「なあ、俺って…………かわいい?」
ニコが突然、座る俺の太ももに両手をついて身を乗り出し、そんなことを言った。
無駄にデカい胸が寄せられて、視線が吸い寄せられそうになるのをグッと堪える。こいつは見ても気づかないだろうけど、まあ念のため。
「自分でわかんねえの」
努めてそっけなく返した。ニコは頬を膨らませる。は? 無駄にかわいいのやめれる?
「そりゃ、客観的にどうかは自分でわかるけどさ……、つまり、お前の好みかって聞いてんの!」
は? かわいすぎ。無理。
えどういうこと? 誘ってる? 俺誘われてる?
……いや、相手はニコだ。鈍感ニコだぞ、俺。今まで相手してきたような女と同じ判断基準をこいつに適用してはならない——、
「……あ。ムカついた。今ほかの女と比べただろ、俺のこと!」
なんでそういうとこだけ鋭いんだこの野郎。
☆☆☆
孤児院からの幼馴染で、冒険者としての相棒であるニコが女になった。……こうやって文章にすると意味がわからなさすぎるが、現実だった。
最初は混乱して胸を鷲掴みにしてみたりした。本物だった。悪質なドッキリである可能性は早々に消えたのだ。
ニコは魔術師で、俺なんかよりよっぽど自分が発動させた魔法陣の高度さがわかっているようだった。治療院で治癒師が「同じような魔法陣をもう一度発動させればあるいは戻れる」と言ったとき、あいつが諦めたのがわかったから。俺は受け入れるしかなかった。
最初はいつも通り扱おうとした。それでも、相棒の面影が少しだけしかないような、小さな女の子——顔が好みかどうかには言及しないことにする。察してくれ——になってしまったニコに、いつも通りなんてできない。女扱いすればいいのか、俺は迷いに迷った。
夜の迷宮都市は治安が悪い、と引き留めた俺を振り払って走ったニコ。その背が、受け入れ難いほど小さくて。受け入れるしかないと思っていたのに、ニコが一人になりたいならそうしてやらなきゃと思うのに、足が勝手にあいつを追っていたっけ。
案の定酔っ払いのおっさんに絡まれて、ニコは普段なら簡単に抜け出せるところを弱々しい抵抗しかできていなかった。だから割って入った。
「ニコ。……帰ろ」
手を引いて歩きながら、ずっと混乱していた。隣に並んで立つのが当然だったニコ。それが、今はこうだ。引いている手の小ささと、触られるのが嫌いなニコが俺にされるがままなこと。……考えてしまったら、もうだめだった。
ニコの『師匠』が来たと知ったときは焦った。今度こそニコが『師匠』についていってしまうのではないかと。
結局のところ、ニコはどこにも行かなかったし、それどころか決意を固めた顔をしていた。『師匠』ならニコを男に戻せるけど、女のままでいることに決めた、なんて言って。
「魔術のその先を目指すなら、このままがいいと思って。断った」
「……そ」
協会の酒場で俺の奢ったジュースを飲みながらニコは俺を窺っていた。俺はなんでもない顔を作るのに必死だった。
だって、俺は心のどこかで喜んでいたから。ニコが戻りたいっていうなら何を置いても協力すべきなのに、ニコが女のままでいるってことは、こいつを俺の隣に引き留めるための武器が一つ増えるってことで——。なんて、最低なことを。
昔からニコは俺の特別だ。きっかけなんて覚えていないけど、それでも特別。ずっと隣にいて、同じ未来を見て、そんなのは当然のことだった。
身体が女になったから、なんだって言うんだ。……そう、言えたらよかったのに。欲は正直で、俺はニコへの欲を悟られないようにいつもの軽薄さで隠そうとしていた。隠せていたかは知らないが。
触られるのが嫌いだと知っているのに、わざと触って確かめようとした。拒絶されてしまえば俺だって引き下がれるのに、俺の顔を見て、ニコはきっとあいつの中で俺の切実さを汲んでしまう。拒まないってことは俺はお前の特別なのか? 俺の中で都合のいい欲望が育っていく。育ってしまう。
