Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
第3話 ロストナンバー
甲板の後処理が一段落すると、ネイトは半ばラプンツェルに連行されるような形で艦内へ戻されていた。
「擦り傷くらいだって」
「先ほどからそうおっしゃっていますね。でも、爆風をまともに受けた方の『擦り傷くらい』を、そのまま信じるわけにはいきません」
診察室へ入ってから何度目になるか分からない主張だったが、ラプンツェルは穏やかな表情を崩さないまま端末を操作し、ネイトを診察台へ座らせた。甲板で初めて会った時にも簡単な検査は受けているものの、あの時は彼が本当に人間なのかを確かめることが主目的だった。今回は戦闘後の診察も兼ねているため、骨格や筋肉、循環器系はもちろん、過去の損傷痕まで含めてかなり細かな範囲を調べているらしい。
「医療担当ってのは、世界が変わっても強いな」
「何かおっしゃいました?」
「何でもない」
開いたままの扉へ目を向けると、レッドフードが壁へ肩を預け、面白そうにこちらを眺めていた。
「男前、聖女様には逆らわねえんだな」
「医療担当の言うことを聞かない兵士は長生きしない」
「二百年以上生きた奴が言うと妙に説得力あるな」
「だろ?」
「褒めてねえよ」
レッドフードが笑っている間にも、ラプンツェルは身体各部の測定を続けていた。ところが、しばらくすると端末を操作していた手が止まり、表示された数値を何度か見比べながら、納得できないというように首を傾げる。
「……やはり、おかしいですね」
「何か出た?」
「いいえ。何も出ないことがおかしいのです」
健康で怒られるのは初めてだとネイトが眉を上げると、ラプンツェルは少し困ったように微笑んだ。
「古傷の痕跡はいくつもあります。骨折した形跡も一度や二度ではありませんし、身体へ大きな負担が掛かった跡も残っています。それなのに、現在の骨格や筋肉にはほとんど後遺症がありません。本当に、以前はご老人だったのですか?」
「俺が一番聞きたいよ」
それだけは冗談ではなかった。
最後に覚えている自分の身体は、とっくに全盛期を過ぎている。朝になればどこかしらが痛み、椅子から立ち上がる時には膝を庇い、一日中歩き回るような生活からも長い間遠ざかっていた。ところが今はVault 111を出た頃と大差のない身体へ戻っており、その一方で古傷の痕跡や、長い人生を経験した記憶までは消えていない。
「まあ、動くんなら使わせてもらうさ」
何気なく口にしたところで、ラプンツェルの表情が少し曇った。
「ご自分の身体を、道具のように扱わないでくださいね」
「……善処する」
「そのお返事、あまり信用できません」
「もうバレたか」
ラプンツェルも今度は小さく笑い、入口からレッドフードの笑い声が重なった。
◇
診察を終えた後は、警報によって中断されていた話を改めて整理することになった。今度はゴッデスの指揮官も同席し、ネイト本人の証言と、この世界で確認できる事実を一つずつ照らし合わせていく。彼が昨日までこの世界に存在していなかったらしいことはほぼ間違いないものの、それだけで荒唐無稽な話のすべてを無条件に信じるわけにはいかないという姿勢は、ネイトにとってむしろ安心できるものだった。
指揮官は椅子へ深く腰を下ろし、これまで聞いた内容を確認するように口を開いた。
「じゃあ、改めて確認するぞ。お前は二百年以上前、人間同士の核戦争を経験した。その直前に地下施設へ入り、そこで冷凍保存されて二百年以上が経過。目を覚ました後は、崩壊した世界で暮らしていた。ここまでは合ってるか?」
「大体そんなところだ」
「大体?」
「細かく説明したら朝になるぞ。俺も一晩で説明できる人生じゃない」
「それは勘弁してくれ」
指揮官があっさり引き下がると、隣で聞いていたリリスが興味深そうにネイトを見る。
「最初に話してた『アメリカ』っていう国も、その戦争でなくなったの?」
「ああ。少なくとも、俺が知ってた国はな」
「軍隊も?」
「俺がいた軍は消えたよ。その後にも軍を名乗る組織はあったけど、昔のアメリカ陸軍がそのまま残っていたわけじゃない。そこまで説明を始めると、本当に朝まで掛かる」
