Fallout:GODDESS ―灰の世界から女神たちへ― 作:記録官
紅蓮がゴッデスへ加わって数日が経ったものの、それで部隊の会議が静かになったわけではなかった。
個々の戦闘能力だけを見れば、ゴッデスは疑いようもなく強い。リリーバイスを筆頭に、ドロシー、ラプンツェル、スノーホワイト、レッドフードの誰もがそれぞれの分野で突出した能力を持ち、そこへ近接戦闘を得意とする紅蓮まで加わったのだから、単純に戦力を足し合わせれば以前より弱くなっているはずがない。問題があるとすれば、その強さを同じ方向へ向けるまでに、少々時間が掛かることだった。
「ですから、北側の高所を先に確保すべきです。敵が避難経路へ接近する前に数を減らしておけば、それだけ住民への危険も小さくなります」
勝利の翼号の作戦室で、ドロシーが卓上へ投影された地形図を指しながら説明している。次の任務は、ラプチャーの接近によって放棄が決まった集落から、最後まで残っている住民を安全圏へ逃がすことだった。
説明そのものに問題はない。
ただし、卓の反対側にいる紅蓮は納得していないようだった。
「北ばかり見ていては東から入られるであろう。こちらの道は狭い。私が入り口を塞いでしまえば、後ろへ通すこともあるまい」
「それは構いませんが、あなた一人で奥まで入り込まれては支援が届きません。加入して数日なのですから、少しくらい周囲に合わせていただけませんか?」
「支援が必要なほど深く入るつもりはない」
「昨日も似たようなことをおっしゃっていませんでした?」
紅蓮の眉が僅かに動いた。
「昨日とは状況が違う」
「毎回そう言われては困るのですが」
両者の声が少しずつ低くなり、作戦室に嫌な緊張が生まれ始める。
そこへ、待っていましたと言わんばかりにレッドフードが身を乗り出した。
「いいぞセンセイ。そこは引くな」
「煽らないでください!」
「お嬢サマも負けんなって。どっちが折れるか見たい」
「誰がお嬢サマですか。そもそも、あなたはどちらの味方なのです?」
「面白い方」
「では黙っていてください」
作戦会議というより、口喧嘩に観客が一人増えただけだった。
スノーホワイトは作戦卓の端で地形情報を確認しながら、騒ぎが大きくなるにつれて少しずつ立ち位置を遠ざけている。ラプンツェルも何度か仲裁へ入ろうとしたものの、どちらへ声を掛けても話が長くなりそうだと判断したらしく、最後には指揮官へ助けを求めるような視線を向けていた。
当の指揮官は額へ手を当てている。
その隣にいたネイトが、声を潜めた。
「いつもこんな感じなの?」
「今日はまだ静かな方だ」
「これで?」
「物が飛んでいない」
「その基準を普通だと思わない方がいいぞ」
聞こえていたらしく、リリーバイスが楽しそうに笑った。
「でも、言いたいことを言えるのはいいことでしょ?」
「言ったあとに話がまとまればね」
「それは……まあ、そうかも」
少し困ったように笑う辺り、隊長である本人にも自覚はあるらしい。
リリーバイスは、自分が最も強いからという理由で仲間へ考えを押しつけるような人物ではない。何を思っているのか一人ずつ聞き、そのうえで皆が納得できる答えを探そうとする。ネイトもその姿勢自体は嫌いではなかったが、戦場へ出てから六人がそれぞれ別の正解を追い始めれば、どれほど優秀な兵士を集めても部隊としては機能しない。
ネイトは作戦卓へ歩み寄った。
「一回、何のために行くのかから決め直さない?」
ドロシーと紅蓮が揃ってこちらを見る。
「何のため、とおっしゃいますと?」
「避難民を逃がすんだろ?」
「当然です」
「だったら今日の目的は、ラプチャーを一番多く倒すことじゃない。住民を安全圏まで運ぶことだ」
当たり前と言えば、あまりにも当たり前の話だった。
しかし、その当たり前を全員で共有しておかなければ、強い者ほど自分が最も多くの敵を倒せる場所へ向かおうとする。連邦で何度も護衛や避難誘導を経験したネイトにとって、敵を全滅させることと目的を達成することが必ずしも同じではないのは、身に染みて分かっていることだった。
彼は地図の東側にある狭い道路を指した。
「紅蓮。ここを任せてもいい?」
「先ほどから私がそう言っておる」
