Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
病室の椅子へ腰を下ろしたハンソンを、マスタングは面白いものを見るように眺めていた。二週間待てば自分を救う薬が完成するというのに、その機会を捨てて息子へ会社も名前も渡せと迫られている。それでも怒るどころか、彼の表情には先ほどまでより明らかな期待が浮かんでいた。
「さあ、聞かせてもらおうか。俺がこの命を差し出したくなるほどの話を」
「その前に、一つ訂正しておきます」
「何だ?」
「私は、あなたを倒して自由になるわけではありません」
マスタングの眉が僅かに上がる。ハンソンは父親の顔を見据えたまま、ここへ来るまで何度も考え直した計画を、今度は交渉材料ではなく自分自身の未来として語り始めた。
「あなたが死んだあとも、世間から見ればマスタングは生き続けます。テトラのCEOも、アークの人々が知っている名前も、これまで積み上げてきた影響力も消さない。私はハンソンという名前を捨てて、それを全部引き受けます」
「それはもう聞いた」
「意味まで理解していますか?」
問い返すと、父親の笑みが少し薄くなった。
「あなたは死ねば終わりです。でも私は終われない。あなたが作った会社を維持し、あなたが結んだ契約を整理し、あなたが残した不正を一つずつ片づけながら、それでも外ではあなたの名前を名乗り続けることになる」
プリティーを商品として扱った過去も、ヨヨを利用したことも、T.T.STARを追い詰めた仕組みも消えない。ハンソン自身がどれほど嫌っていても、マスタングの名を継ぐ以上、その歴史から逃げることも出来ない。
「私がどれだけあなたのやり方を否定しても、毎朝鏡を見れば、そこにはマスタングとして生きる自分がいる。会社へ行けばあなたの席へ座り、あなたを知る人間からマスタングと呼ばれ、私が死ぬまでその名前を背負い続ける」
ハンソンはそこで一度言葉を切った。
「あなたを嫌って逃げた息子が、一生あなたの皮を被って生きるんです」
マスタングから笑みが消えた。
数秒間、病室には医療機器の作動音だけが流れていた。ハンソンは、その沈黙を破らずに待つ。
「しかも」
やがて、ハンソンは続けた。
「その息子は、あなたの名前を使って、あなたとは正反対の会社を作ろうとする」
マスタングの口元がゆっくり持ち上がった。
「あなたが商品と呼んだニケを、人として扱う。恐怖で従わせる代わりに、反対出来る人間を周りへ置く。テトラが何かを間違えれば、他社から止められる仕組みも残す。それを全部、マスタングという名前でやります」
「俺の名を使って、俺を否定し続けるというのか」
「はい」
「お前が死ぬまで?」
「必要なら、その後まで残る仕組みにします」
父親の肩が揺れ始めた。
最初は小さな笑いだった。だが、ハンソンが何も冗談を言っていないと理解するほど、笑い声は大きくなる。病室であることも、余命を宣告された身であることも忘れたように、マスタングは心底愉快そうに笑い続けた。
「そうか……そういうことか!」
咳き込みながらも、笑うことをやめない。
「俺を殺して自由になるのではない。俺を殺したあと、自分から俺の名へ縛られる!」
「あなたが作ったものを壊さず変えるには、それが一番確実です」
「ハンソンという名前まで捨てて?」
「はい」
「プリティーのマネージャーだった男も、あの三つ星を育てた小さな事務所の社長も、表向きには消える?」
その問いだけは、ハンソンに少し時間を使わせた。
「消えます」
「惜しくないのか?」
「惜しいですよ」
初めて、迷いのある答えだった。
「小さな事務所も、ハンソンという名前でやってきたことも、私にとっては大事です。あそこを出ていかなければ、アニスたちにもリスにも出会わなかった」
「なら、なぜ捨てられる?」
「捨てるから守れるものがある」
プリティーの時には、それが出来なかった。
父親へ抗議しても、最後には立場も将来も失うことを恐れて引き下がった。その結果、守りたかった相手だけが傷ついていった。
「今度は、自分の名前一つで済むなら安い」
マスタングは笑うのをやめた。
「言うようになったな」
