Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
プリティーが決めた「十回来たら正式なファン」という基準は、冗談のように始まったわりに最後まで撤回されなかった。
ネイト自身も意地になったわけではないが、冷凍ポッドの調査が長引いていることもあり、都合がつく日は彼女のイベントへ顔を出すようになった。ステージを見るだけの日もあれば、ハンソンに頼まれて会場の導線を確認することもあり、気づけばスタッフの何人かにまで顔を覚えられている。十回目の終演後には、プリティー本人から「今日から正式なファン」と宣言され、頼んでもいないのに認定まで済まされてしまった。
「何か特典ある?」
「プリティー本人と話せます」
「今までも話してただろ」
「じゃあ特別に、これからも話していい」
「変わってないな」
そんな軽口を交わせる程度には、三人の距離も縮まっていた。
その一方で、ネイトには気になることが増えていた。プリティーの仕事量である。
朝から取材を受け、昼には企業のイベントへ出演し、夕方から収録、その後に打ち合わせという日も珍しくない。ニケである以上、人間と同じ意味で睡眠不足になるわけではないとしても、精神まで無限に働けるわけではないことくらい、これまで多くのニケと付き合ってきたネイトにも分かる。
控室を訪ねたある日、机の上に置かれた予定表を見て、ネイトは思わず眉を寄せた。
「これ、休憩どこ?」
鏡の前で髪を整えていたプリティーが、当然のように予定表を指差す。
「ここ。移動四十分」
「車の中で次の資料読むって書いてあるけど」
「時間を有効活用してるの」
「それを休憩とは言わないだろ」
プリティーは鏡越しに嫌そうな顔をしたが、ネイトの隣にいたハンソンも今回は助け舟を出さなかった。むしろ同意するように端末を操作し、夜に入っていた打ち合わせを翌日へ移そうとする。
「今日の最後の予定は延期しましょう。明日でも十分に間に合います」
「嫌」
「嫌ではありません」
「明日は明日で仕事があるもの」
「だからこそです。休める時に休んでください」
二人のやり取りは、どうやら初めてではないらしい。プリティーはしばらく反論を続けたものの、途中で化粧道具を取ろうとした指が止まり、そのまま鏡の中の自分へ視線を固定した。
ほんの数秒だった。
けれど、ネイトもハンソンも見逃さなかった。
「……みんな見てるのよ」
プリティーの声から、先ほどまでの軽さが消えた。
「誰が?」
ネイトが尋ねると、彼女は鏡から目を逸らさないまま答えた。
「人間も、ニケも。私が何するか見てる」
プリティーという存在は、もう単なる芸能人ではなくなりつつあった。ニケが人間と同じ舞台へ立ち、同じように愛されることが出来る証明として見る者もいれば、その逆に、失敗する瞬間を待っている者もいる。
「私が休んだら、『ニケだから仕事を投げた』って言う人がいる。失敗したら、『やっぱりニケには無理だった』って言う人もいる。人気が落ちたって、たぶん同じ」
「だから全部成功させるつもり?」
「出来るなら」
「それで君が壊れたら?」
「ニケはそんな簡単に壊れないわよ」
反射的に返した言葉だったが、言った本人が一番それを信じていないように聞こえた。
ネイトは予定表を机へ戻した。
「身体の話じゃない」
プリティーが振り向く。
「分かってる」
それ以上は追及しなかった。
本人が立ち止まろうとしない限り、周囲が無理やり答えを押しつけても意味はない。ネイトに出来るのは、少なくとも手を伸ばせる距離から離れないことくらいだった。
◇
プリティーの人気が上がるほど、それを快く思わない者の声も大きくなった。
広告へ起用された企業には抗議が届き、人間とニケが共に参加する催しへ彼女が姿を見せれば、会場の外へ反対者が集まることもある。ネットワーク上では以前から罵倒が飛び交っていたが、それが現実の街へ出てくる頻度も増えていた。
