Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
「何ができる?」
保存装置を前にして、リリーバイスはネイトへ尋ねた。
彼女は先ほどからほとんど同じ場所に立ち続けている。これまで死者としてしか語れなかった仲間について、ほんの僅かとはいえ別の可能性が生まれたのだ。それが確かな希望とはまだ呼べないことも、期待した末に何も残らないかもしれないことも理解しているのだろう。それでも、保存槽の中で続いている微かな生命活動から目を離すことができずにいた。
ネイトはすぐには答えず、Pip-Boyと施設側の計測値をもう一度照合した。生きていることと、元通りに戻せることはまったく別の話である。脳組織がどこまで正常なのか、意識や記憶が残っているのか、外からの刺激を受けた時にどのような反応を示すのかさえ分かっていない状態で、いきなり新しい身体へ繋ぐような真似はできなかった。
「まず、この古い設備から安全に移す。新しい身体を作るのは、その後だ」
「すぐには駄目なの?」
「ああ。問題が起きた時に、脳そのものが原因なのか、新しい身体との接続が原因なのか分からなくなるだろ。最初はもっと単純なものにする」
リリーバイスが保存槽からネイトへ視線を移した。
「どんなもの?」
「脳を生かしておけて、外を見たり音を聞いたりできる装置だ。もし意識が戻ったら、こっちと話せるようにもする。それ以上の機能は要らない」
「作れる?」
「似たような技術なら知ってる。ただし、元になったものはろくでもないけどな」
少し曇ったネイトの表情を見て、リリーバイスが首を傾げた。
「どういう意味?」
「人間の脳を機械へ積んで動かす技術だよ」
「それだけ聞くと、ニケとそこまで違わないような気もするけど」
「問題は使い方なんだ」
ネイトの脳裏へ浮かんだのは、連邦で何度も遭遇したロボブレインだった。人間の脳を生体部品として機械へ搭載し、その演算能力を利用するために生み出された戦前の技術である。脳を生命維持しながら神経信号を機械側の情報へ変換するという一点だけを抜き出せば、今必要としているものに驚くほど近い。
しかし、その技術がどのような人間を材料にし、何のために利用されたのかまで引き継ぐ理由はない。
「そのまま真似する気はない。借りるのは生命維持と、脳から入出力を取るための考え方だけだ。武器も脚も付けないし、人格や記憶に手を加えるような機能なんてもってのほかだ」
「ネイト一人で作れるの?」
「俺一人じゃ無理だな。この世界のニケ用規格が分からない」
「じゃあ、誰か手伝ってくれる人が必要だね」
その人選については、勝利の翼号へ戻ってから悩む必要もなかった。
◇
「助っ人連れてきたぞ、男前」
作業区画の入口からレッドフードが顔を出し、その隣にはスノーホワイトが立っていた。本人を連れてきたことよりも、自分が適任者を見つけてきたことを自慢したいらしく、レッドフードは妙に得意げである。
「こういうのは、おちびちゃんの出番だろ?」
「おちびちゃんって呼ばないでください!」
「じゃあスノー」
「それも勝手に短くしないでください! いつも嫌だって言ってますよね?」
「いつも呼んでるんだから、今さらだろ」
言い争いながら入ってくる二人を眺め、ネイトは思わず笑った。
「ちょうどよかった」
その一言だけで、スノーホワイトの注意はレッドフードから作業台へ移った。
「何を作るんですか?」
「まだ何も説明してないのに食いつくの早くない?」
「レッドフードから、古い機械の技術を使うと聞きました」
「それしか言ってねえぞ?」
「十分です」
レッドフードが呆れたように肩をすくめる横で、ネイトはPip-Boyからロボブレインの構造資料を呼び出した。ただし表示された設計図にはすでに大幅な修正が加えられており、武装や移動機構、行動制御に関係する部分の大半は最初から候補から外してある。
