Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
第6話 剣を握る者たち
勝利の翼号からそう遠くない前線基地の外れで、二本の刀が激しくぶつかり合った。金属同士が噛み合う鋭い音が響いた直後、紅蓮は押し返される力に逆らわず半歩身を引き、相手の刀を受け流しながら身体を低く沈めた。そのまま足元から斬り上げるように百日紅を振るうが、薔花はその軌道を読んでいたらしく、僅かに腰を引いただけで刃をかわす。返す刀が紅蓮の手元を狙い、まともに受ければ百日紅を握る指ごと持っていかれかねない一撃に、紅蓮は咄嗟に手首を返して刀身を合わせた。
衝撃を逃がすため横へ跳んだものの、着地した時には薔花がすでに間合いを詰めていた。紅蓮が次の一手を選ぶより早く、花無十日紅の切っ先が喉元へ突きつけられる。
「遅いよ、レン」
穏やかな声と、そこにある刃の鋭さがまるで噛み合っていない。あと数センチという距離は、実戦なら生死を分けるには十分すぎた。紅蓮は悔しそうに切っ先を睨みつけたあと、ようやく百日紅を下ろした。
「……もう一度だ」
「今日はこれで十二回目だけど?」
「ならば十三回目をやればよい」
「そう言うと思った」
薔花は困ったように笑ったが、今度は再戦に応じなかった。花無十日紅を鞘へ収めると、訓練場の端へ置いてあった水筒を取り、紅蓮にも休むよう手招きする。紅蓮は最初こそ「要らぬ」と突っぱねたものの、中身がお茶だと知った途端に動きを止め、結局は姉の隣へ座った。
「昨日、レンが焙煎してた葉っぱ。少し分けてもらったの」
「勝手に持っていったのか?」
「ちゃんと聞いたよ。レンが『好きにせよ』って言ったから」
紅蓮はしばらく眉を寄せて記憶を探っていた。おそらく整備中にでも声を掛けられ、ろくに聞かず返事をしたのだろう。やがて諦めたように茶を受け取り、一口飲んでから僅かに表情を緩める。
「……仕方あるまい」
「おいしい?」
「悪くはない」
「それ、レンの中ではかなり褒めてるよね」
「うるさい」
十三戦目を要求していた時とは思えないやり取りだったが、薔花の視線はすぐ別の方向へ移った。同じ近接戦闘部隊に所属する四人が、少し離れた場所で装備を点検している。もともと十名で編成された部隊だったが、ここまで生き残っているのは薔花と紅蓮を含めて六名だけであり、その六人でさえ全員が万全とは言い難かった。
一人は右腕の動きが悪く、刀を振るたび肩付近から嫌な駆動音がする。別の一人が使っている刀には深い欠けがあり、応急的に研ぎ直してはいるものの、次の戦闘で大きな衝撃を受ければ折れてもおかしくない。近接戦闘を前提として軽量化された彼女たちは機動力こそ高いが、その代償として損傷への余裕が少なく、整備と部品供給が欠かせなかった。
「姉さん。また補給は来なかったのか?」
紅蓮に問われ、薔花が茶を注いでいた手を僅かに止めた。
「今日は来る予定だよ」
「昨日もそう言っていたであろう」
「……そうだったね」
「一昨日もだ」
「レンは意外と覚えてるね」
「誤魔化すな」
紅蓮の声が低くなると、薔花もようやく冗談をやめた。右腕を傷めた仲間についても、欠けた刀についても、交換部品や補修材は何度も申請している。それでも届かない一方、危険度の高い任務だけは途切れることなく与えられ続けていた。
物資不足そのものなら珍しい話ではない。人類全体が追い詰められている以上、必要なものが必要な時に届かないことなど、どの部隊にもあるだろう。しかし近接戦闘部隊の場合、要求した規格と違う部品だけが届いたり、他部隊へ補修材が優先的に回されたりと、不自然なことがあまりにも多い。
