Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
T.T.STARのメジャーデビューから数週間が過ぎた頃、テトラでは先代マスタング時代の記録を洗い直す作業がまだ続いていた。表向きの会社運営は落ち着きを取り戻していたものの、長年CEO個人の権限で封じられていた資料や、中央政府上層部との非公開取引は、一つ開けばさらに別の記録へ繋がっていく。ハンソン――二代目マスタングは、その作業を他人へ任せきりにせず、自分でも可能な限り目を通していた。
きっかけは、古い保管資産一覧に一つだけ残されていた不自然な番号だった。分類上はテトラ所有の特殊装備となっているのに、製造記録も購入記録も存在せず、取得経路だけが中央政府上層部を経由したことになっている。さらに閲覧権限はCEO本人へ限定されており、先代が生きていた頃にはハンソンですら存在を知らされていなかった。
「また父さんの置き土産ですか……」
嫌な予感を覚えながら認証を通すと、画面へ短い名称が表示された。
PROJECT:STAR
芸能関係の企画には到底見えなかった。ハンソンは眉を寄せながら関連資料を開き、表示される記録を一つずつ読み進めていく。そのうち、画面を操作していた指の動きが徐々に遅くなり、表情からも血の気が引いていった。
開発主体の欄には、すでに表舞台から姿を消したD.E.E.P.の名称が残されていた。設計目的はニケ用拡張武装であり、高出力の光学エネルギーを吸収し、増幅したうえで使用者へ還元する機構を備えている。性能評価だけを読めば、確かに革新的と呼んで差し支えない兵器だった。
しかし、ハンソンの目を止めたのは性能ではない。素材欄に記されていた、たった一行だった。
SOURCE BODY:PRETTY
「……何ですか、これは」
思わず声が漏れた。何度読み直しても文字列は変わらず、表示の誤りである可能性を探して別の資料を開いても、むしろ事実を裏づける記録ばかりが増えていく。
プリティーの死亡後、彼女のボディは中央政府上層部からの要求によってテトラから引き渡され、その後D.E.E.P.へ移送されていた。そこで分解と解析を受け、複数の特殊素材や機構を再構成することで、現在STARと呼ばれる拡張武装へ作り替えられたらしい。引き渡しから研究開始までの経緯も、途中が欠落しているとはいえ十分すぎるほど残っていた。
そして、その最初の引き渡し承認欄には、ハンソンが生涯見間違えるはずのない名前が記されていた。
MUSTANG。
父親だった。
「……最後まで」
ハンソンは椅子へ深く背を預け、しばらく画面から目を離した。プリティーが生きていた頃、父は彼女を一人の女性としてではなく、価値の高い商品として扱っていた。死んだあとくらいは静かに眠らせたのだと思っていたが、その考えさえ甘かったことになる。アークの星として人々へ希望を与えたニケは、死後も価値のあるボディとして扱われ、最後には兵器を作るための素材にされた。
もちろん、ハンソンには知る由もない。あの復活ライブで公の歴史上死んだプリティーと、現在Vault-Nでフリージアとして生きている女性が、すでに別々の道へ分かれていることなど知りようがなかった。彼が知る歴史の中でプリティーは確かに死んでおり、目の前に並ぶ記録は、その遺骸さえ人間たちが利用し尽くした証拠にしか見えなかった。
それだけでも十分に腹立たしかったが、資料はそこで終わっていなかった。最後に残されていた適合性評価を開いた時、ハンソンは、この兵器が過去の罪だけでは終わっていないことを知った。
COMPATIBILITY CANDIDATE:ANIS
思わず身体を起こした拍子に、椅子が床を擦って音を立てた。
「……どうして」
候補選定の理由は完全には残っていなかった。生体情報、ボディ構造、エネルギー伝達効率、そのほか複数の要素が高い適合傾向を示したとだけ記されており、最後にはSTARについて「アニス専用として扱っても問題ない水準」と判断した技術者の所見まで添えられている。
しかも、それは過去の資料だけではなかった。先代マスタングの死後、停止状態となっていた研究を引き継いだ中央政府内の一部門から、テトラへ新たな申請が提出されている。
