Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
第3話 ロストナンバー
甲板での後処理が一段落すると、ネイトは半ばラプンツェルに連行されるような形で艦内へ戻された。
「擦り傷くらいだって」
「先ほどからそうおっしゃっていますね。でも、爆風を受けた方の『擦り傷くらい』を、そのまま信じるわけにはいきません」
穏やかな声なのに逃げ道がない。ネイトは諦めて診察台へ腰を下ろし、開いたままの扉へ目を向けた。そこではレッドフードが壁にもたれ、こちらを面白そうに眺めている。
「男前、聖女様には逆らわねえんだな」
「医療担当の言うことを聞かない兵士は長生きしない」
「二百年以上生きた奴が言うと説得力あるな」
ネイトが「だろ?」と返すと、レッドフードは「褒めてねえよ」と笑った。その間もラプンツェルは検査を続け、ネイトの身体に異常がないか一つずつ確認していく。
勝利の翼号へ落ちてきた直後に行ったのは、彼が本当に人間なのかを判断するための簡易的な検査だった。今回は戦闘後の診察も兼ね、もっと細かな数値まで測っている。
しばらくして、ラプンツェルは端末を見つめたまま不思議そうに首を傾げた。
「……やはり、おかしいですね」
「何か出た?」
「いいえ。何も出ないことがおかしいのです」
ネイトが「健康で怒られるのは初めてだな」と眉を上げると、ラプンツェルは困ったように微笑んだ。
「怒ってはいませんよ。古傷の痕跡はいくつもあります。それなのに、現在の身体へ残っている影響はほとんどありません。骨格も筋肉も健康そのものですし……本当に、以前はご老人だったのですか?」
「俺が一番聞きたいよ」
それだけは冗談ではなかった。最後に覚えている自分の身体は、とうに全盛期を過ぎていた。昔のように一日中歩き回ることもなくなり、朝起きれば身体のどこかが痛み、椅子から立ち上がる時には無意識に膝を庇っていた。
それが今では、若い頃の力が戻っている。ただし、頭の中に積み重なった二百年以上の年月まで消えたわけではない。
「まあ、動くんなら使わせてもらうさ」
ネイトがそう言うと、ラプンツェルは少しだけ眉を下げた。
「ご自分の身体を、道具のように扱わないでくださいね」
「……善処する」
「そのお返事、あまり信用できません」
「もうバレたか」
今度はラプンツェルも笑い、入口からレッドフードの笑い声まで重なった。
◇
診察が終わると、警報によって中断されていた話の続きをすることになった。今度はゴッデス部隊の指揮官も同席し、ネイトが何者なのか、本人の説明とこれまで確認できた事実を照らし合わせながら一つずつ整理していく。
「じゃあ、改めて確認するぞ」
指揮官は椅子へ深く腰を下ろし、腕を組んだ。
「お前は二百年以上前に人間同士の核戦争を経験した。地下施設で冷凍保存され、その間に二百年以上が経過。目を覚ました後は、滅びた世界で暮らしていた」
「大体そんなところだ」
「大体?」
「細かく説明したら朝になるぞ」
指揮官は「それは勘弁してくれ」と、あっさり引き下がった。その横から、リリーバイスが興味深そうにネイトを見る。
「最初に話してた『アメリカ』っていう国も、その戦争でなくなったの?」
「ああ。少なくとも、俺が知ってた国はな」
「軍隊も?」
「俺がいた軍は消えた」
ネイトはそこで少しだけ言葉を選んだ。その後にも軍を名乗る組織は存在した。かつての米軍から続くものもあれば、まったく別の理念で作られた集団もあったが、そのあたりを説明し始めれば本当に朝までかかる。
「ただ、全部が消えたわけじゃない。人間は残ったよ。街を作り直した奴もいたし、畑を耕した奴もいた。商売を始めた奴だっていた」
「また争いを始めた人間もいたのでしょう?」
ドロシーが静かに尋ねると、ネイトは苦笑した。
「もちろん」
「懲りないものですね。世界を一度滅ぼしておいて」
「そこは否定できないな」
ドロシーの口調には皮肉が混じっていたが、人類そのものを嫌悪しているわけではない。それどころか、彼女自身がその人類を守るために戦っている。