ハンソンは可能な限り警備を増やした。
プリティー本人も危険を理解していないわけではなかった。
それでも活動は止めなかった。
「止まったら、あの人たちの言う通りになるじゃない」
以前そう言っていた。
転機になった事件は、プリティーの単独イベントで起きたものではなかった。
ニケの権利向上を訴える団体が開いた小規模な催しへ招かれ、人間とニケが同じ会場で交流することを目的とした場で短い挨拶を行う。プリティーにとっては珍しくない仕事であり、規模も大きくなかったため、ネイトもその日は同行していなかった。
問題が起きたのは、催しが終わりかけた頃だった。
最初は一人の男が、近くにいた量産型ニケへ罵声を浴びせただけだった。スタッフが間へ入り、別の人間が男を諫めたところから口論になり、そこへ周囲の人々が集まってくる。
誰かが相手を押した。
押し返した者がいた。
警備員が止めようとした時には、外にいた抗議者の一部まで会場へ流れ込んでいた。
「下がって!」
プリティーの声が響いた。
近くにいた量産型ニケが、混乱の中で転びそうになった子供を抱えて庇う。その背中へ何かが叩きつけられ、別の場所では人間同士が掴み合っていた。
それまでなら、プリティーはすぐに動いていた。
力で制圧するような立場ではないとしても、倒れた者を助けたり、逃げるよう声を掛けたりすることは出来る。
しかし、この時だけは身体が止まった。
目の前でニケが倒れ、そのすぐ近くでは人間も血を流している。ニケを庇おうとした人間が殴られ、人間を守ろうとしたニケまで蹴られていた。
誰がどちら側なのか、もはや分からなかった。
人間とニケを近づけたい。
プリティーはそのために活動してきた。
その場所で、両方が互いを傷つけている。
「プリティー!」
ハンソンが彼女の腕を掴んだ。
「離して! まだ中に人が──」
「警備が対応しています!」
「でも!」
「あなたまで巻き込まれたら、もっと混乱します!」
振り払おうとしたプリティーの視界へ、倒れた二人が入った。
一人は人間。
もう一人はニケ。
数人のスタッフが駆け寄っているが、どちらも動かなかった。
プリティーの腕から力が抜けた。
その日を境に、彼女は仕事へ戻らなくなった。
◇
公式には長期休暇と発表された。
プリティー自身が活動休止を求めたわけではなく、ハンソンやミセス・ミスを含む周囲が、これ以上仕事を続けさせるべきではないと判断した結果だった。本人も最初の数日は反論せず、届いた連絡へ必要最低限の返事をするだけで、自分から復帰の話を持ち出すことはなかった。
ネイトが訪ねた時も、部屋には仕事らしいものがほとんど残っていなかった。テーブルの端へ未開封の書類が積まれているだけで、プリティー本人は普段よりずっと簡素な服装でソファへ座っている。
「入っていい?」
「もう入ってるじゃない」
「嫌なら出る」
「そこまで言ってない」
ネイトは向かい側へ腰を下ろした。
プリティーは元気そうに見せようとはしなかった。化粧もせず、姿勢も普段ほど整えていない。その方がむしろ、ネイトには安心出来た。
「ハンソンは?」
「仕事。私がいない間に出来ることを片付けてるんじゃない?」
「連絡は?」
「毎日来る」
「まめだな」
「心配性なの」
声にいつもの棘はなかった。
少しの沈黙の後、プリティーの方からネイトを見る。
「普通は『大丈夫?』って聞かない?」
「大丈夫じゃないのは見れば分かるだろ」
「ファン失格」
「また見習いに戻る?」
「保留」
ほんの少しだけ笑ったものの、その笑みはすぐに消えた。
「ネイト」
「うん」
「私、何してたんだろ」
ネイトはすぐには答えなかった。
プリティーは両手を膝の上で組み、その指先を見つめている。