要求内容は簡潔だった。
T.T.STAR所属ニケ、アニスを、拡張武装STARとの最終適合試験へ参加させること。
◇
「却下しマース」
翌日の会議で、二代目マスタングは申請書を机へ置いた。向かいに座る中央政府側の担当者は、その反応を予想していたらしく、表情をほとんど変えなかった。
「理由を伺っても?」
「本人が希望していまセン。そして、テトラとしても必要性を認めまセン」
「STARはテトラの資産です。アニスもテトラ製のニケでしょう」
その言葉を聞いた瞬間、ハンソンの中で何かが冷えた。表情だけはマスタングとしての笑みを保ったまま、ゆっくりと相手を見る。
「今、何と?」
「誤解を招く表現でしたか?」
「ええ、かなり」
担当者は謝罪しなかった。
「STARは現状、使用者のいない高価な戦略資産です。アニスとの適合性が極めて高いことは過去の試算から確認されています。使用可能な状態へ仕上げることは、人類全体の利益になると判断しています」
「そのために、本人の意思を無視する?」
「ニケの運用に本人の感情をどこまで優先するかは、別の議論です」
その瞬間、ハンソンは父親と話しているような錯覚を覚えた。相手を一人の人間として見るのではなく、価値を引き出す対象として考え、本人が何を望んでいるのかより、どう運用すれば利益を最大化出来るのかを優先する。父親一人が死んだからといって、その考え方までアークから消えてなくなるわけではなかった。
「もう一度だけ言いマース」
マスタングとしての笑顔を保ったまま、声の温度だけが明確に下がった。
「却下デース」
「テトラ単独で決定出来る案件ではありません」
「でしたら正式な手続きを踏んでくだサーイ。その際はこちらも、プリティーのボディがどのような経緯でD.E.E.P.へ渡り、誰が何をしたのかという全記録を提出しマース」
担当者の目が僅かに動いた。
「脅迫ですか?」
「情報開示デース。透明性は大切でしょう?」
笑顔のまま返すと、相手はそれ以上踏み込まなかった。しかし、ハンソンには分かっている。これで終わりではない。父親の時代とは違い、自分はアニスを守るつもりでいるが、彼女がテトラ所属のニケであり続ける限り、同じ要求が形を変えて何度でも持ち込まれる可能性がある。
自分がCEOでいる間なら止められる。それでは、自分がいなくなった後はどうなるのか。その問いに対して、ハンソンはまだ簡単な答えを持っていなかった。
◇
アニスたちへ話すことを決めるまでに、ハンソンは丸一日を使った。STARをテトラの保管庫へ封印し、中央政府から来る申請だけを自分が処理し続ければ、少なくとも当面はアニスへ何も知らせずに済む。それが最も簡単で、彼女を余計に傷つけずに済む方法にも思えた。
だが、それでは父親と同じだった。
本人の人生に関わることを、本人へ知らせないまま誰かが決める。「守るため」という理由を付ければ聞こえはよくなるが、本人から選択する機会を奪うという一点では、父がしてきたことと根は変わらない。
「話があります」
呼び出されたのは、アニスだけではなかった。ミント、プリカ、リスも同じ部屋へ集められ、四人ともマスタングの前に置かれた黒いケースを警戒するように見ている。
「また変な契約じゃないでしょうね」
ミントが先に言うと、ハンソンは首を横へ振った。
「今回は契約ではありません」
「その箱は?」
「見てもらった方が早いでしょう」
認証を通し、ケースを開く。
内部へ収められていたものを見た四人の反応は、それぞれ違っていた。ミントは小さく息を呑み、プリカは構造を確かめようと目を細める。リスは何なのか分からないままハンソンを見たが、アニスだけは、しばらく何も言わずに装備を見つめていた。
幾つもの三角形の部材が重なった、ドレスにも見える特殊装備だった。芸能衣装のような華やかさを持ちながら、近くで見れば明らかに舞台用ではなく、内部には通常のニケ装備とは異なる複雑な機構が組み込まれている。
「これが、STARです」
ハンソンはケースの横へ立ったまま説明を始めた。
「ニケ用の拡張武装です。父が隠していた記録を調査している途中で見つけました」
「私たちに使わせるの?」