ネイトは少しだけ苦笑した。戦前の国家が滅びても人間そのものがいなくなったわけではなく、廃墟の中に街を作り直した者もいれば、畑を耕し、商売をし、新しい共同体を築いた者も大勢いた。一方では略奪を続ける者や、新しい理屈を掲げて再び争いを始める者もおり、二百年経ったからといって人間そのものが別の生き物へ変わったわけではない。
「懲りないものですね。一度世界を滅ぼしておいて、また争いを始めた人間もいたのでしょう?」
ドロシーの問いに、ネイトは苦笑した。
「もちろん。そこは否定できないな」
言い方には皮肉が混じっているものの、ドロシーが人間そのものを嫌っているわけではないことくらい、昨日からの様子を見ていれば分かる。そうでなければ、人類を守るために危険な前線へ出続けてはいないだろう。
リリスは少し考えるように視線を落とした。
「それでも、生き残ったんだね。世界が終わった後も」
ネイトはその表現について少し考え、それから肩をすくめた。
「世界が終わったっていうのは、生きてる奴が一人もいなくなった時に言うもんじゃないか? 国がなくなっても、人間が残ってるならその先はある。まあ、ろくでもない先になることも多かったけどな」
「夢のある話だ」
指揮官が鼻で笑う。
「二百年以上生きれば、夢より現実を見るようになるよ」
「俺より年上とは思えんな」
「今だけ見れば若造だからな」
「便利な身体だな、お前。俺にも仕組みを教えてくれ」
「分かったら最初に俺が知りたいよ」
部屋へ小さな笑いが起きた。
結局、ネイトについてこれ以上確認できることには限界があった。この世界の記録にはアメリカという国家もVault-Tecも、彼が語った核戦争も残っていない。しかし一方で、Pip-Boyや彼が使用した武器、そしてネイト本人が実在している以上、すべてを虚言として片付けるにも無理がある。
「当面はゴッデス預かりだな」
最後に指揮官が結論を出した。
「艦内を勝手にひっくり返さなきゃ、ある程度は自由にしていい。ただし、妙な物を拾う時はスノーホワイトに確認しろ」
「そこまで決まりになったの?」
「お前一人ならまだしも、あいつまで一緒になって残骸を漁り始めただろ」
甲板でラプチャーの部品を前に目を輝かせていたスノーホワイトを思い出し、ネイトは反論を諦めた。
「……否定できないな」
話が終わり、席を立ったところで、壁際に飾られている写真が目に入った。
ゴッデスのものらしい。今ここにいる面々が揃っている写真もあれば、人数が少ない古い写真もある。その中の一枚だけ、ネイトがこれまで見たことのない女性が写っていた。
指揮官とリリス、その二人と並んで笑っている女性だった。
「この人は?」
何気なく尋ねただけだったが、部屋の空気が僅かに変わった。指揮官は写真へ目を向け、リリスもすぐには答えようとしない。
少しして、指揮官が口を開いた。
「フェアリーテールモデル、モデルナンバー1だ」
「ナンバー1?」
「ロストナンバー。フェアリーテールモデルの設計思想は、元々リリスを再現することから始まってる。最初の一機は、こいつの力を十分に抑えないまま再現しようとしたらしい」
ネイトは思わずリリスへ目を向けた。前日の戦闘で、大型ラプチャーを拳一つで殴り飛ばし、別の機体を武器代わりに振り回していた姿が嫌でも思い出される。
「あの力を、そのまま?」
「うん」
答えたのはリリスだった。普段と大きく変わらない口調ではあったが、写真へ向ける眼差しだけは違っている。
「最初にゴッデスへ配属される予定だったフェアリーテールモデルなんだ」
「亡くなったのか」
「うん」
その返答だけで、ネイトにもおおよその事情は察せられた。
「……身体が保たなかった?」
「そういうことだ」
指揮官が頷く。
写真の中では、モデルナンバー1も笑っていた。
「すごく頑張り屋だったんだよ。人類の希望になりたいって、ずっと言ってた」
リリスは写真を見たまま、少しだけ懐かしむように微笑んだ。
ネイトには言いたいことがいくつも浮かんだ。そんな出力を受け止められない身体へ押し込んだ設計自体が無茶だったのではないか、本人が耐えられないと分かる前に止められなかったのか、といったことは簡単に思いつく。しかし、それらを一番長く、一番嫌というほど考えてきたのは、おそらく今隣で写真を見ているリリスなのだろう。
死者について、残された者が話したくないことまで聞き出す趣味はネイトにもなかった。彼は「そうか」とだけ答えて写真から目を離したものの、そこに写っていた女性の笑顔だけは、なぜか妙に頭へ残った。
