BLEACH ―断業の輪廻、ゼロの因果―   作:ネネカ大神

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第3話:魂の縫合、狂瀾の残滓

ペテルギウス・ロマネコンティの首筋に当てられた宗弦の指先から、針のような霊圧が撃ち込まれた。

音すらない。打撃の衝撃すら周囲へ漏らさぬ、完全な浸透。

頸椎を通り抜けた霊圧の針は、大罪司教の肉体を維持していた生命活動の中枢を一瞬で破壊した。白目を剥き、顎を外したペテルギウスの巨体が、糸の切れた操り人形のように音を立てて泥の中へ沈む。

 

「……終わ、った……?」

 

青白い結晶の結界――『倒山晶』の内側で、ナツキ・スバルは膝をついたまま、震える声で呟いた。

何度も何度も自分を絶望の底へ叩き落とし、レムを無惨に引き裂いた怪物が、白と黒の装束を纏った男の指先一つで沈黙した。あまりに非現実的な光景に、スバルの思考は追いつかない。

だが、宗弦は息を整えることすらなく、倒れ伏したペテルギウスの骸を薄墨色の瞳で見下ろしたままであった。

 

「……肉体の活動は停止した。だが、魂魄が霧散していないな」

 

「はい、隊長」

 

背後から歩み寄った如月弦が、眼鏡の奥で冷徹に周囲の霊子流を走査する。

 

「この男の魂魄は、純粋な人間のそれではありません。無数の怨念と魔力を核に編み上げられた、自立型の精神生命体――この世界の定義における『邪精霊』に極めて近い構造です。肉体という器を失ってもなお、思念が周囲の大気中へ散逸せず、強固な結合を保っています」

 

その言葉を裏付けるように、死に絶えたはずの緑髪の肉体から、ぬらりと黒い霧が立ち上り始めた。

肉眼では捉え難い、怨嗟に満ちた霊体の揺らぎ。それは夜風を逆流させながら、木々の影に潜む別の黒装束――生き残った狂信者たちへと向けて、猛烈な速度で空間を滑り出そうとしていた。

 

『ヒヒッ、ヒハハハッ! 素晴らしい、何という怠惰、何という屈辱……! だが我が命は、我が信仰は死なない! 次の指先へ、我が愛を注ぎ込む器へと移るのデス……ッ!』

 

大気を震わせる狂気の思念波。

ペテルギウスの本体たる邪精霊は、肉体が滅びるたびに予備の信徒(指先)へと魂を転移させ、無限に蘇る構造を持っていた。物理的な斬首も、心臓の破壊も、この怪物にとっては単なる「器の交換」に過ぎない。

黒い霧が、五十メートルほど離れた茂みに伏せていた狂信者の頭部へと食らいつこうとした、まさにその刹那。

宗弦の右腕が、静かに薙ぎ払われた。

 

「『縛道の六十三・鎖条鎖縛(さじょうさばく)』」

 

詠唱破棄。

漆黒の夜空を黄金の軌跡が切り裂いた。

実体を持たぬはずの邪精霊の思念を、太い黄金の鎖が幾重にも巻き付き、空間ごとガチリと締め上げる。

 

『ギ……ッ!? な、何デスかァァッ!? なぜ、実体のない我が魂が……縛られて、動けない……ッ!?』

 

虚空で身悶えするペテルギウスの魂魄。

本来、魂そのものへの直接干渉は、この世界の魔法体系においても極めて高度かつ禁忌に属する領域だ。だが、死者の魂魄を導き、裁き、律することを本分とする死神にとって、霊体を捉えることなど基礎の初歩に過ぎない。

 

「魂魄を器から器へと渡り歩くことで、擬似的な不死を演じていたか」

 

宗弦は黄金の鎖に囚われた黒い霧を見つめ、感情を交えずに告げた。

 

「だが、魂の輪郭を維持したまま空間を漂う以上、それは霊子構造体となんら変わりない。……縛道の拘束を抜ける術を、貴様は持ち合わせていないな」

 

『馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿なァッ! 離しなさい! 我は魔女教大罪司教『怠惰』担当、ペテルギウス・ロマネコンティィィッ! 我が愛の成就を、このような名もなき異端に阻まれてたまるものデスかァッ!』

 

鎖の隙間から噴き出す黒泥のような悪意。狂乱する思念波が、周囲の木々の葉を枯らし、土を腐食させていく。

だが、宗弦は眉一つ動かさず、左手の指先を静かに宙へと向けた。

 

「『縛道の七十五・五柱鉄貫(ごちゅうてっかん)』」

 

ズガァァァンッ!!