スノーホワイトは画面を覗き込むと、たちまち技術者の顔になった。
「この中央へ脳を繋いで、循環装置で維持するんですね。こっちは神経信号を機械側へ変換する部分ですか?」
「ああ。視覚は外部カメラ、聴覚はセンサーから入れるつもりだ」
「運動出力はどうします?」
「付けない」
予想していなかったらしく、スノーホワイトが顔を上げた。
「付けないんですか?」
「長いあいだ身体を動かしてない相手を起こして、いきなり機械の脚で歩かせる気?」
「あ……それは、そうですね」
「最初は見る、聞く、話す。その三つで十分だ。意識が戻って、本人と意思疎通できるようになってから次を考える」
少女は設計図とネイトを交互に見たあと、迷いなく頷いた。
「分かりました。私も手伝います」
「話が早いな」
「助けられる可能性はあるんですよね?」
その問いには、ネイトも軽々しく断言しなかった。
「可能性はある。ただ、それ以上はやってみないと分からない」
「それなら、やってみたいです」
モデルナンバー1とスノーホワイトに面識はない。それでも彼女は同じフェアリーテールモデルの先輩にあたり、何よりリリーバイスが大切に思っている相手だということは聞いている。その程度の理由でも、今のスノーホワイトが手を貸すには十分だったらしい。
レッドフードが満足そうに少女の頭へ手を伸ばした。
「やる気満々だな、おちびちゃん」
「だから頭を触らないでください!」
即座にその手を払い落とされても、レッドフードはまるで気にしない。
「はいはい」
「絶対聞いてませんよね?」
「仲いいな」
ネイトが何気なく言うと、スノーホワイトだけが勢いよく振り返った。
「どこがですか!」
「仲いいだろ?」
「レッドフードは黙っていてください!」
少なくとも、レッドフードの方には異論がないらしい。ネイトは二人のやり取りを見ながら、スノーホワイトを連れてきた判断についてだけは彼女を信用することにした。
◇
仮設生命維持ユニットの製作には数日を要した。
戦前アメリカのロボット技術と、この世界のニケ技術には似た発想も存在する。しかし、当然ながら部品規格も信号方式も違い、ロボブレインの部品を持ち出してニケ用設備へ繋げれば完成するほど単純ではない。ネイトが戦前の構造を説明し、スノーホワイトがそれを現在の規格で使用できるよう置き換えていくうち、最初は互いの言葉を確認しながら進めていた作業も、次第に短いやり取りだけで意図が通じるようになっていった。
完成形は、元になったロボブレインとは似ても似つかないものになった。球形の保護槽へ独立した循環装置と神経信号変換器を組み込み、外部には視覚用カメラと聴覚センサー、音声出力装置だけを取り付けている。動き回ることはできないが、それで構わない。目的は兵器を一体作ることではなく、一人の人間がまだそこにいるのかを確かめることだった。
作業も終盤に入った頃、スノーホワイトが部品表を確認しながら声を掛けた。
「ネイトさん、この変換器をもう一つ使いたいんですが、ありますか?」
指定された部品を確認し、ネイトはPip-Boyから保管品の一覧を開く。
「三つある」
「やっぱりあるんですね……」
「何で残念そうなんだ?」
「ネイトさんの持ち物、何でも出てくるので」
「俺に言われてもな」
長い人生で集めた物資は膨大で、本人でさえ何をどこまで残しているのか即座には把握できない。普段使う道具から、何十年も触れていない武器まで順番に項目を送っている途中、隣から画面を見ていたスノーホワイトの目がある文字で止まった。
「ネイトさん」
「何?」
「今、ミサイルランチャーって書いてありませんでした?」
ネイトの指が止まった。
「あるよ」
