Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
スマイルボックスが中断されてから三日間、リスはテトラの施設へ入ることを禁じられていた。処分そのものに納得したわけではないが、今さら正面から抗議して期間を延ばされる方が三人のためにならないと判断し、自宅から出来る仕事だけを続けていた。ハンソンも必要な資料を外へ持ち出し、スクラッパーが残したデータモジュールについては、本人がテトラ内部で調査を進めている。
ただ、仕事から離れた時間が増えたことで、別のものまで目に入るようになってしまった。
スマイルボックス中断後のネット上には、T.T.STARを心配する声も多かった。しかし同じくらい、イベントを止めたことへの不満や、リス個人を責める書き込みも増えていた。参加者を突き飛ばしたマネージャー、契約を守れないスタッフ、せっかく順位を上げる機会を台無しにした人物。事情を知っていれば簡単に否定出来る内容でも、同じ言葉を何度も目にしているうちに、自分の中で少しずつ輪郭を持ち始めてしまう。
処分が明けて事務所へ戻った日も、アニスたちは誰一人リスを責めなかった。
「だから、リスは悪くないって何回言えば分かるの?」
アニスはむしろ苛立っていた。自分を責め続けるリスの方が理解出来ない、といった表情だった。
「でも、私が手を出さなかったら、少なくともあそこで企画は止まらなかったし、謹慎にもならなかった。ランキングだって――」
「じゃあ、私があのまま飲まされてればよかったの?」
「そんなこと言ってない!」
「だったら同じでしょ」
言い返せなくなると、今度はミントが横から口を挟んだ。
「私だったらもっと早く殴ってたかも」
「ミントは止められる側だと思う」
プリカが即座に返す。
「何でよ」
「勢いで行くから」
「プリカだって絶対キレてたでしょ」
「私は先に運営へ詰める。でも、最後は多分同じことする」
三人とも、リスのしたことを間違いだとは思っていない。
それがかえって苦しかった。
もし誰か一人でも責めてくれたなら、全部自分のせいだったと決めつけることが出来たのかもしれない。しかし、三人は何度でも否定する。自分たちを守ってくれたと言い、リス自身がいなくなることなど望んでいないと当然のように話す。
その優しさに応えられている自信が、今のリスにはなかった。
◇
スクラッパーのモジュールについて、ハンソンから新しい報告が入ったのは処分解除から二日目だった。
復元出来た範囲では、スマイルボックスの運営側が参加者の行動が過激化していることを把握していた可能性はかなり高い。さらに、警備介入基準の変更にCEO直轄系統の権限が使用されていた痕跡も見つかっている。ただし肝心の承認者名は欠損しており、先代マスタング本人まで辿るにはまだ足りないという。
「入口にはなったけど、答えじゃないってことね」
『そういうことです』
通信画面の向こうでハンソンが頷く。
『それでも以前よりは進みました。資産管理番号から過去の保管先を追えますし、関連する内部記録も探せます』
「私も明日から手伝います」
『そのつもりでいましたが、今日は休んでください』
「もう処分明けてるんだけど」
『知っています』
「じゃあ働けるでしょ」
『働けることと、休む必要がないことは別です』
その言葉を言うようになったのは、明らかに最近だった。
「……ハンソンがそれ言うんだ」
『あなたたちに何度も言われましたから』
「学習したね」
『そういうことにしておいてください』
少しだけ笑えた。
通信を切ると、また部屋が静かになる。
端末には仕事用の資料と、見ないようにしていたネット上の書き込みが同じ画面の中に並んでいた。閉じればいいと分かっているのに、気づけばまた指が動いている。
マネージャーのせいで終わった。
あの女を切ればT.T.STARはもっと上へ行ける。
ニケ相手に感情的になった無能。
自分がアニスたちの足を引っ張っているという言葉が、繰り返し目へ入る。
リスは端末を伏せた。
「……帰ろ」
誰に言うでもなく呟き、鞄を持った。
自宅にいるのに帰るという言葉が出たことへ気づき、少しだけ自嘲する。正確には、部屋に閉じこもっているのが嫌になっただけだった。
気分を変えるために何か飲み物でも買おう。