「今日、もう一度話してくるよ。今度は部品の消耗率も、出撃回数も、他の部隊との補給量の差も持っていくから」
「その差まで調べられるのか?」
「少しだけ、手伝ってくれそうな人がいるの」
紅蓮が誰なのか問い返そうとした時、訓練場の入口から男の声が飛んできた。
「こっちの整備記録って、誰に見せればいい?」
薔花が振り返ると、青い服の上から戦闘装備を身につけたネイトが立っていた。その隣には端末と工具を抱えたスノーホワイトがおり、少し遅れてレッドフードも欠伸をしながら歩いてくる。
見慣れない三人へ、紅蓮の目がすぐ鋭くなった。
「何者だ」
「その言い方だと喧嘩始まるぞ、センセイ」
「誰がセンセイだ」
「剣の先生。強いって聞いたからさ」
「貴様に教えることなどない」
「まだ何も頼んでねえよ!」
紅蓮が百日紅の柄へ手を掛けたところで、薔花が「レン、お客さんにいきなり刀を抜かないの」と穏やかに制した。ところが本人もネイトたちとは先ほど顔を合わせただけらしく、紅蓮に理由を尋ねられると、「面白そうだから?」と首を傾げる。
紅蓮が姉へ抗議し、レッドフードが腹を抱えて笑う。その横でネイトは、どうやらこの姉妹は両方とも別方向に扱いづらいらしい、と早くも理解し始めていた。
◇
ネイトたちが前線基地を訪れたきっかけは、スノーホワイトが一枚の補給記録に違和感を覚えたことだった。ウルトラとの戦闘で使用した装備の補修部品を申請するため、勝利の翼号へ届いていた補給関係の一覧を彼女が確認したところ、同じ倉庫から各地へ送られている物資の中に、不自然な偏りが見つかったのである。
近接戦闘型ニケの交換部品が、中央倉庫に存在しないわけではなかった。少なくとも申請された時点では在庫があり、同じ基地へ向かう補給便も先週だけで三回出ている。しかも、それらの便にはより重量のある他部隊向け装備が積載されており、輸送能力が限界だったという説明も成り立たない。
「こっちが一週間前です。その前にも同じ便がありますが、どちらにも積載量には余裕があります」
スノーホワイトが端末を見せると、薔花は黙って表示された記録を追った。説明が進むにつれて、その顔からいつもの柔らかな笑みが少しずつ消えていく。紅蓮は最初から不機嫌だったが、今では隠そうともせず怒りを露わにしていた。
「つまり、物がないのではない。こちらへ寄越しておらぬだけか」
「少なくとも、この部品についてはそう見えます。ただ、記録だけでは理由までは分かりません」
スノーホワイトが断定を避ける一方で、ネイトは作業台へ座っている一人のニケの右腕を調べていた。関節部には明らかな摩耗があり、駆動させるたび内部の部品が正常な位置からずれている。今なら交換部品さえあれば修復できそうだったが、この状態でさらに近接戦闘を続ければ、周辺の駆動系まで巻き込んで壊れる可能性が高い。
「これ、いつからこの状態で戦ってる?」
「三回かな」
薔花の答えに、ネイトは思わず顔を上げた。
「三回?」
「最初はもう少し動いたんだけどね」
「これで近接戦やらせてたのか?」
口にしてから、矛先を間違えたと気づいた。薔花の表情が固まるのを見て、ネイトはすぐに「悪い。あんたに言う話じゃなかった」と謝り、もう一度損傷した腕へ目を戻す。
「応急処置ならできる。ただし、次の出撃まで無理やり持たせるためじゃない。交換部品が来るまで悪化させない程度だ」
「それでも助かります」
作業台のニケが笑ったが、ネイトは工具を手にしたまま首を横へ振った。
「助かってないよ。壊れた兵士に応急処置だけして、また前へ行けなんて言ってたら、そのうち帰ってこなくなる。部品がないならまだ分かる。でも、あるなら交換する。それが普通だろ」