◇
翌朝、ネイトは部屋の扉を叩く騒がしい音で目を覚ました。まだ眠気の残る目を開け、布団から左腕を持ち上げると、そこには当然のようにPip-Boyが巻きついている。二百年以上付き合ってきた古い端末は、世界が変わっても寝ている間まで離れてくれる気はないらしい。
「男前ー。起きてるかー?」
「起きてなかったら?」
「起きるまで叩く」
「最初から選択肢ないじゃないか」
画面で時刻を確認してから身体を起こし、扉を開けると、案の定レッドフードが壁へ寄りかかっていた。
「何の用?」
「リリスが出かけた」
「俺に報告する必要ある?」
「昨日、あの写真気にしてただろ」
「見てただけだよ」
ネイトが答えると、レッドフードは面白そうに笑った。
「よく見てるな」
「いい女を見る目には自信あるからな」
「はいはい」
いつもの調子で返したものの、レッドフードの表情が少しだけ変わった。
「あいつ、たまに一人で行く場所があるんだよ」
「モデルナンバー1の関係?」
「ああ。最後にあいつと話した場所らしい」
「墓か?」
「違うみたいだな。あたしも行ったことねえ」
それは少し意外だった。レッドフードなら興味を持てば遠慮なくついていきそうな印象があるため、そう考えたことが顔へ出ていたのか、彼女はすぐ眉を寄せる。
「何だよ」
「いや。意外と繊細なんだなと思って」
「殴るぞ、男前」
「褒めたんだけど」
「聞こえねえな」
そう言いながらも、レッドフードは端末を操作して位置情報を送ってきた。
「行くかどうかは好きにしろ」
「何で俺に教える?」
「昨日来たばっかのお前なら、リリスも変に気ぃ遣わねえかなってさ」
「それ、俺に面倒事を押しつけてない?」
「半分くらい」
「正直だな」
悪びれず笑うレッドフードを見て、ネイトは端末に届いた位置情報へ視線を落とした。
◇
結局、ネイトは送られた場所へ向かった。
そこは墓地ではなかった。戦争が続いている世界に残っていることが不思議なくらい静かな花畑で、一面に咲いた白い花が、風に揺られるたび柔らかな波を作っている。墓石も記念碑もなく、誰かがここへ埋葬されていることを示すものは何もなかった。
花畑の中には、リリスが一人で立っていた。
ネイトは花を踏まないよう足元を確かめながら近づいていく。ある程度まで距離を詰めたところで、リリスは振り返らないまま声を掛けた。
「レッドフード?」
「男前の方だ」
そこでようやくリリスが振り返る。
「あの子、教えたの?」
「俺は一応抵抗した」
「絶対嘘」
「少しくらいは迷ったよ」
「それなら信じる」
リリスが笑ったので、ネイトも少しだけ肩の力を抜いた。それでも彼女のすぐ隣へ立つことはせず、数歩離れた場所で足を止める。
「邪魔だった?」
「ううん」
それから二人とも、しばらく話さなかった。
風が白い花を揺らす音だけが静かな場所を満たしている。誰かを悼む時には、言葉より沈黙が必要になることもあると、ネイトは長い人生の中で何度も知っていた。
やがて、リリスの方から口を開く。
「ここで最後に話したんだ」
「モデルナンバー1と?」
「うん」
足元の花へ視線を落とす。
「あの子、人類の希望になりたいって言ってた」
昨日、写真を見ながら聞いたのと同じ言葉だった。
「今なら、みんなを紹介してあげられるのにね。ドロシーも、ラプンツェルも、スノーホワイトも、レッドフードもいる」
「ずいぶん濃い連中だな」
「でしょ?」
二人で少し笑った。
リリスはまた花畑へ視線を戻す。
「だから、時々ここへ来て話すんだ。今日はこんなことがあったよって。スノーホワイトが新しい武器を作ったとか、レッドフードがまた変なことをしたとか」
「本人はいなくても?」
「いないから、かな」
ネイトには、その感覚がよく分かった。連邦にも墓はあり、墓石一つ残らなかった者はそれ以上に多かった。返事などないと分かっていても、墓へ足を運んで話したり、死者が好きだった場所で昔を思い出したりするのは、世界がどれだけ変わっても人間がすることらしい。
「墓は別の場所にあるのか?」
本当に何気なく尋ねただけだった。
ところが、リリスは首を横へ振る。
「ないよ」
「遺体は?」
「身体は残らなかったから」
その言い方に、ネイトは僅かな引っ掛かりを覚えた。
