メジロマックイーンの華麗なる現実ライフ。甘味を添えて。 作:灯火011
温かいほうじ茶で一息ついていたマックイーンの耳が、ドアの開く音を捉えてピクリと動いた。
「お疲れ様ッス! 先輩、道に迷った子がいるって――」
元気な声と共に交番に入ってきたのは、まだあどけなさの残る若い警察官だった。しかし、彼はパイプ椅子に座るマックイーンの姿を目にした瞬間、言葉を失って目を丸くした。
「……えっ? おや、コスプレイヤー? しかもウマ娘の……マックイーン?」
「ウマムスメ……?」
聞きなじんだはずの単語に、マックイーンは小首を傾げる。『ウマ娘』と言う言葉が、ひとつの単語としてではなく、何か別の意味合いを含んだ響きに聞こえたからだ。
「おいおい、こんな夜遅くに家出か? 補導されちゃうよ。イベント帰りにしても、作り込みガチすぎでしょ」
「家出ではありませんわ。わたくしはメジロマックイーン。トレセン学園への道を聞くために立ち寄らせていただいたのです」
真っ直ぐに若い警察官を見つめ返し、凛とした声で答えるマックイーン。
その堂々とした振る舞いと、あまりにも自然なお嬢様言葉。痛いコスプレイヤー特有の「無理をしている感」が一切ない。若い警察官は少し戸惑い、初老の先輩警察官と顔を見合わせた。
「……先輩。この子、本当に自分がマックイーンだと思い込んでる……? もしかして、何か事件に巻き込まれて、ショックで記憶が混濁してるとか……」
「うーん。私の勘では嘘をついているようには見えないんだがねぇ。持ち物も不思議なものばかりで……」
「先輩がそう言うなら間違いないっすね。先輩の勘、本当によく当たりますから……。え、じゃあ逆にどういうことっすかね、これ?」
警察官二人がヒソヒソと話し合う声は、マックイーンの優れた聴覚には丸聞こえだった。
(ショックで記憶が混濁……? 呆れましたわ。わたくしは至って正常ですのに)
「あの。なんと説明すればよろしいのかわかりませんが、わたくしは本当にメジロマックイーンなのです。信じていただけないのでしょうか」
彼女の誠実で真っ直ぐな眼差しに、若い警察官はたじろいだ。
「あー……いや、その。ごめんね、疑うわけじゃないんだけど。もし本当に本物のウマ娘だって言うならさ……人間の耳の部分、見せてみてよ」
「人間の、耳?」
「そう。ウマ娘って、人間の耳がある場所には耳がない『設定』でしょ? だから、髪の毛どかして、そこを見せてくれたら信じるよ」
若い警察官は、半ば冗談めかしてそう言った。カツラの下には必ず人間の耳がある。それを見せれば、彼女も現実に戻るだろうという親心からの提案だった。
「……人間の耳など、元より持ち合わせておりませんけれど」
マックイーンは事もなげにそう言うと、美しい白銀の髪を、白魚のような指ではらりと掻き揚げた。
「…………え?」
「…………おや」
交番の空気が、凍りついた。
彼女が髪を退けた側頭部。
そこには、あるはずの「人間の耳」が存在しなかった。
ただ、滑らかで透き通るような白い肌とうなじが続いているだけ。カツラや特殊メイクで隠しているような不自然な凹凸も、一切ない。
「お、おい……無いぞ。耳が、無い」
「あ、ありえないだろ……どうなってんだ……?」
二人の警察官の顔から、一気に血の気が引いていく。震える手でマックイーンを指差し、若い警察官は引き攣った声を出した。
「じゃ、じゃあ……上の、その耳……触っても、いい、かな……?」
「本来であれば見ず知らずの方に触れられるのはお断りですが……緊急事態ですので、どうぞ。手荒にはなさらないでくださいね」
マックイーンが許可を出すと、若い警察官は恐る恐る手を伸ばし、頭頂部でピンと立っているウマ耳に触れた。
―――ピクッ。
「うひゃあっ!?」
「何か、おかしなことでもありましたか?」
「い、いやいや。これ、これ! あ、あったかい……! それに、骨と筋肉が……動いてる! ほ、本物の、生きた耳だ……っ!!」
若い警察官が悲鳴のような声を上げ、初老の警察官も目をひん剥いて固まった。作り物のアニマトロニクスなどではない。血が通い、感情に合わせて動き、微細な音を拾うための本物の「生物の器官」がそこにあった。
「あー……えーと。そ、その……」
若い警察官は、完全にキャパシティを超えた現実を前にしどろもどろになった。警察学校での教育でも、六法全書にも、マニュアルにも、こんな事態の対処法は書かれていない。
「ま、マックイーンさん、その、その! す、少し! すこーし!! このままでいてくださいっ!」
彼はパニック状態のまま無線機をひったくり、転がるように交番の外へと飛び出していった。
「あ、おい! どこへ行くんだ!」
引き留める声虚しく、残された初老の警察官も、頭を抱えて唸り声を上げた。
「うーん!? ……これは、どういうことかなぁ……。長年勤めてはいるが初めての経験だ……。お嬢ちゃんそれはその、コスプレでも、その、手品、でも、偽物じゃないよねぇ……」
完全に混乱し、腰を抜かしかけている警察官を見つめながら、マックイーンは冷めたほうじ茶をゆっくりと啜った。
(……人間の耳。コスプレイヤー。存在しないトレセン学園)
すべてのピースが繋がり、ひとつの明確な答えが彼女の頭の中で結像していく。
ただ道に迷ったのではない。
街並みが変わったわけでもない。
「……やはり、ここはわたくしのいた世界とは、決定的に『何かが違う世界』……、なのかもしれませんわね」
交番の時計の針が、無機質な音を立てて進む。
自分がとんでもない事態に陥っていることを完全に理解したマックイーンの瞳には、不安と同時に、メジロのウマ娘としての静かな覚悟が宿り始めていた。
連投はここまで。明日からは、一日2話投稿予定です。
一話あたりは2000字ぐらいの話になります。