Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
第40話 鏡の前へ
シンデレラの新しいボディを作る作業は、エイブが記憶保管庫を見た翌日から始まった。十四年間使われ続けた旧ボディをそのまま修理する案も検討されたが、損傷は全身へ及び、失われた部位を継ぎ足し続ければ構造上の歪みが残る。エイブは検査結果を一通り確認すると、旧ボディを直すより新しく組み直した方が安全だと判断した。
「ただし、昔と同じものは作らない」
作業台の正面で、エイブが設計画面を拡大する。
「どう違う?」
ネイトはその隣で図面を眺めた。表示されているのはシンデレラの旧ボディを基準にした構造図だが、神経接続や電源系統、外部機器との接続方法には見慣れない変更が大量に入っている。
「前の身体は、性能を優先していた。フェアリーテールモデルとして要求された出力を出せること、ガラスの靴を最大限に使えること、そのために必要なものを全部詰め込んだ」
「今は?」
「生き残ることも性能に入れる」
エイブは別の図面を開いた。
「外部から重要領域へ直接書き込める経路は常時開けない。通常整備と、NIMPHや行動制御に関わる領域は分離する。重大な変更には本人の同意と複数の認証を要求する」
ネイトは少し考えてから頷いた。
「レッドシューズ対策か」
「レッドシューズだけじゃない」
エイブの声は淡々としていた。
「同じことを二度やらせないためだ」
過去に起きたことを消すことはできない。それでも、過去に通った穴を開けたまま新しい身体を作る理由もなかった。エイブは十四年前より慎重に、一つの性能を上げるたび、その性能が別の誰かに利用された場合まで考えて設計を進めた。
◇
作業にはマレーンも加わった。
エイブが不在だった十四年間、Vault-Nでニケの整備を担当し続けた経験は大きい。かつてならエイブの指示を受けるだけだった彼女も、今では自分から問題を指摘し、設計そのものへ口を出せるようになっていた。
「この予備電源、もう一系統あった方がいい」
「重くなる」
「〇・七パーセント」
「その〇・七が積み重なる」
「でも、主電源と第一予備が同時に死んだ時は?」
「そんな状況ならボディそのものが──」
そこまで言って、エイブが止まった。
十四年前なら、発生確率の低さを理由に切り捨てたかもしれない。だが、自分は軌道上から落ち、通信も位置情報も失い、何年も修理設備のない地上を歩いた。
「……入れる」
マレーンが目を瞬いた。
「いいの?」
「必要だ」
「前なら三十分くらい言い合ってた」
「前の私ならな」
エイブは設計へ予備系統を書き足した。
「今の私は、予備電源が一個足りないだけで困ったことがある」
マレーンは何も言わず、それ以上笑うこともしなかった。代わりに追加した系統の重量配分を計算し、エイブの画面へ送った。
ネイトは少し離れた場所でそのやり取りを見ていたが、口を挟まなかった。十四年前のエイブへ戻ったのではなく、十四年間を生き延びたエイブが昔の知識を取り戻し、その上で設計している。今作られている身体には、その違いが少しずつ形になって現れていた。
◇
シンデレラの旧ボディは廃棄しなかった。
何が壊れ、何が最後まで残ったのかを調べるための重要な資料であり、何より本人の身体だったものを勝手に処分するつもりは誰にもなかった。エイブは損傷箇所を一つずつ記録し、五年前に発見した時点から棺へ収めるまでに行った応急処置も可能な限り復元していった。
「これ、私がやったのか?」
右肩内部に残された不格好な補強を見ながら、エイブが眉を寄せた。
「記録にはそうある」
マレーンが答える。
「……酷いな」
「地上で工具も部品もなかったんでしょ?」
「それでも酷い」
ネイトが覗き込む。
「俺は結構好きだけど」
「お前に褒められると余計に不安になる」
「ジャンク修理の専門家だぞ」
「だからだ」
エイブは補強部を取り外さず、そのまま撮影記録へ残した。
見た目は悪い。
効率も良くない。
それでも、その補強があったからシンデレラの身体は十四年間持ちこたえた。
「……残す」
「部品を?」
「記録を」
エイブは拡大画像へ説明を付け加えた。
「正しい修理じゃない。でも、あの時はこれが正解だった」
昔の自分なら、そんな書き方はしなかったかもしれない。
◇
新しい身体が形になるまでに数週間を要した。
外見はシンデレラ自身の姿を可能な限り維持した。本人の同意を得られない状態で意匠を変える理由はなく、顔立ちや髪、身体の基本的な比率については保存されていたデータを使って再現する。
ただし、中身は同じではない。
以前より冗長化された電源。
独立性を高めた生命維持。
破損部を区分けして切り離せる制御系。