あまりにもあっさり認められたためか、質問した本人の方が数秒黙った。
「……あるんですか?」
「聞いたのはそっちだろ」
「そうですけど。じゃあ、その下にあった『ヌカランチャー』は何ですか?」
ネイトは無言で一覧を先へ送った。
「ネイトさん」
「今必要なのは変換器だろ?」
「答えになってません」
「世の中には、知らない方が平和なこともある」
そんな言い方をすれば余計に興味を持つことくらい、ネイトにも分かっていた。案の定、スノーホワイトは先ほど以上に画面へ身を寄せる。
「何をする武器なんですか?」
「そのうち機会があったらな」
「いつです?」
「機会がなければ、その方がいい武器だよ」
「余計に気になるんですが……」
追及を受け流しながら目的の項目を選択すると、ほどなく作業台の上へ新しい変換器が現れた。ネイトが「はい」と差し出しても、スノーホワイトの視線は部品ではなくPip-Boyへ残ったままである。
「話を逸らしましたよね?」
「作業を進めただけだよ」
「絶対に教えてくださいね」
「機会があったらって言っただろ」
不満は消えていなかったものの、今は仮設ユニットの完成を優先するべきだと本人も分かっている。スノーホワイトは変換器を受け取ったが、今度は別の疑問を思い出したようだった。
「そもそも、どうしてPip-Boyから物が出てくるんですか?」
「倉庫と繋がってる」
「どこにある倉庫です?」
「遠いところ」
「どれくらい?」
ネイトは少し考えた。
「世界一つ分くらい?」
工具を持っていたスノーホワイトの手が止まる。
「……冗談ですよね?」
「俺もそうだと思いたい」
「説明になってません」
「俺自身が説明できないからな」
連邦で使い慣れた保管網へ、どういうわけかこの世界からも接続できている。その理由はネイトにも本当に分からないのだから、これ以上まともな説明のしようがない。
「それも、あとで分かる範囲なら話すよ」
「約束ですよ?」
「ああ」
ようやく納得したスノーホワイトは作業へ戻り、それから二人は再び配線と信号変換の問題へ頭を悩ませた。
◇
移送を行う日、リリーバイスには保存区画の外で待ってもらうことになった。
「私も中にいたら駄目?」
「駄目」
「邪魔しないよ?」
「何か起きた時に、俺とスノーがあんたの顔色まで気にすることになるから駄目」
正直に言われてしまえば、リリーバイスにも反論しづらかったらしい。
「……分かったよ」
「終わったらすぐ呼ぶ」
「絶対?」
「絶対」
ようやく彼女を外へ送り出すと、保存区画にはネイトとスノーホワイト、それに設備の監視を担当する技術者だけが残った。
作業自体は、派手なものではない。一時的に旧設備と仮設ユニットの循環系を並列接続し、環境を急激に変化させないよう数値を合わせてから、少しずつ新しい装置へ負担を移していく。何か一つでも異常が出れば、その時点で旧設備へ戻す手順になっていた。
「循環、安定しています」
スノーホワイトの報告を聞き、ネイトはPip-Boy側の値と照合した。
「こっちも問題なし。供給を二割移す」
「はい」
数値が変わるたびに、二人はしばらく待った。急げば数十分で終わらせられる作業かもしれないが、今回だけは時間を節約する理由がない。
四割、六割、八割と新しい設備へ負担を移しても、脳波にも代謝にも大きな乱れは出なかった。最後に旧保存装置からの供給を完全に止めると、長い年月動き続けていたポンプ音が静かに消える。
仮設ユニットだけが動いている。
十秒が過ぎ、二十秒が過ぎた。三十秒を越えても循環や脳波に異常がないことを確認して、スノーホワイトがようやく息をついた。
「……成功、ですよね?」
ネイトも張り詰めていた肩から力を抜く。
「ああ。少なくとも、安全に移すところまでは来た」