それくらいなら問題ない。
◇
居住区へ続く古い通路は、人通りが少なかった。
明るい大通りへ回ることも出来たが、誰かに顔を見られたり、ニュースで見た人物だと気づかれたりすることの方が今は面倒に思えた。人工照明は夜間用に落とされ、壁に沿って走る配管の影が床へ長く伸びている。普段なら気にも留めない景色なのに、スマイルボックスの後では、人の少ない場所の方がかえって落ち着いた。
鞄の中で端末が震える。
アニスからだった。
『ちゃんと帰ってる?』
「……どこから」
思わず声に出た。
自宅から少し出ただけなのだが、ハンソンから何か聞いたのかもしれない。リスは少し迷ってから短く返した。
『ちょっと買い物。すぐ戻るよ』
既読がつく。
『一人?』
『一人』
『変な人いたらすぐ呼んで』
『私は子供じゃないって』
『知ってる。でも呼んで』
最後に送られてきたスタンプを見て、リスは苦笑した。
この程度の会話だけでも少し気持ちが軽くなる。
端末を鞄へ戻し、再び歩き始めた。
数歩進んだところで、音がした。
金属同士が擦れ合う、重い音だった。
リスの足が止まる。
最初は設備の作動音だと思った。
しかし、違う。
一定の間隔で鳴っている。
重いものが床へ着地し、そのたびに複数の金属片が擦れ、鎖のようなものが遅れて揺れる。そんな音が、通路の奥から少しずつ近づいてきていた。
「……まさか」
数日前の路地裏が頭に浮かんだ。
アニスたち四人で見たもの。
声を出さず、追ってきた市民だけを指さし、逃げていく彼らを追うこともなく立ち去った正体不明の存在。
廃材纏いのスクラッパー。
その姿が、暗がりの向こうから現れた。
◇
以前より明るい場所で見たからこそ、リスは自分たちがあの夜どれほど異様なものを見ていたのかを改めて理解した。
人型という言葉だけでは足りない。
巨大な身体の輪郭そのものが、無数の廃材によって膨れ上がっている。元々どのような装甲だったのか判別出来る部分はほとんどなく、錆びた鉄板、金網、古い機械の外装、円筒形の部品、配管、鎖、金属籠のようなものまで幾重にも積み重ねられていた。肩や背中からは用途不明の棒やフレームが突き出し、腕や脚にも本来なら装甲とは呼べないような物まで括りつけられている。
それでも、崩れそうには見えなかった。
乱雑に見える廃材の塊が、歩くたび互いに擦れながらも一つの身体として動いている。
顔に当たる部分は、金属格子と何層もの板で覆われていた。
中に何がいるのかは見えない。
「……スクラッパー?」
リスが名前を呼ぶ。
返事はない。
巨体は数メートル先で止まった。
自分を見ている。
目など見えないのに、そう感じた。
「私に何かあるの?」
やはり答えない。
リスは逃げるべきか迷った。
アニスたちの前では危害を加えなかった。しかし、それが今度も同じだという保証はない。研究施設の床や壁を破壊した怪物という都市伝説を思い出せば、普通なら背を向けるべきなのだろう。
それでも足が動かなかった。
怖くないわけではない。
ただ、目の前の存在には、自分へ何かを伝える意図があるように思えた。
スクラッパーが片腕を持ち上げた。
リスは反射的に身構えた。
しかし、指先は自分へ向かなかった。
太い二本の指が、まず自分自身の頭部へ向く。
正確には、金属格子の奥に目があるとすれば、その位置だった。
そこを示したあと。
今度は指先がリスへ向いた。
リスは何度か瞬きをした。
「……見てる?」
スクラッパーは動かない。
「私を?」
返事はなかった。
それでも、他の意味には見えなかった。
見ている。
お前を見ている。
言葉がないからこそ、仕草だけが妙にはっきりと伝わってくる。
リスが戸惑っていると、スクラッパーは今度は自分の胸元へ手を伸ばした。
廃材が何重にも重なった場所だった。
指が隙間へ入り込む。
そのまま力を掛ける。
金属が軋み、固定されていた小さな板が留め具ごと引き剥がされた。
「えっ」
リスは思わず声を出した。
工具も使わない。
文字通り、鎧の一部を力だけで剥がした。
スクラッパーはその金属板を持ったまま、一歩近づく。
巨大な足が床へ着くたび、身体中の廃材と鎖が遅れて揺れた。
リスは後ろへ下がらなかった。
差し出された金属板を、両手で受け取る。
