Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
プリティーの次のイベントへ足を運んだ時、ネイトは自分が思っていた以上に目立っていたらしい。
もっとも、本人にはその自覚がなかった。会場は前回より小さく、ステージ前の広場にはすでにかなりの人数が集まっている。ニケの観客も少なくなかったが、それ以上に人間の割合が高く、プリティーという存在が単なる「ニケ向けの人気者」ではないことは一目で分かった。
ネイトは人波へ混ざりながら、自然と会場全体へ視線を走らせた。ステージまでの距離、出入口、警備員の人数、柵の配置、観客が動いた場合に詰まりそうな場所。軍人だった頃から染みついた癖は、冷凍睡眠を何十年挟んだ程度では消えてくれない。
「……あそこ、まずいな」
西側の通路だけ、売店へ向かう列と入場待ちの人間が交差していた。今は流れているものの、イベント終了後に全員が同時に動けば、狭い角へ人が集中する可能性が高い。
近くにいたスタッフへ声を掛ける。
「悪い。あの柵、もう少し動かせない?」
「え?」
「売店の列と出口がぶつかってる。終わった時に詰まるぞ」
スタッフは一度そちらを見たものの、すぐには理解出来なかったらしい。
「ですが、昨日からこの配置で──」
「今はいいんだ。人が同じ方向へ動いてるから。帰りは逆になる」
ネイトは指先で人の流れを示した。ステージ側から出口へ戻る客と、売店付近から別の通路へ抜けようとする客が、ちょうど角でぶつかる形になる。
「一列分ずらすだけでかなり変わると思う」
「少々お待ちください」
スタッフが無線へ手を伸ばした。
数分後、現れたのはネイトより若い男だった。整った服装からして警備員ではなく、イベント運営側の人間だろう。疲れを隠そうとしているものの、目だけはよく周囲を見ている。
「指摘してくださったのはあなたですか?」
「そうだけど」
男は西側通路を確認すると、すぐにスタッフへ指示を出した。柵を移動させ、交差する列を分離し、角へ一人警備員を追加する。判断が早い。
「助かりました」
「俺は言っただけだよ」
「言われなければ、終了時まで気づかなかった可能性があります」
男はそう言ってから、改めてネイトを見た。
「警備関係の方ですか?」
「違う」
「軍関係は?」
「昔は」
完全な嘘ではない。
男の視線が少し変わった。
「なるほど」
「それだけで分かる?」
「プリティーを見に来た方としては、少々見ている場所が変わっていますから」
ネイトは思わず笑った。
「ファンに見えなかった?」
「申し訳ありませんが」
「即答だな」
「ファンの方は、もう少しプリティーだけを見ています」
男も僅かに笑った。
「あなたはステージより先に、出入口と警備員と監視カメラを確認していました」
「そっちもよく見てるな」
「仕事ですから」
男は右手を差し出した。
「ハンソンです。プリティーのマネージャーをしています」
「ネイト」
ネイトも握手を返した。
姓までは名乗らない。
今のアークで自分の素性を積極的に広める理由もなかった。
「じゃあ、あなたがあの子を支えてる人か」
「支えられている方かもしれません」
「マネージャーがそれ言う?」
「時々、そう思います」
ハンソンの返答には冗談だけではない何かが混ざっていた。
ネイトはその意味を尋ねなかった。
◇
イベントが始まると、会場の空気は一変した。
スクリーンで見た時にも人気は理解出来たつもりだったが、実際にその場へ立つと印象が違う。プリティーがステージへ現れただけで歓声が跳ね上がり、人間もニケも関係なく同じ名前を叫んでいる。
ネイトは腕を組んだまま、その光景を眺めた。
歌そのものに詳しいわけではない。
アイドル文化にも馴染みはない。
それでも彼女が何をしているのかは、少し分かる気がした。
プリティーが笑えば、観客も笑う。彼女がニケの観客へ手を振っても、人間側から不満の声は上がらない。それどころか、隣にいた子供は負けじと大きく手を振り返していた。
街を歩いていた時とは、まるで別の世界だった。
「これか」
ネイトは小さく呟いた。
銃も持っていない。
ラプチャーと戦っているわけでもない。
それでも彼女は、人間とニケの間にあるものを少しずつ削っている。
そんなふうに考えた直後だった。
「ニケのくせに!」
怒声が上がった。
前方の柵を越えようとした男を、二人の警備員が取り押さえている。
「人間を騙すな! そんなもので──」
男の声は、警備員に連れ出されるまで続いた。
会場の空気が一瞬だけ冷える。
ステージ上のプリティーも、ほんの僅かに表情を変えた。
ネイトはそれを見ていた。
すぐに笑顔へ戻ったからこそ、余計に気づいた。
慣れている。
そして、慣れなければならない程度には繰り返されている。
プリティーは何事もなかったように次の曲へ進んだ。観客も少しずつ元の熱気を取り戻し、イベント自体はそのまま最後まで続いた。