「ただし、奥まで追わない」
「逃げる敵を見逃せと?」
「避難路へ来ないならな」
ネイトは地図上の狭路から指を動かし、後方の避難経路までなぞった。
「薔花たちとやったのと同じだよ。向こうから来た奴だけ斬る。退いた奴を追って持ち場を離れない。紅蓮が一体を追いかけてる間に、別の奴がここを抜けたら意味がないからな」
紅蓮の手が、腰の花無十日紅へ自然と触れた。
数日前まで姉が使っていた刀であり、今は「必ず返しに来る」という約束と共に借りているものだ。ブレイドガードが選んだ新しい戦い方を思い出したのか、紅蓮はしばらく地図を眺めてから頷いた。
「よかろう。姉さんたちの戦い方が、ここでも通じるか試してみよう」
「ドロシーは言ってた通り北側の高所。そこから避難路へ近づく敵を減らしてくれ。スノーとレッドフードは、東と北の間を埋める。どっちかへ敵が偏ったら、そっちを助ける」
「分かりました」
スノーホワイトは素直に頷いたが、レッドフードは少しだけ首を傾げた。
「あたしは自由枠?」
「そう言うと好き勝手するだろ。遊撃だ」
「何が違うんだよ」
「命令を聞くかどうか」
「あたしを何だと思ってんの?」
何人かが無言でレッドフードを見た。
「……何だよ、その目」
ネイトはそれ以上触れず、ラプンツェルとリリーバイスの配置も決めていく。
「ラプンツェルは避難民に近い位置で負傷者を見る。リリスは敵の数が多いところへ入って、穴が空いたら塞いでくれ」
「了解」
「ネイトは?」
リリーバイスが尋ねた。
「俺は住民側にいるよ」
「前に出なくていいの?」
「今日の仕事は人を逃がすことだろ。途中で車が壊れたり、道が塞がれたりするかもしれない。そういう時に直せる奴が住民側にいた方がいい。戦わなきゃならなくなったら、その時は戦うさ」
リリーバイスは少し考えたあと、満足そうに頷いた。
指揮官も全員の配置を確認すると、作戦案を承認した。
「よし。それで行く。それからレッドフード」
「何?」
「今日は誰も煽るな」
「それ、作戦命令?」
「作戦命令だ」
レッドフードは、この日の会議で最も不満そうな顔をした。
◇
避難対象となっている集落は、かつて近隣の工業地区で働く人々が暮らしていた住宅街だった。
ラプチャーの侵攻が始まってから住民の大半はすでに別の地域へ退避していたが、輸送手段の不足によって最後まで残された者たちがいる。人類軍は周囲に臨時の防衛線を築いていたものの、それも長くは維持できないと判断され、ゴッデスには最後の住民を車列へ乗せて安全圏まで送り届ける任務が与えられた。
ネイトが住宅街へ入った頃には、道路脇に多くの人々が集まっていた。
誰もが自分で持てるだけの荷物を抱えている。長く暮らしてきた家を何度も振り返る老人もいれば、事情を十分には理解していないのか、不安そうな母親の手を握りながら周囲を眺めている子供もいた。逃げるための準備が整っているというより、持っていけないものを諦める作業を終えたばかり、と言った方が近い。
初老の男が、大きな鞄を二つ抱えて車両へ向かおうとしている。
ネイトはその一つへ手を伸ばした。
「片方持つよ」
「いや、兵隊さんにそんなことをさせるわけには」
「この中じゃ俺が一番軽装だからね。こういう時くらい使ってくれ」
男は戸惑っていたが、最後には鞄を一つ渡した。
今のネイトが身につけているのは10mmピストルと最低限の装備だけである。必要になればPip-Boyからガウスライフルでも別の装備でも取り出せるため、避難民の間を歩く段階から重火器を背負って威圧する理由はなかった。
鞄を車両へ運び、次の住民を手伝うため戻ってくる。
その途中、小さな女の子がレッドフードを見上げていた。
「お姉ちゃん」
呼ばれた本人は、自分のことではないと思ったらしい。一度左右を見回してから、怪訝そうに自分を指差す。
「……あたし?」
女の子が頷いた。
「その大きいの、重くない?」
視線の先にあるのはウルフスベインだった。
レッドフードはどう答えるか少し考えたあと、いつものように巨大な銃を肩へ担ぎ直した。
「まあ、慣れてるからな」
「強い?」
「そりゃもう。あたしは――」