プリカが尋ねた。
「違います」
即座に否定したあと、ハンソンはアニスへ視線を向けた。
「アニスさん。あなたには、最後まで聞いてから判断してほしい」
「……私?」
「はい」
嫌な予感がしたのだろう。アニスの表情から、先ほどまで残っていた軽さが消えた。
「この装備は、あなたとの適合性が極めて高いとされています」
「へえ。それで?」
「現在、中央政府の一部門から最終適合試験への参加要求が来ています」
「嫌って言ったら?」
「私は拒否しました」
「じゃあ終わり?」
「その前に、知っておくべきことがあります」
ハンソンはそこで一度言葉を止めた。出来ることなら口にしたくなかったが、それでも本人へ知らせると決めた以上、都合の悪い部分だけを伏せるわけにはいかない。
「STARの素材には、プリティーのボディが使われています」
アニスの表情から感情が消えた。ミントも、プリカも、リスも、すぐには言葉を発さない。
「……何て?」
「プリティーの死後、ボディは中央政府側へ引き渡されました。その後、D.E.E.P.という研究組織が解析し、この拡張武装へ作り替えています」
アニスの視線が、ゆっくりとケースの中へ落ちた。先ほどまで綺麗な装備にしか見えていなかったものが、もう同じ形には見えていないのだろう。
「それ……プリティーなの?」
「正確には、プリティーだったボディを素材として作られた装備です」
「誰が渡したの?」
ハンソンは逃げなかった。
「先代マスタングです」
アニスは目を閉じた。数週間前、この男の名前を継いだハンソンと一緒に笑い、新しいテトラなら以前とは違うかもしれないと思って、もう一度ステージへ立った。しかし、現在が変わり始めたからといって、過去に行われたことまで消えるわけではない。
「生きてる間だけじゃなかったんだ」
誰へ言うでもないように呟いた。
「アニス」
リスが声を掛けたが、アニスはケースから目を離さなかった。
「アイドルにして、みんなに見せて、死んだら今度は武器?」
怒鳴ってはいない。それだけに、押し殺した声の方がハンソンには重く聞こえた。
「プリティーが何をしたかったとか、どう生きたかったとか、最後に何を思ったとか……そんなの関係なかったんだね」
「私は、そういう会社にはしません」
ハンソンが答えると、アニスはようやく顔を上げた。
「分かってる。ハンソンさんがやったって言ってるんじゃないよ」
その声には、怒りだけではなく疲れも混じっている。
「でもさ。お父さん一人じゃなかったんでしょ?」
「……はい」
「これを作った人もいて、許した人もいて、使おうとした人もいた。今だって、私に着せたい人がいる」
「そうです」
「じゃあ、まだ同じじゃん」
否定出来なかった。ハンソンがマスタングになったからといって、アーク全体まで一夜で変えられるわけではない。
アニスはもう一度STARを見たあと、静かに言った。
「私、これ要らない」
「渡すつもりはありません」
「絶対?」
「あなたが望まない限り」
ハンソンはケースを閉じた。
「それだけは約束します」
◇
話が終わったあとも、アニスはすぐには部屋を出なかった。ミントとプリカは彼女の隣に残り、リスも何も言わず待っている。ハンソンも急かすことなく、アニスが自分から口を開くまで黙っていた。
やがてアニスは、テーブルの上に置かれていたT.T.STARの予定表を手に取った。次のライブ、撮影、新曲の打ち合わせ。メジャーデビューしてから埋まり始めた予定が、何週間も先まで並んでいる。
「私、アイドル嫌いじゃないよ」
突然の言葉に、三人が顔を上げた。
「むしろ、好きになったと思う」
最初はプリティーになりたかった。彼女と同じ星になれば、自分にも誰かを救えるかもしれないと思っていた。それがいつの間にか、T.T.STARとして三人で歌い、自分たちの曲を作り、観客の前へ立つことそのものへ変わっていた。
「BE MY STARも好き。みんなでステージ立つのも好き。リスが袖で変な顔しながら見てるのも好き」
「変な顔は余計」
いつもならそこで笑えたのかもしれない。しかし、アニスの表情は晴れなかった。
「でも、ここにいたら、また誰かが勝手に私の使い方を決めるんじゃないかって思っちゃった」