「身体は?」
リリスが口を閉ざす。
ネイトが何を聞き返したのかは、すぐ理解したらしい。少し迷った末に、彼女は静かに答える。
「……脳は回収されたって聞いてる」
「研究所に?」
「うん。事故の原因を調べるため。次のフェアリーテールモデルで、同じことを起こさないように」
「その後は?」
「廃棄されたって聞いた」
「どうやって保存してた?」
そこからネイトの意識が、死者を悼む会話とは別の方向へ切り替わった。
「そこまでは……分からないよ。どうしたの?」
「事故原因を調べるために脳を回収したなら、すぐ組織が駄目になる保存方法は選ばないはずだ。単なる標本として固定するだけじゃなく、生体組織として状態を調べるつもりだったなら、何らかの維持設備を使った可能性もある」
リリスの表情に、期待と、それを抱くことを恐れる色が同時に浮かんだ。
「ネイト。でも、あの子は死んだんだよ」
声が少し強くなる。
「そう診断されたんだろうな。でも、脳を回収した後に何が行われて、今その組織がどうなってるのかは確認しないと分からない」
「じゃあ……」
「期待はするなよ」
ネイトは先に釘を刺した。死んだと思っていた者が実は生きているかもしれないという期待は、外れた時の傷があまりにも大きい。
「残っていたとしても、研究標本として保存されているだけかもしれない。細胞の一部が生きていたところで、本人の意識や記憶が残ってるとは限らないし、とっくに廃棄されてる可能性だって十分ある」
「それでも確認するの?」
リリスは真っすぐこちらを見ていた。普段と変わらない柔らかな声ではあったが、曖昧な返事だけでは引き下がる気がないことは分かる。
ネイトは少し考えてから答えた。
「分からないまま死んだことにするのが、嫌だからだろうな」
リリスは目の前の花畑を眺め、それからモデルナンバー1と最後に話したという場所をもう一度振り返った。しばらく何も言わなかったが、やがて迷いを振り切るように小さく息を吸い、ネイトへ向き直る。
「……行こう」
◇
旧研究施設は、前線から遠く離れた地下に残されていた。フェアリーテールモデル開発初期に使われていた場所だが、主要な研究部門はすでに別施設へ移転しており、現在では古い研究記録や一部の設備を保管するために使用されている程度らしい。
リリスの権限があるため、施設へ入ること自体は難しくなかった。しかし二人から要求を聞いた管理責任者は、さすがに困惑を隠せなかった。
「モデルナンバー1の記録、ですか?」
「はい。事故後に何をしたのか、最後まで全部見せてください」
「ですが、モデルナンバー1は既に死亡判定が出ています」
「その判定も含めて、です」
リリスの声は穏やかなままだったが、引く気はない。
管理責任者は少し迷った後、端末を操作した。
古い記録が呼び出される。
事故の発生から機能停止、その後の死亡判定、研究資料の回収まで、保存されている情報を時間順に追っていく。ネイトは資料の内容を理解できる範囲で読みながら、リリスと管理責任者の説明を聞いていた。
途中、一つの項目で目が止まった。
「これ、何を保存した?」
「脳組織です」
リリスの表情が変わる。
管理責任者は記録を確認しながら説明を続けた。
「初期フェアリーテールモデルの脳構造は、研究資料として極めて貴重でした。事故原因を解析し、後続モデルで同様の事故を起こさないため、保存対象として指定されています」
「保存方法は?」
「専用の栄養灌流設備です。通常の携行設備ではなく、研究用に設置された大型の固定設備で、長期的に脳組織の状態を維持しながら観察することを前提としていたようです」
ネイトは記録をもう一度確認する。
「廃棄記録は?」
管理責任者の手が止まった。
検索を掛ける。一度では該当する情報が出ず、条件を変えてさらに古い記録まで調べ始めると、その顔に徐々に困惑が浮かんだ。
「……ありません」
リリスがネイトを見る。
ネイトも同じ画面を確認していた。
廃棄されたという話が事実でなかったと断定するには早い。記録漏れやデータの欠損、別部署で処理された可能性はいくらでもある。それでも、研究目的で長期保存するための専用設備へ移された記録が残っている一方で、その設備から取り出した記録も、廃棄した記録も見つからないなら、次に確認するべき場所は決まっていた。