あのときの俺にそれが恋か、と聞いたって首を振るだろう。俺はそもそもそんなお綺麗なものを知らない。俺が知ってるのは即物的な欲望か、もしくは打算にまみれた関係だけだった。
……ああでも、そうか。男だったニコと俺の関係って、俺の知ってる中でいちばん綺麗だったのかもな。欲望でなく、打算でもなく。ただあいつを相棒と呼んだのは、……。
そうだ。俺は、俺の中でいちばん綺麗なものを、俺のよく知る汚い欲で汚してしまうのだけが怖かった。それでもニコは俺から離れないんじゃないかって、期待してしまうのが怖かったんだ。
何度か通った店の女に道で会ったとき、ニコを「そういうんじゃない」と言ったのは、俺の意地だ。
ニコは違う。……そんな、簡単な言葉で表せる関係なら、俺だって、とっくに……。
ずっと後悔していることがあった。ガキのころ、ニコが『師匠』と特訓をした最後の日。俺はニコがどこで特訓しているかついに突き止めて、陰からずっとそれを見ていた。そして聞いてしまったのだ。
「ほほ、うれしいことを言うてくれる。なんならわしが引き取って育ててやっても良いのじゃが……」
孤児院の子どもにとって、有力な里親に引き取られるのは成功への一番の近道だ。あの『師匠』がただものでないことは俺みたいなガキにもすぐわかった。ただ、あのときの俺を支配していたのは、
——ニコを連れていくな!
——俺たちは約束してるんだ! 二人で冒険者になるって!
視線で人が殺せるなら、数人は殺していたかもしれない。気づけばそれくらいの気持ちで『師匠』を睨みつけていた。
『師匠』は結局、ニコを連れてはいかなかった。そのときの俺は安堵したが、時が経つにつれてことの重大さがわかってくる。
だってニコは魔術が好きなんだから。俺なんかと冒険者をやるより、思う存分魔術の研鑽に勤しめる環境のほうが、そりゃいいに決まってるだろ。
ずっとそう思っていた。ニコの未来を俺が奪ってしまった、と。
けどニコは言ったんだ。
「あのな、俺は俺がなりたいから冒険者になったんだ」
「お前に誘われてなかったら、……多分俺がお前を誘ってた」
「相棒ってそういうもんなんじゃねえの」
なあニコ。
俺がどれだけ救われたか、わかるか。
お前はいつもいつも、お前の中で理屈をこねくり回して、ときどき俺から逃げるけど、だけど。
俺の欲しい言葉を、欲しいときにくれるんだな。
ニコが魔法陣の効果を推測とはいえ俺に明かしたとき、俺は絶望した。俺はあいつの未来を狭めたくないと思いながら、いちばん侵してはいけない境界線を侵したんだと。ニコは俺の欲しい言葉を欲しいときにくれるのに、俺は違う。俺はニコに何も返してやれないどころか、奪ってしまっている。
男だったニコが、女になる。そのきっかけが俺かもしれないなんて受け入れられなかった。……そう、それだけなら俺だって、ニコに謝って、頭を地面に擦り付けて、なんだってする、悪かったと言えただろう。
……心の中に、昏く喜ぶ俺がいた。ニコだって俺との別離を望んでいなかった。それで女になってもまた、俺を選んでくれるなら——、
俺たち、堕ちる場所は同じだって、思ってもいいか?
☆☆☆
「……あー、かわいいかわいい。これでいい?」
「誠意がない! 気持ちがこもってない!」
諦めてニコをかわいがったつもりが、本人からダメ出しを受けてしまった。誠意……ねえ。
「なに、俺が本気だしたらお前泣くけど。いいわけ」
少しだけ、欲をのぞかせてみる。どうせニコのことだ、そうすればビビって引くはず——。
「………………見せてよ」
「へ」
「………………」
「………………」
「………………やっぱ嘘! 今のなし! なし!」
「………………はあ〜〜」
脱力。天を仰ぐ。
マジでこいつ、いつか
お付き合いいただきありがとうございました。