リリーバイスは頬杖をつきながら、少し考えるように目を伏せた。
「それでも、生き残ったんだね。世界が終わった後も」
ネイトはほんの少し考えてから答えた。
「終わったっていうのは、生きてる奴が一人もいなくなった時に言うもんじゃないか?」
リリーバイスが目を瞬く。ネイトは肩をすくめ、そのまま続けた。
「誰かが残ってるなら、その先はある。まあ、ろくでもない先になることも多かったけどな」
指揮官が鼻で笑う。
「夢のある話だ」
「二百年以上生きれば、夢より現実を見るようになるよ」
「俺より年上とは思えんな」
「今だけ見れば若造だからな」
「便利な身体だな、お前」
「俺にも仕組みを教えてくれ」
部屋に小さな笑いが起こった。
確認できることには限界があった。ネイトが語る国家も技術も、この世界の記録には存在しない。それでもPip-Boyや彼が使用した武器、そして何より本人が、単なる虚言として片付けるにはあまりにも異質だった。
「当面はゴッデス預かりだな」
指揮官が結論を出す。
「艦内を勝手にひっくり返さなきゃ、ある程度は自由にしていい。ただし、妙な物を拾う時はスノーホワイトに確認しろ」
「そこまで決まりになったの?」
「お前一人ならまだしも、あいつまで一緒に漁り始めただろ」
ネイトは甲板で、ラプチャーの残骸を前に目を輝かせていた少女を思い出し、素直に「……否定できないな」と認めた。
話を終えて部屋を出ようとした時、壁際に飾られている何枚かの写真が目に入った。ゴッデス部隊のものらしく、今いるメンバーが揃っている写真もあれば、もっと人数の少ない古いものもある。
その中の一枚を見て、ネイトは足を止めた。
指揮官とリリーバイス。そして、見知らぬ女性が一人いる。
「この人は?」
何気なく尋ねただけだったが、部屋の空気が僅かに変わった。指揮官の視線が写真へ向き、リリーバイスはすぐには答えない。
しばらくして、指揮官が口を開いた。
「フェアリーテールモデル、モデルナンバー1」
「ナンバー1?」
「ああ。最初にゴッデスへ配属される予定だったフェアリーテールモデルだ」
予定だった。その言い方で、おおよその察しはついた。
ネイトは少し声を落とした。
「亡くなったのか」
「うん」
今度はリリーバイスが答えた。声そのものはいつもと大きく変わらないが、写真へ向ける目だけは違っていた。
「ロストナンバーだ」
指揮官が続ける。
「フェアリーテールモデルの設計思想は、元々リリスを再現することだった。最初の一機は、その力を抑えずに再現しようとしたらしい」
ネイトはリリーバイスを見る。甲板で大型ラプチャーを殴り飛ばした姿が蘇った。
「あの力を、そのまま?」
「そういうことだ」
「身体が保たなかったのか」
指揮官が頷く。
リリーバイスは写真を見たまま、静かに口を開いた。
「すごく頑張り屋だったんだよ。人類の希望になりたいって、ずっと言ってた」
ネイトは写真の中で笑っている女性を見た。言いたいことはいくつかあった。その設計は無茶だ、本人の責任ではない、どうして途中で止めなかったのか。しかし、それを一番嫌というほど考えたのは、おそらくリリーバイス自身だろう。
「そうか」
それだけ答えた。
死者について、本人が話したくないことまで聞き出す趣味はない。ただ、写真の中の笑顔だけは妙に頭へ残った。
◇
翌朝、ネイトは扉を叩く音で目を覚ました。
「男前ー。起きてるかー?」
「起きてなかったら?」
「起きるまで叩く」
「最初から選択肢ないじゃないか」
扉を開けると、レッドフードが壁へ寄りかかっていた。
「何の用?」
「リリスが出かけた」
「俺に報告する必要ある?」
「昨日、あの写真気にしてただろ」
ネイトが「見てただけだよ」と眉を寄せると、レッドフードは「結構長いことな」と笑った。
「よく見てるな」
「いい女を見る目には自信あるからな」
「はいはい」
レッドフードは笑ったあと、少しだけ表情を変えた。
「あいつ、たまに一人で行く場所があるんだよ」
「モデルナンバー1の?」