「ニケだからって理由だけで嫌われるのが嫌だった。戦場へ行って、命張って、それでも帰ってきたら人間より下みたいに扱われる。それを変えたかった」
「知ってる」
「みんなに好かれるニケがいれば、少しは変わると思った」
ステージへ立った。
歌った。
笑った。
実際、それで変わった人もいる。
「でも、あの場所で人が死んだ」
プリティーの声が震えた。
「私がニケと人間を近づけたいって言って、同じ場所に集めて、その結果があれだった」
「君が原因だと思ってる?」
「違うって言う?」
ネイトは首を横へ振らなかった。
「君が有名になったことや、あの活動が人を集めた理由の一つではあると思う」
プリティーが顔を上げる。
慰められると思っていたのかもしれない。
「でも、君が殴れって命令したわけじゃない。武器を持ち込めとも、人を殺せとも言ってない。そこは分けないと駄目だ」
「簡単に言うのね」
「簡単じゃないよ」
ネイトは自分の手へ視線を落とした。
「人が死んだ後に、『誰が悪かったのか』を全部一人で背負いたくなる気持ちは分かる。でも、それで本当の原因まで一緒に埋めたら、次も同じことが起きる」
「じゃあ、どうすればよかったの?」
「分からない」
プリティーが目を瞬いた。
「……分からないの?」
「分からない」
「軍人だったんでしょ?」
「軍人なら人間同士の憎しみ全部直せるってんなら、俺の世界はもう少し平和だっただろうな」
それ以上、ネイトは正しい答えらしいものを並べなかった。
そもそも、自分が答えを持っていない。
プリティーも、しばらくすると問い詰めるのをやめた。
ただ二人で少し話した。
仕事とは関係のないことを。
ハンソンが心配しすぎることや、Vault-Nで整備中の冷凍ポッドが未だに原因不明であること。プリティーは「機械にまで起こされるなんて嫌われてるんじゃない?」と笑い、ネイトは「むしろ寝かせてくれない」と返した。
帰る頃になっても、彼女が元通りになったわけではなかった。
それでいいとネイトは思った。
◇
長い休暇の間、プリティーは時折一人でアークを歩くようになった。
完全に人目を避けられるわけではないが、帽子と目立たない服を使い、人の多い場所を避ければ、誰にも囲まれずに過ごせる時間は作れる。
その日も特に目的地はなかった。
気づけば公園へ入り、空いていたベンチへ腰を下ろしていた。
人工の空は夕暮れを再現している。
離れた場所では子供たちが遊び、大人たちは仕事帰りらしい足取りで通路を歩いている。プリティーが活動を休んでいても、社会は止まらない。
その当たり前の光景を眺めながら、彼女は背もたれへ身体を預けた。
「……いいな」
「何が?」
横から声がして、プリティーは思わず振り向いた。
少し離れた場所に、一人の少女が立っている。
「いつからいたの?」
「今来た」
「そう」
少女は遠慮なくこちらを見ていた。
帽子を被っているとはいえ、近くから見れば誤魔化しきれなかったらしい。
「……プリティー?」
「違うって言ったら?」
「嘘」
「どうして?」
「プリティーだから」
理由になっていない。
けれど少女本人は、それで十分らしかった。
「あなた、名前は?」
「アニス」
「聞いてないけど」
「今聞いたじゃん」
プリティーは少しだけ目を細めた。
「そうだった」
「じゃあ、プリティーも名前言って」
「今あなたが言ったでしょ」
「本物か確認したいの」
「面倒な子ね」
以前なら疲れている時に知らない相手から話しかけられれば、もっと早く切り上げようとしたかもしれない。
今日は不思議と嫌ではなかった。
「プリティーよ」
「やっぱり!」
「声大きい」
アニスは慌てて口を押さえた。
「ごめん」
「分かればいいわ」
少し迷った様子を見せてから、アニスがベンチの空いている場所を指差す。
「隣、座っていい?」
「どうぞ」
二人は並んで座った。
最初の数分は、どちらも特に話さなかった。
