孤高のリヴァイアサン~これは異能に弄ばれた私が、それでも前へ進むと決めた話~ 作:大和ユキ
まさか。ある可能性が頭を過った直後。
その土煙の中からあの忌まわしき触手が顔を出す。
「っふ……! ロムルス様からは生け捕りのお達しでなぁ、死んだかと思って焦ったぜぇ! けど生きてるなら好都合!」
砂煙の中から舌なめずりをしたジャン、それを前にして少しだけ脚が竦む。
余所事に思考を奪われすぎて、もっと直接的な危機を忘れてたなんてまるで馬鹿みたいで。
けれど一歩、二歩と後退りし、わなわなと震える香蓮を見て、逆に冷静になることができた。
私もそうしたいけど、残念ながらそうもいかない。
「待って、逃げるなら一緒に」
また香蓮が捕まったら、今までのことが全部水の泡だ。
呼吸を整えながら
ルイもさっきと同じように空から剣を出し、臨戦態勢に入った。
——けれど、香蓮はこっちにいる。
もう戦う理由はない。なら取る策は一つだけ。
「ねえ、ルイ。一緒に逃げ——」
そう彼の名を呼んだ瞬間。
『捨てればいい』
またどこからか、私の頭の中からあの軽薄な声が響く。
私へ向けられたあの無言の圧が呼び起こされる。ダメだ。そんなの良いわけない。
けれど。
視界の端に、視界の定まらない香蓮の表情が写る。
『めぐちゃんは、一生をかけて償わないといけないの』
倒れる香蓮、生暖かい血、冷えた肩に回される腕、歪んだ言葉。一つひとつが思考を侵してくる。
手が。まるで私のものじゃなくなったみたいに香蓮の方へと伸びてゆく。
「どうした、大和……って、大和!?」
ルイの困惑をその場に置き去りにしたまま香蓮を丸太のように肩の上へ担ぎ上げて、廃工場の群れの中へ全力で駆け出した。
「ちょっとめぐちゃん!? ルイくんがまだ!」
逃げに入る私を見て、ジャンは細く、そして素早い触手を数本解き放つ。
私の肩に居た黒鳥は、特に命令したわけでもなくばっとその場を飛び立った。
「ねえ、逃げるときは一緒じゃないの!? なんでルイくんが——」
「黙ってて! 集中できない!」
ジャンの触手の射程は? 自律する触手は見えないところでも追える?
いろんな可能性が思考を巡った直後、工場の建物と建物の間、細い路地のような場所が目に入った。
——あそこだ。
瞬発力を高め、その路地の奥へと一気に入っていくけれど。
「ねえめぐちゃん、まえっ!」
「っ!?」
香蓮の言葉で前を見て、思わず絶句した。
問題はその曲がった先。工場の壁が大きく崩れ、小高い行き止まりになっていた。
「くっ!」
それを前にして、行き止まり直前で急ブレーキする。
香蓮を抱えながらじゃ飛び越えられない。
香蓮を瓦礫の山の上に投げて、私も飛び上がる案が浮かんだけど時間がシビア、私も香蓮もまるごと捕まるのだけは避けなきゃいけない。
そう言っている間にも触手はどんどん距離を詰めてくる。ダメだ、何も思いつかない。
いっそのこと戦うしかない? でも香蓮を守りながらなんて——。
「うおおおおおお!」
考えが行き詰まったその瞬間、工場の屋根の上に見覚えのある高校の制服が視界に映る。
そこに居たのは栗色の毛をして細身の剣を構え、落下の逆風で毛が逆立つ男——ルイ。
彼が着地と共に剣を突き刺すと、触手のうちの一本が激しくのたうち回り、光の粒となって消えてゆく。
けれど別の触手に振り回され、放棄されていた冷蔵庫へ身体を打ち付けられた。
「ルイくん!」
「クソっ……」
左腕肘を抑えるルイ。
態勢を立て直した残り二本の触手が、こちらにその先端を向ける。
万事休す……か。そう悟り、最後の抵抗で剣を構えたときだった。
「ピエェェェ!」
上空からの甲高い鳴き声と同時に、黒い何かが触手目掛けて落下してきた。
それは触手の群れを丸ごと貫き、弾けて肉片となった触手はあっという間に壁やコンクリートのシミとなる。
「……え?」
思わず困惑の声が出る。
触手やその肉片が、光の粒子となって消えていった。
「助かった……の?」
呆気に取られる間もなく、その
クチバシには紫色の血が付いていて、それもしばらくすると光の粒子となり消えてゆく。
「君が……助けてくれたの?」
そんな言葉に、黒鳥は我関せずと言わんばかりに聞く耳も持たない。
けれど、今はそんなことに構っている暇はない。
このチャンスを少しでも活かさないと。
香蓮を瓦礫の山の上へと押し上げると、瓦礫が香蓮の重みで音を立てながら少し崩れた。
今度は私も——そうやって瓦礫の一つに脚を掛けた直後、香蓮が口を開いた。
「ねえ、めぐちゃん。ダメだよ」
「……」
香蓮がそう口にして目を向ける先には、冷蔵庫にもたれかかるルイの姿。
苦しそうに悶える衣擦れの音。俯いているけれど意識はある。
あの言葉が頭の中で反響すると同時に、さっき目の当たりにした勇姿が記憶の中から呼び起こされる。
「ルイ……」
でも……なんて声を掛けるべきなのか。
何か声を掛けるべきなのかもしれないのに、喉に何か詰まったみたいに言葉が出てこず、出掛けた言葉が自然と胃袋に落ちていく。
「……うん」
香蓮へ向けてそうとだけ返事をして、ルイを抱えながら瓦礫の山を乗り越えた。