Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
ハンソンがテトラのCEO継承規定を読み始めたのは、T.T.STARの活動が止まった深夜だった。通常の人事規定だけなら、読むべき量はそれほど多くない。しかし、現在のテトラは先代マスタング個人の承認権限と会社そのものが複雑に絡み合っており、CEOを一人交代させれば済むような構造にはなっていなかった。
芸能部門はほんの一部に過ぎない。物流、商業、生活用品、メディア、地上作戦へ供給される物資、中央政府との契約に至るまで、テトラはアークの生活基盤へ深く入り込んでいる。さらに、その多くで最終承認者としてマスタング本人の権限が残っており、彼を突然排除すれば、会社内部だけではなくアーク全体へ混乱が広がる可能性があった。
父親は、巨大な企業を作っただけではない。
自分自身が会社の一部になるところまで、長い時間をかけて仕組みを作り上げていた。
「……会社というより、王国ですね」
誰もいない資料室で呟いても、答える者はいない。
父親の横暴を証明し、中央政府へ突き出すだけなら、いつかは出来るかもしれない。しかし、それでマスタング一人を排除出来たとしても、後に残るテトラが崩れれば意味がない。T.T.STARを守るために動いた結果、何も知らない市民の生活まで巻き込むことだけは避けなければならなかった。
ならば、会社を残したまま父親だけを外す必要がある。
その条件を考え続けているうちに、一つの答えが何度も頭へ戻ってきた。
最初は馬鹿げていると思った。
次に、不可能だと思った。
それでも規定を読み進め、父親の権限がどのように使われているのかを調べるほど、他の方法では置き換えられない部分が見えてくる。
マスタングという人間を排除するのではない。
マスタングという存在だけを残して、中身を入れ替える。
そこまで考えたところで、ハンソンは端末から一度手を離した。
自分が何をしようとしているのか、言葉へする必要があった。
「私が……マスタングになる」
声に出してみても、馬鹿げていることには変わりなかった。
しかし、不可能だとは思わなくなっていた。
◇
計画を現実へ近づけるために、最初に必要だったのはテトラ以外の協力だった。
ハンソンは以前から繋がりのあったエリシオンとミシリスへ、非公開の協議を申し入れた。ヨヨの捏造音声を分析してもらった時とは比較にならないほど重大な話になるため、今回ばかりは資料を送って終わりというわけにはいかなかった。
二社との通信が繋がると、ハンソンは最初に父親について調べた記録の一部を提示した。
スマイルボックスの運営記録。
CEO直轄系統を経由した警備介入基準の変更。
T.T.STARへ対する契約上の拘束。
外部スタッフの引き抜きと、出演案件の不自然な集中。
さらに過去へ遡れば、テトラ内部で行われてきた不透明な資金移動や、中央政府との取引へ繋がる記録もある。
すべてを公開したわけではない。
しかし、父親個人の問題ではなく、テトラという会社の構造へ深く入り込んでいることを示すには十分だった。
『ずいぶん思い切ったものを持ってきたわね』
ミシリス側の担当者が、資料を読み終えて最初に口にした。
『あなたの父親でしょう?』
「はい」
『これを私たちへ渡して、告発へ協力しろと?』
「それだけでは足りません」
ハンソンは別の資料を開いた。
「父を今すぐ排除した場合、テトラ内部で何が起こるのかを調べました。現在の主要事業の多くが、父個人の承認系統か、父との個人的な関係を前提とした契約へ依存しています」
『つまり、本人を潰せば会社も巻き込む?』
「その可能性が高いです」
エリシオン側の担当者が眉を寄せる。
『それを理由に見逃せと言うつもりではないでしょうね』
「逆です」
ハンソンは首を横へ振った。
「見逃さずに済む方法を作ります」
通信の向こうにいる二人が、そこで初めてハンソンの顔をまっすぐ見た。
