地霊殿の全員がやってきたあの日から、さらに数日が経った。文々。新聞の宣伝効果は今も衰えず、『ひだまり庵』には連日多くのお客さんが詰めかけている。
そんな大繁盛の最中である一昨日の夕方、お店に驚くべき人物が直接やってきた。美しい銀髪に上品なメイド服をまとった、紅魔館のメイド長――十六夜咲夜だった。
咲夜はカウンター席に腰掛けると、真剣な眼差しを律に向けてこう言った。
「私に、パスタの作り方を教えていただけないでしょうか」
完璧超人と名高いメイド長が、わざわざ里の端っこまで直接頭を下げに来たことに、律も看板娘のるいも大いに驚いた。
律は少し驚きながらも、「紅魔館のメイド長ともあろうお方が、わざわざ里の店まで直談判かい? お嬢様ならいつでも店に食べに来てくれれば歓迎するよ」と返した。すると咲夜は、少し困ったように眉を下げて苦笑した。
「それが、お嬢様が急に思い立って『今夜はあのパスタが食べたいわ』などと仰ってきかなくて。里の店までその都度通うわけにもいきませんし、何より、お嬢様のお食事を預かる身として、作れない料理があるのは私のプライドが許さないのです。お恥ずかしい話、私がお嬢様に作って差し上げたいのです」
お嬢様のためにプライドを横に置いてレシピを習おうとする彼女的熱意に、律は料理人として深く共感した。
「なるほどね。完璧超人のメイド長に料理を教えるなんて、料理人冥利に尽きるな。いいよ、その依頼、喜んで受けさせてもらう」
「ありがとうございます、店主さん。……いえ、律さん。お礼はいくらでも弾みますわ」
「はは、お礼は教えに行った後に美味いと言ってもらえれば十分さ」
――そして今日。律とるいの二人は、調理器具をカバンに詰め込み、霧の湖のほとりに建つ紅魔館へと足を運んでいた。
冷たい霧が立ち込める霧の湖を通り抜け、二人の目の前に大きな紅魔館の正門が現れる。その大きな門の前では、鮮やかな緑色の中国風の衣装をまとった少女が、こちらに気づいて大きく手を振っていた。門番の紅美鈴だ。
「あ、ひだまり庵の店主さんと看板娘ちゃんですね! お待ちしておりました!」
美鈴は親しみやすい笑顔を浮かべ、気さくに出迎えてくれた。大きくて少し不気味なお屋敷の雰囲気に緊張していたるいも、美鈴の明るい声を聞いてホッと胸を撫で下ろす。
「初めまして、門番の紅美鈴です。咲夜さんから話は聞いてますよ。さぁさぁ、中へどうぞ!」
「よろしくね、美鈴。後でパスタを試食させてあげるからさ」
律が笑いながら言うと、美鈴は「本当ですか!? やったー!」と子供のように目を輝かせた。
美鈴に案内され、二人はついに紅魔館の大きな扉をくぐり、広大でピカピカに磨き上げられた厨房へと通された。
そこには、すでに調理服に着替えた咲夜と、なぜか紅魔館の全員が集まっていた。
「あら、本当に里のパスタ屋が来たのね。咲夜がそこまで熱心になる料理、私も興味があるわ」
大きな椅子に腰掛けた主のレミリアが、不敵な笑みを浮かべて待っていた。その隣では、妹のフランドールがトコトコとるいの前に歩み寄り、珍しそうにジロジロと見つめてきた。
「ねえねえ、あなたが新しい看板娘ちゃん? フランとお喋りして!」
無邪気に笑うフランに、るいは少し緊張しながらも優しく微笑み返した。
「あ、初めまして! 私は水瀬るいです。外の世界から迷い込んできて、今は律さんのお店でお世話になっているんです。よろしくお願いします、フランちゃん」
「るいちゃんね! フランって呼んで! ねぇねぇ、外の世界ってどんなところ? 面白いゲームとか美味しいお菓子がいっぱいあるの?」フランが目をキラキラさせてるいの服の袖を引っ張ると、るいはクスクスと笑った。
