Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
エイブが記憶保管庫へ入ったのは、Vault-Nへ帰還して三日目のことだった。それまでの時間は、自分のボディの応急整備とシンデレラの状態確認、それに十四年間使い続けた棺型生命維持装置からVault-N側の設備へ段階的に負荷を移す作業へ費やされている。本人は初日から記憶保管庫へ行くつもりだったが、右脚の駆動系を分解された状態ではさすがに歩けず、マレーンから「逃げないから先に直す」と押し切られていた。
完全に修復されたわけではない。十四年間に交換された規格違いの部品を一度に戻せば身体感覚そのものが変わるため、まず歩行と腕部の精密動作に関わる部分だけを優先し、残りは時間を掛けて調整する方針になっている。エイブ自身は不満そうだったが、以前のように工具を持つ手が突然止まることは減っていた。
「普通に歩ける」
「昨日も言ってた」
「昨日より普通だ」
「その判定、誰がしたの?」
「私」
ネイトが隣で首を振った。
「一番信用できない判定員だな」
「お前よりマシだ」
「十四年寝てた件、まだ引っ張る?」
「死ぬまで」
「長生きしてくれるなら歓迎するって前にも言ったぞ」
エイブは鼻を鳴らしたが、歩調はネイトに合わせていた。記憶保管庫へ向かう道を自分だけで歩かせれば、どこまで覚えているか試すこともできたが、今日は試験の日ではない。十四年前の自分と向き合うだけで十分だった。
◇
記憶保管庫の入口では、マレーンが待っていた。
十四年前より設備は増設されていたが、基本構造は変わっていない。厚い隔壁の向こうに外部ネットワークから切り離された保存区画があり、記憶の読み出しは許可された端末からしか行えない。何より重要なのは、ここに残っているものをニケの脳へ書き戻すための機能が、今も存在しないことだった。
「もう一回確認するね」
マレーンが端末を操作する。
「ここにあるエイブの記録は、昔の記憶を保存したもの。でも、それを今のエイブの頭へ流し込んで、十四年前の状態へ戻すことはできない」
「分かってる」
「見ることで思い出す可能性はある。でも、それは記録を書き戻したからじゃなくて、今のエイブ自身に残っている記憶が刺激された場合だけ」
「それも聞いた」
「嫌になったら止める」
「それは聞いてない」
「今言った」
エイブが睨む。
「最後まで見る」
「無理なら止める」
「マレーン」
「記憶保管庫の運用規則」
エイブの反論が止まった。
十四年前、その規則を決める側に自分もいたからだった。
「……私が決めた?」
「一緒にね」
「面倒なものを残したな、昔の私は」
「今のエイブも同じこと言いそう」
マレーンが笑う。
エイブは笑わなかったが、否定もしなかった。
◇
記録を開く前に、エイブは自分の保存履歴を確認した。
最初の基礎保存。
その後の差分保存。
PROJECT LILYの設計期間。
アーク・ガーディアン前後。
そして、クイーン討伐へ出発する前に行われた最後の保存。
日時を見ても、その日の朝に何を食べたかのような些細なことまでは出てこない。それでも「この時の自分が何をしていたか」は、断片的に思い出せた。
「ここまで残ってる」
エイブが最後の記録を指さした。
「うん」
「この後が十四年分ない」
「そうなる」
「長いな」
言葉にすると、それまでより重く感じた。
五年間シンデレラを探した時間。
見つけてから棺を作った一年。
設備を守るために戦い、頭部を損傷し、できていたはずの作業を忘れ始めた日。
それでもシンデレラを守って歩き続けた時間。
そのどれも、この部屋には保存されていない。
「昔の私しかいない」
ネイトが隣から画面を見る。
「ここにはな」
「今の私は?」
「ここにいる」
エイブが横を見る。
ネイトは自分を指さしたわけではなく、エイブ自身を見ていた。