「私が止めます」
ハンソンの返答へ、アニスは首を横へ振った。
「それじゃ駄目なの」
「……どういう意味ですか?」
「ずっとハンソンさんに守ってもらうの?」
問い返され、ハンソンは黙った。
「スマイルボックスの時も、STARも、結局ハンソンさんが止めてくれる。でも、私が何したいかは私が決めたい」
「それは当然です」
「だったら、一回降りたい」
ミントの表情が強張った。
「アニス」
「アイドルを嫌いになったわけじゃないよ」
「じゃあ何で?」
「自分が何のために生きるのか、ステージ以外でも考えてみたい」
アニスは自分の手を見つめた。アークリアンホールで人間としての人生を終えたあと、与えられた二度目の身体だった。それを歌うために使うのか、戦うために使うのか、それとも誰かが決めた用途へ従うのか。それだけは、自分で選びたかった。
「地上に行く」
リスの顔が強張った。
「戦闘ニケになるってこと?」
「うん」
「危ないよ」
「分かってる」
「分かってない。ステージとは違うんだよ」
「それも分かってる」
リスが言葉を失っても、アニスは目を逸らさなかった。
「でも、自分で選びたい」
それは、リス自身が一度失いかけた明日を、自分の意思で選び直した時とよく似ていた。だからこそ、危険だからという理由だけでアニスの決断を取り上げることは出来なかった。
「……帰ってくる?」
リスがようやく尋ねた。
アニスは少し考えたあと、正直に首を傾ける。
「約束は出来ない」
残酷にも聞こえる答えだったが、そこで都合のいい嘘をつくつもりはなかった。
「でも、戻りたくなった時に戻れる場所があったら嬉しい」
ミントが俯き、プリカは長く息を吐いてからアニスを見る。
「勝手」
「うん」
「せっかくメジャーデビューしたのに」
「うん」
「BE MY STARも完成したばっかり」
「ごめん」
「謝るくらいなら戻ってきて」
プリカの声が少しだけ震えた。
「いつかでいいから」
アニスは、その言葉を軽く受け流さなかった。しばらくプリカを見たあと、ゆっくりと頷く。
「うん」
◇
「問題があります」
全員の話を聞き終えたあと、ハンソンは現実的な部分へ話を戻した。
「普通にアイドルを引退しただけでは、中央政府からのSTAR適合試験要求を避けられない可能性があります」
「じゃあどうするの?」
アニスが尋ねると、ハンソンはしばらく考えたあと、一枚の書類を表示した。
「命令違反にします」
「……はい?」
「STARの最終適合試験への参加命令を拒否した。その結果、芸能部門から外され、地上戦闘任務へ配置転換されたことにします」
四人とも、すぐには意味を理解出来なかった。
「それ、処分ってこと?」
「書類上は」
「私、別に命令されてないけど」
「今から正式に命令します」
ハンソンは端末を操作し、CEO権限で命令書を作成した。それからアニスへ向き直り、今度は完全にテトラCEOとして告げる。
「アニスさん。テトラCEOとして、拡張武装STARの適合試験への参加を命じます」
「嫌」
「命令拒否を確認しました」
「ちょっと待って、早くない?」
「これで処分理由が出来ました」
ミントが額を押さえた。
「何やってるの、このCEO」
「アニスさんを逃がしています」
あまりにもそのまま言ったため、今度は全員が黙った。
ハンソンは冗談ではなく、本気だった。
「芸能ニケとしてテトラの内部にいる限り、同じ要求が繰り返されます。一方、命令拒否による配置転換として地上戦闘任務へ移れば、研究目的で呼び戻すには別の手続きが必要になる」
「ハンソンさんが拒否し続ければいいんじゃない?」
「私は永遠にはいません」
アニスが口を閉じた。
「次のマスタングが私と同じ判断をする保証もない。だから、私が権限を持っている間に、あなた自身が望む場所へ動かします」
「……また一人で決めた?」
以前にも聞いた問いだった。
ハンソンは、今度ははっきりと首を横へ振った。
「今回は、今ここで相談しています」
「私と?」
「あなたとです」
アニスはしばらく彼を見つめたあと、小さく笑った。
「成長したね」
「同じことをリスにも言われました」
「じゃあ、その処分でお願い」
「本当に?」
「うん」