区画の扉を開けると、向こうには本当に同じ場所で待ち続けていたらしいリリーバイスが立っていた。ネイトの顔を見た瞬間、何かを言われるより先に答えを探すような目をする。
「どう?」
「大丈夫だ。移送は成功した」
その一言で、彼女の表情から目に見えて緊張が抜けた。
「よかった……」
「ただし、今日は起こさない」
安心したばかりの顔が固まる。
「えっ?」
「環境を変えた直後だぞ。最低でも一日は様子を見る」
「でも、状態は安定してるんでしょ?」
「だからこそ今すぐ余計なことをしない。ここまで何年待ったんだよ。あと一日くらい待て」
リリーバイスは仮設ユニットを見て、明らかに名残惜しそうな顔をした。それでも無理に起こして危険を増やすことを望んでいるわけではなく、最後には小さく頷いた。
「……分かった。待つよ」
その返事を聞いて、ネイトもそれ以上は何も言わなかった。
◇
翌日、覚醒試験を行う部屋へ入ったネイトは、予定より明らかに人数が多いことに気付いた。
ゴッデスの指揮官、リリーバイス、ドロシー、ラプンツェル、スノーホワイトだけでなく、レッドフードまで当然のような顔で待っている。
「……何で全員いるの?」
指揮官は腕を組んだまま答えた。
「俺は指揮官だ。ここまでの経緯を考えれば立ち会う」
ラプンツェルも穏やかに続ける。
「状態に変化があった場合、私が必要になります」
「ゴッデスにも関係する事案ですから、私がいることにも問題はないでしょう」
ドロシーも当然という顔をしており、スノーホワイトに至っては「私も一緒に作りました」と胸を張っている。
最後にレッドフードを見ると、彼女も負けじと胸を張った。
「あたしは見物」
ネイトは彼女だけを指差した。
「帰れ」
「何であたしだけ!?」
「一番理由が弱い」
「ひでえな、男前!」
本人は抗議したものの、本気で追い出す者もいなかった。
覚醒試験が始まると、さすがのレッドフードも静かになった。ネイトとスノーホワイトが感覚入力を最低限から少しずつ上げ、ラプンツェルが生命活動を監視する。リリーバイスは仮設ユニットのすぐ前に立っていたが、今度は作業を妨げないよう一言も発しなかった。
しばらくは何も起こらなかった。
やがて、それまで低い活動しか示していなかった波形に変化が生じる。単純だった反応が徐々に複雑さを増し、外部カメラがぎこちなく動いた。右から左へ焦点を探すように何度か揺れたあと、正面で停止する。
「ネイトさん」
小声で呼ばれ、ネイトも頷いた。
「見えてる」
音声出力装置から僅かなノイズが漏れた。
誰も急かさなかった。リリーバイスも手を強く握ったまま、ただ待っている。
やがて機械越しに掠れた声が流れた。
『……ここ……』
明瞭とは言い難い。それでも、間違いなく一人の女性が声を出していた。
リリーバイスが慎重に呼びかける。
「聞こえる?」
カメラがゆっくりと動き、彼女の姿を捉えた。しばらく焦点を合わせるような動きを続けたあと、再びスピーカーから声が聞こえる。
『……リリ……ス?』
その瞬間、リリーバイスの顔がくしゃりと崩れた。泣きそうになっているのに、同時に笑っている。
「うん。私だよ」
『どうして……私……』
声が途切れるたび、脳波にも細かな乱れが出た。ラプンツェルが注意深く計器を確認している中、彼女は途切れ途切れの記憶を拾うように話し続ける。
『失敗……した……身体が壊れて……私は、リリスみたいに……なれなくて……』
リリーバイスは仮設ユニットの前へしゃがみ込み、カメラと同じ高さまで顔を下げた。
「ならなくていいよ」
『……え?』
「私みたいにならなくていい。前はちゃんと言えなかったね。あなたは私じゃないんだから」
『でも……私は、人類の希望に……』
「うん。なりたいって言ってたね」
リリーバイスは一度言葉を切った。目の前にいる相手へ本当に伝えたいことを選ぶように、ゆっくりと続ける。