「……そういうこと言うようになったか?」
「十四年寝てる間に成長した」
「寝てただけだろ」
「そこ突っ込まれると思った」
少しだけ緊張が薄れた。
「開く」
エイブが言った。
マレーンが確認を取る。
「本当に?」
「ああ」
端末が記録を読み出した。
◇
記憶保管庫から再現されるものは、映像記録とは違う。
記録した本人が見ていたもの。
聞いていたもの。
その時に意識を向けていた情報。
断片的な感情や身体感覚。
すべてが完全に揃っているわけではなく、視界の端にいた人物の表情が曖昧なこともあれば、本人が重要だと感じた一言だけが異様に鮮明に残っていることもある。
最初に現れたのは、作業台だった。
見慣れた工具。
設計画面。
横から伸びてくる手。
『それ、何?』
シンデレラの声だった。
現在のエイブの身体が僅かに強張った。
記録の中で、自分の視線が横へ向く。
『勝手に触るな』
『見ているだけよ』
『お前の「見ているだけ」は信用できない』
『失礼ね。私は美しいものを大切にするわ』
『これはまだ試作品だ』
『なら、美しくなる途中ね』
そこで記録が次の断片へ移った。
今のエイブは何も言わない。
シンデレラの声を十四年間聞いていなかった。
棺の中へ何度話しかけても、返事が来たことは一度もない。
「止める?」
マレーンが尋ねる。
「続けろ」
声は少し掠れていた。
◇
次に現れたのは、ネイトだった。
机の反対側で、Pip-Boyをエイブへ見せている。
『だから外せないって言ってるだろ』
『外せとは言っていない。腕ごとこちらへ寄せろ』
『言い方が怖いんだよ』
『元データを直接読むだけだ』
『分解しない?』
『今日は』
『今日は!?』
今のエイブが横を向いた。
「……これは覚えてる」
「よかった」
「お前がうるさかった」
「そこだけ?」
「あと、Pip-Boyを貸せって言った」
「貸せないって何回説明したと思ってる?」
「外せないなら仕方ない」
「十四年越しに納得した?」
「別に」
記録の中でも同じような言い争いが続いている。
それを聞いているうちに、現在のエイブの表情が少しずつ変わっていった。
「この後」
エイブが呟く。
「私が配線を一本間違える」
ネイトが画面を見る。
数秒後、記録の中のエイブが手を止めた。
『……違うな』
『何が?』
『一本ずれた』
『爆発する?』
『しない』
『じゃあいい』
『よくない!』
現在のエイブが目を閉じた。
「覚えてた」
それは記録から新しく教えられたことではなかった。
記録を見るより一瞬先に、自分の中から出てきた。
「残ってた」
「うん」
「呼び出せなかっただけ」
ネイトは頷いた。
「そういうのもあるんだろうな」
エイブは記録を止めなかった。
◇
シンデレラ。
ヘンゼル。
グレーテル。
リトルマーメイド。
リリーバイス。
マレーン。
薔花。
アンダーソン。
ネイト。
昔のエイブの視点を通して、何人もの姿が現れた。
全部が鮮明なわけではない。欠けている時間も多く、記録した本人が重要だと思わなかった日常ほど断片は少ない。それでも現在のエイブにとっては、名前だけを何度も口にして守ってきた人々へ、声や仕草が少しずつ戻ってくるような時間だった。
やがて、ある人物が映った。
金色の髪。
穏やかな声。
レッドシューズだった。
エイブの表情が固まる。
記録は、まだすべてが明らかになる前のものだった。
『エイブ、少し休みませんか?』
『必要ない』
『昨日も同じことを言っていました』
『ニケは人間より長く作業できる』
『できることと、するべきことは別ですよ』
机へ飲み物が置かれる。
その時の自分は、それを疑っていない。
エイブは無言で記録を停止した。
「……ここはいい」
マレーンが操作を止める。
「分かった」
ネイトも何も言わなかった。
エイブはしばらく画面を見つめてから、立ち上がった。
