見えざる帝国との死闘が終結し、悠久とも思える百年の歳月が流れた。
かつての激戦の傷跡を癒やし、強固な平穏を築き上げた瀞霊廷。その最深部に新設された「第十四番隊・境界観測室」では、深夜の静寂を切り裂くように朱色の警告灯が点滅していた。
「……境界外縁、座標固定不能領域にて魂魄総量の異常を確認。波形、急激に乱れています」
観測盤の前に座る第三席・鳴神煉が、緊迫した声を上げる。モニターには、ある一点の霊子座標を中心に、不可逆であるはずの時間が幾重にも巻き戻り、重層化していく異常な因果曲線が描かれていた。
「ただの空間の歪みではありません。……魂魄が肉体を離れ、輪廻へ還るはずの瞬間に、世界ごと過去へと強引に引き戻されています。それも十数回に及ぶ反復」
「観測計器の数値通りなら、向こう側の世界そのものが擦り切れかねない事態ですね」
鳴神の背後から、浅葱色の髪を揺らして歩み出たのは副隊長・如月弦だった。眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、冷徹に数値を精査する。
「十二番隊の涅隊長からも苦情混じりの通信が入っています。『こちらの魂魄計測まで狂う、早急に不純物を摘み取れ』と」
「三界の理の外側で起因している異常だな」
奥の暗がりから、静かな足音とともに姿を現したのは隊長・神代宗弦だった。
純白の隊長羽織の裾を引らめかせ、薄墨色の瞳でスクリーンを見据える。
「放置すれば、断界の断層が崩壊し、いずれ現世や尸魂界の魂魄バランスにまで破綻を及ぼす。……総隊長への報告を済ませる。弦、出撃の支度をしろ」
「了解いたしました」
一番隊舎・執務室。
立ち込める茶の香りの向こう、護廷十三隊総隊長・京楽春水は、隊長羽織を肩に引っかけたまま、片目の眼帯越しに宗弦を見つめていた。
「話は聞いたよ、神代隊長。境界の彼方で、死を起点に世界の時間が巻き戻されているんだって?」
「は。自然現象ではなく、明確な異能による世界の改竄です。魂魄の循環を阻害する異常因果、看過できません」
「大戦から百年……ようやく保たれているこの平穏を、外の世界から揺るがされるわけにはいかないからね。十四番隊の存在意義を示す時だ」
京楽は盃を静かに置いた。
「神代宗弦、如月弦。両名に特命を下す。特務穿界門を越え、かの異界へ渡れ。魂の輪廻を歪める元凶を突き止め、その因果の糸を絶っておくれ」
「「御意」」
二人は深々と頭を垂れ、一番隊舎を後にした。
瀞霊廷地下深部、特務穿界門の前。
注ぎ込まれる膨大な霊子により、巨大な漆黒の門扉からは冷たく澱んだ異界の風が吹き荒れていた。
「隊長、副隊長。瀞霊廷側の門の位相固定は私が維持します」
見送りに立った鳴神煉が、腰の『雷楔』の柄に手を添えながら直立する。
「向こうの世界に渡れば、こちらからの増援や即座の帰還は望めません。通信も極めて制限されます」
「分かっている。留守中の隊舎の管理と境界監視、抜かるなよ」
「はっ! ご武運を!」
宗弦は頷き、背後の弦へ視線を向けた。
「行くぞ、弦」
「はい、隊長」
二人は並び立ち、開かれた闇の奥へと足を踏み入れた。
断界の奔流を越え、光の届かぬ時空の断層を抜けた先。
そこは、幾度もの「死に戻り」によって因果が歪みきった、ルグニカ王国と呼ばれる異界の大地であった。