裏社会のジョーカー、現代ダンジョンで成り上がる ~世界最大の賭場に人生を賭ける~   作:パラレル・ゲーマー

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第15話 アメ横、二回戦

 夜の静寂が降りた西新宿の四畳半。

 唯一の光源であるデュアルモニターの青白い光が、神崎隼人の横顔を鋭く照らし出していた。

 

 左のモニターには、SeekerNetで検索したE級ダンジョン《棄てられた砦》の攻略情報や、モンスターの生態データが羅列されている。

 右のモニターには、隼人自身の現在のステータスと装備構成、そして今日F級ダンジョンを卒業した際に洗い出した『五つの課題』のメモが表示されていた。

 

 ①武器の更新

 ②MP循環(継戦能力)

 ③対多人数陣形

 ④物理・毒・拘束への対策

 ⑤能動防御の確保

 

「さて、どこから手をつけるか」

 

 隼人は椅子に深く背中を預け、モニター上の文字を睨みつけた。

 現在、彼の探索用口座には、《灰燼の首飾り》の売却益と、その後も積み上げたF級周回の通常戦果によって、以前とは比較にならないだけの余裕が生まれている。

 かつての、八万円の残高を睨みながらアメ横のジャンク箱を漁っていた時とは、盤面の余裕が決定的に違う。

 

 だが、金があるからといって、すべてを一度に解決しようと手当たり次第にカードを買うような真似はしない。

 ギャンブラーの鉄則だ。不必要なチップまでテーブルに積めば、それだけ回収のリスクが高まる。

 

 隼人はメモの項目を一つずつ、「E級へ一度入る前に、絶対に今すぐ必要か?」という冷徹な基準で判定していく。

 

 まず、①の武器。

 手元にある【初心者用ロングソード】は、F級の肉薄なゴブリン相手なら十分だったが、盾や鎧で武装したE級の兵士相手には明らかに火力が足りない。

(更新、必須だな)

 

 次、②のMP循環。

 現在の最大MPは71。《ヘビーストライク+範囲攻撃》の消費MPは9。

 満タンの状態からでも、せいぜい七、八回振れば底が見える。E級の敵の多さと耐久力を考えれば、マナフラスコだけに頼った息継ぎでは確実にどこかでガス欠を起こす。

(これも更新が必須だ。自給自足のエンジンが要る)

 

 ③の対多人数。

 これについては、すでに《範囲攻撃》のサポートジェムがある。F級のように綺麗に一箇所にまとめられない可能性は高いが、それは新しい装備を買う前に、実戦で敵の動きを見てから立ち回りでカバーすべき問題だ。

(保留)

 

 ④の物理・毒・拘束。

 物理ダメージについては、盾のブロック率24%と、HP332、そして《万象の守り》の自動防御がある。完璧ではないが、即死するレベルの火力が飛んでくるかは、受けてみないと分からない。

 拘束については、すでに答えを持っていた。

 

 隼人はキーボードを叩き、《棄てられた砦 蜘蛛 糸 拘束》の検索結果を右モニターに並べた。

 無数に上がる攻略報告の中に、共通する一つの事実がある。

 

『蜘蛛の糸による移動阻害は、システム上はデバフ(弱体化)として判定される。《解呪のフラスコ》で解除可能』

 

 隼人は、腰のベルトから一本のフラスコを抜き出し、中に入った透明な液体を揺らした。

「……一枚、もう持ってたな」

 

 アメ横の初戦で、ゴブリン・シャーマンの未知の呪いへの保険として購入した《解呪のフラスコ》。

 あの時は結局使わなかったが、今度は蜘蛛の糸に対する明確な特効薬として機能する。

「呪い対策として買ったカードが、別の場所でも別の用途で刺さる。こういう腐らないユーティリティの手札は強いな」

 

 残るは、毒。

 《棄てられた砦 蜘蛛 毒》で検索すると、継続ダメージが厄介であること、被弾しないのが最優先であること、そして『混沌系の防御が有効だった』という曖昧な報告がいくつか見つかった。

 だが、毒のシステム判定が「絶対に混沌属性である」という確証までは得られない。個体差や、毒の強度によって計算式が違う可能性もある。

 

「分からない部分が残るな」

 

 隼人は顎を撫でた。毒そのものを即座に解除する標準的な回答は、少なくとも今調べた範囲では見つからない。

 そこで彼の目に留まったのが、古い攻略記事の隅に載っていた一本のフラスコだった。

 

 《アメジストのフラスコ》

 効果:使用後6秒間、混沌耐性+35%

 

「毒専用の完全な答えじゃない。だが、俺のステータスにある『混沌耐性0%』という明確な穴を、一本で一時的に塞げる」

 蜘蛛の毒に混沌系のダメージが含まれているなら、その部分の被害を抑えられる。少なくとも、何も持たずに入るよりはいい。

「当たってから後手で考えるよりは、安い保険だな」

 購入候補へ追加する。

 