戦前の軍でも、連邦でも、物資不足は何度も経験した。ないものを寄越せと喚いたところで仕方がないことくらい、ネイトも理解している。しかし使える部品が存在するにもかかわらず、意図的に渡さないまま兵士を戦わせているのなら、話はまるで違った。
「姉さん。行こう」
紅蓮が薔花を見る。声には隠しきれない怒気があった。
「中尉のところ?」
「他に誰がおる」
薔花はすぐには動かず、ネイトとスノーホワイトを見た。
「この記録、借りてもいい?」
「もちろんです」
「俺たちも行くよ」
「これは私たちの部隊の問題だよ」
「そうかもしれない。でも記録を見つけたのはスノーだし、俺も兵站の話なら多少は分かる。本当に正当な理由があるなら、それを聞けばいい」
後ろからレッドフードまで「あたしも行く」と手を上げたので、紅蓮は露骨に嫌そうな顔をした。
「貴様は何をする」
「見物」
「帰れ」
「何でだよ!」
「それ、一番弱い理由だからな」
ネイトまで口を挟むと、レッドフードは「男前まで!」と抗議したが、結局誰にも止められないままついてきた。
◇
近接戦闘部隊を預かる中尉は、基地の指揮所にいた。
薔花が補給記録を提示して事情を尋ねても、最初に返ってきた説明はこれまでと大きく変わらない。中央に在庫があっても全てをこちらへ回せるわけではなく、戦況に応じた優先順位がある。それだけ聞けば戦時下の軍隊として不自然ではなかったが、スノーホワイトが具体的な輸送記録を示すと話は変わった。
「この型の部品を使う部隊は限られています。別の用途へ転用された記録もありません。それに、同じ便には積載量の余裕があります」
「ゴッデスがなぜこの話に口を出している?」
中尉の視線がスノーホワイトへ向いたが、彼女は怯まなかった。
「私が記録を見つけたからです。直せるものが壊れたまま戦っているのを見つけたら、気になります」
あまりにも彼女らしい答えにネイトは僅かに口元を緩めたが、中尉に笑う余裕はなかった。
「近接戦闘型は特殊な機体だ。維持費も高い。今後の運用方針を含め、上層部で検討が行われている」
「検討中だから部品を止めた?」
ネイトが問い返すと、中尉は初めて彼をまともに見た。
「君は誰だ」
「ネイト・フォーリー。今はゴッデス預かり」
「軍属か?」
「昔は軍人だった」
「なら、部外者だ」
「今のところはね」
これ以上追及しようとしたところで、薔花が静かに手を上げた。隊長として自分だけで確認したいことがあるという。紅蓮は明らかに納得していなかったものの、最後には姉の判断を尊重し、ネイトたちと共に廊下へ出た。
扉が閉じた後、しばらくは何も聞こえなかった。レッドフードは壁へ背を預けて退屈そうにつま先を動かし、スノーホワイトは何度も端末を見返している。紅蓮は扉からほとんど目を離さなかった。
その様子を眺めたあと、ネイトは隣にいるレッドフードへ声を落とした。
「頭は?」
「今?」
「今」
「別に」
「本当?」
レッドフードは少しだけ黙り、やがて観念したように肩を竦めた。
「……ちょっとだけ」
「ラプンツェルには?」
「朝診てもらった」
「ならいい」
ウルトラとの戦闘後から続いている頭痛とノイズは、まだ消えていない。侵食に似た信号も残ったままだが、急激に悪化している様子はなく、最近では本人も症状を完全には隠さなくなっていた。治ってはいないが、それだけでも以前よりは状況を共有できている。
「男前、最近あたしの顔見ると頭の話しかしなくね?」
「そう?」
「前はもっと美人だとか言ってくれたのに」
「言った覚えないけど」
「今言えばいいじゃん」
「元気そうで何より」
「話聞けよ!」
レッドフードの抗議とほぼ同時に、目の前の扉が開いた。