「レッドフードは強いですけど、時々無茶をするので真似しない方がいいですよ」
横からスノーホワイトが口を挟んだ。
「おちびちゃん! 子供の前で変なこと吹き込むな!」
「事実でしょう。ウルトラの時だって――」
「その話は今すんな!」
女の子が楽しそうに笑う。
ほんの少し前まで、家を捨てて逃げなければならない人々の中に漂っていた重苦しい空気が、その周囲だけ僅かに和らいだ。
だが、その時間は長く続かなかった。
通信へ敵接近の報告が入った瞬間、レッドフードの顔つきが変わる。先ほどまでスノーホワイトと言い争っていた人物と同じとは思えないほど素早くウルフスベインを構え、女の子へ母親のところへ戻るよう手で示した。
「車ん中入ってろ。すぐ終わらせてくる」
スノーホワイトもすでに武器を構えている。
二人がそれぞれの配置へ向かうのを見送り、ネイトも住民の誘導へ戻った。遠くから最初の銃声が響き始めたが、避難車両へ乗れていない者はまだ多い。
戦闘が始まったからといって、避難は待ってくれなかった。
◇
東側の狭路へ到着した紅蓮は、道路の中央で花無十日紅を抜いた。
左右を崩れかけた建物に挟まれた道は、大型車両が二台並べばほとんど塞がるほど狭い。奥へ進めば道幅は広がるものの、市街地側から避難路へ抜けようとするラプチャーは、必ずここを通らなければならなかった。
ほどなくして最初の一体が姿を現す。
敵が砲身をこちらへ向けるよりも早く、紅蓮は地を蹴った。間合いへ入ると同時に花無十日紅を胴体の継ぎ目へ走らせ、内部機構まで一息に切り裂く。火花を撒き散らしながら崩れた機体の向こうからは、二体目と三体目がすでに姿を見せており、そのさらに奥にも複数の反応があった。
今までなら、そのまま全てを斬るため踏み込んでいただろう。
実際、身体は自然と前へ出ようとした。
しかし踏み出しかけた一歩が止まる。
腰にある鞘が動き、身体へ軽く触れた。
薔花から借りた花無十日紅だった。
今の役目は、視界の奥にいる敵を全滅させることではない。
ここを通さないことだ。
紅蓮は道路の中央へ戻った。
二体目が近づいてくるのを、今度は待つ。
敵が十分に間合いへ入った瞬間だけ動き、展開された砲身を斬り落としてから駆動部へ刃を入れる。続く三体目は一度前へ出たものの、二体が破壊されたのを見て後退へ転じた。
紅蓮は追わなかった。
「……なるほど」
誰に聞かせるでもなく呟き、花無十日紅を構え直す。
来るなら斬る。
こちらへ来ないのであれば、それで構わない。
自分がここへ立っている限り、後ろにいる人間たちへ敵は通らない。
以前の紅蓮なら、薔花たちの選んだ戦い方を消極的だと思ったかもしれない。しかし実際にやってみると、単純にその場で待っていればいいわけではなかった。どこまでなら踏み込んでも戻れるのか、何体を同時に相手取れるのか、背後を守ったまま最小限の動きで敵の進路を断つにはどこへ立てばいいのか――求められる強さの形が、それまでとは違う。
そして、違うからこそ面白い。
通信へドロシーの声が入った。
『紅蓮。北側から二体がそちらへ迂回する可能性があります』
「承知した。こちらはまだ一体も抜かれておらぬ」
『でしたら、そのままお願いします』
以前なら、その口調に一言返していたかもしれない。
今回は何も言わなかった。
紅蓮はドロシーが知らせた方向へ意識を向け、次に現れる敵を待つ。
数秒後、崩れた建物の陰からラプチャーが二体飛び出してきた。
花無十日紅が低く構えられる。
「悪くないな」
その声には、本人も気づかない程度の楽しさが混じっていた。
◇
北側の高所では、ドロシーが接近するラプチャーを遠距離から削っていた。
中央を担当するレッドフードとスノーホワイトは、東と北の双方から防衛線を抜けてくる敵へ対応している。全員の位置と戦況は指揮官を通じて常時共有され、自分の正面だけを見ていればいい状況ではなかった。
『スノーホワイト。中央から一体そちらへ抜けます』
「確認しました。レッドフード、右です!」
「見えてる!」
レッドフードは移動しながらウルフスベインを構えた。
ドロシーが先に脚部を撃ち抜いていたことで、ラプチャーは十分な回避行動を取れない。一撃が横腹へ直撃し、そのまま建物の壁まで吹き飛ばした。