ネイトは終演までそこに残った。
◇
人が散り始める頃、西側の通路は問題なく機能していた。
先ほど移動させた柵のおかげで、出口へ向かう流れと売店から出てくる客がぶつからずに済んでいる。ネイトはその様子を確認し、そろそろ帰ろうかと歩き出した。
「ネイトさん」
後ろから呼ばれた。
振り向くと、ハンソンが立っていた。
「ちゃんと流れましたね」
「大事故にならなくてよかった」
「本当に助かりました」
「そんな大げさな」
「こういうものは、何も起こらなかった時ほど軽く見られますから」
その言葉に、ネイトは少しだけ感心した。
「分かってるじゃないか」
「仕事です」
「さっきも聞いたな、それ」
ハンソンが苦笑する。
少し話してみると、彼がプリティーの予定管理だけをする一般的な意味でのマネージャーではないことはすぐ分かった。警備、移動経路、契約、スタッフ配置、外部との交渉まで、彼女が活動を続けるために必要なものを広く支えている。
「マネージャーっていうより、兵站担当に近いな」
ネイトが言うと、ハンソンは僅かに首を傾げた。
「褒めているのでしょうか」
「かなり」
「なら、ありがとうございます」
二人は会場近くの小さな店へ入り、空いている席へ腰を下ろした。ハンソンは最初こそネイトの素性を気にしていたようだが、話題がイベント運営へ移るにつれて警戒は薄れていった。
「今日の警備、少なくない?」
飲み物が届いてから、ネイトは尋ねた。
ハンソンの表情が僅かに曇る。
「分かりますか」
「入口が三つで、目についた警備員は六人。武装したニケはいなかった」
「意図的です」
「何で?」
「ニケのイベントへ武装したニケを配置すると、それ自体へ反発する人々がいます」
ネイトは思わず顔をしかめた。
「警備より、そいつらの機嫌を優先するのか?」
「私も反対しました」
「通らなかった?」
「はい」
ハンソンは淡々と答えたものの、納得しているようには見えない。
「最悪だな」
「随分はっきり仰いますね」
「兵士に町を守らせておいて、住民が怖がるから武器は置いてこいって言われたら納得出来る?」
「出来ません」
「俺も同じだ」
ハンソンは少し笑った。
そこから話題は、自然とプリティーの活動へ移っていった。
第一次地上奪還戦の失敗以降、ニケに対する反感は以前より強くなっている。どれだけ前線で戦っても、失敗した時には責任を負わされ、日常生活では危険な存在として距離を置かれる。
その状況を、正面から説得だけで変えるのは難しい。
「だからプリティー?」
ネイトが尋ねる。
「彼女を好きになった人へ、『ニケを嫌うな』と命令する必要はありません」
ハンソンはカップへ視線を落としたまま答えた。
「プリティーを見て笑った人が、その後でニケを単なる兵器として見られなくなれば、それでいいと思っています」
「嫌うなって言う代わりに、別の姿を見せる」
「はい」
ネイトは先ほどのステージを思い出した。
罵声が飛んでも笑顔を戻し、人間とニケの両方から歓声を受けていた少女。
「マイク持って戦ってるわけだ」
ハンソンが顔を上げる。
「戦う?」
「俺が知ってる戦いとは随分違うけどね」
ネイトは肩をすくめた。
「相手を撃たなくても、変えられるものはあるらしい」
ハンソンはしばらく何も言わなかった。
「それは、本人にも言ってあげてください」
「俺が?」
「私から言うより、響くかもしれません」
「マネージャーがそれでいいのか」
「本人に届くなら、誰が言っても構いません」
ネイトは、この男を少し気に入った。
自分が認められることより、プリティーに必要なものを優先している。その一方で、自分の方が何でも抱え込もうとしているようにも見えた。
「上司、厳しい?」
ハンソンの手が止まった。
「なぜそう思うんです?」
「顔」
「そんなに分かりやすいでしょうか」
「俺の知り合いにも、似た顔する奴が何人かいた」
「苦労されていますね」
「お互いね」
ネイトが笑うと、ハンソンも小さく笑った。
その時、店の入口が少し騒がしくなった。
◇
「ハンソン」
帽子と眼鏡で簡単に顔を隠した女性が、数人のスタッフと一緒に入ってきた。
変装としてはかなり心許ない。
ネイトでさえ一目で分かった。
「プリティー?」
「帰る前に少しだけ」
ハンソンが立ち上がる。
「まだ会場に記者が残っていますよ」
「裏から来たから大丈夫」
そこでプリティーが、向かいに座っているネイトへ気づいた。
「誰?」
「こちらはネイトさんです。今日、会場の導線について助言をいただきまして──」
「ファン?」
「違うって即答された」
ネイトが先に答えると、プリティーは楽しそうに笑った。
「かわいそう」
「本人にまで言われた」
ハンソンが簡単に事情を説明し、プリティーも同じ席へ座った。
近くで見ると、ステージ上とは少し印象が違う。