出てきた薔花の顔を見た途端、紅蓮から表情が消えた。薔花の声音は普段と変わらず、「みんなのところへ戻ろう」としか言わなかったが、その片手が僅かに震えている。
紅蓮は何を聞いたのか問い詰めたものの、薔花は「戻ってから話すよ」とだけ答え、先に歩き始めた。
◇
宿舎へ戻ると、薔花は六人全員を集めた。十人で使うことを前提にした部屋には、今では四つの空いたベッドが残されており、使う者がいないそこだけが不自然なほど整っている。壊れた右腕へ応急処置を受けた者も、欠けた刀を使い続けている者も、薔花の前へ集まった。
「中尉から聞いてきたよ」
声はいつものように柔らかかったが、続く言葉を選ぶ時間が普段より長い。
「私たちの補給が減ってるのは、事故じゃないんだって。近接戦闘部隊は、もう長く運用するつもりがないみたい」
一人が「解散するの?」と尋ねると、薔花は首を横へ振った。
「それなら、まだよかったんだけどね。最後の一人になるまで戦わせるんだって」
部屋から声が消えた。
薔花はそこで初めて、上層部から知らされた計画を全て説明した。維持費の高い近接戦闘型へ十分な補給を与えず、危険な任務へ投入し続け、その過程で最後まで生き残った一体を選別する。その一人だけを、より高性能なフェアリーテールモデルへ移行させるつもりなのだという。
「誰が決めた」
紅蓮の声には、静かな怒りがこもっていた。
「上。中尉も最初から全部知ってたわけじゃないみたい。でも、途中で聞かされたあとも命令には従ってた」
「じゃあ、あの子たちが死んだのも……」
誰かが空いたベッドを見る。
「私たちが壊れてるのに、部品が来ないのも?」
薔花は頷いた。
もちろん、戦場で失った四人全員が補給不足だけを理由に死んだわけではない。十分な装備があったとしても救えなかった者はいただろう。それでも、本来なら助けられたかもしれない可能性まで、本人たちの知らないところで最初から奪われていた。
「中尉を殺そう」
最初にそう言ったのは薔花ではなかった。
「殺して、ここから出よう。こんなの命令じゃない」
別の一人も同意したが、残る二人は迷った。ニケが人間を攻撃することへの抵抗もあれば、軍を離れた後にどこへ行けばいいのかという問題もある。補給もなく、追われながら地上を彷徨えば、今以上に生き残る可能性が下がるかもしれない。
意見が割れ、最後に全員の視線が紅蓮へ集まった。
誰よりも怒っており、今すぐ中尉を斬りに行きそうだった彼女は、意外にも百日紅の柄から手を離した。
「私は反対だ」
「紅蓮が?」
「勘違いするな。人間だから殺してはならぬなどと言うつもりはないし、我らを死なせるための命令に従う価値があるとも思わぬ」
「なら、どうして?」
「中尉を殺して何が変わる」
誰も答えられなかった。
「この計画を決めたのはあやつ一人ではないのであろう。斬れば補給が来るのか? 上の者どもが計画を取りやめるのか? 我らが安全になるのか?」
ならない。全員がそれを理解している。
「それに、この基地の向こうにも守らねばならぬ者はおる。私は人間のために死にたいわけではないが、敵へ背を向けて逃げ続けるのも気に入らぬ。それに、誰か一人を強くするために残りが死ねという考えが、何より気に入らん」
そこで紅蓮は姉へ向き直った。
「姉さんもだ。勝手に死ぬな」
「私? まだ何も言ってないよ」
「姉さんは自分一人で何とかしようとする時ほど、その顔をする」
「どんな顔?」
「腹の立つ顔だ」
「ひどいなあ」
薔花は困ったように笑ったが、紅蓮は笑わなかった。
「六人で生き残る方法を考えればよい。誰かを殺すか、全員で死ぬか、その二つしかないなどと誰が決めた」