「お嬢サマ、ナイス!」
『その呼び方をやめてくだされば、もう少し気持ちよく返事ができるのですが』
「次も頼む!」
『話を聞いていますか?』
口喧嘩はいつも通りだった。
それでも、戦い方までは以前と同じではない。
スノーホワイトは自分の射線だけを見るのではなく、各所から上がる報告を聞いて不足している方向へ火力を回している。ドロシーも高所から敵を撃破することだけに固執せず、他の者が仕留めやすいよう脚部や武装を優先して破壊する場面が増えていた。
リリーバイスは最も敵の多い場所を移動しながら、その変化を誰よりよく見ていた。
もちろん、以前から仲間を見捨てていたわけではない。
ゴッデスは最初から互いを助けてきた。
ただ、各々の力があまりにも大きかったせいで、自分が目の前の敵を倒すことが最も効率的な援護になる場面も多かった。その積み重ねが、「自分で何とかした方が早い」という癖にも繋がっていたのだろう。
大型のラプチャーが避難路へ向きを変える。
リリーバイスは即座にその進路へ割り込み、拳を握った。
「そっちは駄目だよ」
一撃。
巨大な機体が横方向へ吹き飛び、道路脇の瓦礫へ突っ込む。
以前なら、そのまま追いかけて完全に破壊するまで殴ったかもしれない。しかし今日は避難路から遠ざかったことを確認すると、それ以上追わず、別方向から接近している敵へ向きを変えた。
『リリス、中央は?』
指揮官の声が通信へ入る。
「問題なし。ちゃんとみんな見てるよ」
『敵を見ろ』
「敵も見てるって」
『お前が言うと不安なんだ!』
「ひどいなあ」
笑いながら、リリーバイスは次の敵へ走った。
性格まで変わった者は一人もいない。
ゴッデスは今日も騒がしい。
それでも、それぞれの背中側にあるものだけは同じだった。
避難している人々。
そこへ敵を通さないために、自分の力を使う。
今は、それだけで十分だった。
◇
最後の避難車両が動き始めた頃、ラプチャー側の攻撃は最も激しくなった。
逃げていく人間を認識した敵の一部が、ゴッデスとの交戦を切り上げて車列へ進路を変更する。ネイトは最後尾を走る車両の横につき、建物の陰や路地から接近してくる反応へ注意を向けた。
前方の横道から、小型のラプチャーが一体飛び出す。
車両に搭載された火器も向きを変えたが、周囲には避難民を乗せた車が複数走っている。ここで下手に砲撃すれば、敵を倒すより先に守るべき相手へ被害を出しかねなかった。
ネイトは10mmピストルを抜いた。
ラプチャーの正面装甲へ撃ったところで有効打になりにくいことは、最初の戦闘で学んでいる。
だが、今回は倒す必要もない。
車列へ追いつけなくすれば十分だった。
V.A.T.S.を起動し、脚部の動きに合わせて一瞬だけ露出する関節部へ照準を合わせる。
二発撃った。
最初の弾丸は外装に弾かれたが、続く一発が関節の隙間へ入り込み、片脚の動きを崩した。前進速度を失ったラプチャーが体勢を立て直そうとした瞬間、遠方からウルフスベインの一撃が飛来し、横腹から機体を貫いた。
『男前、今の地味だな!』
「車止めなきゃいいんだよ!」
『倒したのあたしじゃん!』
「じゃあ半分くれ!」
『何をだよ!』
「戦果!」
『いらねえだろ、そんなもん!』
通信越しに言い争いながらも、足を止める者はいない。
ほどなくして東側から紅蓮も合流した。
「狭路は問題ない。こちらへ向かった敵は全て片付けた。残る者は追ってきておらぬ」
ネイトは、彼女がきちんと自分の持ち場を離れて戻ってきたことに気づいた。
「ちゃんと深追いしなかったんだな」
「私を何だと思っておる」
「薔花が見たら喜びそうだなって」
「姉さんなら、この程度は当然だと言うであろう」
不満そうな口調ではあったが、その表情は悪くなかった。
最後まで残っていたラプチャーも、車列から必要以上に離れない範囲でゴッデスが迎撃していく。逃げていく敵をわざわざ追う者はいない。
敵を倒すことより、車列を前へ進める。
それだけを繰り返すうち、周囲に表示されていたラプチャー反応は一つずつ遠ざかっていった。
やがて避難車列が人類軍の防衛区域へ入る。
そこでようやく、指揮官から作戦終了が告げられた。