「会う」
「誰に?」
「レッドシューズ」
◇
レッドシューズは、十四年経った今も拘禁下にいた。
自由にVault-Nを歩くことは許されておらず、研究を行う時も監督者が付き、使用できる端末や資料は制限されている。居住区画から隔離された研究区へ移動する際にも記録が残り、侵食関連の作業はすべて複数人の確認を経ていた。
エイブが面会を求めた時も、その規則は変わらなかった。
面会室へ入ってきたレッドシューズは、まずネイトを見た。
「お久しぶりです」
「俺にとっては三日前くらいなんだけどな」
「こちらにとっては十四年です」
「みんなそれ言うな」
「事実ですから」
その後で、レッドシューズの視線がエイブへ向いた。
二人とも、すぐには話さなかった。
「……エイブ」
「生きてたな」
「はい」
「逃げなかった」
「はい」
「十四年」
「はい」
エイブは机の向こうに座るレッドシューズを見た。
「何をしてた」
「侵食への対抗手段を研究していました」
「勝手に?」
「いいえ」
「生きたNIMPHを使った?」
「許可されていません」
「感染者を作った?」
「作っていません」
「隠れて実験した?」
「していません」
回答は一つずつ、迷いがなかった。
「止めろと言われたら?」
「止めます」
「理由に納得できなくても?」
「止めます」
「自分の方が正しいと思っても?」
「それでも止めます」
エイブはレッドシューズの顔を長く見た。
「……十四年前のお前なら、そう言わなかった」
「はい」
「だからって、今のお前を信用するわけじゃない」
「分かっています」
「許してもいない」
「それも分かっています」
レッドシューズは目を逸らさなかった。
「それでも、研究は続けさせてもらっています」
「何で」
「止めなければならないものを、私が作ったからです」
エイブの表情は変わらなかった。
「それだけ?」
「それだけではありません」
レッドシューズは少し考えてから続けた。
「昔の私は、成果が正しいなら方法も認められると思っていました。今は、方法を間違えた研究は、成果だけ正しくても駄目だと考えています」
「遅い」
「はい」
「遅すぎる」
「はい」
エイブは椅子へ深く座った。
「……腹が立つ」
「当然です」
「そうやって全部認めるのも腹が立つ」
レッドシューズは僅かに困った顔をした。
「では、どうすれば」
「知らない」
その返事だけは、十四年前のエイブに近かった。
◇
面会の後、エイブは医療区画へ戻った。
シンデレラの棺型生命維持装置はVault-Nの主電源へ接続され、独立した予備系統も追加されている。十四年間、エイブ一人で維持してきた時よりはるかに安定していたが、だからといって今すぐ目覚めさせられるわけではなかった。
マレーンが診断結果を表示する。
「脳活動は安定。急激な悪化はない」
「身体は?」
「かなり駄目」
「知ってる」
「今あるボディをそのまま修復して起こすより、必要な部分を再構成した方がいいと思う」
「ガラスの靴は?」
「ない」
「探す」
「うん。でも先に身体」
エイブは画面を見た。
かつてなら、一目で何から着手すべきか判断できただろう。
今は少し時間が掛かる。
それでも、分からないわけではない。
「この支持部」
エイブが指す。
「交換するなら一箇所だけ変えるな。左右の負荷がずれる」
マレーンが画面を見る。
「……本当だ」
「こっちも」
次の箇所を指す。
「昔の規格だと、この配線を先に外す」
言ってからエイブ自身が止まった。
「思い出した?」
「分からない」
図を見れば手順が浮かんだ。
それが記憶保管庫で見た昔の記録に刺激されたのか、ずっと残っていた技術知識なのかは判断できない。
「どっちでもいいか」
エイブが言った。
ネイトが少し驚いて見る。
「珍しいな」
「何が」
「お前なら原因を特定するまで気にするかと思った」