殺害を主張していた者たちも、次第に肩から力を抜いていった。結局、その場では中尉への攻撃を行わず、ゴッデスが確認した補給記録も含めて証拠を集め、別の経路から計画そのものを問題にすることで意見がまとまった。
「明日、もう一度みんなで話そう。今日はちゃんと休んでね」
薔花はそう言ったあと、特に損傷の大きい二人へ勝手に出歩かないよう念を押した。
すると仲間の一人が、すぐに言い返した。
「薔花もね。一人で何とかしないでよ」
紅蓮まで無言で頷いたので、薔花は少し困ったように笑った。
「分かったよ」
その夜、彼女はその約束を破った。
◇
ネイトが嫌な予感を覚えたのは、眠る前だった。
近接戦闘部隊の件はすでにゴッデスの指揮官へ報告され、翌朝にはリリスたちも正式な話し合いへ加わる予定になっている。ネイト自身も明日のために補給記録を整理していたが、端末を閉じようとしたところで、中尉の部屋から出てきた薔花の手が震えていたことを思い出した。
怒りか、恐怖か、それとも別の感情だったのかは分からない。ただ、薔花は仲間たちへ計画の全貌を伝えながら、自分自身がどうしたいのかだけは最後まで語っていなかった。
軍隊生活の中で、部下を守ろうとする指揮官が時にどれだけ危うい決断をするか、ネイトは嫌というほど知っている。自分自身にも身に覚えがある以上、「考えすぎだ」と片付ける気にはなれなかった。
宿舎へ向かうと、入口近くに紅蓮が立っていた。
「起きてたのか」
「眠れぬ」
「薔花は?」
「姉さんなら中に――」
紅蓮が途中で言葉を止めた。何かに気づいたように宿舎へ入り、ネイトもその後を追う。
薔花のベッドは空だった。
花無十日紅もない。
「姉さん……!」
「中尉のところだ」
「何?」
「多分、一人で行った」
紅蓮はすぐ走り出した。ネイトも追いながら通信機を取り出し、勝利の翼号側へ連絡を送る。
『リリス。薔花がいない。中尉のところへ行った可能性が高い』
『分かった。私たちも行く』
返事は早かった。
「姉さんは中尉を殺すつもりなのか!」
夜の基地を走りながら紅蓮が声を上げる。
「分からない!」
「昼間は反対したのだぞ!」
「だから一人でやろうとしたんじゃないか!」
その意味を理解した紅蓮の表情が歪んだ。
仲間たちが人間を殺せば、部隊全体が反乱とみなされるかもしれない。それなら隊長である自分だけが罪を背負えばいい――薔花なら、そう考えてしまっても不思議ではない。
中尉の区画へ到着すると、入口の警備兵が二人とも床へ倒れていた。命までは奪われていないことを確認した直後、紅蓮が扉を蹴り開ける。
「姉さん!」
中尉は壁際へ追い詰められていた。
その前に立つ薔花は花無十日紅を握り、両目を布で覆っている。
「薔花!」
ネイトが叫んでも反応しない。相手を人間として認識しなければ、NIMPHによる制約をすり抜けられると考えたのだろう。理屈として成立するかどうかなど、本人にも確証はなかったはずだ。それでも薔花は、中尉をラプチャーだと思い込むため自ら視界を封じ、刀を振り上げた。
刃が下りる。
しかし中尉へ届く直前、薔花の手に凄まじい抵抗が返った。
目隠しを外した彼女の前には、リリスが立っていた。
白い手が、花無十日紅の刀身を素手で掴んでいる。刃はその皮膚へ食い込んですらいなかった。
「……え?」
「間に合った」
リリスは、普段のようには笑っていなかった。
その後ろからゴッデスの指揮官、ドロシー、ラプンツェル、スノーホワイト、レッドフードが次々と部屋へ入ってくる。薔花は力が抜けたように花無十日紅から手を離した。
「どうして……」
「止めに来たんだよ。一人でやるつもりだった?」
薔花が俯いた。
「私がやれば、みんなは関係ないから」
「姉さん!」
紅蓮の怒声が響いた。