◇
車両から住民が降り始めると、ゴッデスの面々は予想していた以上の人々に囲まれた。
最初に走ってきたのは、出発前にレッドフードへ話しかけていた少女だった。
「お姉ちゃん!」
「お、おう」
ラプチャーを前にすれば迷いなくウルフスベインを構えるレッドフードが、子供一人を前に露骨に困った顔をしている。
少女はその前まで来ると、満面の笑顔を見せた。
「ありがとう!」
「……何が?」
「守ってくれたから!」
あまりにも真っ直ぐな返事だったため、レッドフードは言葉を失った。
近くにいたスノーホワイトが、小声で促す。
「返事をしてください」
「何て?」
「ありがとうございますと言われたんですよ」
「分かってるって!」
レッドフードは頭を掻き、視線を逸らしながら、普段の彼女からは想像しにくいほどぎこちなく答えた。
「……どういたしまして」
それでも少女には十分だったらしい。嬉しそうに笑うと、待っていた母親のもとへ走っていった。
そのやり取りをきっかけにしたように、他の住民たちからも次々と声が掛かり始める。
「ありがとうございました」
「本当に助かりました」
「もう駄目だと思っていました。子供まで連れてこられたのは、あなたたちのおかげです」
中には涙を流しながら頭を下げる者までいた。
ドロシーは最初こそ戸惑っていたものの、一人ずつ丁寧に言葉を返していく。ラプンツェルは怪我をしている者がいないか確かめながら話を聞き、スノーホワイトは感謝されるたびにどこか照れくさそうな顔をしていた。
紅蓮にも、一人の老人が近づいてきた。
「あなたが東側を守ってくれたんでしょう?」
「ああ。任務ゆえにな」
「それでも、ありがとう。あなたがあそこにいてくれたから、孫までここへ来られた」
紅蓮は返す言葉を失った。
敵を斬った回数なら、もう数え切れない。
強くなるために戦い、自分より強い相手を求め続けてもきた。
しかし、自分の剣を「誰かの家族が生きて帰れた理由」として語られた経験は、ほとんどなかった。
紅蓮は腰の花無十日紅へ手を添えた。
姉から預かった刀だ。
薔花たちが新しい部隊で選んだ戦い方を借り、今日はその刀で誰かの後ろを守った。
それを強さと呼ぶのかどうか、紅蓮にはまだ分からない。
だが、悪くないとは思った。
少し離れた場所では、リリーバイスも多くの住民に囲まれていた。
その中にいた一人の男が、涙を拭いながら彼女たちを見渡した。
「あなたたちは……人類の勝利の女神です」
誰も、すぐには答えなかった。
あまりにも大げさな言葉にも聞こえる。
実際、人類はまだ勝っていない。今日一つの集落から住民を救出できただけで、戦争全体を見れば人類軍は今も後退を続けている。ラプチャーに奪われていく土地の方が、守れた場所より遥かに多い。
それでも、その男にとっては違ったのだろう。
隣には家族がいる。
泣いている子供も、老人も、怪我を負った者もいる。
それでも全員、生きて安全な場所まで来た。
今日の彼らにとっての勝利とは、それで十分だった。
リリーバイスはしばらく人々を眺めてから、少し考えるように笑った。
「私、こっちの方が好きかも」
隣へ来たネイトが尋ねる。
「何が?」
「倒したラプチャーの数を数えるより、ちゃんと帰れた人を数える方」
ネイトも周囲を見回した。
「俺もそっちの方が好きだよ」
そこへレッドフードが入ってくる。
「でも、倒さねえと帰れないだろ?」
「それはそうだね」
「なら、あたしが敵を倒して、リリスが帰った奴を数えればいいじゃん」
「あなた一人に敵を任せると、途中から楽しくなって前へ出すぎるので却下です」
ドロシーが即座に答えた。
「お嬢サマ、今日のあたし結構ちゃんとしてただろ!」
「『今日は』と自分でおっしゃいましたね」
「細けえって!」
スノーホワイトが笑い、ラプンツェルもその隣で微笑む。
紅蓮は少し離れたところからその様子を眺めていたが、やがて自然と皆のもとへ歩いてきた。
誰かが号令を掛けたわけではない。
「勝利の女神」と呼ばれたから、突然仲良くなったわけでもない。
明日になれば、レッドフードはまたドロシーを怒らせるだろう。紅蓮は強い相手を見れば戦いたくなるだろうし、スノーホワイトも興味深い機械を見れば状況を忘れかけるかもしれない。