「今はシンデレラが先だ」
「それなら納得」
エイブは設計画面を開いた。
◇
その夜、もう一度だけ記憶保管庫へ戻った。
今度はネイトもマレーンも一緒ではない。ただし規則通り、外の監視室には担当者がおり、エイブが停止を求めればすぐ記録を切れるようになっている。
開いたのは、クイーン討伐へ出発する直前の最後の保存だった。
記録の中で、昔のエイブは作業台に座っている。
『これで終わりか?』
誰かの声がした。
ネイトだった。
『終わりだ。何回記録させる』
『保険は多い方がいい』
『同じものを何個も残しても意味はない』
『その辺は専門家に任せる』
『なら口を出すな』
今のエイブは少しだけ笑った。
十四年前から何も変わっていない。
記録の中の自分が、端末へ視線を戻す。
『念のため言っておく』
声が変わった。
『これは私だが、これだけが私じゃない』
現在のエイブの笑みが消えた。
『記録した後にも私は生きる。何かを見て、考えて、変わる。その分までここには残らない』
記録した当時、自分はどこまで意識してその言葉を残したのか分からない。
『だから、もしこれを使う時が来ても、記録の方を本物だと思うな』
今のエイブは画面から目を離せなかった。
『その時生きてる私がいるなら、そいつが私だ』
記録が終わった。
静かな部屋に、機器の音だけが残る。
「……言ってたのか」
エイブは額へ手を当てた。
十四年間、自分は何度も昔の自分へ戻りたいと思った。
壊れる前。
忘れる前。
簡単な修理方法さえ出てこなくなる前。
シンデレラを作った技術者として、何でも分かっていた頃へ戻りたいと何度も願った。
けれど、その頃の自分自身が残していた。
「その時生きてる私が、私」
声へ出す。
少し考える。
「……生意気だな」
昔の自分への感想だった。
同時に、今の自分へ向けた言葉でもある。
◇
翌朝、エイブはPROJECT LILYの設計区画へ入った。
十四年前に自分が残した設計図。
その後マレーンたちが維持してきた資料。
失敗した案。
試験結果。
リリスの現在の生命維持状態。
すべてを並べる。
ネイトが入ってきた時、エイブはすでに椅子へ座っていた。
「休めって言われなかった?」
「休んだ」
「何時間?」
「三時間」
「ニケ基準でも短くない?」
「十四年分休んだ奴に言われたくない」
「それ禁止カードにしてくれない?」
「嫌だ」
ネイトは隣の椅子へ座った。
「記憶、どうだった?」
「全部は戻らない」
「うん」
「たぶん、これからも戻らないものはある」
「そうだろうな」
「昔みたいにできないこともある」
「あるだろうな」
エイブはPROJECT LILYの設計図を見る。
「でも、昔の私が続きを作るわけじゃない」
ネイトは何も言わず待った。
「今の私が作る」
「うん」
「十四年間、地上で壊れた私が」
シンデレラを探した。
棺を作った。
忘れないために名前を書いた。
分からなくなった手順を、一頁目から覚え直した。
「昔より遅いかもしれない」
「急ぐ理由はある。でも、焦って壊す理由はない」
「リリーバイスが待ってる」
「待つの得意になったらしいぞ」
「それをやめさせる」
エイブは新しい設計データを開いた。
十四年前の案を消さない。
上書きもしない。
その横へ、新しい線を引く。
「ネイト」
「何?」
「シンデレラも直す」
「ああ」
「リリーバイスの身体も作る」
「ああ」
「ガラスの靴も探す」
「忙しいな」
「お前も働け」
「起きて四日目なんだけど?」
「十四年休んだ」
ネイトは諦めたように両手を上げた。
「はい、働きます」
エイブはようやく少し笑い、新しい設計図へ視線を戻した。十四年前の自分は記録の中にいるが、続きを作る手はそこにはない。
その手は今、エイブ自身の身体についている。
少し傷つき、以前より不器用になり、それでも十四年間シンデレラを手放さなかった手だった。