレラを探すために使い、見つけてからは今度は失わないために歩き続けた。その終わりに出てきた言葉が「助かった」ではなく「帰れる」だったことが、エイブがどれほどVault-Nを覚えていたかを物語っていた。
◇
棺型生命維持装置をそのまま運ぶには重量がありすぎたため、移動用補助機構を点検してから地上へ出した。ネイトのレイダー・パワーアーマーもすでに各部へ警告が出ており、シンデレラまで抱えて歩くのは現実的ではない。エイブは「元々一人で引いていた」と主張したが、今の身体で再びやらせれば途中で倒れるのは目に見えていた。
「待つ」
「嫌だ」
「もう迎え来てるから」
「動ける」
「知ってる。でも待つ」
「ネイト」
「何?」
「十四年前よりうるさい」
「十四年分心配してるからな」
エイブが反論するより先に、遠くから低いエンジン音が近づいてきた。
現れたのは装甲を施した回収車両だった。先頭車両が停止し、側面扉が開くと、最初に降りてきたのは薔花だった。
「エイブ」
その一言だけで、エイブは動きを止めた。
薔花は昔と大きく変わらない姿で近づいてきたが、すぐ抱きついたりはしなかった。今のエイブが触れられることを嫌う可能性まで考えたのか、手の届く距離で止まって顔を見る。
「薔花」
「覚えているのですね」
「ああ」
「それなら、まずは十分です」
続いてマレーンが車両から飛び降りた。
こちらは止まらなかった。
「エイブ!」
「待──」
そのまま抱きつく。
「痛い」
「十四年!」
「分かった」
「十四年!」
「二回言うな」
「十四年!」
「ネイト、剥がせ」
「俺に振るなよ」
マレーンはしばらく離れなかった。
「おかえり」
先ほど通信で保留にしていた言葉だった。
エイブの手が宙で迷い、それからゆっくりマレーンの背中へ回る。
「……ただいま」
小さな返事だった。
◇
帰路では追跡を警戒して何度も経路を変えた。
回収車両はVault-Nへ直行せず、遠回りしながら複数の監視地点を確認し、アーク側の部隊が尾行していないことを確かめてから秘密の入口へ向かった。エイブはその道中ずっと窓の外を見ていたが、ある地点から急に周囲を見回す回数が増えた。
「何か思い出した?」
ネイトが尋ねる。
「分からない」
エイブは外を見る。
「見たことがある気がする」
「それでいい」
「良くない」
「今はな」
ネイトは前方へ視線を戻した。
「思い出せなくても、道は残ってた」
エイブはしばらく何も言わなかった。
やがて車両が岩壁の前で停止し、偽装された入口が開いていく。十四年前、自分も設計へ関わった地下施設の灯りが、暗い通路の奥へ続いていた。
「Vault-N」
エイブが名前を呼ぶ。
「場所……ここだったのか」
「そう」
「分からなかった」
「今度は分かる」
ネイトが先に降りた。
「帰ろう」
◇
Vault-Nへ入った直後から、医療区画と整備区画が同時に動き始めた。
シンデレラの棺型生命維持装置はエイブの指示を受けながら独立電源へ接続され、まず内部状態を崩さないことを最優先に検査が始まった。マレーンが補助に入り、エイブ自身も作業台へ向かおうとしたが、その途中で薔花に肩を掴まれた。
「エイブは反対です」
「何が」
「あなたも検査を受けてください」
「シンデレラが先」
「同時にできます」
「私が見ないと──」
「私もいる」
マレーンが棺の横から言った。
「十四年前より詳しいよ。少なくとも今のエイブよりは手が動く」
「……腹が立つ」
「知ってる」
エイブはなおも動こうとしたが、右脚が僅かに沈んだ。結局、何も言わず診察台へ座ると、自分から接続端子を差し出した。
検査結果はすぐに出た。
ボディの損傷は広範囲に及んでいる。
十四年間の応急修理で規格の違う部品が複数混在し、頭部にも過去の強い衝撃による損傷痕が残っている。さらに記憶領域の一部には明確な欠落があり、それが言語や技術知識の取り出しに影響していた。
「治せる?」
エイブが尋ねた。
マレーンはすぐには答えなかった。
「ボディはかなり直せる」
「頭は」
「分からない」
「そうか」
「でも記憶保管庫がある」
「書き戻せないんだろ」
「うん」
エイブは目を閉じた。
「なら、昔の私を見るだけか」
「そうなる」
ネイトが隣へ座る。
「嫌なら見なくてもいい」