通常整備と重要領域を分けたアクセス構造。
異常な外部命令が検出された場合に、即座に重要系統を隔離するための安全機構。
エイブは一つずつ確認した。
「侵食を完全に防げるわけじゃない」
「そこは言い切らないんだな」
ネイトが尋ねる。
「言えるわけないだろ」
エイブは画面から目を離さなかった。
「未知の侵食方法まで防げるなんて言ったら、それは技術じゃなく願望だ。できるのは、侵入できる場所を減らすことと、入られた時に切り離す手段を増やすことだけだ」
「十分前進だろ」
「十分かどうかは、シンデレラが二度とあんな目に遭わずに済んでから決める」
ネイトはそれ以上何も言わなかった。
エイブにとって、この身体は単なる修復ではない。
二度目を許さないための設計だった。
◇
意識移行の日、医療区画には必要最低限の人間だけが集まった。
エイブ。
マレーン。
ネイト。
そして、離れた生命維持区画から状況を聞いているリリス。
シンデレラの脳は十四年間、棺型生命維持装置の中で活動を維持していた。長期間の休眠による影響は無視できないが、脳そのものへ新たな致命的損傷は見つかっていない。
「接続開始」
エイブの声に、マレーンが補助系統を切り替えた。
「神経接続、第一段階正常」
「コア出力?」
「最低値で安定」
「感覚系を順番に開ける。全部一度に通すな」
「分かってる」
エイブは作業中、一度もシンデレラの顔を見なかった。
見れば手が止まる気がした。
五年間探した。
一年かけて棺を作った。
その後もずっと、この瞬間へ辿り着くために歩いてきた。
だからこそ、今は技術者でいなければならなかった。
「視覚系」
「正常」
「聴覚」
「正常」
「運動制御はまだ」
「エイブ」
ネイトが呼ぶ。
「何だ」
「手、震えてる」
エイブは自分の右手を見た。
僅かに震えていた。
「作業に影響はない」
「ならいい」
ネイトはそれ以上言わなかった。
『エイブ』
通信からリリスの声が聞こえた。
『大丈夫だよ』
「何の根拠で」
『待ってた人が起きる時って、怖いから』
エイブは数秒黙った。
「……うるさい」
『はい』
リリスの声は笑っていた。
◇
最終確認が終わった。
エイブは一度だけ深く呼吸し、休眠解除を実行した。
「シンデレラ」
反応はない。
数秒。
脳活動が変化する。
眼球運動。
感覚入力への反応。
指先に微かな動き。
「シンデレラ」
もう一度呼んだ。
ゆっくりと、瞼が開く。
焦点が合わない。
天井を見ている。
「聞こえるか」
唇が動いた。
「……エイ……ブ?」
エイブの身体が止まった。
「ああ」
声が思ったより出なかった。
「いる」
シンデレラの目が少し動く。
「エイブ」
「そうだ」
「本物?」
「何だその質問」
シンデレラはまだぼんやりしたまま、エイブの顔を見続けた。
「少し……違う」
「十四年経った」
「十四……?」
「説明は後だ」
エイブは診断値を確認する。
「今は動くな。感覚入力を少しずつ上げてる」
「クイーンは」
「生きてる」
「みんなは?」
エイブの手が止まりかけた。
「分からない奴もいる」
嘘をつかなかった。
「ヘンゼルとグレーテル、リトルマーメイドは?」
「まだ見つけてない」
シンデレラは目を閉じた。
数秒後、もう一度開く。
「そう」
「探す」
「私も行く」
「起きて一分で何言ってる」
「エイブなら言うでしょう?」
「私は言う。お前は駄目だ」
「横暴ね」
エイブの口元が僅かに緩んだ。
「やっといつもの調子だ」
◇
シンデレラの身体を起こせるようになるまで、さらに数時間掛かった。
最初は指を動かす。
次に腕。
脚。
上半身を起こし、平衡感覚を確認する。
新しい身体は以前のものと感覚が僅かに違うため、一つの動作を行うたびシンデレラは眉を寄せた。
「軽い」
「調整中だ」
エイブが答える。
「力が出ないわ」
「出させてない」
「エイブ」
「いきなり全出力にして壁を壊されたくない」
「私はそんなことしないわ」
「昔、整備直後にガラスの靴を勝手に動かした」
「必要だったのよ」
「必要じゃなかった」
「美しかったでしょう?」
「関係ない」
ネイトが横から口を挟む。
「十四年経ってもそこ変わらないんだな」
シンデレラが初めて彼を見る。
「……ネイト?」
「久しぶり」
シンデレラはしばらく顔を見ていた。
「変わってないわ」
「寝てたから」
「エイブは?」
「十四年起きてた」
「ずるい」
「どっちが?」
「ネイトが」
エイブが即答した。
シンデレラは少し考え、それから小さく笑った。
「二人とも変わってないのね」
「私は変わった」
エイブが言う。
シンデレラの視線が戻る。
「そう?」
「ああ」
エイブは十四年間のすべてをその場で話そうとはしなかった。今のシンデレラには、まず自分の身体へ慣れることが必要だったからだ。