薔花が振り返ると、妹はネイトがこれまで見た中でも一番激しく怒っていた。その奥にあるものが、単なる怒りではないこともすぐ分かる。
「何をしておる! 昼間、何と言った! 六人で考えると言ったであろう!」
「レン。でも――」
「私たちに人間を殺させたくなかったのか? 自分ならよいのか!」
「私は隊長だから――」
「だから何だ!」
紅蓮の声に、今度は薔花が怯んだ。
「隊長なら一人で死んでもよいのか! 我らを残して、自分だけ罪を背負えばそれで終わると思ったのか!」
あと数秒遅ければ、姉は本当に人間へ刀を振り下ろしていた。その後に何が起きたのかは誰にも分からないが、良い結末になるはずがない。
紅蓮は荒くなった息を整えながら、少しだけ声を落とした。
「私は姉さんを倒して強くなりたいとは思っておる」
ネイトが思わず眉を上げたが、紅蓮はすぐ続けた。
「手合わせでだ。真正面から勝って、私の方が強いと認めさせたい。こんな形でいなくなれなどと、誰が言った」
薔花の目元に涙が浮かんだ。
「……ごめん、レン」
「謝る相手が多すぎる」
「そうだね」
薔花はようやく笑った。ただし、いつもの穏やかな笑顔ではない。泣きそうな顔のまま、それでも妹を安心させるように、どうにか笑っていた。
◇
その場で中尉を殴る者はいなかった。少なくともリリスが先に話を始め、ゴッデスの指揮官が執務端末を確保したことで、感情のまま動くより先に事実を洗い出す流れができたからだった。
ドロシーとスノーホワイトが記録を調べると、証拠はすぐに見つかった。近接戦闘部隊の稼働可能数を段階的に減らすための補給制限、損耗率を観測するよう設定された作戦任務、そして最終生存個体を評価するという文書。薔花が聞いた話は、中尉一人の証言ではなく、軍の記録として残されていた。
「フェアリーテールモデル候補選別……」
スノーホワイトが表示された文字を小さく読み上げると、リリスは中尉へ視線を向けた。
「私を参考にしたんだよね?」
しばらく沈黙したあと、中尉は「そう聞いている」と答えた。
「近接戦闘ができるニケを作ろうとしたのは、私を見たから」
「……そうだ」
「だったら、ちゃんと見てよ」
リリスは自分の胸へ手を当て、周囲へ視線を向けた。
そこにはドロシーがいる。ラプンツェルがいて、スノーホワイトがいて、レッドフードもいる。彼女たちを率いる指揮官がおり、今ではネイトも行動を共にしている。
「私、一人で戦ってないよ」
中尉は答えない。
「私を参考にしたんでしょう? だったら、仲間を一人ずつ死なせて最後に残った子だけ強くするなんて、私のどこを見て真似したの?」
紅蓮の目が僅かに動いた。
強さという言葉を、彼女ほど重く受け止める者はこの場にいない。
「六人で戦えるなら、六人でいいじゃん。十人で戦えたなら、十人でよかった。誰か一人を強くするために、残りを壊す必要なんてないよ」
「兵士を試験材料にするなら、せめて本人たちに説明して同意を取れ」
今度はネイトが中尉を見る。
「そんなことをすれば――」
「拒否される?」
中尉は黙った。
「だったら最初からやるなよ。兵士が命令を聞くのは、上が何をしてもいいからじゃない。少なくとも俺がいた軍じゃ、故意に補給を止めて味方同士で生存競争させることを指揮とは呼ばなかった」
中尉が反論するより先に、ゴッデスの指揮官が端末を取り上げた。
「この記録は俺が預かる」
「待て。それは上層部の――」
「だからだ。俺の部隊もフェアリーテールモデルを運用している。この計画を見なかったことにはできん」
上層部のどこまでが関わっているのか、この場ではまだ分からない。処分や調査がどう進むのかも、今夜のうちに決められる話ではなかった。
それでも一つだけ変わった。
