湯神くんには友達がいないの二次創作を書きました。
高校での一幕と、その後の話

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ふたりのあいだにあるものは

 

 ひゅるりと、からりとした気持ちのいい風がカーテンを揺らした。間延びした野球部の掛け声は、気付けば静かになっていた。手元のニードルフェルトも随分と固まってきている。そろそろ帰ろうかと、後輩である野上へ声掛けをして、ちひろは戸締り戸締りと窓に寄る。はためくカーテンにわぷと声を上げながら、ちひろはカーテンをまとめていく。

 

 ふ、と耳慣れた声を聞いた気がしてちひろは外を見た。ばちりと合った視線にちひろは何とも言い難い表情をした。

 

 後ろからちひろの奮闘(風がつよい日のカーテンは荒れるのだ)を観戦していた野上は、ちひろの態度に時計を見た。完全下校時間まではまだ余裕がある。少しくらいは遅れても問題はなさそうだと、野上はゆっくり静かに片づけを続けることにした。誰相手でも穏やかなちひろが唯一態度を取りかねる相手。野上にも、特徴的なぴょこんと跳ねた寝癖がよく見えたからだ。

 

 湯神くんは練習終わり? と朗らかに声を掛けるちひろに、寝癖の主である湯神は「ん」とひと言未満の返事を返す。

 あまりにあまりな反応に、ちひろの眉が寄り、声が尖る。

 

「湯神くん……。それ、失礼だと思う」

「相槌みたいなもんだろ。あなた達ももう帰りか?」

「うん。湯神くんもお疲れ様。こっちまで湯神くんの声聞こえてきたよ」

「……他には?」

「湯神くん以外の? そんなに意識して聞いてないからなぁ。分からないや」

 

 湯神が破裂音にも似た舌打ちをする。

 

「あいつら……。気合の証拠に声は出してるとか言ってるくせに……!」

 

 どうやらまた揉め事らしいぞと、ちひろは察する。この偏屈男、湯神と関わり合いになってからはよくある話である。

 そして巻き込まれるのもよくあることで。巻き込まれるのは御免であると、ちひろはあははと誤魔化すように笑う。湯神が何に腹を立てているのか、野球部マネージャーである友人を介して大枠は知っているのだ。しかしいきなりに話を打ち切るわけにもいかず、他にすべき話もなく、同じ話題を続けざるを得ない。

 

「声出し週間なんでしょ? 確かに湯神くんの声は聞いたけど、他の人も多分聞こえてたと思うよ。湯神くんの声が一番聞きやすかっただけで」

 

 とりなすようなちひろの声も、湯神はほとんど聞いていない。

 

「あいつら……、俺以上に声出すって練習前に言ってたんだよ。それが出来たら明日のポカリ、いつもより濃くしてくれって要求までしてきてたんだ。ポカリの量は水1リットル辺りに適切な量が決まっているし、部費の範囲内で計画を立ててるんだ。だから濃くした場合、どれだけ予算に影響が出るかまでわざわざ計算したんだぞ……!」

 

 なのに、あいつら自分が立てた目標すら忘れて……! そう憤る湯神をまあまあとちひろはなだめる。校舎の奥から、何かと貧乏くじを引きがちな後輩が覗き見ていることに気づいたからだ。湯神に振り回される門田はちひろとしても不憫に思うところがある。だから、放っておけば勝手に怒りのボルテージを上げていくだろう湯神の気を逸らすことにした。

 

「ええと……そういえば、湯神くんはいつも寝癖がついているよね。爪とかきれいにするのに、髪は直さないの?」

「……これは俺の調子のバロメータなんだ」

 

 バロメータ? 聞き慣れない言葉に首をかしげるちひろに、湯神は少しだけ身を乗り出す。

 

「環境指標だよ。元々は気圧を測るための装置を指していた言葉が、物事を測る言葉全般に使われるようになった言葉なんだ」

「へぇ……。気圧のことをそういう風にいうんだね。でも、気圧なんてあんまり身近じゃないのに、どうして全般に使われるようになったんだろ?」

 

