孤高のリヴァイアサン~これは異能に弄ばれた私が、それでも前へ進むと決めた話~ 作:大和ユキ
その晩は軽くシャワーを浴びてから布団の中で眠ることが出来た。
古びたソファで気絶するように眠るんじゃなく、温かい毛布にくるまって敷布団に体重を預けることが出来る眠り。
けれども、きちんと長い時間眠れることは何も良いことだけじゃない。
意識を落としている時間が長くなれば、当然その分夢を見る。
それも、私の場合粗い人工知能が作った動画のような脈略の無い映像じゃなくて。
もっと最悪で、それでいて鮮明な形で頭の中に映し出されてしまう。
「大和メグミハ、二〇一九年ノ殺人ヲ悔イテ——」
……だから聞きたくなかったんだ、あの言葉は。
今日の夢は、ドームみたいに頭のなかでその言葉が反響するところから始まった。
あの事件。香蓮の脚。二〇一九年の殺人。
きっかけは思い返す度に自分でもあっさりしてると思えて、そして少し考えれば分かるほどの小さなミスだった。
「えっとねえ、あの水色で、てっぺんが白い小さい車だよ」
二〇一九年、五月。
毎年恒例になりつつあった、香蓮とのピクニック。
その道中、お父さんの車に乗って一時間と少しほどの愛知の山間にある小さな道の駅で。
お手洗いへ向かったお父さんや香蓮を待っている時に、気さくに話しかけてきた色黒の男に聞かれて何の
異能者って存在をどこか遠い存在だと思ってたっていっても、迂闊にもほどがある行為。
車に乗ってからその姿を見てたお父さんに叱られ「次からは気をつけよう」と心に刻んだ。
その「次」が無いことも知らずに。
崖のように切り立った人通りがほぼ無い山道を通っていた最中に車が唐突に大きく揺れる。
車の天板が大きく凹み、落石か何かかと疑って車から身を乗り出したお父さんは、車の上に墜ちてきたあの「色黒の男」に顎を殴られ地に伏せた。
あまりに急なことで思考が止まったことを、いまになっても覚えている。
ケタケタと笑いながらこちらへ目を向ける色黒の男。
それを前にして、意味も分からず香蓮と身を寄せ合うことしか出来なかった。
当時も異能者って存在は知ってたけれど目の前の男とそれが結びつかない。
なのに理解を超えた何かを持っていることぐらいは幼い私にも理解できた。
しかも敵は一人じゃなく、横の藪や崖上から出てきて抵抗虚しく麻袋へ閉じ込められる。
意味も、状況も、自分がどうなるのかも理解できず、私と同じく泣き叫ぶ香蓮。
そんな私を誰かが奪い去ろうとして更に混乱が増したけれど、その手には、その抱え方には、その息遣いには覚えがあって。
必死になってその人のことを呼んだ。お父さん、お父さん、って泣き叫びながら。
でも身体が何度か揺れたところで重力を失ったみたいに身体が浮いたと思えば、お父さんが私を抱えながらうつ伏せに倒れ込んだ。
お父さん、なんで動かないの、急にどうしたの。
外が見えずに混乱する私の胸元へ麻袋越しに流れる温かい液体。強まるお父さんの抱擁。
「めぐみ……」
「……お父さん?」
「あい……してるよ」
その抱擁すらも、お父さんの最期の言葉が鼓膜に刻まれるとともに弱まっていく。
そうして初めて——私は自分の失敗の重さを再認識した。
香蓮、香蓮だけでも。
服に付いた父の血から漂う
そこで鎖に繋がれながら一人きりで一日中泣いたあと、私の中でそんな観念が脅迫的に増しているのを自分でも感じ取った。
私のせい。私がなんとかしなきゃ。
溢れんばかりの償いの感情が、償うために自由になりたいという欲求が、時間を追うごとに天井を突き続けた。
一方の異能者たちも、どういうわけか異能の「い」の字すら知らなかった私が異能の素質を持っていたことを見抜いていて、私は拷問紛いの尋問を受けた。
けれど存在すらあやふやだったものを認めるなんてことが出来ないままに二日が経った頃、色黒の男と赤髪の女が、香蓮の入れられたケージを私の部屋に運び込んできた。
香蓮の髪はボサボサになり、唇は渇き、ベージュのスカートは薄黄色く汚れていて。