「でも、希望になるために死ななきゃいけないなら、そんなのおかしいよ」
仮設ユニットから、しばらく返事はなかった。
やがてカメラがリリーバイスから離れ、今度はネイトを捉える。
『あなたは……誰?』
「ネイト・フォーリー」
『ゴッデス……?』
「いや。俺は――」
説明を始めるより先に、横からレッドフードが口を挟んだ。
「空から降ってきた変な男」
「説明雑すぎない?」
『空から……?』
「そこは今度説明するよ」
カメラはまだネイトへ向いたままだった。
『私を……助けたの?』
「まだ途中だ。今は古い保存装置から安全な方へ移して、こうして話せるようになっただけだよ。これで終わりにするつもりはない」
『新しい……身体?』
「ああ」
少し間を置いてから、彼女は不安そうに尋ねた。
『また……リリスみたいな?』
「それはしない」
ネイトは迷わず答えた。
「前と同じ設計にしたら、同じことが起きる。今度は壊れない身体を作る」
『でも……弱くなる』
「ああ。前より弱くする」
『それじゃ……役に立てないかも……』
その言葉に込められた恐れを聞き取っても、ネイトは慰めるためだけの答えを返さなかった。
「生きてなきゃ、何の役にも立てないだろ。まず壊れない身体を作って、立って歩けるようにする。普通に生活できるところまで戻して、それでも戦いたいと思ったなら、その時に考えればいい」
『私が……決めるの?』
ネイトは逆に不思議そうな顔をした。
「他に誰が決めるんだ?」
少しの間を置いて、音声装置から小さな笑い声が漏れた。
『……変な人』
「最近それ、よく言われるよ」
張り詰めていた空気が、そこでようやく少しだけ和らいだ。
◇
新しい身体の設計に取り掛かるにあたり、ネイトが最優先したのは戦闘能力ではなかった。
モデルナンバー1に何が起きたのか、今度は詳細な記録を読むことができた。彼女の身体にはリリーバイスを再現することを優先した出力が与えられ、それにボディ側が耐えられなかった。強い力を使うほど負荷が蓄積し、戦えば戦うほど自分の身体を壊していく。ならば二度目の身体で同じ思想を引き継ぐ理由はない。
最大出力には最初から制限を掛け、フレーム強度や冷却性能には十分な余裕を持たせる。一瞬だけ極端な力を出せる身体ではなく、長時間動いても安定している身体を作る。ネイトにとっては当然の判断だったが、設計図を一緒に見ていたスノーホワイトには少し物足りないらしい。
「このフレームなら、もう少し出力を上げても大丈夫だと思います」
「駄目」
「十パーセントくらいなら余裕があります」
「駄目」
「じゃあ五パーセントは?」
ネイトは作業を止めて少女を見た。
「意外と粘るな」
「だって、せっかく作るなら少しでもいいものにしたいじゃないですか」
「その考えで一回壊れてるんだぞ」
言われた瞬間、スノーホワイトの表情が変わった。
「……そうですね」
ようやく諦めたかと思ったが、数秒後には設計図をもう一度見ながら小さな声を出す。
「三パーセント……」
「まだ交渉するの?」
横で聞いていたリリーバイスが堪えきれずに笑った。
「スノーホワイト、こういう時は頑固だからね」
「頑固じゃありません。ちゃんと計算してるんです!」
「分かった分かった」
「リリスお姉ちゃんまで!」
その呼び方を聞き、ネイトは二人を見比べた。
「やっぱり『お姉ちゃん』なんだな」
スノーホワイトの頬に僅かに赤みが差す。
「……何か変ですか?」
「いや。似合ってるよ」
「ならいいです」
少し嬉しそうに答えるあたり、本人もその呼び方をやめたいわけではないらしい。
最終的には、後から実際の挙動を見ながら安全な範囲で微調整できる余地だけを残し、最初の設定はネイトの主張通り十分な余裕を取ることで決着した。
次の問題は、身体そのものをどこから用意するかだった。