手のひらより少し大きい程度の薄い板だった。片側には古い塗装が残り、縁は引き剥がされたばかりで鋭く歪んでいる。しかし、その中央には他の傷とは明らかに違うものがあった。
文字。
英語だった。
got to survive, no matter what
リスはしばらく動かなかった。
「……何があっても、生き延びろ」
意味を声に出す。
刻み目は均一ではない。
機械で印字したようには見えず、何か尖った物を何度も押しつけて削ったような文字だった。新しい傷にも見える部分がある一方で、溝の奥には長い時間こびりついたような汚れも残っている。
スクラッパー自身が刻んだのか。
誰かが刻んだ板を拾い、自分の鎧へ取りつけていただけなのか。
判断出来る材料は何もなかった。
「これを……私に?」
顔を上げる。
スクラッパーは、もう一つ奇妙な仕草をした。
片手を胸の高さまで上げる。
掌をリスへ向ける。
親指を外側へ開き、人差し指と中指を揃え、薬指と小指も揃えたまま、その二組の間だけを大きく開く。
リスは首を傾げた。
「……何、それ」
見たことのない手の形だった。
アークの一般的な挨拶でもない。
軍の敬礼にも見えない。
テトラの業界で使われるサインでも、宗教的な印でもなかった。
スクラッパーは説明しない。
そもそも、最初から一度も声を出していない。
それでも威嚇しているようには見えなかった。
先ほどの、自分の目らしき場所からリスを指した仕草。
差し出された金属板。
そして、意味の分からない挨拶。
何の繋がりもないはずなのに、リスには妙に一続きのものとして感じられた。
「……本当に変なの」
気づけば、ほんの少し笑っていた。
スクラッパーは手を下ろした。
それから、アニスたちの前へ現れた時と同じように、何も言わず身体の向きを変えた。
「待って」
リスが呼ぶ。
巨体は止まらない。
「あなた、誰なの?」
重い足音だけが返ってくる。
「アニスたちを助けたのも、あなた?」
答えはない。
「何で私たちを……」
スクラッパーはゆっくり歩き続ける。
急いでいる様子などまったくない。
だからこそ、今度は見失わないと思った。
リスは金属板を握ったまま、少し距離を取って後を追った。
巨体が角を曲がる。
数秒遅れて、リスも同じ角へ飛び込んだ。
誰もいなかった。
「……また?」
一本道に近い通路だった。
横へ逃げ込めそうな場所はなく、設備扉もすべて閉じている。何より、あれほど大きかった金属音も、鎖の音も完全に消えていた。
リスはしばらく立ち尽くした。
やがて追うことを諦め、手の中へ視線を落とす。
スクラッパーだけは消えた。
しかし、金属板は残っていた。
◇
自宅へ戻ったリスは、受け取った金属板を机の上へ置いた。
汚れを落とそうとも思ったが、文字まで傷つけそうで怖くなり、乾いた布で表面を軽く拭うだけにした。明るい場所で改めて確認しても、製造元や元の用途を特定出来そうな刻印は見つからない。
got to survive, no matter what
非常に直接的な言葉だった。
何があっても、生き延びろ。
「簡単に言ってくれるなあ」
リスは椅子へ座り、苦笑した。
端末を開けば、昼間まで見ていた書き込みが残っている。
自分がT.T.STARを台無しにした。
自分がいなければ、三人はもっと上へ行ける。
マネージャー失格。
邪魔者。
どれも消えてはいない。
金属板を一枚渡された程度で、それらが急に気にならなくなるわけでもなかった。
それでも、少しだけ違った。
自分を見ていると言った。
声ではなく、あの妙な仕草で。
本当にそういう意味だったのかは分からない。
ただ、リスにはそう見えた。
どこの誰かも分からない怪物が、何の理由かも分からないまま、自分へ「生き延びろ」と書かれた物を渡してきた。
「……何なのよ、本当に」
呟いても答える者はいない。
リスは端末へ手を伸ばした。
アニスとの会話が開いたままになっている。
『ちゃんと帰ってる?』
『ちょっと買い物。すぐ戻るよ』
その下へ、新しい文章を打つ。
『変なものに会った』
そこまで書いて、少し考えた。
消す。
代わりに別の言葉を入力する。
『明日、話したいことがある』
送信ボタンの上で指が止まった。
机には、小さな金属板がある。
got to survive, no matter what
リスはもう一度その文字を見た。
それから、端末へ視線を戻した。