『孤高のリヴァイアサン』 ~~人生をやり直したい偉人たちと、自分の人生を取り戻したい女子高生の異能戦争~~ 作:大和ユキ
風に乗ったアスファルトの焦げる臭いが鼻を刺す。
周囲には暴風で舞った葉や瓦礫が散らかり、その真ん中に溶けたアスファルトで出来た小さなクレーターがそこであったことの規格外さを物語っている。
——これがルイの秘策。香蓮を両腕で抱えながら、私は思わず唾を呑んだ。
上空に浮かんだ満月にも見えるほど大きな光球から放たれる熱線を放つ起死回生の策。
異能者なら回復が間に合うけれど、身体から失われた血を補填するには至らずそのうち失神するって寸法らしくて。
でも今はそんなことは二の次で、ただ戦いが終わったという事実に心を震わせていた。
いつもの味気なくて次の戦いと徒労への始まり以外の何物でもなかったはずの勝利が、自分が変わるための楔のように思えたことが、たまらなく嬉しかった。
「よし……これでいいかな」
異能の力で既に傷も癒え、一仕事終えたルイが軽いため息混じりにそうこぼす。
彼の目の前にはまっ黒焦げになったジャンが鎖で街灯に縛り付けにされていた。
こんな状態でも生きていて、自分で息をしている。
「酷い怪我だったのに。ジャンの後処理してくれてありがとう、ルイ」
「大丈夫だ、大和ほどじゃないけど僕も異能者だからな」なんて言いながら両手をぐっぱとするルイ。
……よかった、元気そうで。そう安堵していたら今度は、彼はハッとしたような表情を浮かべたあとクスクスと笑い始めた。
「どうしたの」
「いや……いま、大和が自然に『ありがとう』って言ったなって思って。前々から鈴原さんが『めぐちゃんの感謝って礼儀っぽさが抜けてないんだよね』って言ってたからさ」
礼儀っぽい「ありがとう」。
今までの私が本心から香蓮へ向けていた「ありがとう」にも、どこか後ろめたさが混ざっていたのかな。
なのに会って時間の経っていないルイに、その言葉が自然と出るようになっていた自分自身に意表を突かれる。
……ありがとう、か。
香蓮の容態が戻ったらまた私の口から直接伝えたい。
なんて目を細めながら思いつつも、今は目の前で言葉を口にしようとしているルイへと耳を傾ける。
「鈴原の容態は?」
そう言われて、自分の意識と視線を香蓮の方へ向ける。
彼女の肌は、夜風の冷たさじゃ説明が効かないほどにひどく冷えていた。
手先だけじゃなくて全身の血の巡りが良くないのを感じ取る。
呼吸の一つ一つが浅くて、そのペースも早い。
「——良くは、ない。けど生きてる。生きてくれてる」
「……そうか。喋ってる暇はない、早速始めよう」
ルイがそう口にするとともに、私は香蓮の身体を近くの柵にもたれさせるように座らせた。
「起きろ!」
「ハガッ……」
ルイがジャンの腹を鎖越しに蹴るとともに、ジャンは黒い煙を吐きながら目を覚ます。
「フゥ……ハァ……な、なんだ……お前ら、か」
「御託はいい。今すぐ鈴原香蓮を解毒しろ」
ルイの口調は今まででは考えられないぐらい刺々しく、その視線も狼か何かを思わせるほどに冷たかった。
その要求も真っ当もいいところ。とは言っても、こいつが素直に命令に応じてくれるのかな。
もしかしたら実際に殺すかは別にしても、脅しの一つでも入れなきゃいけない羽目になるんじゃないか……なんて不安が頭に過ぎる。
「分かった……解毒する、だから一つだけ交渉を……」
でも予想とは裏腹に、ジャンはすんなりと快諾した。
言葉以上の裏があるんじゃないかと勘繰ってしまうほどに。
「交渉だって? 今どういう状況か分かって——」
「ルイ」
そう口にしながらルイの肩へ手を添え、自分の首を横に振る。