今度はハンソンが念を押した。
「地上戦闘任務です。危険は、アイドル活動とは比較になりません」
「分かってる」
「戻りたいと言えば、可能な限り戻せるようにします」
「それも分かった」
「STARは?」
アニスは閉じられたケースを見る。
「いらない。二度と見たくないかも」
「分かりました」
ハンソンはケースへ認証を掛け直した。
「これは私が保管します」
「壊さないの?」
ミントが尋ねると、ハンソンはすぐには答えなかった。ケースの中にあるものを思えば、破壊して二度と使えない状態へしてしまいたい気持ちは確かにある。
「出来れば壊したいと思っています」
それでも、そこで自分の感情だけを優先するわけにはいかなかった。
「ですが、私の判断だけでこれを壊せば、結局はアニスさんへ選択肢を与えないまま、私が使い道を決めたことになります。誰かが勝手に使うことは許しません。しかし、破壊するか残すかまで、今ここで私一人が決めるべきではないと思っています」
アニスが少し苦い顔をした。
「ずっと置いとくの?」
「必要なら何十年でも」
「私、一生欲しいって言わないかもよ」
「それなら、それで構いません」
ハンソンは迷わなかった。
「いつかあなた自身が、これが何なのかを全部知ったうえで、それでも自分の意思で必要だと言った時だけ渡します」
「そんな日、来るかな」
「来なくていいんです」
その返答に、アニスは少しだけ驚いた。
「誰かに使えと言われたからではなく、あなた自身が選ぶことが重要なんです」
アニスはしばらく何も答えなかった。ただ、最後には閉じられたケースから目を離し、ハンソンへ小さく頷いた。
◇
T.T.STARの今後については、最後まで意見が分かれた。アニスは自分が抜ける以上、ミントとプリカの二人で続けてもいいと言ったし、二人も芸能界そのものを離れるつもりはなく、歌うことまでやめたいわけではない。
しかし、T.T.STARという名前を二人だけのものへ変えることには、どちらも首を縦に振らなかった。
「三人でT.T.STARでしょ」
ミントは当然のことのように言った。
「アニスがいない間、別の仕事するのはいい。でも三人組を二人組に変える気はない」
「私も」
プリカが続ける。
「勝手に降りたんだから、戻る場所くらい自分で責任持って残しておいて」
「私が残すの?」
「私たちが残す」
リスも二人の意見へ頷いた。
「解散じゃなくて、活動休止にしよう」
「せっかくメジャーデビューしたのに?」
「だから何?」
今度はリスが笑った。
「活動を止めたら、あのライブまでなくなるわけじゃないよ。BE MY STARも消えないし、T.T.STARだったことも消えない」
アニスは三人を見た。
「待たなくていいからね」
「それは私たちが決める」
「リスまで」
「アニスが自分の人生を自分で決めるなら、私たちも自分で決める」
そこまで言われてしまえば、アニスにも返す言葉がなかった。ハンソンは四人のやり取りを最後まで聞いてから、活動休止の書類を作成した。
理由は、メンバー一名の長期地上任務への移行。解散ではなく、T.T.STARという名前も三つ星のロゴも、そのままテトラへ残される。
「いつでも戻れるようにしておきマース」
最後だけマスタングの口調へ戻すと、アニスが苦笑した。
「その頃までその喋り方続けるつもり?」
「当然デース」
「後悔しない?」
「すでに少ししています」
「やっぱり」
笑い声が起きた。寂しくないはずがないし、誰一人として今の別れを喜んでいるわけでもない。それでも、誰もアニスの選択を取り上げようとはしなかった。
◇
出発の日、アニスはステージ衣装を着なかった。地上任務へ向かうニケ用の装備へ身を包み、最低限の荷物だけを持ってテトラの搬送区画へ立っている。まだ正式な配属先は決まっておらず、しばらくは地上戦闘ニケとして複数の任務を経験することになるという。
「似合わない」
ミントが最初に言った。
「アイドル衣装より?」
「地味すぎ」
「戦場でキラキラしてたら狙われるでしょ」
「でもアニスだよ?」
「どういう意味?」
いつものような言い合いが始まる横で、プリカは小さなケースを差し出した。中には三つ星の小さな徽章が入っており、独立事務所の頃から使ってきたロゴと同じ形をしている。