それで構わない。
性格まで同じになる必要はない。
何のために戦うのかという一点だけ、同じ方向へ向いていればいい。
多くの敵を倒すためではなく、守るべき者を帰すために戦う。
そのために、それぞれの強さを使う。
ネイトには、それで十分に一つの部隊へ見えた。
◇
レッドフードの検査について正式な報告が届いたのは、その二日後だった。
勝利の翼号の医療区画には、本人のほかラプンツェル、リリーバイス、ネイト、そして指揮官が集まっている。スノーホワイトも結果を気にしていたが、先日の戦闘で損傷した装備の整備を途中で投げ出すわけにもいかず、内容は後で共有することになっていた。
ラプンツェルは届いた資料を確認すると、レッドフードへ向き直った。
「まず、ウルトラから受けたものは、侵食である可能性が非常に高いそうです」
「まあ、そうだよな」
レッドフードは大きく驚かなかった。
すでに頭痛や耳障りなノイズを経験している以上、違うと言われる方が意外だったのだろう。
「ただし、現在多く確認されているものとは少し性質が異なっています。比較的古い形式の侵食である可能性が高いとのことです」
「古い方が軽いってこと?」
ネイトが尋ねると、ラプンツェルは首を横へ振った。
「単純には言えません。従来型では、NIMPHが侵入した異常な命令へ抵抗し、時間とともに排除できた例もあるそうです。しかし、レッドフードの場合は現在も完全には消えていません」
リリーバイスの表情が曇る。
「進んでるの?」
「はい。ただ、とても遅いんです」
ラプンツェルは資料を確認しながら慎重に言葉を選んだ。
「一般的な症例と比較すると、これだけ侵食反応が残った状態で長期間自我と身体制御を維持していること自体が珍しいそうです。レッドフード自身の耐性が、非常に高い可能性があります」
「あたしが頑丈だから?」
「そう考えることはできます。ただし、治ったという意味ではありません」
レッドフードの笑みが少しだけ薄くなった。
ネイトが続けて尋ねる。
「治療法は?」
「今のところ、ありません」
ラプンツェルの返事ははっきりしていた。
今すぐ自我を失うわけではない。
進行も通常より遥かに遅い。
しかし、侵食そのものは確かに残っており、それを取り除く方法もまだない。
良い話だけを拾って安心できる結果ではなかった。
ラプンツェルは別の資料を表示した。
「ただ、ウルトラとの戦闘でネイトさんのPip-Boyが記録した波形と、回収した触手の資料については、研究側でも非常に重要視されています。侵食が入り込んだ瞬間から、その後の変化まで連続して記録できた例はかなり少ないそうです」
「研究側?」
ネイトが聞き返した。
この世界へ来てから、侵食という現象については何度も説明を受けている。しかし、具体的に誰が研究しているのかまでは聞いたことがない。
「はい。以前から侵食の変化について情報を共有している研究者がいるんです」
「誰?」
「エイブという方です。フェアリーテールモデルの研究にも携わっていて、侵食についても継続して情報を集めています。今回のデータも、その方へ送られています」
ネイトにとっては初めて聞く名前だった。
「エイブ、ね」
忘れないよう一度口にしてから、左腕のPip-Boyへ目を向ける。
送付用に整理されたデータとは別に、端末には元の記録も残っている。ウルトラの触手がレッドフードへ刺さった瞬間に信号が跳ね上がり、抜けた後も低い水準で残り続けるまでの波形を、加工せず保存していた。
「こっちには圧縮する前の記録もある。送ったデータだけで足りないなら、直接見てもらった方がいいかもしれないな」
「必要であれば、そうしていただけると思います」
「なら、一度会っておきたい」
それ以上、エイブについて話を広げる必要はなかった。
今ここで一番重要なのは、目の前にいるレッドフードの状態だ。
ラプンツェルは本人へ視線を戻した。
「これまで通り、経過観察を続けます。頭痛が強くなった時、視界に異常が出た時、声の聞こえ方が変わった時、それから意識が途切れるようなことがあれば、どれほど短くても必ず報告してください」