夜の森に、地響きを伴う轟音が五連続で炸裂した。

上空から垂直に落下した五本の巨大な鉄柱が、黄金の鎖で拘束された邪精霊の周囲に突き刺さり、その頭部、両腕、両足を空間ごと完全に大地へ縫い留めた。

 

『ギャァァァァッ……!? 魂が……我が精神が、圧殺される……ッ! あぁ、魔女様……我が、愛が……ッ!』

 

五柱の鉄貫が放つ強烈な霊圧結界により、ペテルギウスの思念は完全に遮断され、黒い霧は縮退して小さな塊へと圧縮されていく。

 

「弦。技術開発局支給の魂魄封印筒を出せ」

 

「了解いたしました」

 

弦は懐から、白銀の合金で造られた円筒形の霊具を取り出し、五柱鉄貫の中心へと掲げた。

 

「『縛道の二十一・赤煙蛇(せきえんだ)』」

 

立ち上る赤い霊煙が、圧縮されたペテルギウスの魂を絡め取り、円筒の内部へと吸い込んでいく。カチリ、と重厚なロック音が響き、筒の表面に施された霊子回路が青く光って封印の完了を告げた。

 

「『怠惰』を自称する思念体、完全に封入しました。外部への魔力放射、および思念感応はゼロです」

 

「回収を完了とする。……さて」

 

宗弦は踵を返し、結界の中で立ち尽くすスバルへと視線を向けた。

 

「あ……あ、あ……」

 

スバルは、五柱鉄貫が大地を穿ち、ペテルギウスの魂そのものが謎の筒へ封じられる一連の流れを、ただ開いた口が塞がらない状態で見つめていた。

ルグニカ王国のいかなる魔法とも違う。

詠唱も、マナの光の揺らぎすらもなく、放たれる言葉一つで空間が歪み、巨大な鉄柱や光の鎖が出現する。

そして何より、自分があれほど絶望し、何もできずに踏みにじられた元凶が――この男たちの手によって、ものの数分で完全に解体された。

 

「……お前ら、一体……何者なんだよ……?」

 

掠れた声で問いかけるスバル。

宗弦は答えず、スバルの前で片膝をついた。その冷徹な薄墨色の瞳が、スバルの全身、そして彼の腕の中で血を流して倒れている青髪の少女へと向けられる。

 

「弦、『倒山晶』を解け」

 

「はい」

 

弦が印を解くと、二人を包んでいた青白い結晶が光の粒となって霧散した。

冷たい夜風が再び肌を撫でる。その瞬間、スバルは我を取り戻したように、腕の中の温もりにすがりついた。

 

「レム……! レム、嘘だろ、目を開けてくれよ……! おい、誰か……! 誰でもいい、頼むから、レムを助けてくれ……ッ!」

 

少女の体は、ペテルギウスの見えざる手によって無残にねじ曲げられ、呼吸は今にも途絶えそうだった。傷口から流れ出る鮮血が泥を染め、体温が急速に奪われていく。スバル自身の拙い治癒魔法(ド・フーラ)では、破裂した内臓と砕けた骨を繋ぎ止めることなど到底不可能だった。

 

「肉体の損壊が激しいな。だが、まだ魂魄の緒(鎖)は断ち切れていない」

 

宗弦の声は、残酷なほど平坦だった。

 

「隊長。この少女の魂魄は、生命維持の限界点に達しています。この世界の治癒魔法による外科的修復では、細胞の再生が追いつかず、魂の離脱を防げません」

 

弦が横から冷静に告げる。

スバルは血走った目を宗弦に向け、泥に頭を擦りつけるようにして懇願した。

 

「頼む……! あんたたちが何者でもいい! 俺をどうしたっていい! だから……レムを、レムを助けてくれ……ッ! こいつは、俺のために……俺なんかのために、命を懸けてくれたんだ……ッ!」

 

涙と血に塗れた少年の叫び。

宗弦はその姿を静かに見下ろした。怒りも、憐憫も、侮蔑もそこにはない。ただ、世界の法を司る死神としての冷徹な観察眼があるだけだった。

 

「頭を上げろ」

 

宗弦は静かに右手を伸ばし、少女の砕かれた胸元へと手の平をかざした。

その掌から、淡く温かな、若草色の光が溢れ出す。

死神が扱う四つの戦闘技術――斬・拳・走・鬼。その鬼道から派生した治癒術式、『回道(かいどう)』。

 

