孤高のリヴァイアサン~これは異能に弄ばれた私が、それでも前へ進むと決めた話~ 作:大和ユキ
『ねえ、めぐちゃん』
「っ!?」
真っ黒な空間でいきなり名前を呼ばれて、肩が跳ねると同時に振り返ると。
そこには明るい毛色をした小学生ぐらいの少女……幼い頃の、
その真っ直ぐな立ち姿を目にするだけで動悸が加速する。
『いつもは言わないけどさ……なんであの時知らない人にめぐちゃんのお父さんの車言っちゃったの?』
「あの……ごめんね……もう、誰とも関わらないから……ルイも信じないから……!」
手元どころか返事すらおぼつかないまま、彼女へと歩み寄っていく。
もう言い訳もしないから、私が悪いの、だから……!
『ふーん……けど……本当にそれで済むの?』
香蓮の姿が切れかけの電灯のように点滅する。
違う、待って、分かってるから見せないで——。
『私、こんなになっちゃったのに?』
次の瞬間目にしたのは、香蓮が立っていたところに横たわった、幼い香蓮の姿。
虚ろな目をし、右脚の関節があらぬ方へと曲がっている。
足が竦み——へたり込む。立てない。冷たい、身体の芯が、全部が丸ごと。
手の、足の震えが止まらない。
「ごめんなさい……! 償うから! ごめんなさ——」
ブレた焦点を再び合わせたところに立っていたのは、香蓮とは別の人影。
広い肩幅に、センターパートが似合うメガネ姿の男の人。
「お父さん……?」
私がお爺ちゃんと選んでプレゼントしたワイシャツを身に着けていた父。
冷ややかな目線でこちらを見下ろしている。
「お父さん……香蓮が、香蓮がね……!」
自分の言葉が自分じゃないみたいで。
捻り出した言葉が……上手く出なくて、そして幼い。
これがあいつの作り出した幻影だって分かってるのに、その姿を目にするだけで縋らざるを得なくなる。
『ハハハ、また喧嘩したのか? けど良いじゃないか、ごめんって言えるだけ』
「え……?」
少し困り顔のようなものを浮かべながらこちらへ笑いかける父。
けれど次の瞬間、お父さんの目から光が失われ、私のほうへ力なく
『お父さんは、最期までごめんって言ってもらえなかったのに』
「……っ!」
体重をこちらへ預けたお父さんが耳元で囁くとともに、暖かい何かが服越しに私の身体へと染み渡る。
震える右手に着いたもの——真っ赤な、血。暖かいはずなのに、身体の芯が冷める。
あの時と同じ——。
『私のせいでおじいちゃんの一人息子は死んだ』
待って。誰の声? いや違う、これは私の声だ。
リヴァが見せてるんじゃない、頭の中から、言葉が勝手に溢れ出る。
お爺ちゃんの家を出ていくきっかけになった最初の気付き。私が私に責められる。
もう誰も、私すら私の味方じゃ——。
『けどね、めぐちゃん』
誰かが後ろから私の肩を両腕で抱える。
ベージュのカーディガンに青白く少し骨ばった指をしていた香蓮が、寄り添うように腕を回していた。
気がつけば私の上に倒れ込んでいたお父さんもいなくなっていて、首に回された腕が冷えきった私の肩を暖める。
『あのとき、私を救ってくれたことは本当に感謝してるんだよ?』
「香蓮……」
——こいつは本物の香蓮じゃない。リヴァが私の記憶から作った幻影。
それは分かってるはずなのに……彼女へ体重を預けてしまう。
暖かい。冷えた身体が仄かに暖められる。
『でもね……ほら、見て』
香蓮は、私の右手を持ち上げと……そこにあった手は気が付かぬ間に幼く、小さくなっていて……そして血に塗れていた。
掌の中には、真っ赤になった
「いや……違う……これは……」
『んーん、違うよ。めぐちゃんが、殺したの』
香蓮は、私の耳元でそう囁く。
私が、殺した……私が、殺した。そんな言葉が暗示みたいに頭の中に響く。