「あなたのおかげではありません」
「分かっている。だから面白い」
父親はベッド脇の端末へ手を伸ばした。病気の影響で以前ほど滑らかには動かない指が、それでも確かな意思を持って画面を操作する。
「エニックが俺の同意を欲しがっているんだったな」
「はい」
「なら、くれてやる」
ハンソンはすぐには反応出来なかった。
ここまで来るためにいくつもの手段を考えていた。さらに条件を付けられることも、最後まで拒まれることも想定していた。
「……本当に?」
「興が削がれることを言うな」
マスタングは不満そうに鼻を鳴らした。
「ただし、中途半端は許さん。俺の名を被るなら、陰気な顔で経営するな。アーク中の目を集めろ。テトラが変わったことさえ、最初は気づかせないくらい派手にやれ」
「それは会社経営に必要なんですか?」
「俺が必要だと言っている」
「最後までそれですか」
「最後だからこそだ」
呆れながらも、ハンソンは少しだけ笑った。
父親を許したわけではない。これまで行われたことが、今の会話一つで帳消しになることもない。それでも、初めて二人とも相手を従わせるためではなく、自分が望むものを正面からぶつけ合っているように感じられた。
マスタングは正式な同意記録を開いた。
「お前はこれから、俺の名で俺の会社を奪う」
「引き継ぐ、とは言ってくれないんですね」
「奪う方が面白い」
「そうですか」
「そして俺の名を使って、俺のやり方を消していく」
「消すだけではありません。残すものは残します」
テトラが築き上げてきた技術も、人材も、アークを支えてきた仕事も、父親が作ったからという理由だけで否定するつもりはなかった。間違っていたものと、必要なものを分ける。それこそが、自分がマスタングになって最初にやらなければならないことだった。
「それでいい」
マスタングは満足そうに頷いた。
「全部壊すだけなら、本当につまらんところだった」
端末に同意を入力する。
エニックへ送られる正式な記録へ、現マスタング自身の承認が追加された。
ハンソンは画面へ表示された確認文を見つめた。
計画は、これで本当に動き始める。
「ハンソン」
「何です」
「楽しくなってきたな」
「私は胃が痛いですよ」
父親は再び大声で笑った。
◇
エニックから最終的な承認が下りるまで、それほど時間は掛からなかった。
現マスタング本人の同意が確認され、エリシオンとミシリスも移行後のテトラを承認する。社会基盤へ与える影響を最低限に抑えるため、経営権限は表に出ない形で少しずつハンソンへ移されていった。
その間も、表向きには何も変わらない。
マスタングは病気療養中。
ハンソンはT.T.STAR関連業務を続けながら、テトラ内部の問題を調査している。
アニスたちも、彼が以前より頻繁に姿を消すようになったことには気づいていた。
「最近また一人で何かやってない?」
ある日、アニスからそう尋ねられた。
「やっています」
以前なら誤魔化していたが、今度は否定しなかった。
「何を?」
「まだ話せません」
「ほら」
「ただし、必要な人たちには相談しています」
「誰?」
「テトラの外にもいます」
アニスはじっと疑うように見ていた。
「危ないこと?」
「多少は」
「また自分だけ犠牲になるとか考えてない?」
ハンソンは少しだけ返答に詰まった。
名前を捨てることを犠牲と呼ぶなら、完全には否定出来ない。しかし、それを理由に計画そのものを止めるつもりもなかった。
「自分で選びました」
「それ答えになってないよ」
「全部終わったら話します」
「絶対?」
アニスの横では、リスも同じ顔をしている。
「約束します」
今度は「努力します」とは言わなかった。
アニスはようやく少しだけ納得したように頷いた。
「じゃあ、待つ」
その言葉が、ハンソンにはありがたかった。
◇
先代マスタングが特効薬を受け取ることはなかった。
治療そのものを拒んだ彼は、残された時間を引き継ぎの準備へ使った。重要な契約相手の性格、表には残されていない社内の力関係、誰が金で動き、誰が理念で動き、誰が自分に怯えて従っていただけなのか。息子が知っていることまで含め、最後には自分の築いたテトラを解体するための説明書でも作るように情報を渡していった。