近接戦闘部隊の六人だけが真相を知り、誰にも届かない声を上げながら一人ずつ消耗していく状況は、ここで終わった。
◇
翌日の午後には、近接戦闘部隊の整備区画へ久しぶりに必要な部品が並んでいた。正式な補給処理が終わるのを待っていては時間がかかるため、まずゴッデス側の予備と中央倉庫の在庫から最低限の部品が回され、スノーホワイトも整備へ加わった。ネイトはこの世界の規格に悪戦苦闘しながら、その補助をしている。
右腕を傷めていたニケは交換作業が終わると、嬉しそうに何度も指を開閉した。
「変な音、しない」
「新品に換えたからな。でもまだ調整終わってないから、動かしすぎるなよ」
「分かってるけど……ちゃんと動く」
近くでは欠けていた刀の補修も進んでいる。新品ではないとしても、次の一撃で折れるかもしれない武器を持たされるより遥かにいい。
薔花は少し離れた場所からその様子を見ていた。ネイトが声を掛けると、本人は「何でもないよ」と答えたものの、頬には細い涙の跡が残っている。
「泣いてる?」
「え?」
薔花は言われて初めて、自分の頬へ触れた。
「……変だな。嬉しいだけなんだけど。腕が動いて、刀が直るだけなのに」
「だけ?」
ネイトに言われ、薔花はしばらく考えたあと、今度こそ自然に笑った。
「そうだね。『だけ』じゃないね」
ネイトはそれ以上何も言わず、作業台から応急修理用の固定具を取って渡した。次の補給が確実になるまで、少しでも仲間たちを守るための予備である。
「ありがとう」
「礼はいいよ」
「ネイトって、そういうところ変だね」
「最近そればっかり言われる」
「褒めてるよ」
「レッドフードも同じこと言うんだよな」
薔花が笑った時、その少し先では紅蓮がじっとリリスを見つめていた。
レッドフードも当然気づく。
「センセイ。あれと戦いたいの?」
「当然であろう」
「やめといた方がいいと思うけどなあ」
「なぜだ」
「いや、ウルトラぶん殴ったの見ただろ?」
「見ておらぬ」
「じゃあ余計やめとけ」
忠告など聞くはずもなく、紅蓮は百日紅へ手を掛けた。
「リリーバイス」
呼ばれたリリスが振り返る。
「ん?」
「貴様は強いらしいな。手合わせを所望する」
「今?」
「今だ」
「本気で?」
「当然だ」
紅蓮は百日紅を抜いた。
「私が勝ったら――いや、貴様が私に勝てたら、ゴッデスとやらへ行くことも考えてやろう」
リリスの目が明らかに輝いた。
「本当?」
「ただし――」
最後まで言えなかった。
百日紅を構えた紅蓮の視界から、リリスの姿が消えたからだ。
直後、地面が大きく揺れた。
その場にいた者たちが何が起きたのか理解するまで少し時間がかかった。ネイトが視線を下へ向けると、紅蓮が百日紅を構えた姿勢のまま腰まで地面へ埋まっている。
本人も理解できていなかった。
リリスはその前に立ち、申し訳なさそうに首を傾げる。
「今、『ただし』って言おうとしてた?」
「……貴様」
「大丈夫?」
「今のは何だ!」
「殴った」
「見れば分かる! そういう意味ではない!」
レッドフードがとうとう耐えられなくなった。
「ハハハハッ! センセイ、地面と一体化してんじゃん!」
「笑うな!」
「いや無理だって!」
スノーホワイトまで口元を押さえている。薔花も妹を心配するべきか迷った末、つい小さく吹き出した。
「姉さんまで!」
「ごめん、レン。でも……久しぶりにレンが負けてるところ見たから」
「姉さんにはいつも負けておる!」
「そうだったね」
「慰めになっておらぬ!」
昨日の夜には存在しなかった笑い声が、整備区画へ広がった。
◇
夕方になり、補給品の整理まで一段落した頃、ネイトは基地の外で薔花と並んでいた。修理を終えた仲間たちは久しぶりに六人揃って身体を動かし、地面から救出された紅蓮も何事もなかったような顔で訓練へ加わっている。