レッドフードは僅かに目を逸らした。
「分かってるよ」
「本当に?」
「聖女様、この前も約束しただろ。もう隠さねえって」
ネイトも横から確認する。
「本当に?」
「男前まで言うな!」
いつもの声で返ってきた。
リリーバイスもそれを聞いて、ほんの少しだけ笑う。
不安がなくなったわけではない。
それでも、レッドフードは今も自分の意思で喋り、冗談を言い、仲間へ悪態を返している。
今できることは、それを失わないために分かることを一つずつ増やしていくことだった。
◇
数日後、作戦室へ持ち込まれた資料は、それまでの戦況報告とは少し違っていた。
指揮官が端末を操作すると、一人の少女が映し出される。
白を基調とした姿。
そして、その周囲へ配置された四基の大型兵装。
スノーホワイトが誰よりも早く反応した。
「シンデレラ……!」
ネイトは少女本人より先に、その周囲へ並ぶ巨大な装備へ視線を向けた。
「知ってるの?」
「第2世代フェアリーテールモデルです。あれがガラスの靴……!」
明らかに普段より声が弾んでいる。
レッドフードが横から顔を覗き込んだ。
「おちびちゃん、目が怖えぞ」
「怖くありません!」
「絶対、中開けて見たいって顔してる」
「してません!」
ネイトもスノーホワイトの顔を確認した。
「本当に?」
「ネイトさんまで疑わないでください!」
これまでの実績を考えると、完全な信用を取り戻すには少し時間が必要らしい。
指揮官が咳払いをして、話を本題へ戻した。
「近く予定されている大規模作戦に合わせ、第2世代フェアリーテールモデルの投入が決まった。シンデレラはその主力として運用され、作戦前にはゴッデスとも合流する予定になっている」
リリーバイスが嬉しそうに資料を見る。
「新しい仲間?」
「予定通りならな」
「どんな子?」
「それは本人へ聞け」
「楽しみだな」
隣では、スノーホワイトがまだガラスの靴を見ている。
ネイトは資料に記載された研究施設を確認し、医療区画で聞いたばかりの名前を思い出した。
「この子を作った研究所に、さっき聞いたエイブもいる?」
ラプンツェルが頷いた。
「はい。エイブが第2世代フェアリーテールモデルの開発を担当しています」
「だったら、俺も一度研究所へ行っていいか?」
指揮官が彼を見る。
「シンデレラを見にか?」
「それも興味はあるけど、一番はレッドフードの件だよ。送ったものとは別に生の波形も残ってるし、ウルトラから回収した資料について直接聞きたいこともある」
指揮官は少し考えたものの、拒む理由はなかった。
「分かった。向こうへ連絡しておく」
「助かる」
話がまとまったところで、スノーホワイトがすぐに手を上げた。
「私も行っていいですか?」
ネイトが彼女を見る。
「何しに?」
「見学です」
作戦室が静かになった。
スノーホワイトは一斉に向けられた疑い深い視線を受け、少しずつ不満そうな顔になっていく。
「……本当に見学です」
誰も返事をしない。
「ガラスの靴を勝手に分解したりしません!」
「『勝手に』って付けたぞ」
「そういう意味じゃありません!」
ネイトが指摘すると、レッドフードがとうとう堪えきれず笑い出し、リリーバイスもつられて声を上げた。
結局、ゴッデスが静かで行儀のいい部隊になる気配はどこにもなかった。
それでも、数日前までとは少し違う。
敵を倒すために一緒にいるのではなく、誰かを生きて帰すために、それぞれの強さを使う。
避難民から与えられた「勝利の女神」という呼び名は、まだ彼女たち自身には大きすぎるように感じられたかもしれない。
だが、少なくとも今日一日。
家族を連れて帰れた人々にとっては、確かにそうだった。
そしてネイトの次の目的地には、ゴッデスへの合流を待つ一人のフェアリーテールモデルと、レッドフードを蝕む侵食を調べている研究者がいる。
ウルトラとの戦いで偶然手に入れた記録が、次の誰かへ繋がろうとしていた。
それがレッドフードを救う答えになるのかは、まだ誰にも分からない。
分からないのなら、調べるしかない。
ネイトは端末に映るシンデレラの姿と、左腕のPip-Boyに残された波形を順番に見つめた。
次に会う相手へ持っていくものは、もう決まっていた。