「な……んだ、これ……?」

 

スバルは息を呑んだ。

少女の傷口に光が触れた瞬間、流れていた鮮血が逆流するように止まり、裂けた皮膚が目に見える速度で縫い合わされていく。バキバキと音を立てて、砕けていた肋骨と四肢の骨格が正しい位置へと整復され、蒼白だった少女の頬に微かな朱の気が戻り始めた。

回道の本質は、単なる細胞の活性化ではない。

傷ついた肉体に合わせて崩れかけていた「魂魄の輪郭」を霊圧によって正しく補正し、それに引きずられる形で肉体をあるべき姿へと再構築する技術。

 

「……呼吸が安定しました。心拍、霊子循環ともに正常値へ復帰」

 

弦の報告とともに、宗弦は掌を引いた。

 

「う……ん……」

 

小さな吐息とともに、青髪の少女――レムの睫毛が微かに震えた。

 

「レム……? レム……!!」

 

スバルが少女の体を抱きしめ、子供のように泣き崩れる。少女の胸は静かに上下し、確かな温もりと命の鼓動を刻んでいた。

 

「よかった……本当によかった……! ああ、クソッ……よかった……!」

 

泣きじゃくるスバルを前に、宗弦はゆっくりと立ち上がった。純白の隊長羽織の裾が、夜風に静かに揺れる。

 

「礼を言われる筋合いはない。我々の任務は、この地に生じた魂魄の異常な滞留と、因果の歪みを排除することにある。命の灯が消えかけていたとはいえ、まだ輪廻の帳付けに載っていない者を死なせる理由はなかった、それだけのことだ」

 

「それでも……! ありがとう……本当に、ありがとうございます……!」

 

スバルは涙を拭い、抱きかかえたレムの無事を確かめると、宗弦と弦を見上げた。

 

「あんたたち……一体、何者なんだ? 騎士団の切り札……ってわけでもなさそうだし、あの魔法だって、王都の魔導士たちが使うのとは全然違ってた」

 

「名乗るほどの者ではない」

 

宗弦は薄墨色の瞳を眇め、スバルの胸元――その魂の奥底を真っ直ぐに射抜くように見つめた。

 

「だが、ナツキ・スバル。貴様には問わねばならぬことがある」

 

「……え?」

 

スバルの心臓が跳ね上がった。

見知らぬ異形の強者が、なぜ自分の名前を知っているのか。それ以上に、宗弦の視線が向けられている場所に、スバルは耐え難い寒気を覚えた。

 

「貴様の魂魄には、数十回に及ぶ『死の亀裂』が刻み込まれている」

 

宗弦の声が、冷徹に夜の静寂を切り裂いた。

 

「本来ならば、肉体が死を迎えれば魂は肉を離れ、因果の鎖を断ち切って冥府へと還る。それが万物の理だ。だが、貴様の魂魄は死の直前で強引に引き裂かれ、時間の逆流を伴って過去の肉体へと縫い直されている。……その悍ましい因果の重層が、瀞霊廷の計器を狂わせ、この世界の理を擦り切れさせている元凶だ」

 

「っ……!!」

 

スバルの全身から血の気が引いた。

誰にも言えない。誰にも理解されない。口にしようとすれば、あの黒い影が心臓を握り潰しに来る――己の唯一の呪いにして切り札、『死に戻り』。

その秘密の核心を、この男は初対面で見抜いていた。

スバルは反射的に胸を押さえ、奥歯を鳴らした。言えば殺される。自分が死ねば、また時間が巻き戻り、せっかく助かったレムが再び死ぬかもしれない。その恐怖が、スバルの喉を締め付ける。

 

『――言うな――』

 

スバルの脳裏に、あの底知れぬ漆黒の悪意、嫉妬の魔女の気配が蠢き始めた。

空間が急速に冷え込み、スバルの心臓の周囲に、黒い靄のような見えざる手が現れ、その心臓を握り潰さんと指を伸ばす。

 

「あ……が……ッ!?」

 

スバルが胸を掻き毟り、苦悶の表情で倒れ込んだ。

 

「スバル殿!?」

 

弦が即座に反応し、計器を構える。

 

「隊長、対象の魂魄内部から未知の呪詛的エネルギーが急激に活性化! 対象の心臓を物理的・概念的に圧迫しようとしています!」

 

「……なるほど。口外を禁じるための『縛り』か」

 

宗弦は一歩踏み出し、苦しむスバルの頭上へと左手を翳した。

 