『そう……だから、めぐちゃんが償うのは、私だけじゃない。めぐちゃんが殺した人の命の分も償うの。めぐちゃんなら、分かるでしょ?』
「……うん」
『そう来なくっちゃ。ならめぐちゃんは私を守って……一生をかけて償わないといけないの』
「……うん」
『だから……ほら』
香蓮は私の右手を離すと、その手の平を後ろから私の前へ差しのべた。
最初のときと同じだ。
これを掴んだら、
けど。もう終わらせたい。
「分かった……ごめんね、香蓮……ごめんよ……」
小刻みに震える手で首の後ろから差し出された香蓮の手を取るのと同時に、周囲から「闇」が取り払われてそよ風が吹き、またあの冷えた空気が戻ってくる。
その寂しい空間には、香蓮に代わって私のことを後ろから抱擁するリヴァと。
未だに手の震え、動悸に視線の揺れが収まらない私だけがそこに取り残された。
「……分かってくれたかい? 鈴原香蓮は、きっと君を許しちゃいない。けど、それと同じぐらい君を必要としているんだ」
リヴァは一見温かみのある、けれどその実何の深さもない軽薄な声でそう語りかけた。
しかもこれを聞いたのは一度や二度じゃない、なのに首を縦に振ってしまう。
「だから、君は戻って彼女を守らなくちゃいけない。彼女へ償いをしないといけない。これは……他ならない君のためだ」
「……うん」
「君には俺と鈴原香蓮がいれば十分だ。あのルイとかいう男も、鈴原を守れたら捨てればいい」
「で、でもルイはそんな悪い人じゃ——」
そうやって言い返そうとした時、後ろから凄まじい圧を感じ取る。
言わなくても分かるよな。まるでリヴァからそう言われているみたいな、そんな圧。
喉奥からこみ上げてくるものを、それに負けるみたいにぐっと押し込んだ。
「……分かった」
「うんっ、よろしいっ! 加えて、俺の方からも一つ君へお願いがある!」
今度はなに。お願いって言っておいて、私に拒否する権利なんて無いのに。
リヴァは私の独白なんてまるで最初から無かったように願いという名の命令を口にする。
「なに、君にとってもメリットのあるお願いさ。ゲームへ参加し、そして勝利してくれ」
……え?
でもゲームの力でやり直しが叶ってもこの世界は消えちゃうんじゃ。
「なに、そんなの仮説さ。この世でそんなものを見たやつは実際にはいやしない」
だ、だけどさ。
見た人がいないってことはその可能性も——。
「うるさいなあ。第一、どの世界でも鈴原香蓮は鈴原香蓮じゃないか。それに、ゲームに勝利して、君自らのミスを自分で精算する。それだけが、君が鈴原香蓮へ真の贖罪を果たす唯一の方法さ。違うかい?」
——違う。そんな言葉が頭に思い浮かぶのに、喉元に引っ掛かってそれが出ていかない。
香蓮に許してもらうには、そうするしかない。こいつに逆らうべきじゃない。
そう思ってしまっている私自身に心の底から嫌悪感が湧いてくる。
「もう力は渡してある、君は明日も君のために生きられる! そればかりか過去の贖罪も果たせる! 素晴らしいことじゃないか!」
リヴァは両手を天へと向けると、ここぞと言わんばかりに高らかな笑い声を上げた。
まるで自らの成功を祝うように。
うわべだけ私の出立を祝うように。
それを目の前にして、私はただその場に地べたになったまま座り込んでいることしか出来なかった。
「はあ…………いい加減にもう大丈夫かい?」
「……っ! うん、だい、丈夫……」
「よし、それじゃあ現世へ行ってらっしゃい! もう死にかけるじゃないぞー」
リヴァがそう口にした瞬間、私がへたり込んでいたところの床が抜け、同時に真っ暗な空間へと落とされる。
広くて、虚しい闇。目線はこちらへ手を振るリヴァを辛うじて捉えている。
……私は今までの私通り。
変わらない