「ここは残せ」
ある日の病室で、マスタングは一つの部門を示した。
「利益率だけ見れば低いが、アークの下層まで物資を流している。切れば困る人間が多い」
「分かっています」
「ここは潰せ」
「……あなたが作った部署でしょう」
「だから分かる。腐りきっている」
ハンソンは思わず父親を見た。
「何だ」
「自覚はあったんですね」
「俺が何でも正しいと思っているように見えたか?」
「見えました」
「見る目がない」
「あなたの息子ですから」
「その言い返し方は気に入った」
最後まで、普通の親子らしい会話にはならなかった。
それでもハンソンは、病室へ通うことをやめなかった。
許せないことは許せないまま。
理解出来ない部分は理解出来ないまま。
それでも、自分がこれから背負う人間が何を考えて会社を作ったのかだけは、知らずに済ませたくなかった。
そして、薬が完成する予定だった日を迎える前に、先代マスタングは息を引き取った。
その死は公表されなかった。
◇
数日後。
アークのニュースを、一つの大きな事件が埋め尽くした。
テトラ内部で長年行われていた不正行為が、一斉に明るみに出たのである。違法な圧力、資金の不透明な流れ、契約を利用した脅迫、その他いくつもの問題が報道され、中央政府も調査へ乗り出した。
そして、その直後。
テトラ元理事であり、近年同社へ復帰していたハンソンが、車内で遺体となって発見されたという速報が流れた。
「……何、これ」
リスが端末を持ったまま固まった。
アニスは文字を何度も読み直した。
「嘘でしょ」
ミントも声を失い、プリカはニュースの続きを必死に追っている。
身元はハンソン本人として確認された。
テトラ不正への関与も疑われている。
社内の複数の問題について、元理事だったハンソンが中心的役割を果たしていた可能性がある。
そんな報道が次々に表示される。
「違う」
アニスが呟いた。
「絶対違う」
「昨日まで普通だったじゃん」
ミントの声も震えている。
「全部終わったら話すって言った」
リスは立ち上がった。
「ハンソンがこんな終わり方するはずない」
「でも、身元確認まで――」
プリカが言葉を止めた。
何かに気づいたように、画面を見つめる。
同じ頃。
テトラは緊急記者会見を発表していた。
◇
会見場へ現れた人物を見て、アークの誰もが最初は混乱した。
病気療養に入っていたはずのマスタング。
派手な衣装。
大きく取った身振り。
以前と同じ名前。
テトラCEO、マスタング。
表向きには、それで何もおかしくない。
ただし、その姿を裏事情まで知る少数の人間だけは別だった。
『皆サァーン! ご心配をお掛けしましたNE!』
通信画面越しの声を聞き、エリシオンとミシリスの関係者は頭を抱えた。
「……本当にやるとは聞いてたけど」
「ここまでやる必要があるのか?」
『当然ですYO!』
「聞こえているぞ」
新たなマスタングは気にする様子もない。
ハンソンだった頃の落ち着いた服装も、控えめな態度も完全に消えている。その変化を知る者から見れば無理をしていることは明らかだったが、本人は途中でやめるつもりなどなかった。
父親から最後に言われた。
中途半端は許さない。
そして何より、公のマスタングが昨日と今日で別人だと思われては計画そのものが崩れる。
『テトラは今回判明した問題について、徹底的な調査を行いマァース! 不正に関与した者には相応の責任を取っていただきますYO!』
その中には、公式記録上のハンソンも含まれる。
自分の名前へ、父親の時代の汚れの一部が被せられることになる。
それも承知していた。
ハンソンの名誉を守るより、マスタングとして会社を変えることを選んだ。
ただし、彼が本当に何をした人物だったのかを知る者まで消えるわけではない。
それだけは忘れなかった。
◇
「あなた……何をしたんですか」
会見を終えたマスタングを待っていたのは、ミセス・ミスだった。
長年テトラで働き、プリティーの時代からハンソンも先代マスタングも知っている女性である。ニュースではハンソンが死んだことになっている。しかし目の前の男を少し観察するだけで、彼女には何かがおかしいことが分かった。