「何者かの怨念が、貴様の魂魄に直接巣食っているようだな。だが――他者の魂に泥靴で踏み入るような真似を、護廷の隊長の前で見過ごすわけにはいかん」

 

言霊が、凛と響く。

 

「『縛道の八十一・断空(だんくう)』」

 

詠唱破棄。

宗弦の手の平から放たれた不可視の障壁が、スバルの魂魄の「外部」と「内部」の境界線上に、絶対的な遮断の壁として展開された。

ギチィィィッ……! と空間が軋むような不気味な悲鳴が上がった。

スバルの心臓を握り潰そうとしていた魔女の黒い手首が、『断空』の不可侵の結界に衝突し、それ以上の侵入を阻まれて霧散していく。

 

「ガハッ……! ゲホッ、ゴホッ……!」

 

解放されたスバルが、大気を貪るように荒い呼吸を繰り返す。

死の恐怖から脱したスバルは、信じられない思いで宗弦を見上げた。魔女の呪い、あの絶対的な恐怖の干渉すらも、この男は防壁一つで弾き返して見せたのだ。

 

「隊長、呪詛の波動は一時的に後退しました。ですが、根本的な結合は依然として少年の魂魄深部に根を下ろしています」

 

弦の報告に、宗弦は静かに頷いた。

 

「根が深すぎる。無理に引き剥がせば、この少年の魂魄そのものが砕け散るな。……今はこれでいい」

 

宗弦は視線をスバルへ戻した。

 

「ナツキ・スバル。貴様が何を背負い、どのような経緯でその異能を得たのかは問わん。だが、貴様が死を起点にして時間を巻き戻すたび、三界の境界に綻びが生じている。それは世界の崩壊へと繋がる明白な理の侵犯だ」

 

「世界の……崩壊……」

 

「我々は貴様を断罪しに来たのではない。貴様の周囲に渦巻く因果の歪みを正し、輪廻の循環を取り戻すために境界を越えてきた。……貴様がこれ以上、己の死によって世界を書き換えることを防ぐのが、我々の目的だ」

 

スバルは震える拳を泥に突き立てた。

死にたくて死んでいるわけではない。助けたい人がいるから、失いたくない未来があるから、命を削って抗い続けてきたのだ。

 

「……俺だって、死にたくてやってるわけじゃねぇよ……!」

 

スバルの瞳に、悔しさと覚悟の光が灯る。

 

「俺は……エミリアを助けたい。屋敷のみんなを、村の人たちを、魔女教の奴らから守りたいんだ! でも、俺には何の力もなくて……死んでやり直すことくらいしか、できなかったんだよ……!」

 

「力なき者の足掻きを責める気はない」

 

宗弦の声は、どこまでも冷静だった。

 

「だが、死によって世界を引きずり回すやり方は、ここで終わりだ。……貴様が守ろうとしている場所は、先ほど捕縛した狂信者の記憶にあった『メイザース領』だな」

 

「あ、ああ……そうだ。この先にあるロズワール邸とアーラム村が、魔女教の標的になってる。ペテルギウスの奴は、他にも『指先』って手下を何人も潜ませてるはずだ」

「指先の一端はすでに道中で制圧した。頭目たる思念体もこの通り封じた」

 

弦が白銀の筒を指し示す。

 

「ですが、メイザース領本隊への侵攻計画がすでに動いている可能性は極めて高いです。また、この少年が持つ因果の特異性が、さらなる災厄――観測された巨大魔獣の気配などを引き寄せている兆候もあります」

 

「行くぞ」

 

宗弦は夜風に隊長羽織を揺らし、北西の森の奥へと視線を向けた。

 

「因果の結節点はメイザース領にある。全ての狂気を削ぎ落とし、魂の滞留を解く」

 

スバルは立ち上がり、抱きかかえたレムの体をしっかりと支え直した。

 

「待ってくれ! 俺も連れて行ってくれ! 俺が……俺の目で、みんなが無事なのを見届けるまでは、引き下がれねぇ!」

 

宗弦は振り返ることなく、淡々と告げた。

 

「ついてくるなら勝手にしろ。ただし、足手まといになるようなら容赦なく切り捨てる」

 

「上等だ……! 頼まれても、絶対に死んで巻き戻したりしねぇよ!」

 

漆黒の死覇装を纏う二人の死神と、運命に抗う一人の少年。

交わるはずのなかった二つの世界の因果が、今、ルグニカの大地で一つの奔流となって動き出そうとしていた。夜の闇の向こう、運命の舞台たるロズワール邸が、静かにその輪郭を現し始めていた。

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