「見る」
返事は早かった。
「全部?」
「全部」
「つらいかもしれないぞ」
「忘れたままよりマシだ」
ネイトは頷いた。
「分かった」
◇
その前に、もう一人が待っていた。
生命維持区画へ入ると、エイブは足を止めた。十四年前と配置こそ変わっているものの、中央には今もリリスの脳を維持する装置が置かれており、その周囲だけは他の区画より静かだった。
『エイブ』
スピーカーから声が聞こえる。
エイブは動かない。
『エイブ?』
「リリーバイス」
『うん』
「本当に生きてる」
『生きてるよ』
「十四年」
『長かった』
「身体」
『まだない』
エイブは視線を落とした。
「ごめん」
『何が?』
「作れなかった」
『帰ってくる方が先だよ』
「でも」
『エイブ』
リリスの声が少し強くなる。
『十四年も一人でシンデレラを守った人が、帰ってきて最初に謝るの禁止』
「そんな決まりない」
『今作った』
「勝手だ」
『翼会議の議長権限』
「そんな権限もない」
ネイトが吹き出しそうになり、慌てて顔を逸らした。
『それから』
「何だ」
『怒る』
「やっぱり?」
『十四年も帰ってこなかったから』
「私のせいじゃない」
『知ってる』
「じゃあ怒るな」
『それでも怒る』
数秒の沈黙があった。
『その後、抱きしめるつもりだったんだけど』
エイブが生命維持装置を見る。
『身体がないから、今はできない』
「……作る」
『うん』
「今度こそ作る」
『待ってる』
エイブの顔が歪んだ。
「また待たせる」
『待つの得意になったよ』
「そんなの得意になるな」
『じゃあ早く作って』
エイブは俯いたまま、小さく頷いた。
◇
その日の終わり、シンデレラの生命維持状態はVault-Nの設備へ無事に引き継がれた。
すぐに目覚めさせることはできない。身体の損傷は大きく、エイブが地上で維持するだけでも限界に近かったため、まずは状態を安定させ、どこまで修復可能かを調べる必要がある。
エイブ自身にも大規模な整備が始まった。
十四年間継ぎ足してきた部品を一度にすべて交換すれば身体感覚が大きく変わるため、優先順位を決めて段階的に直していくことになった。本人は「一日で全部やれ」と言ったが、マレーンに却下され、薔花にも止められ、最後にはネイトから「三対一」と言われて渋々折れた。
夜になってから、エイブは一人で昔の作業区画へ行った。
机の位置は少し変わっていた。
工具も更新されている。
それでも、自分が使っていた場所だと分かった。
棚の奥には、十四年前に途中まで描いていた設計資料が保存されている。
PROJECT LILY。
リリーバイスの新しい身体。
そこへ自分の字で書かれた注釈が残っていた。
エイブはしばらくそれを見ていた。
「……私の字だ」
後ろから声がした。
「そうだな」
ネイトだった。
「見てた?」
「入口から」
「趣味悪い」
「入っていい?」
「もう入ってる」
ネイトは隣へ来た。
エイブは古い設計図から目を離さない。
「覚えてない部分がある」
「うん」
「これを書いた時のことも、全部は出てこない」
「うん」
「でも」
指で設計図をなぞる。
「読める」
「それなら十分だ」
「十分じゃない」
「じゃあ、ここから増やそう」
エイブがネイトを見る。
「十四年前と同じように?」
「違うだろ」
「何が」
「十四年前のお前に戻る必要はない」
エイブの目が僅かに細くなる。
「今のお前が続きを作ればいい」
長い沈黙の後、エイブはもう一度設計図へ向き直った。
「……それ、リリーバイスにも言った?」
「言ってない」
「私が言う」
「どうぞ」
エイブは椅子へ座り、十四年前に止まった設計データを開いた。
まだ作業を始めるつもりはなかった。
今日はただ、そこに何が残っているのかを見るだけだった。
「ネイト」
「何?」
「ここにいていい?」
「お前の場所だろ」
「そうじゃなくて」
エイブは少し言葉を探した。
「私が」
ネイトは急かさなかった。
「今の私が、ここにいていいか」
答えは簡単だった。
「おかえり、エイブ」
エイブは目を閉じた。
十四年間探していたものの中には、シンデレラだけではなく、この場所も含まれていたのだと、その時ようやく分かった。
「……ただいま」
今度の返事は、誰にも聞き返されないほどはっきりしていた。