完全に一から製造するには時間も設備も足りない。そこで現れたのが、廃棄予定になっていた一基の試験用フレームである。
「今日、試験フレームが一基廃棄される」
そう言って書類を持ってきた指揮官を、ネイトは少し怪しむように見た。
「それを使えって?」
「何を言ってる。廃棄するんだぞ」
「じゃあ使えないだろ」
「廃棄された後、そいつがどこへ行ったかまで俺は知らん」
数秒考えて、その言葉の意味を理解したネイトは思わず笑った。
「思ったより悪い奴だな」
「お前には言われたくない」
その横で書類を確認していたドロシーが、二人ほど楽しそうではない顔をした。
「指揮官。これは公文書の改竄に当たるのでは?」
「廃棄するという記録自体は正しいぞ」
「その実物を後ほど利用するのでしょう?」
「俺は知らないな」
指揮官は平然としている。
ドロシーはしばらく彼の顔を見ていたが、やがて書類を閉じて上品に微笑んだ。
「そうですか。でしたら、私も何も見ていません」
「お前も結構悪いな」
ネイトが笑うと、ドロシーの微笑みはいっそう整った。
「何のお話でしょう?」
こうして公式記録上では正しく廃棄されたはずの試験フレームが、数日後には大幅な改修を施され、まったく別の身体として作業区画へ横たわることになった。
◇
身体が完成へ近づくにつれ、別の問題が浮かび上がった。
これまで彼女を呼ぶ時にはモデルナンバー1という番号を使っていたが、本人はその呼び方を聞くたびに僅かな抵抗を示すようになっていた。
「モデルナンバー1のままでもいいんだよ」
リリーバイスが無理に変える必要はないと伝えると、仮設ユニットのカメラが彼女へ向いた。
『嫌というわけじゃないよ。でも……ちょっと怖い』
「怖い?」
『モデルナンバー1って呼ばれると、また一番にならなきゃいけないような気がするから』
作業台で部品を確認していたネイトが、その言葉を聞いて顔を上げた。
「なら使わなきゃいいだろ」
カメラがネイトへ向く。
『そんな簡単に?』
「簡単かどうかは、あんたが決めることじゃないか。嫌なら別の呼び方にすればいい」
「ただし、整備記録に使う識別名称は必要です」
ドロシーが現実的な問題を付け加えた。
「新しいボディを完全な無記名で管理することはできません」
「じゃあ、ゼロでいいんじゃないか」
ネイトが答えると、仮設ユニットのカメラが僅かに動いた。
『ゼロ?』
「一番をもう一度やり直すんじゃなくて、ゼロから始めるってことで」
ドロシーは少し考えたものの、すぐには賛成しなかった。
「フェアリーテールモデルに、そのような正式番号はありません」
「正式じゃなくてもいいんじゃないですか?」
意外にもスノーホワイトがネイトへ味方した。
「私たちだけが整備管理に使う非公式の識別名なら、新しく始める感じがして、私はいいと思います」
レッドフードも気楽に笑う。
「ロストナンバーなんて呼ぶより景気いいじゃん」
「あなたはもう少し真剣に考えてください」
「真剣だって、お嬢サマ」
「その呼び方をやめてください」
正式なフェアリーテールモデルの番号として扱うことはできない。それでも、ゴッデス内部で使用する非公式な仮識別名として、MODEL No.0という呼称は残されることになった。
ただし、それはあくまで整備上の記号であり、本人の名前ではない。
そこでリリーバイスが持ち込んできたのが、何冊かの古い童話集だった。フェアリーテールモデルが童話を由来とする名を持つのなら、二度目の人生に使う名前もその中から自分で選んではどうか。そう提案され、彼女は身体の完成を待つ間、リリーバイスと一緒にいくつもの物語を読むようになった。
ある日、一冊の中に収められていた物語でカメラが止まった。