「設備番号を確認します」
記録に残る番号を検索すると、今度はすぐ結果が表示された。
管理責任者自身が画面を見て、しばらく言葉を失う。
「地下三階……自動維持対象として登録されています。設備は現在も稼働中です」
「今もあるの?」
リリスが一歩前へ出た。
「……はい」
ネイトは画面に表示された設備情報を読み、すぐに結論を出さなかった。廃棄されていないことも、設備が止まっていないことも、それだけではモデルナンバー1本人が残っている証明にはならない。しかし、少なくとも確認するべきものが地下に存在していることだけは確かだった。
「行こう」
今度はリリスの方が先に歩き出した。
◇
地下三階には、ほとんど人の気配がなかった。天井照明もところどころ消えており、長い通路を満たしているのは古い機械が発する低い駆動音だけである。研究の中心から外れて久しい区域らしく、同行した管理責任者自身も、この階へ来るのはかなり久しぶりだと話していた。
通路の最奥にある厚い扉を開くと、その向こうには一基の大型保存装置が残されていた。透明な槽は保存液で満たされ、そこへ何本もの管や電極が接続されている。壁面には栄養供給、循環、温度制御を担う複数の維持設備が組み込まれており、携行できる装置とは明らかに規模が違っていた。
リリスは入口で足を止めた。
ネイトはすぐに何かを口にせず、Pip-Boyを起動して装置の状態を一項目ずつ確認していく。電源は生きており、循環系も稼働している。保存液の温度は一定に保たれ、長い年月によって性能自体は低下しているものの、栄養供給も完全には止まっていなかった。
問題は、その先だった。
Pip-Boyへ表示された数値を見て、ネイトの指が止まる。
「……」
「ネイト?」
リリスに呼ばれても、すぐには答えなかった。
期待させるだけ期待させて、後から装置のノイズだったでは済まされない。Pip-Boyだけの測定で結論を出さず、管理責任者へ施設側の観測設備も起動してもらい、同じ条件でもう一度測定を行う。
結果は同じだった。
ごく微弱な代謝反応。
そして、それよりさらに小さな電気活動。
最初は設備側のノイズかとも考えたが、観測を続けると完全な乱れではなく、一定の周期を持った活動が繰り返されている。ネイトは測定範囲をさらに絞り、Pip-Boyと施設側の結果をもう一度照合した。
「これは……」
管理責任者も結果を見て、表情を強張らせた。
「この装置は、死亡した脳組織を研究目的で保存するためのものなんだよな?」
「そのはずです」
「死亡した組織が、何年もこんなふうに代謝活動を続けるのか?」
管理責任者は答えられなかった。
その沈黙を聞いたリリスが、保存槽へ一歩だけ近づく。
「ネイト……どうなの?」
声が僅かに震えていた。
ネイトは最後にもう一度、Pip-Boyと施設側の測定値を照合する。それでも、ここから先について断言する材料は何もない。意識が残っているか、記憶や人格が維持されているか、自分が誰なのか認識できる状態なのか、そもそも再び外界と意思疎通できるのかさえ分からなかった。
「期待するのはまだ早い」
リリスを見る。
「意識が残ってるかは分からない。記憶も人格も、どこまで維持されてるのか確認できてないし、目を覚ます保証なんてどこにもない。それでもいいか?」
「うん」
最初の返事は、小さかった。
ネイトは保存槽へ視線を戻す。希望でも推測でもなく、今ここで複数の計測器が示している事実だけを口にする。
「でも、この脳は生きてる」
「うん」
二度目の返事には、先ほどより少しだけ力があった。
リリスの手が僅かに震える。彼女はすぐには何も言わず、透明な槽の向こうに保存されたものを長い間見つめていたため、ネイトも急かさず同じ場所に立って待った。
やがてリリスは保存装置へ少しだけ近づき、そこにいる誰かへ届くことを願うように、静かに語りかける。
「……待ってて。今度は、ちゃんと迎えに来るから」
返事はなかった。
それでも、装置の中では確かに微かな生命活動が続いている。意識の有無も、組織がどこまで損傷しているのかも、この状態から安全に外界へ戻す方法が存在するのかも、これから調べなければならないことばかりだった。
できると決まったわけではない。
けれど、生きているのなら、試せることは残されている。
今は、その事実だけで十分だった。