『孤高のリヴァイアサン』 ~~人生をやり直したい偉人たちと、自分の人生を取り戻したい女子高生の異能戦争~~ 作:大和ユキ
私とルイの間を悠々と横切ったロムルスは、縛り付けられたジャンへと歩み寄っていく。
その通り際に目にした鋭い眼差しに、思わず息を呑まされた。
堀の深い顔、色黒な肌、カールの掛かったセミロングの毛髪に、左肩のあたりに金銀で彩られた紺色の一枚布を身に着けた男性。
特徴一つずつはなんてことないのに、私たちの方に何の関心も向けていない余裕のある様子が、既に強烈な胃の痛みをさらに強めている。
「ちっ! 違います! これは勘違いと言いますか!」
「何が違う。言ってみろ」
「あっと……そ、そうです! 回復! 回復の機会を窺っていたのです!」
そうやって醜く言い訳をするジャンへ、ロムルスは純然たる失望の眼差しを向ける。
「……もう
ロムルスは溜息混じりにそう零すと、肩の布地から小さな留め具のようなものを
「ロ、ロムルス様! どうか命だけは……! もう一度チャンスを!」
「——待たん。これが契約の代償だ」
ジャンが命乞いするも、ロムルスは意に介すこと無く手刀をジャンの胸に突き刺した。
瞬間、またあの「雲」がジャンを中心に広がる。その雲から発される石油ストーブみたいな「熱」を感じ取った直後、頬に生温かい液体がかかった。
——血。ジャンの、血。
ジャンはその胴に大きな穴を穿たれ、真っ二つになって、そして……死んだ。
あいつを縛り付けていた街灯も下のあたりでへし折れ、轟音を響かせながら倒れる。
死んだ。殺した。こんなに簡単に、躊躇うこと無く。
なのに今は目の前のこの男に視線が釘付けになる。
まるで手洗いのあと撥ねた水気を切るように、ロムルスは一枚布で自分の顔に付いた血を造作もなく拭き——ついに、その視線をこちらに向けてきた。
「聞くが……お前がヤマトメグミで間違いないか?」
「……!」
聞かれた。私の名前。
今までの人生で何回も何回も呼ばれてきたその名前を聞かれただけなのに、声帯がピンと張った膜のように強張って声が出せない。
「——王が、聞いているのだ」
「……!」
その言葉に反射的に首を縦に振る。
この男の機嫌を損ねるべきじゃないってのを、脳じゃなくて脊髄で学ばされた。
「そうか」
そうとだけ溢し、右足を一歩前へ出すロムルス。次は左足を。その次はもう一度右足を。
こちらへ歩み寄ってくる。
————カウントダウン。頭にそんな単語が頭をよぎる。
予定された死、けどそんなのは嫌だ、思考をフルで動かして抗う。
どうすれば助かる? せめて香蓮だけでも。けどルイは? ルイも死ぬの? それは——。
脳が焼き切れ、逆に思考が止まりそうになった直後。
「なあ、大和」
ロムルスへ注目するあまりずっと視界の外にいたルイが、蚊の羽音のような弱々しい声で私へ語りかける。
「逃げろ。鈴原を抱えて。僕もあとでいく」
お願いなんかじゃない、短く、要点を得た命令。
そこに絡められた「あとでいく」というあからさまな嘘。
……ルイは命を賭けている。その事実に、恐怖で覆い隠されていたものが呼び起こされる。
——そうだ。私何やってんだ。やり直すんでしょ! 今の人生を!
ルイの覚悟と、上がった香蓮の体温が私の心に火を付ける。
「分かった、逃げるよ。けど——」
それを言い切ることなく、香蓮を左肩で担ぐように抱えルイの制服の袖口を掴んで駆ける。
脚に異能の熱が籠るぐらい全力で駆けたがために、彼の身体が浮いて旗のように翻った。
「ッ!? なにやってるんだ!?」
言われたとおりに逃げる。でも香蓮と二人じゃダメだ。
私を友達と呼んでくれた人を、友達を置いていくことなんてもうできない。
「大和っ! このままだと三人まとめて——」
「うるさいっ! 私の心配するぐらいなら自分の足で走って!」
「……! 分かった」
ルイは弛緩とも安堵とも取れるような口調でそう言うと、自分で地に足をつけ私の後ろを駆けはじめた。そう、それでいい。三人じゃないと意味がない。
僅かな落ち着きを感じながら、もう一度鉄と錆の中のジャングルへと駆け込む。
この廃工場は広い。真っ暗で埃っぽく、入り組んだジャングル。
ここに隠れて逃げに徹せれば勝ち筋はある。それにロムルスはなぜか追ってきていない。
上空の黒鳥からも、首を鳴らしながらただその場に立つロムルスの姿が送られてくる。
このままだったら視界を切れる、逃げられる——僅かに希望を見出した瞬間。
黒鳥から送られてくるロムルスの姿が、僅かな残像だけを遺して忽然と消えた。
ロムルスの佇んでいた場所には、あの青白い雲だけが残されている。
さすがにずっと突っ立てるわけない、動かれてしまった。
けれど逃げるだけなら地の利はこっちのもの。
工場の中を何棟も縫うように、またドア枠をくぐって別の棟へと移ろうとした瞬間。
「ッ!?」
目の前から差す眩い光が視界を覆うと同時に全身で感じる熱線。
無意識に、その熱線から守るように香蓮を深く抱え込む。