「これ」
「持ってくの?」
「嫌なら置いてけば」
「誰も嫌って言ってないじゃん」
アニスは徽章を受け取り、少し眺めたあと、戦闘装備の内側へ大切そうにしまった。
リスはその間も、最後に何を言うべきか考えているようだった。
「リス」
「何?」
「今度は置いていかないから」
一瞬、意味が伝わらなかった。それでもすぐに、あの夜のことを言っているのだと気づく。
「……それ、こっちの台詞」
リスは小さく笑った。
「勝手に死なないで」
「努力する」
「そこは約束して」
「分かった。約束する」
リスは鞄から何かを取り出しかけたが、途中で手を止めた。中に入っているのは、スクラッパーから渡されたあの金属板だった。
「それはリスが持ってて」
アニスは、その仕草だけで気づいたらしい。
「いいの?」
「それ、リスがもらったんでしょ」
「都市伝説にね」
「だったらリスのお守り。私は別のあるから」
アニスは自分の胸元を軽く叩いた。戦闘装備の内側には、先ほど受け取った三つ星の徽章がある。
「こっちで十分」
リスは金属板を鞄へ戻した。
「じゃあ、ちゃんと生き延びて」
「リスもね」
二人は笑った。
最後に、ハンソン――マスタングが前へ出た。
「アニスさん」
「何?」
「私は、あなたを追放したことになっています」
「そうだったね」
「ですから、表向きはしばらくテトラへ近づかない方がいいでしょう」
「了解、社長」
「それから」
ハンソンはそこで、少しだけマスタングの仮面を外した。
「帰りたくなったら、帰ってきてください」
アニスは彼を見た。
「アイドルに?」
「それも、あなたが決めればいい」
「戦うの嫌になっただけでも?」
「構いません」
「何十年後でも?」
「その頃も私がここにいたら、待っています」
「長生きする気なんだ」
「父よりは」
アニスは笑った。その表情には不安も残っていたが、それでも自分で決めた道へ向かう者の顔をしている。
「じゃあ、行ってくる」
マスタングは頷いた。
「行ってらっしゃい」
その言葉を最後に、アニスは三人へ背を向けた。自分を追い出した会社から逃げる者としてではなく、誰かに星の形を決められることを拒み、自分で次の場所を選んだ一人のニケとして、搬送区画の向こうへ歩いていった。
◇
その日の夜、テトラ本社の最深部へ一つのケースが移された。登録名は拡張武装STAR。保管権限はCEOマスタング本人に限定され、研究利用、分解、貸与、適合試験のすべてが凍結された。中央政府から正式な命令が出た場合でも、テトラ側の再承認なしには搬出出来ないよう、複数の認証が追加されている。
ハンソンは封印処理が完了するまで、その場を離れなかった。ケースの向こうにあるものを、彼はもうプリティーとは呼ばない。プリティーは歌い、人を励まし、迷い、傷つき、それでも最後まで自分の意思を持って生きた一人の女性だった。目の前にあるのは、そのボディを本人の意思とは関係なく利用して作られた兵器にすぎない。
だからこそ、誰にも勝手には使わせない。
「いつか、あなた自身が必要だと言うまで、ここに置いておきます」
閉じた保管庫へ向けて静かに言った。当然ながら返事はなく、それでよかった。STARへ答えを求めているわけでも、今この場で未来の使い道を決めようとしているわけでもない。
数週間前まで、アニスはステージの上で星になることを選んでいた。今日、そのステージから自分の意思で降りたからといって、そこまで歩いてきた時間まで消えるわけではない。ミントも、プリカも、リスも、そしてハンソンも、それを分かっていた。
T.T.STARは解散しない。三つ星のうち一つが、しばらく自分の光り方を探すために別の場所へ向かっただけだった。アニスがそこで何を見て、何を選び、いつかこの場所へ戻るのかは、今度こそ誰かが先回りして決めることではない。
ハンソンは執務室へ戻ると、これからしばらく使われることのないT.T.STARの予定表を開いた。アニスの名前を削除する代わりに、活動状況の欄へ一言だけ入力する。
活動休止。
戻るかどうかを決めるのは、アニス本人だ。
帰る場所を残しておくところまでが、自分の仕事だった。
次回、第1部最終話です。