「何のことでしょうKA?」
「その喋り方、やめてもらえます?」
「これからはこれですYO」
「頭が痛くなってきました」
ミセス・ミスは額を押さえた。
「ハンソンは?」
問いかけられ、新しいマスタングは一瞬だけ黙った。
「死にました」
「……そう」
「表では」
ミセス・ミスが顔を上げる。
それ以上の説明はしなかった。
「一つ、お願いがあります」
話し方も、一瞬だけ昔のものへ戻る。
「テトラの大掃除をしてほしい」
その言葉を聞いたミセス・ミスは、目の前の男を長い時間見つめた。
先代マスタングなら、そんな頼み方はしない。
不正を掃除するために他人へ頭を下げることもない。
「……本当に、馬鹿なことをしたのね」
「否定出来ません」
「そこだけは昔のまま」
彼女は深く息を吐いた。
「分かった。やるわ」
「ありがとうございます」
「でも、一つだけ」
「何でしょう」
「プリティーが今のあなたを見たら、多分笑うわよ」
新しいマスタングは少しだけ目を伏せた。
「……でしょうね」
それ以上は何も言わなかった。
◇
T.T.STARの四人が呼び出されたのは、その日の夜だった。
アニス、ミント、プリカ、そしてリス。
案内された部屋で待っていると、扉が開き、昼間の会見で見た派手な男が入ってくる。
「お待たせしましたNE!」
四人とも何も言わない。
マスタングは数秒耐えた。
「……何か言ってください」
そこで口調が戻った。
アニスが立ち上がる。
「ハンソンさん?」
否定しなかった。
「生きてるの?」
「はい」
「ニュースは?」
「必要な偽装です」
「何でそんな格好なの?」
「必要な偽装です」
「その喋り方も?」
「……かなり必要な偽装です」
ミントが口元を押さえた。
「ちょっと待って。笑っていいのこれ?」
「出来れば慣れてください」
「無理でしょ」
プリカまで呆れた顔をしている。
リスだけは、しばらく何も言わずハンソン――新しいマスタングを見ていた。
「お父さんは?」
その問いで空気が変わる。
「亡くなりました」
「それで、あなたが?」
「はい」
「自分で選んだの?」
「選びました」
リスはそれ以上責めなかった。
「じゃあ、約束」
「何でしょう」
「全部終わったら話すって言った」
アニスもすぐ頷く。
「私も覚えてる」
「今日話してください」
「全部は、まだ話せません」
四人の表情が一斉に険しくなる。
「ただし」
マスタングは慌てて続けた。
「逃げるために黙るわけではありません。まだ表へ出せないことが残っています。話せるようになったら、必ず私から説明します」
「いつか?」
「必ず」
アニスはしばらく疑うように見たあと、ようやく椅子へ戻った。
「分かった」
「ありがとうございます」
「それともう一個」
「何でしょう」
「スマイルボックス」
マスタングの表情が変わった。
「終わらせます」
「契約は?」
「見直します」
「二百億」
「払う必要はありません」
四人が同時に固まった。
「……本当に?」
ミントが尋ねる。
「そもそも、逃がさないために作られた不当な条件です。私の代で残すつもりはありません」
「それ、CEOだから出来るの?」
プリカの問いへ、新しいマスタングは少し考えた。
「そうですね」
そして、初めて自分から笑った。
「ですから、これがマスタングになって最初の仕事です」
アニスはその顔を見つめた。
派手な服も、奇妙な姿勢も、到底慣れそうにない喋り方も、これまで知っていたハンソンとは違う。
それでも、中にいる人まで変わったわけではない。
「ハンソンさん」
「今はマスタングですYO」
「そこだけ慣れるの早くない?」
「練習しましたからNE!」
「やっぱり変」
四人の笑い声が、部屋へ少しずつ戻ってきた。
ハンソンという男は、公には死んだ。
その名前で小さな事務所へ戻ることも、もう出来ない。
それでも彼が守ろうとした三つ星と、その傍らへ戻ってきた一人のマネージャーは、ここにいる。
新しいマスタングは、その四人を見渡した。
父親の皮を被ったまま。
今度こそ、誰かが自分の人生を選べる場所を作るために。