今は香蓮の命が最優先。どうせこんな状態じゃ大したことはできないし、酷い話なのは分かってるけど、無茶な要求をしてきたら先に解毒させて無下にすればいい。
命を狙われたんだから、嘘の一つや二つ吐いた程度で
「……分かった。だが解毒が先だ」
「い、いいのかぁ!? ならさっさと女の身体をこっちに持って来い!」
途端に軽くなる口調に胃の煮えるような感覚を覚えながらも、香蓮の身体を抱き上げジャンのもとへと寄る。
ジャンは何も言わずにごく細い触手で香蓮の垂れた腕をまさぐり、その先端を香蓮の腕へ突き刺した。
数秒間脈動した後、触手が彼女の腕から引き抜かれる。
「解毒はした、呼吸もすぐに戻る! これで文句無いか!?」
ジャンがそう吐き捨てたあと、彼女の口元へ耳を近付けた。
不安がないわけじゃない。こいつは屑で、多分人の命をなんとも思っちゃいない。
でもこっちはやろうと思えさえすれば命を取れる状況、その力関係だけを頼りにする以外の選択肢はなかった。
だから大丈夫、香蓮は助かる。ざわつく胸を押さえつけながら、耳を必死に凝らした。
「コヒュー……コヒュー……ヒュー……スゥー……」
「……息が、戻った!」
ただ、喉に詰まったような音が無くなっただけ。
それだけなのに目尻が熱くなって、言いようのない高揚感が溢れる。
抱きかかえた彼女の体温が上がってきているような気もしたけれど、感動と興奮のあまり自分の体温が上がっているのか分かんなくて。
「香蓮……ありがとう! ありがとう……!」
でも、その温かな体温がかけがえのないものに感じられたのは確かで。
両腕で抱きかかえた香蓮を身体へ寄せるようにしながら、まだ届かない感謝の言葉を口にした。
大丈夫。やり直せる。まだここから始められる。
今まで見てこなかった分、これからもずっと。
ルイの方も、私の言葉に口角を上げながら安堵の表情を漏らした。
「ほら治しただろ!? 次は俺の番だ! この交渉はお前らの得にもなる、だから聞け! いや聞いてくれ!」
ジャンは荒々しく、けれどいつにないほど下手な態度で頼み込んできた。
唾が散り、ルイが不快そうな表情を浮かべる。
「……一応聞いとくよ」
「一応ってなんだあ!? お願いだ頼むよ、俺を連れて今すぐこの場から逃げて欲しいだけだ!」
「は?」
ルイは一拍の困惑のあと、そんな声を漏らした。私も内心で同じような気の抜けた声を漏らす。
こいつを連れて逃げる? 何を言ってるの?
まさかだけど軍に突き出されないがあまりに血迷いでもした?
「あのな……一体何から逃げるんだ? 言っとくけど、軍のとこには突き出させてもらう」
「分かった、それでもいい! だから早く——」
ジャンの急かすような言葉に覆いかぶされるように、聞き慣れた羽音が遠くから響いてくる。
夜目になっているせいか、空から差す強い光に視界が若干眩んだ。
目を細めながらその光の方へ目を向けると、街の方からスポットライトを備えたヘリコプターが二機迫ってきていた。
マスコミの小さなヘリじゃない、重武装の大きなヘリコプター。
仏頂面で冷たい軍人たちの乗る、私が事前に呼びつけて事後処理に訪れた軍のヘリがそのライトで私たちの方を照らしていた。
「遅かったみたいだね。軍の方からお迎えが来た」
ヘリの方へ目を向けるルイ。
けれど、それでもなおジャンの顔色は変わらない。
それどころか、周囲が一気に明るくなったせいでその顔に浮かんだ焦りがより一層濃くなった気さえした。
「いいや、あれでもいい! 俺を安全なところへ!」
「ちょっと待て。ってなると一体何から逃げるって——」
ジャンへ聞き返そうとしたルイが、不意に言葉を止める。
どうしたのかと思い顔を覗き込むと、彼は口を半開きにしたまま大きく目を見開いていた。