 ちひろは答えを得るべく湯神を見る。が、湯神は何故か口をむっつりへの字に曲げている。

 

「それは……わからない。確かに……なんでだ?」

 

 うかつに放り投げた質問はどうもストライクだったようで。その事実にちひろは目を瞬かせる。しかしそれよりもちひろはなぜ寝癖がバロメータであるのかという話にこそ興味がある。だから脱線して話が長くなると困る。何より野上まで帰りが遅くなってしまうのは困るのだ。この後輩はとても付き合いがいいのだから。

 こう言う時は、と強引に話を元に戻す。とりあえず話を進めれば、文句を言いながらも湯神は対応してくれるのだ。

 

「それより寝癖があると調子がいいって言うことなの?」

「……ん? ああ。どれだけ深く眠れたかがこの寝癖に現れているんだ。だから単なる寝癖ではなくて、自分の調子を確認することのできるバロメータとして活用しているのさ」

「それはいいんだけど、確認したら直すんじゃだめなの?」

 

 ぐうの根も出ない正論である。言葉に詰まる湯神に、ちひろはなんとなく機嫌が良くなる。普段言いくるめてくる湯神の上をいった。どうせすぐに屁理屈を持ち出してくることも分かっているから、ちひろの動きは早い。

 

「じゃあ、そろそろ私も帰るから、戸締りしちゃうね。また明日!」

 

 ガラガラと窓を閉め鍵をかける。シャッとカーテンを閉める直前、湯神は何かを言おうとしていたらしい。

 くふふと笑いをこぼすちひろ。夕暮れ時、満足げな表情を見せるちひろを、水晶玉越しに野上はじっと眺めているのであった。

 

 ***

 

 夜のとばりが降りた川沿いを、ちひろと湯神が歩く。今日の円楽は素晴らしかったと、落語よろしく何度も同じ話を繰り返す湯神と、それを流し聞くちひろ。もはや習慣に近づきつつある落語の帰り道である。

 

 湯神はペラペラと留まることなく称賛の言葉を繰り返す。円楽ほどの話術はなくとも、言葉選びはさすがの知識量。耳慣れない言葉で今日の噺を表現する湯神の話は、隣で一緒に楽しんでいたちひろにとっても面白みがあるものだ。

 時折(やや頻度は高い)うんざりすることもあるが、昔ほど一人でペラペラ話すこともない。丸くなったなぁと内心ほくそ笑むちひろに、湯神が気づく様子もない。

 

 高校時代と比べて、良くも悪くも変わらない湯神だが、それでも進歩をしているのだなぁと。しかし湯神がちひろの相槌に同じことを考えているとは夢にも思っていない。

 話したいことを好き勝手話す湯神と、それに耳を傾けるちひろ。つまるところ、二人の姿もまた、昔と変わらないのだ。自覚があろうともなかろうとも。

 

「そういえばさ、湯神くん、髪伸びても寝癖は相変わらずなんだね」

「ん、いいだろ別に」

「何だっけ、毛布が悪さしてるんだっけ?」

「よく覚えてたな……。忘れてもよかったのに」

「いっつもおんなじ寝癖だったし、変な寝方なんだなって思ったもん。あれってどんな寝方ならできるんだろうって、みんなで話したこともあったなぁ。さすがに言えなかったけど、変なナイトキャップ付けてるんだとか、そういうセットなんだとか、熱い議論だったよ……!」

「人の寝癖で熱い議論なんてするなよ……」

 

 それで、とちひろが続けようとすれば、湯神はちひろと反対の方へ顔を背けた。それが意味することは明らかで。

 

 もし、知り合ったばかりの頃ならちひろは平謝りしただろう。

 もし、修学旅行の頃のちひろならば聞くことはなかったはずで。

 もし、卒業直前のちひろなら、まあいいけどと言ったはずだ。

 

 だが、今は。

 

「結局、直したりはしないの?」

 