「ええ、とっても賑やかなところですよ。今度、外の世界の面白いお話や、美味しいスイーツのレシピをたくさん教えてあげますね」
「わぁい、約束だよ! るいちゃん大好き!」
二人がすっかり仲良しになる様子を見て、パチュリーが分厚い本から目を離し、
「外の世界の人間ね……。あっちの調理法は化学の調合に近くて興味深いわ」と呟き、小悪魔が「パチュリー様、厨房は埃っぽいのでお気をつけて」と忙しそうにハンカチを渡している。
咲夜は少し困ったようにため息をついた。「お嬢様方、あまり店主さんの邪魔をしないでください。……すみません、律さん。みんなパスタをとても楽しみにしてしまって」
「はは、大丈夫だよ。賑やかな方が料理も楽しくなるからさ。よし、それじゃあ始めようか」
律はエプロンをきゅっと締め直し、咲夜の隣に立った。
「パスタを美味しく作る一番のコツはね、ソースと麺のゆで汁を完璧に混ぜ合わせる『乳化』という作業なんだ」
律は手際よく強火でベーコンを炒め、そこにトマトソースを注ぎ込む。そして麺が茹で上がる直前、お玉一杯分の白く濁ったゆで汁をフライパンに加えて激しく煽った。シュバァァァ!と心地よい音が響き、油と水分が混ざり合ってとろりとした濃厚なソースへと変化していく。
「……なるほど。ゆで汁に含まれる小麦粉の成分を利用して、ソースに一体感を持たせるのですね。実に見事な手際です」
咲夜は一瞬でその本質を見抜き、感心したように目を細めた。律のアドバイスを受けながら、咲夜も実際にフライパンを握ってパスタを仕上げていく。流石は完璧超人のメイド長、一度教わったコツをすぐさま自分のものにしてみせた。
「はい、出来上がりましたわ。皆様、どうぞ」
完成したのは、お嬢様の大好きな『完熟トマトと厚切りベーコンのパスタ』。
大皿のパスタが食堂に運ばれると、レミリアがフォークで上品に一口含んだ。その瞬間、レミリアの瞳がキラリと輝いた。
「――っ。……ええ、これよ! 咲夜、素晴らしいわ! ソースの濃厚さが前よりもずっと増しているじゃない!」
「本当だ! クリームが入ってないのにとろとろでとっても美味しい! ねぇるいちゃん、これ凄く美味しいよ!」フランも口の周りを赤くしながら大喜びでるいに微笑みかける。るいも「良かったです! 律さんと咲夜さんが一生経命作ったんですよ」と嬉しそうに頷いた。
パチュリーも「確かに、このソースの絡み具合は理にかなっているわね。これなら毎日でも飽きないわ」と満足そうに目を細め、小悪魔も「咲夜さん、大成功ですね!」と嬉しそうに頷いている。
約束通り門番の美鈴にも少し試食させてあげると、「んん〜っ! ほっぺたが落ちちゃいそうです! 毎日門番頑張れます!」と涙を流して感動していた。
咲夜はみんなの笑顔を見て、律に向かって深く一礼した。「これでいつでも、お嬢様に最高のパスタを届けることができます。律さん、本当にありがとうございました」
「はは、咲夜さんならすぐにマスターすると思ってたよ」
完璧なメイド長にパスタの極意を教え込み、紅魔館の全員を大満足させた。大きな達成感を胸に、律とるいは夕暮れの里へと帰路につくのだった。
第8話をお読みいただきありがとうございました!
咲夜さんからの直々の依頼で、紅魔館へ全員集合の出張料理教室に行くお話でした。お嬢様のためにレシピを習う咲夜さんと、新しくお友達になったフランちゃんとるいちゃんの可愛いお喋り、楽しんでいただけていたら嬉しいです。
次回の第9話もどうぞお楽しみに!