華やかさが消えるわけではないが、普通に疲れも見える。先ほど罵声を浴びせられたことを気にしていないように振る舞っているものの、それが本当に何も感じていないという意味ではないことも分かった。
「今日の変な人、見た?」
プリティーがハンソンへ尋ねる。
「見ました」
「また謝る?」
「警備体制については、私にも責任があります」
「止めたじゃん」
「ですが──」
「またそれ」
プリティーが呆れたように息を吐いた。
その様子を見ていたネイトは、思わず尋ねる。
「よく謝る?」
「すごく」
プリティーは即答した。
「そんなことはありません」
ハンソンが反論する。
「あるよ」
「あるな」
ネイトまで加わると、ハンソンは二人を交互に見た。
「初対面の方にまで言われるとは思いませんでした」
「直した方がいい」
「ネイトまで言うの?」
「俺も似たような友達に言ってきたからね」
プリティーが頬杖をつきながら笑う。
「もう友達?」
「本人が嫌じゃなければ」
突然話を振られたハンソンは少し困ったように黙ったものの、最終的には小さく息を吐いた。
「……嫌ではありません」
「成立」
「早くない?」
「友達になるのに申請書でもいる?」
「変な人」
「今日それ何回目だろ」
三人の間に笑いが起きた。
その空気が落ち着いてから、ネイトはプリティーへ視線を向けた。
「さっきの、怖くなかった?」
彼女の笑顔が僅かに止まった。
「何が?」
「柵を越えようとした男」
「慣れてる」
「それ、怖くないって意味じゃないだろ」
プリティーの目が少し細くなる。
ハンソンが何か言おうとしたが、ネイトは先に手を上げた。
「無理に答えなくていい。ただ、慣れてるから平気ってことにしなくてもいいと思っただけ」
責めるつもりはない。
慰めようとしているわけでもない。
ただ、自分が見たままを言った。
プリティーはしばらくネイトの顔を見ていた。
「……変なファン」
「まだファンじゃないらしいよ」
「じゃあ見習い」
「そんな制度あるの?」
「今作った」
「正式になるには?」
プリティーは少し考えるふりをした。
「十回来たら」
「多くない?」
「人気アイドルだから」
「あと九回か」
「来る気なんだ」
「面白かったからね」
プリティーが少し驚いた顔をする。
「歌?」
「それも悪くなかった」
「上から目線」
「でも、一番面白かったのは別」
ネイトは先ほどステージで見た光景を思い出した。
「人間もニケも、君が出てきたら同じ方向を見てた」
プリティーは黙る。
「街じゃニケを嫌ってる奴がいる。今日みたいに直接怒鳴る奴もいる。でも君が歌ってる間は、そういう連中まで少なくとも君から目を逸らせない」
「……それで?」
「戦ってるんだなと思った」
プリティーの表情が変わった。
「私が?」
「ああ。銃じゃなくてマイクで」
ネイトは軽く肩をすくめた。
「俺が知ってるやり方とは違うけど、ちゃんと戦ってる」
しばらく返事はなかった。
ハンソンも口を挟まない。
やがてプリティーは帽子のつばを少し下げた。
「十回」
「何が?」
「正式なファンになるまで」
「まだその話?」
「絶対来て」
「義務になった?」
「今なった」
顔を隠しているつもりなのだろうが、口元が笑っているのは見えていた。
「分かったよ」
ネイトも笑った。
「あと九回」
「忘れないでね」
「Pip-Boyに記録しとく」
「何それ?」
「長い話」
プリティーが興味を示しかけたところで、スタッフから出発を促す声が飛んできた。
「もう行かないと」
ハンソンが立ち上がる。
プリティーも席を離れたが、店を出る前に一度だけ振り返った。
「ネイト」
「何?」
「今日はありがと」
何についての礼なのかは言わなかった。
ネイトも尋ねなかった。
「どういたしまして」
それだけ返した。
◇
プリティーたちを見送ってしばらくしてから、ネイトも店を出た。
アークの人工的な夜空の下を歩きながら、今日見たものを頭の中で整理する。
ニケへの反感は確かに強くなっている。
それでも、全員が同じ考えではない。
プリティーのステージへ集まった人間たちは、少なくとも彼女を一人の人気者として受け入れていた。
その状況を作るために、プリティー自身が前へ立ち続け、その後ろでハンソンが支えている。
「星を支える男、か」
ネイトは小さく呟いた。
派手なのはプリティーだ。
観客が見ているのも彼女である。
しかし、星が輝き続けるためには、その光の届かない場所で誰かが道を整えなければならない。
今日の会場でハンソンがしていたのは、まさにそれだった。
そしてネイトはまだ知らない。
プリティーがどこまで無理をしてその場所へ立ち続けているのかも、ハンソンがどれだけ多くのものを一人で抱え込んでいるのかも。
今のところはただ、新しく知り合った二人をもう少し見てみようと思った。
冷凍ポッドが直るまでの寄り道として始めたはずなのに、九回分の予定まで出来てしまったことには、帰り道の途中でようやく気づいた。