 躊躇なく、ちひろは湯神に聞く。湯神に体を向けて、カニのように横歩きをしながら。あっけらかんとしたちひろの問いかけに、湯神は苦言を呈す。

 

「また転ぶぞ。あなた、どんくさいんだから」

「湯神くんが直さない理由教えてくれたら前向いてあげる」

「別に、いいだろ……そんなこと」

「だって気になるよ? 毎日ほとんど一緒の寝癖だったもん」

 

 ほらこんな風な、とシルエットを手で作ろうとしたちひろは口を閉じる。何か、記憶をくすぐる感覚があった。それは湯神も同じようで、黙った二人の間をびゅうと風が吹き抜けた。

 

「バロメータ!」「バロメータ」

 

 二人の声が揃った。いや、少しだけちひろが早い。

 覚えていたのかと目を丸くする湯神に、してやったりなと得意げなちひろだ。忘れてないよ、とちひろは笑う。別にそうは思ってない、と口をへの字にする湯神。

 

「そっか、バロメータだ。じゃあ、今日の調子はどうかな?」

 

 ちひろはジロジロと湯神のさっぱり整えられた髪型に視線を集中する。

 段差あるぞ、と湯神の注意などお構いなしに(大股でクリアした)、ううむと唸る。

 

「別に、分かるだろ調子くらい」

「円楽さんの噺聞いて悪いわけないもんね。でもいい時を知ってれば役に立つでしょ?」

 

 測ってみたら実はもっと良かったりするかも? などとあっけらかんとしたちひろに、湯神はやめろよという言葉を見失う。結局こほんと咳払いをして切り替える。

 

「……気圧の変化は目に見えないだろ。それを針の上下として明確化するバロメータは、測るという言葉の代名詞になった。その時代で一番分かりやすく、流通する言葉になったんだ。そこから転じたことで変化を、バロメータと呼ぶようになったんだ」

 

 はてなを浮かべるちひろに、湯神はニヤリとする。完全にちひろの意識が寝癖から逸れたのを見切ったのだ。

 

「測るべき変化はあなたには無さそうだけどね」

「えー、そうかなぁ。さすがに少しは変わったと思うけど。でも湯神くんは確かに変わったね!」

「例えばどこが?」

「髪型とか!」

 

 クスクスと声を漏らすちひろに、憮然とする湯神。

 見た目だけだろと言い返すのが精いっぱいの湯神に、ちひろの笑い声はより大きくなるのだった。

 

 ***

 

 家に帰り、お風呂を沸かしながらちひろはあざらしのぬいぐるみをぎゅうと圧縮するように抱きしめる。

 

「あんまり変わってないかなぁ……」

 

 大学生。一人暮らしにも慣れきって、毎日自炊もしている。しかし、湯神にとっては変わらぬままに見えているらしい。変わらないねと言ったこともあったし、あなたもねと言われたこともあった。しかし新たなステージへと躍り出たはずなのに変わらないというのもいかがなものか。

 

 あざらしは物言わぬまま、黙って主人の横暴に耐えている。ため息と共にあざらしを解放すれば、空気が吸い込まれるような音を立てて元のふくらみを取り戻していく。しゅぅという音に、通知音が混じった。

 

 スマートフォンに映るのは美味しそうに揚げられたアジフライ。そして一言。

 

『成長はした』

 

 そしてちひろが見ている中で、ぽこんとメッセージが追加される。

 

『このくらいは、あなたも』

 

 回りくどく、素直ではないその一言に、ちひろは。

 

 ドアの向こうからお風呂が沸きましたとアナウンスが鳴る。ちひろはそうだったと言いながらドアを開けて、そして忘れてた忘れてたと慌ただしくUターンする。

 

『了解』

 

 ちひろがたった二文字を送れば、湯神からすぐに丸くて大きな生き物のスタンプが返ってくる。ちひろは同じ大きな生き物のスタンプ連打で湯神を圧倒して、タオルと着替えを持って立ち上がる。

 

 そして鼻歌とともにお風呂場に向かうのだった。

 

終わり

 


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