「ああ。最後に話した場所らしい」
「墓?」
「違うみたいだな。あたしも行ったことねえ」
それは少し意外だった。レッドフードなら遠慮なくついていきそうなものだと考えていると、その顔を読んだらしい。
「何だよ」
「いや。意外と繊細なんだなと思って」
「殴るぞ、男前」
「褒めたんだけど」
「聞こえねえな」
そう言いながらも、レッドフードは端末へ位置情報を送った。
「行くかどうかは好きにしろ」
「何で俺に?」
「昨日来たばっかのお前なら、リリスも変に気ぃ遣わねえかなってさ」
「それ、俺に面倒事を押しつけてない?」
「半分くらい」
「正直だな」
結局、ネイトは場所を確認した。
◇
そこは墓地ではなかった。
一面の花畑だった。戦争の最中とは思えないほど静かで、風が吹くたびに白い花が波のように揺れている。墓石もなければ記念碑もなく、誰かが埋葬されているような場所には見えない。
リリーバイスは、その中に一人で立っていた。
ネイトが近づくと、彼女は振り向かないまま尋ねる。
「レッドフード?」
「男前の方だ」
そこでようやく振り返った。
「あの子、教えたの?」
「俺は一応抵抗した」
「絶対嘘」
「少しくらいは迷ったよ」
「それなら信じる」
リリーバイスが小さく笑った。
ネイトは隣へ並ばず、少し離れた場所に立つ。
「邪魔だった?」
「ううん」
それきり二人とも話さなかった。しばらく風の音だけが続き、やがてリリーバイスの方から口を開いた。
「ここで最後に話したんだ」
「モデルナンバー1と?」
「うん」
彼女は足元の花を見る。
「あの子、人類の希望になりたいって言ってた」
昨日聞いたのと同じ言葉だった。
「今なら、みんなを紹介してあげられるのにね。ドロシーも、ラプンツェルも、スノーホワイトも、レッドフードもいる」
「ずいぶん濃い連中だな」
「でしょ?」
「本人が逃げたくなるかも」
「そこまで?」
二人で少し笑う。笑みが消えると、リリーバイスは再び花畑へ目を向けた。
「だから、時々ここへ来て話すんだ。今日はこんなことがあったよって。スノーホワイトが新しい武器を作ったとか、レッドフードがまた変なことしたとか」
「本人はいなくても?」
「いないから、かな」
ネイトには、その感覚がよく分かった。連邦にも墓はあったし、墓標さえ残らなかった人間も大勢いた。返事がないと知っていても、死者へ話しかけたくなる時はある。
「墓は別の場所?」
何気なく尋ねたつもりだった。
リリーバイスが首を横に振る。
「ないよ」
「遺体は?」
「身体は残らなかったから」
ネイトの視線が動いた。
「身体は?」
リリーバイスが僅かに黙る。
「……脳は回収されたって聞いてる」
「研究所に?」
「うん。事故の原因を調べるため。次のフェアリーテールモデルで、同じことを起こさないように」
「その後は?」
「知らない」
ネイトの表情が変わった。
「廃棄されたって聞いた?」
「そこまでは……」
「保存方法は?」
「分からないよ。どうしたの?」
リリーバイスも、ネイトが何を考え始めたのか気付いたらしい。
「研究するために回収したなら、すぐ駄目になる状態にはしてないはずだ。生体組織として残すつもりなら、何らかの維持設備を使った可能性がある」
「ネイト。でも、あの子は死んだんだよ」
少し強い声だった。それは反論というより、期待することを恐れている声だった。
ネイトはだからこそ、安易な言葉を使わなかった。
「そう診断されたんだろうな。でも、今どうなってるかはまだ分からない」
「じゃあ……?」
「確認しよう。回収された脳が、その後どうなったのか」
リリーバイスは黙った。
ネイトは先に釘を刺す。
「期待はするな。残ってても、ただの保存標本かもしれない。細胞が一部生きてたって、そこに本人がいるとは限らない。とっくに廃棄されてる可能性だってある」
「それでも、確認するの?」
「ああ」
「どうして?」
ネイトは少し考えた。
「分からないまま死んだことにするのが、嫌だからだろうな」
リリーバイスはしばらく何も言わなかった。花畑と、風に揺れる花を見つめたあと、小さく頷く。