「テトラを維持したまま、父だけを退かせる。そのためには、権限の空白を作らずに次のマスタングへ移行する必要があります」
『次のマスタング?』
「私です」
答えると、二つの通信窓が同時に静かになった。
『……もう一度言ってもらえる?』
「私がマスタングになります」
『テトラCEOを継ぐという意味?』
「それだけではありません」
ハンソンは、自分が調べた社内構造を表示した。
「ハンソンという人物が父の後を継いだと発表すれば、社内では確実に派閥争いが起きます。外部企業も代替わりとして扱うでしょう。父親個人への忠誠で動いている人間や、私を敵視する者もいる」
『だから名前まで継ぐ?』
「名前だけでは足りません」
自分で説明しながら、計画の異常さを改めて感じていた。
「外から見れば、マスタングは変わらない。テトラも変わらない。少なくとも、移行が完了するまではそう見せます」
『あなたは?』
問いかけられ、ハンソンは一度だけ黙った。
「ハンソンは、表から消えます」
『死ぬということ?』
「公的には」
それが何を意味するのかを、軽く考えているわけではなかった。
名前。
経歴。
これまで自分が生きてきた人間としての立場。
すべてを捨て、父親の名前を背負う。
しかも、父を嫌って逃げ出した自分が、その父と同じ顔で生涯を送ることになるかもしれない。
『T.T.STARには話したの?』
「まだです」
『また一人で決めるの?』
以前なら、その言葉に反発していたかもしれない。
今は違った。
「計画が成立する前に話せば、彼女たちまで巻き込みます。父に気づかれた時、協力者として利用される可能性もある。ただし、すべてが終わった後まで黙っているつもりはありません」
『ずいぶん進歩したのね』
「何度も怒られましたから」
ほんの少しだけ苦笑する。
「必要な時には助けを求めます。今回も、そのためにここへ来ました」
それから、ハンソンは二社へ条件を提示した。
「次の大規模地上奪還戦で、テトラは後方支援へ徹します。輸送、補給、整備など必要な支援は行いますが、前面へ出るつもりはありません」
『それで?』
「奪還戦における主要な功績は、エリシオンとミシリスへ譲ります」
今度の沈黙は長かった。
地上奪還は、単純な軍事作戦ではない。その成功にどの企業がどれだけ貢献したかは、その後の政治的な発言力にも直結する。テトラが自ら一歩下がり、その功績を競合二社へ譲るという条件がどれほど大きいかは、説明するまでもなかった。
『あなたに決める権限は?』
「今はありません」
『今は、ね』
「マスタングになればあります」
ミシリス側の担当者は呆れたように椅子へ背を預けた。
『本気なのは分かった。でも一つ聞かせて。あなたが父親と同じにならない保証は?』
ハンソンはすぐには答えなかった。
自分なら大丈夫だと言い切ることは簡単だった。
しかし、父親もどこかの時点では、自分のやり方が正しいと信じていたのかもしれない。
「ありません」
正直に答える。
「だから、私一人に任せないでください」
『自分からそう言うの?』
「父には、それがありませんでした」
ハンソンは二人を見る。
「私がテトラを使って同じことを始めたら、今日渡した資料も、今後共有する記録も使って止めてください。外部から見張られる立場を、自分から残しておきたい」
『自分の首輪を他社へ渡すようなものよ』
「必要だと思います」
その返答を聞いた二社は、最終的に条件付きで協力を受け入れた。
ハンソンが本当にテトラの権限を継承出来ること。
アークの社会基盤を不安定にさせずに移行出来ること。
そして、次の地上奪還に関する約束を守ること。
まだ計画は紙の上にしかない。
それでも、最初の協力者は得られた。
◇
次に向かった相手はエニックだった。
アーク全体の安定を管理する存在へ持ち込む以上、感情だけでは意味がない。T.T.STARが何をされたのか、リスが死を選ぶ寸前まで追い詰められたことも重要ではあるが、それだけを理由に巨大企業の経営体制を入れ替えることは出来ない。