そこに描かれていたのは、長い年月を暗い塔へ閉じ込められた王女だった。王女は侍女と共に助けを待ち続けたが、やがて食料が尽きかけても誰も迎えには来なかった。そこで二人は待つことをやめ、手元にある道具で壁を崩し始める。少しずつ漆喰を削り、石を外し、最後には自分たちの力で塔の外へ出た。
『……この人』
本を読んでいたリリーバイスが顔を上げる。
「どうしたの?」
『ずっと待ってたのに、誰も助けに来なかったんだね』
「そうだね」
『それでも、最後は自分で外へ出た』
カメラはしばらく開かれた頁を見つめていた。
やがて、彼女はそこに書かれた名前を自分の声で読んだ。
『……マレーン』
リリーバイスが微笑む。
「気に入った?」
『うん』
「じゃあ、それにする?」
仮設ユニットのカメラが小さく上下した。
『私、マレーンがいい』
モデルナンバー1でも、ロストナンバーでもない。誰かが失敗作として付けた呼び名でも、リリーバイスを再現するための番号でもなかった。いくつもの物語の中から本人が自分で選んだ、初めての名前だった。
リリーバイスは確かめるように、もう一度呼ぶ。
「マレーン」
『うん』
返ってきた声には、それまでとは少し違う嬉しさが混じっていた。
◇
新しい身体への移植が終わり、十分な経過観察を行ったあと、マレーンは自分の目を開いた。
最初に見えたのは作業区画の白い天井だった。何度か瞬きを繰り返してから、右手をゆっくり持ち上げる。五本の指を開き、握り、もう一度開いたところで、ようやく自分の身体が本当にそこにあることを実感したらしい。
「……手。私の手だ」
今度の声は、仮設ユニットのスピーカーから聞こえてくるものではない。
ベッドの傍らで待っていたリリーバイスが笑った。
「おかえり」
マレーンはその顔を見つめ、少し戸惑いながら笑い返した。
「……ただいま?」
疑問形になった返事がおかしかったのか、リリーバイスの笑みが少し深くなる。
ネイトとスノーホワイトはすぐに身体の状態を確認した。感覚入力、四肢の制御、循環、コア出力のいずれにも異常はなく、横になっている状態で危険な負荷が掛かっている様子もない。
次は立つことだった。
ベッドの端へ腰掛けたマレーンが床へ足を下ろすと、ネイトとリリーバイスが左右へ立つ。本人は「そこまでしなくても」と言いたげだったが、最初くらいは付き合ってもらうしかない。
「ゆっくりな」
「分かってる」
マレーンは床へ両足を置き、少しずつ力を掛けた。身体が起き上がり、一瞬だけ重心が揺れる。リリーバイスが反射的に手を出しかけたものの、マレーンは自分で姿勢を立て直した。
一歩目を踏み出し、問題がないことを確かめてから二歩目へ進む。
「歩ける」
「そりゃ歩けるように作ったからな」
「もう少し感動してよ」
「俺は横で数値見てるから、それどころじゃないんだよ」
マレーンは少し不満そうだったが、それでも自分の足を何度も確かめていた。やがて、右手を強く握り込んでみる。
「……弱い」
「立って最初の感想がそれ?」
「だって、前はもっと力があったから」
「それで身体が壊れたんだろ」
隣からリリーバイスがネイトを軽く睨んだ。
「ネイト。言い方」
「事実だよ」
マレーン自身は一瞬驚いたあと、以前のことを思い出したように小さく笑った。
「……うん。そうだった」
もう一度手を握り、今度はゆっくり開く。
「でも、痛くない」
その言葉を聞くと、ネイトもリリーバイスもすぐには返事をしなかった。
以前の身体にとって、強い力を使うことは自分自身を壊していくことと同じだった。どれほど苦痛があっても、それが「人類の希望」になるために必要なことなら耐えるべきだと思わされていたのかもしれない。今の身体は前より弱い。それでも立つだけで傷つくことはなく、歩くたびに壊れていく恐怖もない。
マレーンはもう一歩進み、今度は少し嬉しそうに尋ねた。
「歩いても壊れない?」
「壊れない」
「走っても?」