「……行こう」
◇
旧研究施設は、前線から離れた地下に残っていた。かつてフェアリーテールモデル開発初期に使われていた施設だが、主要な研究機能はすでに別の場所へ移され、今では古い記録と設備の一部を保管するために残されているという。
リリーバイスの権限で中へ入ることはできたが、二人の要求を聞いた管理責任者は困惑を隠さなかった。
「モデルナンバー1の記録、ですか?」
「はい。事故後の処置まで全部見せてください」
リリーバイスの声は普段通り柔らかい。それでも拒否を許さない響きがあり、管理責任者は少し迷ったあとで端末を操作した。
「ですが、モデルナンバー1は既に死亡判定が――」
「その判定も含めて、です」
古い記録が呼び出される。事故発生、機能停止、死亡判定、研究資料回収と順に追っていったネイトは、ある項目で手を止めた。
そこには生体資料保存と記されている。
「これ、何を保存した?」
「脳組織です」
リリーバイスの表情が変わった。管理責任者は記録を読みながら説明を続ける。
「初期フェアリーテールモデルの脳構造は非常に貴重でした。事故原因の解析と、後続モデルの設計改善へ使用する目的で、保存対象に指定されています」
「どうやって?」
「専用の栄養灌流設備です。研究用の大型固定設備で、長期保存を前提にしたものだったようです」
「廃棄記録は?」
管理責任者が端末を操作する。数秒が過ぎ、さらに検索を続けたあと、その顔に困惑が浮かんだ。
「……ありません」
リリーバイスが一歩近づく。
「今もあるの?」
「設備番号を確認します」
検索結果が表示されると、管理責任者自身が驚いたように目を見開いた。
「地下三階。自動維持対象として……現在も稼働しています」
ネイトとリリーバイスは顔を見合わせた。
「行こう」
今度はリリーバイスが先に歩き出した。
◇
地下三階には、ほとんど人の気配がなかった。一部の照明は消えており、古い機械が発する低い駆動音だけが長い通路に響いている。
その最奥に、一基の大型保存装置が残されていた。透明な槽は保存液で満たされ、無数の管が内部へ伸びている。
リリーバイスの足が止まった。
ネイトは何も言わず、Pip-Boyを起動する。
電源は生きている。循環系も稼働中で、温度は維持され、栄養供給も低下こそしているものの継続していた。
そして、生体反応があった。
ネイトの指が止まる。
「……」
もう一度、測定範囲を絞る。微弱な代謝と、ごく僅かな電気活動が見えた。最初はノイズかと思ったが、違う。一定の周期がある。
「ネイト?」
リリーバイスが呼ぶ。
ネイトはすぐには返事をせず、別の測定項目を開いた。施設側の計測器も確認し、Pip-Boyでも再度測定する。
間違えるわけにはいかなかった。
隣で結果を見た管理責任者の顔色も変わる。
「これは……」
ネイトは彼へ尋ねた。
「この装置、死亡した脳組織を保存するためのものなんだよな?」
「そのはずです」
「死んだ組織が、こんなふうに代謝を続けるのか?」
返事はなかった。
リリーバイスが一歩だけ保存槽へ近づく。
「ネイト……どうなの?」
今度の声は震えていた。
ネイトは最後にもう一度だけ数値を確認してから、彼女を見る。
「期待するのはまだ早い。意識が残ってるか分からないし、記憶も人格も、何がどれだけ維持されてるのか確認できてない。目を覚ます保証なんてどこにもない」
リリーバイスは頷いた。
「うん」
「それでもいいか?」
「うん」
ネイトは保存槽へ視線を戻し、今確認できた事実だけを告げた。
「でも、この脳は生きてる」
リリーバイスの手が小さく震えた。
彼女は長いあいだ何も言わず、ただ透明な槽の向こうを見つめ続けていた。やがて、そこにいる誰かへ届くことを願うように、小さな声で語りかける。
「……待ってて。今度は、ちゃんと迎えに来るから」
ネイトも何も言わなかった。ただ隣でPip-Boyへ目を落とし、そこに表示されている微かな生命活動を見つめる。
生きているのなら、まだ試せることがある。
今は、それだけで十分だった。