ハンソンは数字と構造を持っていった。
テトラが関与しているインフラ。
中央政府や他企業との契約。
マスタング個人へ依存した承認経路。
現在のCEOを突然排除した場合に予想される混乱。
そして、自分へ段階的に権限を移行した場合との差。
エニックは人間では追いつけない速度で資料を処理していった。
『提案内容を確認しました』
無機質な声が返る。
『現在のテトラCEOを即時排除した場合、アークの社会基盤へ無視出来ない不安定要素が発生する可能性があります』
「同意します」
『一方で、同一の権限系統を維持した状態で内部移行を行う場合、相対的な危険性は低下します』
ハンソンは僅かに身を乗り出した。
「では、認めてもらえますか」
『現状では承認出来ません』
予想していなかったわけではない。
「理由を聞かせてください」
『あなたの計画では、現マスタングの社会的立場、権限、名称の大部分を意図的に別人へ移行させます。また、現在のマスタング本人を公的活動から排除することを前提としています』
「はい」
『本人の同意が必要です』
ハンソンは黙った。
結局、最後はそこへ行き着く。
『現在確認出来る情報において、マスタング本人が意思決定能力を喪失している事実はありません。本人の意思を無視した身分移行を認めることは出来ません』
「父が拒否したら?」
『提案された方法は承認しません』
「不正の証拠が増えても?」
『違法行為への処分と、あなたがマスタング本人へ成り代わることは別の問題です。処分対象となった場合でも、その権利が自動的にあなたへ移るわけではありません』
理屈は通っている。
そこを歪めてまで計画を通したいわけではなかった。
「本人が同意すれば?」
『その他の条件を満たした場合、移行計画を検討可能です』
「分かりました」
ハンソンは端末を閉じた。
『これからマスタング本人と交渉しますか』
「はい」
『成功可能性を算出しますか』
問いかけられ、ハンソンは初めて少しだけ笑った。
「結構です」
『理由を確認しても?』
「父については、あなたの数字より私の方が詳しい」
成功する自信があるという意味ではなかった。
むしろ、普通に説得して納得する相手ではないことを誰より知っているからこその答えだった。
◇
先代マスタングが入院していることは、公には伏せられていた。
テトラ系列の医療施設、その最上階に用意された専用病室には、患者用の設備よりも執務用端末の方が多く置かれている。病に侵されても仕事を手放そうとしないところは、いかにも父親らしいとハンソンには思えた。
病室へ入ると、マスタングはベッドの上で書類を読んでいた。
「珍しいな」
息子の姿を見るなり、楽しそうに笑う。
「最近は呼んでも来なかっただろう」
「今日は私から話があります」
「T.T.STARのことか?」
「それも含みます」
ハンソンはベッドの近くまで進んだ。
父親の顔には、以前よりはっきりと病人の色が出ている。頬も僅かに痩せ、時折呼吸を整える間もあった。それでも眼光だけは衰えておらず、息子が普段とは違う話を持ってきたことをすでに察しているようだった。
「座れ」
「立ったままで結構です」
「相変わらずつまらん男だ」
「あなたに育てられたので」
マスタングが眉を上げた。
「少しは面白くなったらしい」
「あなたのおかげではありません」
「では、あの三人か?」
「四人です」
ハンソンはすぐに訂正した。
「リスも含めて四人です」
「死に損なったマネージャーか」
ハンソンの表情から、僅かに温度が消えた。
「その言い方は二度としないでください」
「怖い顔をするようになったな」
「あなたが、そこまで追い込んだんですよ」
声を荒らげはしなかった。
今日は怒りをぶつけるために来たわけではない。
「あなたの病気について調べました」
マスタングの笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。