そんな境遇にあっても、私が無事なことに涙を流しながらひたむきに喜んでくれていた。
でも、私がなかなか口を割らないところに香蓮が連れてこられた意味を理解できないほど、私は馬鹿じゃなかった。
これから香蓮がどんな「使われ方」をするかが頭によぎるとともに、昂ぶった感情が一気に溢れ出た。
香蓮を、香蓮を自由にしろ。
そんな憤りを感じた直後、力を込めて張った鎖が千切れ、身体から力が漏れ出る。
その力こそが「異能」だってことを知らないどころか、何が起こったかすら理解できていないままに、驚いて固まっていた色黒の男の股間を勢いに任せて蹴り上げたところで——
横に居た女に殴られて意識を失い、私の初めての戦いは終わりを迎えた。
しばらくして目を覚ましたその晩。
同じ牢に居た香蓮がひとまずは無事だったことに安堵した直後、牢にあの男が入ってきた。
昼間の仕返しを口にする男に、私は何もすることが出来ずに殴打され続けるなかで、物音に気が付いた香蓮が起き上がるのが目に入った。
お願い香蓮、やめて、気付かないで。
そう願ったところで、同じ部屋にいる友が弄ばれている事に気が付かないわけがない。
香蓮は大人にとっては耳障りな、幼い語彙と使い高く泣きわめくような声で、暴力をやめるよう男へ訴え続けた。
振り向いた男は香蓮が閉じ込められていたケージへ大股で向かい、彼女をケージから引きずり出すと足蹴にし始める。
どこが動かないのかも分からない身体、薄れる意識、溢れんばかりの無力感。
だめだ。香蓮が居なくなったら私は……誰に、何を償えば。
そんな時に、あいつが現れた。自由の名を名乗る「何か」が。
私にしか見えていないのか、文字通りの純白に光る肌を持つそいつは私のことを言葉巧みに絆して、最後には「力」を託して去っていった。
その直後、全身から溢れ出る活力。傷も塞がり、後から気付いたけれど欠けた歯すら生え直していた。
「何か」に教えられたままに念じると、手には
抗う術を手に入れた——いや、手に入れてしまった。全能になった気がして、打開できる気がして、香蓮を救える気がして、衝動のままに動いて。
それが全部間違いだったことを、眼の前で動かなくなった二人を目の当たりにしてから気がついた。
香蓮の方は、息こそあったけれど私の助けが一歩間に合わず、男に足蹴にされ脚があらぬ方向に曲がっていて。
男の方は倒れたまま滲むように背から血が溢れ出していて。
自分がしてしまったことを確定させるのが怖くて、私は吐息の有無を知らないために耳を塞いだ。
でも手は二つしか無く、目も同時に覆い隠す事なんか出来ない。
そこに写った男の虚ろな瞳が意味していたことを、私は後になって知ってしまった。
その場から香蓮を背負って逃げた。
逃げていたのは追手だけじゃなくて、自分の罪から目を背けて、あれは悪い夢だったと言い聞かせるようにその場から離れた。
そして、限界に達しつつあった疲れから渓流のほとりで水を飲んでいた時に。
あの赤髪の女の異能者と遭遇し——そして、殺した。彼女は死に際に「レピドゥス兄さん、ユリア姉さん」と、兄姉の名前を口にしているのを目の当たりにして。
子供向けのテレビに出てくる「わるいやつ」と違い、その人にも家族が居たことを知った。
目の光が無くなることが意味するのは「死」だということを知った。
そして、自分が父を殺した男と同じところまで堕ちたことを思い知らされた。
——そこから一拍遅れて、誘拐された私たちの捜索にあたっていたお巡りさんが、川沿いに進んでいた私たちのことを発見した。
私は香蓮を抱えたままその人たちへ剣を向けた。
あの道の駅で乗ってきた車を聞かれたときのように、相手が腹の中に真っ黒なものを抱えている気がして。
何より、それ以上近付かれたらまた命を奪ってしまう気がして。
そんな緊張と疲弊が限界に達したところで、夢の中にいた私の意識が落ちるとともに。
その悪夢もやっと終わりを迎えた。