遠くから聞こえる子供たちの声と、人工の風が木々を揺らす音だけが間を埋めている。
「最近、テレビ出てないよね」
やがてアニスが尋ねた。
「休んでるの」
「病気?」
「違う」
「じゃあ疲れた?」
プリティーは少し考えた。
「……そんな感じ」
「そっか」
それ以上、アニスは理由を聞かなかった。
何があったのか、どうして休んでいるのか、普通なら興味を持ちそうなことを何一つ追及してこない。そのことが、かえってプリティーには気になった。
「あなた、私のファン?」
「うん」
「どこが好き?」
「全部」
「雑」
「本当だってば」
アニスは少しむっとしてから、真面目な顔になった。
「私、前にすごく嫌な時期があったの」
プリティーは黙って続きを待った。
「何やっても上手くいかないし、自分が何やっても意味ない気がしてた。でも、プリティーを見てたら、もうちょっとやってみようかなって思えた」
「私を見て?」
「うん」
「どうして?」
「楽しそうだったから」
思ってもいなかった答えだった。
プリティーは、アニスの横顔をしばらく見つめた。
「私、そんなに楽しそうだった?」
「すごく」
迷いのない返事だった。
「歌ってる時も、みんなに手振ってる時も。見てたら、私もあんな感じになれたらいいなって思った」
「アイドルに?」
「そこまでは分かんない」
アニスは少し照れたように笑う。
「でも、誰かが私を見て元気になれるような人にはなりたい」
プリティーは返事が出来なかった。
自分はニケのために始めた。
人間とニケの間を変えたいと思った。
そのために、何人に知られたか、世論がどれだけ動いたか、どの企業が協力したかという大きな数字ばかりを見るようになった。
けれど目の前の少女は、そんなことを一つも知らなくてもいいと言うように笑っている。
自分を見た。
楽しそうだった。
だからもう少し生きてみようと思った。
それだけだった。
「プリティー」
「何?」
「ありがとう」
胸の奥へ何かが落ちた。
「……何であなたがお礼言うのよ」
「言いたかったから」
「変な子」
「よく言われる」
どこかで最近聞いたような返事だった。
プリティーは思わず笑った。
ステージで求められる笑顔でもなく、カメラへ向けるためのものでもない。ただ目の前の少女がおかしくて、自分から笑った。
それが久しぶりだったことに、笑ってから気づいた。
◇
アニスと別れた後も、プリティーはすぐ仕事へ戻ろうとはしなかった。
部屋へ帰ると、以前のステージ映像をいくつも呼び出した。デビューしたばかりで観客が少なかった頃から、人間とニケが同じ会場で名前を呼んでくれるようになった頃まで、時間を遡るように一本ずつ再生していく。
画面の中の自分は、確かに楽しそうだった。
いつから、あの顔をすることまで仕事になっていたのだろう。
アニスと話したからといって、事件で死んだ人々が戻るわけではない。ニケフォビアが消えるわけでも、自分が背負ってきたものが突然軽くなるわけでもなかった。
それでも、一つだけ分かった。
自分がしてきたことは、何も残らなかったわけではない。
少なくとも一人。
あの少女の中には残っていた。
「……そっか」
プリティーは映像を止めた。
以前と同じやり方で仕事へ戻るつもりはない。
まだ何をすればいいかも分からない。
けれど、休みに入った直後と同じ場所にはもういなかった。
そして、次へ進む前に会わなければならない人がいる。
ずっと避けてきた相手。
帰らなくなった家。
自分が本当に知りたかったことを、何も聞かないまま離れてしまった人。
プリティーは連絡先の一覧を開いた。
一つの名前の上で、指が止まる。
すぐには押せなかった。
それでも画面を閉じることもしなかった。
プリティーではない自分の名前で帰れる場所が、まだ残っているのか。
フリージアは長い間その表示を見つめたあと、ようやく端末へ指を伸ばした。