「余命は約二か月。二週間後には特効薬が完成する予定ですね」
「息子が父親の医療情報を盗み見るとは感心せんな」
「あなたに倫理を説かれる日が来るとは思いませんでした」
「それで? 死にかけの父へ別れでも言いに来たか?」
「いいえ」
ハンソンは父親の目を見た。
「薬が完成する前に、あなたにはマスタングを辞めてもらいます」
病室の空気が変わった。
マスタングは驚いた顔をしなかった。
数秒間、息子を見つめたあと、口元をゆっくり持ち上げる。
「ほう」
「スマイルボックスの記録も、T.T.STARへの妨害も調べました。契約、人事、資金移動、あなたが今まで作ってきた仕組みも追っています」
「それで俺を告発する?」
「それだけではテトラが壊れる」
「分かっているじゃないか」
「あなたが、そう作ったからです」
ハンソンは否定しなかった。
「だから会社は残します」
「誰が動かす?」
父親の問いには、わずかな期待が混じっているように聞こえた。
その反応を見て、ハンソンは自分の読みが間違っていないと確信した。
「私です」
「ハンソン社長か?」
「違います」
一歩だけ近づく。
「ハンソンは死にます」
今度こそ、マスタングの笑みが止まった。
「その後、私がマスタングになる」
父親は何も言わなかった。
驚いているというより、息子の言葉を味わっているように見えた。
「エリシオンとミシリスには話を通しました。エニックにも計画を提示しています」
「俺の知らないところで随分動いたな」
「あなたに教える理由がありませんでしたから」
「エニックは何と言った?」
「あなたの同意が必要だと」
マスタングが笑った。
「なるほど。それで病人の説得に来たわけか」
「説得します。ただし、父親だから助けてほしいとは言いません」
「なら何を言う?」
「あなたのやり方は間違っていたと伝えます」
笑い声が止まった。
「プリティーも、T.T.STARも、あなたにとっては商品だった。人が何を望んでいるのかより、どう使えば価値が上がるかしか見ていない」
「芸能はエンターテイメントだ」
「だからといって、人の人生まであなたの演出に使っていい理由にはならない」
「綺麗事だな」
「そうかもしれません」
ハンソンは引かなかった。
「それでも私は、あなたとは違うテトラを作ります」
「俺の会社を奪って?」
「はい」
「俺の名前まで奪って?」
「はい」
マスタングはしばらく黙ったあと、突然笑い始めた。
小さな笑いではない。
病室であることなど忘れたように、肩を揺らして楽しそうに笑う。
「面白い!」
ハンソンは黙って見ていた。
「やっとここまで来たか、ハンソン! 俺から逃げるだけだった息子が、今度は俺そのものを奪いに来た!」
病人とは思えないほど、目が輝いている。
「それで? 俺に死ねと言うのか?」
「はい」
「二週間待てば薬が出来るというのに?」
「はい」
「実の父親へ?」
「あなたが同意しなければ、この計画は成立しません」
マスタングは満足そうに頷いた。
「だが、断る」
ハンソンは僅かに眉を動かした。
「理由を聞きます」
「つまらないからだ」
「……何ですって?」
「俺を殺して、会社を奪って、良い会社へ作り替える? そんなものはありふれている。反抗期の息子が父親を倒して終わりでは、エンターテイメントとして弱すぎる」
理解出来ない。
しかし、理解する必要はなかった。
この男が何を基準に物事を選ぶのかを、ハンソンは幼い頃から知っている。
「面白ければ、同意するんですね」
「俺が命と引き換えにしたくなるほどならな」
ハンソンは父親を見つめた。
普通の人間なら、そこで怒ったかもしれない。
自分の死すら娯楽として扱う男を理解出来ないと切り捨てたかもしれない。
だが、ハンソンは違った。
この人間を説得するために必要な言葉が何なのか、ようやく見つかった。
「分かりました」
ハンソンは病室の椅子を引き、初めて父親の前へ座った。
「では、あなた自身が喜んで死にたくなる話をしましょう」