「後で話す」
「長い?」
「十四年分」
「なら長いわね」
「聞け」
「もちろん」
シンデレラは素直に頷いた。
◇
歩行試験を終えた頃には、Vault-N内部にも夜に相当する時間が来ていた。
シンデレラはまだ単独行動を許可されず、エイブとマレーンに挟まれるようにして医療区画の小さな洗面室へ入った。そこには最低限の設備と、壁へ固定された一枚の鏡がある。
入り口でエイブが止まる。
「どうした?」
ネイトが尋ねる。
「……忘れてた」
「何を」
エイブは鏡を見る。
「こいつ、起きたら絶対これやる」
シンデレラが先に歩いた。
十四年間眠り続け、目覚めてからまだ半日も経っていない。それでも鏡を前にした時の表情だけは、昔と何も変わらなかった。
自分の顔を見る。
右。
左。
髪へ触れる。
頬。
首元。
新しい身体。
エイブは黙って待った。
「エイブ」
「何だ」
「この身体」
少し間があった。
「美しい?」
エイブの目が僅かに見開かれた。
五年間探した相手がいる。
一年間かけて棺を作った。
それから八年、壊れた身体で守り続けた。
そして今、自分が作った新しい身体で、シンデレラが鏡の前に立っている。
「……美しい」
シンデレラが振り返った。
エイブは目を逸らさなかった。
「当たり前だ。私が作った」
「そこまで言うと思ったわ」
「嫌なのか」
「いいえ」
シンデレラはもう一度鏡を見る。
「私もそう思う」
その答えに、エイブはようやく笑った。
ネイトが後ろから入ってくる。
「俺にも聞く?」
「もちろん」
シンデレラが振り返るより早く、ネイトは答えた。
「綺麗だよ」
今度はシンデレラの方が少し驚いた。
「……上達したわね」
「十四年寝てる間に」
「寝ていただけでしょう?」
「夢で練習した」
「嘘ね」
「はい」
シンデレラは笑った。
◇
その夜、シンデレラは棺型生命維持装置を見に行った。
十四年間、自分が眠っていたもの。
外装は傷だらけで、修理跡が至るところに残り、部品の色も規格も揃っていない。それでも内部は丁寧に維持されており、どの系統も壊れた時に交換できるよう工夫されていた。
「これをエイブが?」
「ああ」
「一人で?」
「ほとんどな」
ネイトが答える。
シンデレラは棺の側面へ触れた。
「覚えてないわ」
「寝てたからな」
「五年間探してくれたことも?」
「それも」
「見つけてから一年かけて、これを?」
「ああ」
エイブは少し離れた場所で腕を組んでいる。
「やめろ」
「何が?」
「その話」
「どうして」
「恥ずかしい」
シンデレラがエイブを見る。
「エイブ」
「何だ」
「ありがとう」
エイブは答えなかった。
「見つけてくれて」
「……ああ」
「守ってくれて」
「必要だった」
「十四年も」
「必要だったからだ」
シンデレラはゆっくり近づいた。
エイブが僅かに身構える。
「何だ」
「十四年分」
「何が」
シンデレラはエイブを抱きしめた。
エイブの両腕が中途半端な位置で止まる。
「ちょっと待て」
「嫌」
「身体の動作試験中だぞ」
「問題ないわ」
「私が問題ある!」
ネイトは笑いながら少し離れた。
エイブはしばらく抵抗していたが、やがて諦めるように腕を下ろした。そのままでは行き場がないため、最後にはシンデレラの背中へ手を回す。
「……重い」
「新しい身体が?」
「十四年分」
シンデレラは離れなかった。
「なら、もう少し」
「勝手にしろ」
その返事だけで十分だった。
◇
翌朝、シンデレラは作業区画へ来た。
まだ戦闘出力には制限が掛けられている。
ガラスの靴もない。
それでも歩ける。
話せる。
鏡を見て笑える。
エイブは十四年間止まっていた設計データを開き、その横へ新しいファイルを作った。
「次」
シンデレラが覗き込む。
「何をするの?」
「決まってる」
エイブは四つの大型兵装の旧設計を画面へ呼び出した。
「ガラスの靴」
シンデレラの目が輝いた。
「作れる?」
「作る」
「前と同じ?」
「同じものを作る意味がない」
エイブは新しい身体の仕様を横へ並べた。
「お前が変わった。私も変わった。十四年経った。それならガラスの靴も変える」
ネイトも画面を覗き込む。
「何か手伝える?」
「余計な兵器を積もうとしないなら」
「まだ何も言ってない」
「ミサイル」
「ちょっと考えた」
「却下」
「レーザー」
「用途次第」
「ミニニューク」
「出ていけ」
シンデレラは二人を見比べ、呆れたように息を吐いた。
「私のガラスの靴で遊ばないで」
「遊んでない」
「研究だ」
二人の声が重なる。
シンデレラはしばらく黙った後、鏡を手にしたまま小さく笑った。
「それなら、美しく作って」
エイブは設計画面へ向き直る。
「当然だ」
十四年間止まっていた作業が、ようやく続きを始めた。