「レン、行くと思う?」
「ゴッデスに?」
「うん」
ネイトは遠くで百日紅を振っている紅蓮を見た。
「行くんじゃない?」
「どうして?」
「リリスに負けたから」
薔花が思わず笑う。
「それだけ?」
「強い奴がいるところへ行きたいって顔してる」
「それは昔からだよ」
「なら決まりだろ」
薔花はしばらく妹を眺めたあと、小さく「寂しいな」と漏らした。止めるつもりなのか尋ねると、すぐに首を横へ振る。
「レンが自分で決めるなら止めないよ。私も、ちゃんと自分で決めないとね」
「何を?」
「これから。この部隊をどうするか」
誰か一人が生き残るまで消耗させるという計画は、少なくとも以前の形のまま続けられなくなった。しかし計画を止めたからといって、六人の明日が自動的に決まるわけではない。
「近接戦闘そのものは、悪くないと思うんだ。危険だけど、私たちにしかできないこともあるから」
「例えば?」
「敵が味方へ近づいた時とか。銃が使いづらいくらい近ければ、私たちの方が早い」
ネイトはその言葉を聞き、地面へ簡単な線を引いた。
「今までは敵へ突っ込んで、近距離から斬ることが主な仕事だったんだろ?」
「うん」
「だったら逆にすればいい」
「逆?」
「味方のところまで来た敵を斬るんだ」
薔花は地面の線を見る。
「補給車列、負傷者を運ぶ部隊、後ろから撃ってる火力部隊。そういう連中のすぐ近くまで敵が来た時、下手に撃てば味方を巻き込むだろ。なら、そこへ近接戦闘が得意な奴を置く」
「前へ突っ込むんじゃなくて、敵と味方の間に入る……」
「そういうこと。近づかなきゃ戦えないなら、敵が近づいてくる場所で待てばいい」
戦場で必要なのは、前へ進む者だけではない。弾薬を運ぶ者がいて、負傷者を後送する者がいて、撤退する部隊の背中を守る者もいる。戦線が崩れた時、守るべき者と敵の間へ入り込める兵士がいれば、それまでの近接戦闘とはまったく違う役割を持てる。
「守るための近接戦闘……」
薔花は仲間たちを見る。
「できるかもしれない」
「今すぐ決めなくてもいい」
「ううん。考えたい」
昨日までは、六人のうち誰か一人だけが生き残る未来を、本人たちの知らないところで別の誰かが決めていた。しかし今は、強さを求め続ける妹も、壊れた腕がようやく直った仲間も、補修された刀を握って笑う仲間も、全員がここにいる。
これからどこへ行くのかを、自分たちで選べる。
薔花は少し考えてから、ぽつりと言った。
「ブレイドガード」
「何?」
「もし、そういう部隊にするなら。そんな名前、どうかな?」
少し照れたような笑顔だった。
ネイトも一度、その言葉を口の中で繰り返した。
剣を持って誰かの前へ出る。斬るためだけではなく、守るために。
「いいんじゃないか」
「本当?」
「ああ」
少し離れた場所では、リリスに何をされたのか未だ納得していない紅蓮が、レッドフードを捕まえて文句を言っている。残る四人も笑っており、薔花を含めた六人全員が同じ場所にいた。
昨日まで、それは当然の未来ではなかった。
「じゃあ、明日みんなに話してみる」
近接戦闘部隊という名称はまだ変わっていない。人類連合軍から正式な承認を受けたわけでもなく、上層部との問題も解決したとは言い難かった。
それでも、誰か一人を残すために仲間を失う部隊から、仲間を守りながら全員で帰るための部隊へ変わりたいという意思は、すでに薔花の中に生まれている。
その日の夕方、「ブレイドガード」という名前を知っていたのはまだ薔花とネイトの二人だけだった。
翌日から六人が何を守り、どう戦っていくのかを考えるには、それで十分な始まりだった。