「まず歩くのに慣れてから」
「戦っても?」
「それはもっと後」
「厳しいなあ」
「前の身体で一回死にかけてるんだぞ。今度くらい慎重にやらせてくれ」
マレーンが僅かに頬を膨らませた。
「私は悪くないんだけど」
ネイトはすぐに頷いた。
「それは知ってる。だから今度は、身体を作る側が慎重になるんだよ」
その返事を聞いたマレーンは少しだけ目を丸くし、やがて納得したように表情を和らげた。
一人で歩けることが分かると、彼女は部屋の中を何度も往復した。最初は足運びを確かめながら慎重に進み、少し慣れると速度も上がっていく。時折重心を崩すことはあっても、身体の数値に危険な変化はない。何度歩いても壊れないという当たり前の事実を、本人だけは一歩ごとに確かめているようだった。
しばらくしてベッドの傍まで戻ると、マレーンはネイトへ顔を向けた。
「ネイト」
「何?」
「私、人類の希望になれるかな」
かつてモデルナンバー1だった頃から、最後まで手放すことのできなかった願いなのだろう。
ネイトは安易に肯定せず、少し考えてから答えた。
「分からない」
マレーンが不満そうな顔をする。
「そこは『なれる』って言ってくれるところじゃないの?」
「希望だの英雄だのは、自分で名乗るもんじゃないだろ」
「じゃあ、どうすればいいの?」
今度の答えには迷わなかった。
「まず生きろ」
マレーンは黙って続きを待つ。
「自分の人生を生きて、その結果を見た誰かが勝手に『あいつは希望だ』って思ったなら、それでいいんじゃないか」
しばらく考えたあと、マレーンは小さく笑った。
「……やっぱり変な人」
「それ、もう何回目だ?」
「数えてるの?」
「暇だったから」
「嘘」
「バレた?」
マレーンが吹き出し、隣にいたリリーバイスもつられて笑った。
少し離れたところでは、スノーホワイトが完成した新しい身体を先ほどから熱心に観察している。視線に気付いたマレーンがそちらを見ると、少女は待っていましたとばかりに口を開いた。
「マレーン。あとで身体の調整をさせてもらってもいいですか?」
「分解する?」
「しません!」
ネイトも横からスノーホワイトを見る。
「本当に?」
「ネイトさんまで何なんですか!」
「Pip-Boyの前例があるからな」
「あれは見るだけです!」
「分解しようとしてたじゃないか」
「まだしてません!」
言った直後、スノーホワイト自身が失言に気付いた。
ネイトは少し笑う。
「『まだ』って言ったな?」
「あっ……」
堪えきれなくなったレッドフードの笑い声が部屋へ響いた。
「はっはっは! おちびちゃん、自分で墓穴掘ってんじゃん!」
「笑わないでください!」
「スノー、男前の腕ごと持ってくなよ?」
「持っていきません!」
ドロシーは呆れながらも口元を僅かに緩め、ラプンツェルも穏やかに笑っていた。リリーバイスまで声を上げて笑い始めると、その輪の中にいるマレーンも自然と笑う。
モデルナンバー1が死者として記録されてから、その本人の笑い声が仲間たちの中へ戻ってきたのは、これが初めてだった。
公式の記録が書き換えられたわけではない。フェアリーテールモデル・モデルナンバー1は死亡し、ロストナンバーとして扱われたままである。だが、その記録から外れた場所では、一人のニケが新しい身体へ慣れるため、自分の足で何度も同じ部屋を歩いていた。
彼女の名前はマレーン。リリーバイスを再現するために与えられた番号でも、失敗を示す呼び名でもなく、本人が自分で選んだ名前だった。
ネイトはもう一度歩き始めた彼女を眺めながら、今からその生還へ特別な意味を与えようとはしなかった。何者になるかも、これから何をするかも、本人が生きながら決めていけばいい。
昨日まで死者だった一人の女性が今ここで笑い、自分の名前を持ち、自分の足で歩いている。
今は、それで十分だった。