メジロマックイーンの華麗なる現実ライフ。甘味を添えて。 作:灯火011
「……マックイーンさん。お休みの所、まことに申し訳ない」
深い眠りの底から、控えめな声で引き上げられた。
マックイーンがゆっくりと目を開けると、応接室の窓からは既に白み始めた朝の光が差し込んでいた。昨夜はあの後、温かいお茶を飲んでいつの間にかソファーで眠ってしまっていたようだ。
身を起こし、瞬きをして視界をクリアにする。
彼女の目の前には、昨夜の警部だけでなく、数人の見知らぬ大人たちがずらりと並んでいた。
白衣を着た医者らしき人物、機材ケースを持った鑑識官、威厳のあるスーツ姿の初老の男性――おそらく警視クラスの幹部だろう――そして、少し緊張した面持ちの女性警官だ。
「……おはようございます。皆様、お揃いですわね」
状況を瞬時に察したマックイーンは、衣服の乱れを軽く整えると、ソファーから立ち上がって優雅に一礼した。異世界に放り出され、一晩を警察署で明かしたというのに、その気品は一切損なわれていない。
幹部らしき警視が、一つ咳払いをして口を開いた。
「単刀直入に言おう。君が本当に『架空の存在であるウマ娘』なのか、それとも非常に手の込んだ偽装を施した人間なのか。それを今から証明してもらう」
「ええ。異存はありませんわ」
「……まずは、ボディチェックも兼ねてシャワーを浴びてもらう。彼女が付き添うが、構わないね?」
「承知いたしました」
マックイーンは静かに従った。
女性警官に案内され、署内の仮眠室に併設されたシャワー室へ向かう。
お湯を浴び、シャンプーで髪を洗い流す間も、女性警官の目はマックイーンの頭部と腰のあたりに釘付けになっていた。カツラや接着剤が剥がれる様子はなく、それどころかお湯を弾くしっぽの毛並みは、濡れてなお美しかった。
「……本当に、作り物じゃないのね……」
「わたくし、最初からそう申し上げておりますわ」
さっぱりと汗を流したマックイーンは、女性警官が用意してくれたゆったりとしたグレーのスウェットに着替える。
スウェットのサイズは少しばかり大きかったが、しっぽを出すためのスリットを即席で開けてくれた女性警官の気遣いに、マックイーンは感謝を示した。
■
応接室に戻ると、今度は鑑識と医者による本格的なチェックが始まった。
「……人間の耳がない。側頭部の皮膚に縫合痕も、特殊メイクの痕跡も一切なし」
「頭頂部の耳は頭蓋骨から直接構造が繋がっており、音への反応、筋肉の動きともに完全に生物のそれです」
「尾骶骨から伸びるしっぽも、神経が通っています。引っ張ると痛覚があるようです」
専門家たちが次々と信じられない事実を報告するたびに、警視の顔から血の気が引いていく。そして、一通りの身体的特徴の確認が終わった後、警部が一歩前に出た。
「……マックイーンさん。私が調べたところ、『ウマ娘』という存在は、人間の常識をはるかに超えるパワーとスピードを持っているという設定……いや、特徴があるそうですね」
「ええ。走ることに関しても、力に関しても、人間の方々よりは少々秀でていると自負しておりますわ」
「であれば……」
警部は少し躊躇った後、自身の胸をドンと叩いた。
「私を持ち上げることはできますか? これでも柔道で鍛えていましてね、体重は90キロ近くあるのですが」
それを聞いたマックイーンは、ふわりと微笑んだ。
「もちろんですわ。そのままでいらしてくださいな」
彼女はスウェットの袖を少し捲ると、警部の正面に立ち、彼の両方の脇の下にスッと細い腕を差し込んだ。
そして。
「ふっ」
短い呼気とともに、マックイーンは「ひょいっ」と、まるで小さな子供を高い高いするような軽さで、90キロの巨漢を宙に浮かせた。
「うおおおっ!?」
警部の足が床から完全に離れる。踏ん張る様子も、腕をプルプルと震わせる様子もない。マックイーンの涼しい顔はそのままに、屈強な大人の男が完全に彼女の腕の力だけで持ち上げられていた。
「こ、これでよろしいでしょうか?」
「お、おろしてくれ! もう十分だ!」
そっと床に下ろされた警部は、信じられないものを見る目でマックイーンを見つめた。筋力トレーニングをしている成人男性でも、90キロの人間を真正面から持ち上げるなど至難の業だ。それを、こんな華奢な少女がいともたやすくやってのけたのだ。
部屋の中は、完全な静寂に包まれた。鑑識も医者も、そして警視も、ただただ呆然としている。
やがて、警視が深く、本当に深く息を吐き出して、苦笑いを浮かべた。
「……うーん。降参だ。これは完全に、我々警察の『範疇外』だな」
警視は頭を掻きながら、マックイーンに向き直った。
「君が人間の常識の枠に収まらない存在だということは、嫌というほど証明されたよ。君のような存在を、安易に外の街へ出すのは大きな混乱を招くことになるだろう」
「……」
「今後の処遇が決まるまでは、すまないが、この署内で過ごしてもらうことになる。君の身の安全のためにも、それが一番いい」
監視下に置かれるという宣告。しかし、マックイーンにとってそれは想定内のことであり、何より未知の世界をあてもなく彷徨うよりは遥かにマシな選択だった。
「承知いたしました。わたくしも、不必要に騒ぎを起こすつもりはありませんので」
マックイーンは静かに、しかし確かな覚悟を持って頷いた。
ウマ娘の居ない世界。
彼女の生活は、当面の間、この警察署を舞台にして紡がれることになったのだった。