 最後の⑤能動防御。

 検索窓に『戦士 盾 パリィ』と打ち込むと、《パリィ》《リポスト》《ガード時回復》といった防御系ジェムの膨大なリストが弾き出された。

 どれも魅力的だ。囲まれた状況を打破するための「能動的な盾の運用」は、今後の生存に直結する。

 だが。

 

「今買うのは違うな」

 隼人はリストを閉じた。

 ゴブリン兵がどんな軌道で剣を振ってくるのか。弓兵の射撃密度はどれほどか。ホブゴブリンの突進の重さは。

 それをまだ一つも、自分の目で見ていない。

「能動防御が欲しいってことまでは分かった。だが、何を買うのが正解かは、相手の盤面を見てからだ」

 

 見えない敵の幻影に向かって、貴重なリソースを空撃ちするような真似はしない。

 

 最終的に、優先順位は三つに絞られた。

 今すぐ買うべき絶対の手札。

 

 A:新しい武器

 B:MPを循環させるための《マナ・リーチ》

 C:混沌の穴を埋める《アメジストのフラスコ》

 

「九枚も十枚も、一度に山ほど買う必要はないな」

 隼人はメモ帳の三つの項目にチェックを入れた。必要なピンポイントの穴だけを、最も効率よく塞ぐ。

 

 さらに、Bの《マナ・リーチ》について、古い戦士向けの考察記事を読み込んでいた隼人は、ある事実に気がついて小さく息を飲んだ。

 

 サポートジェム《マナ・リーチ》。

 効果:物理攻撃で与えたダメージの一部を、MPとして吸収する。

 

「……待てよ」

 隼人の脳内で、パズルのピースがカチリとはまる音がした。

 マナ・リーチは、「一回殴れば固定で〇〇MP回復する」という仕様ではない。あくまで『与えた物理ダメージに依存』して吸収量が決まる。

 

 つまり。

 武器を買い替えて、基礎火力が上がる。

 必然的に、《ヘビーストライク》で叩き出す最終ダメージが跳ね上がる。

 ダメージが上がれば、マナ・リーチによるMP吸収量も増大する。

 吸収量が増えれば、スキルをさらに連続で撃てるようになる。

 そして、また大きなダメージを出せる。

 

「武器の更新と、MP枯渇の問題は、別々の課題じゃないのか」

 

 一つの装備更新(強力な武器)が、火力の底上げと、MPエンジンの強化という二つの穴を同時に、かつ爆発的に埋める。

「これが……ビルドを組むってことか」

 

 配られたカードが単体で強いのではない。組み合わせた時のシナジーが、掛け算となって盤面を支配する。

 隼人は思わず、薄暗い部屋の中で獰猛な笑みをこぼした。

 

 壁に立てかけてあった【初心者用ロングソード】を見る。

 数日間、文字通り血と泥にまみれてゴブリンの頭を叩き割り続けた相棒だ。魔素による自己修復のおかげで、刃こぼれ一つない。まだ十分に戦える。

 つい先日までは、「まだ使えるから買い替えない」と判断していた。

 

 だが、今は条件が違う。

「使える」ことと、「今の盤面での最適解」は別物だ。

 

「配られた手札が変わったなら、導き出す答えも変わる」

 隼人は躊躇なく、武器の買い替えを決定した。

 

 最後に、予算の設定だ。

 数十万円規模の余裕が生まれたとはいえ、全額をテーブルに置くような真似はしない。

「E級の一次準備予算。十万、だな」

 

 独り言が部屋に響く。

 十万円は今でも大金だ。だが、現在の探索収益から見れば、必要な投資として現実的に切り出せる額でもある。

 

 それでも、金を軽く扱う気はない。

「これで足りなかったら、その時に二次予算を追加する。最初から、本当に必要かどうかも分からない不確定な物まで買い漁る理由はない」

 

 資金の余裕は、判断の冷徹さを鈍らせる毒にもなる。隼人は自戒を込め、十万円という絶対のラインを引いた。

 

 ◆

 

 翌朝。午前九時過ぎ。

 山手線に揺られ、隼人は上野駅のホームに降り立った。

 前回、生き残るための最低限の手札をかき集めに来た時と、ほぼ同じ時間帯だ。

 

 だが、目的の質が全く違う。

 前回は「何が落ちているか分からないジャンク箱から、当たりを引く」ための探索。

 今回は「すでに自分の中で確定している三枚のカードを、適正な価格で買い叩く」ための仕入れだ。

 

 当然、今回もドローンの電源は切ってある。配信はOFFだ。

(自分の買い物を世界中に実況しながら値段交渉をする馬鹿はいない)

 

 上野の高架下、アメヤ横丁の探索者向け市場。

 相変わらずの喧騒、スパイスと魚介の匂い、そして魔素の独特なオゾン臭が入り混じる混沌とした空間。

 だが、隼人が市場の通りを歩き始めると、前回とは明らかに違う反応が周囲から返ってきた。

 

「……あれ?」

「おい、あいつ。JOKERじゃね?」

「マジだ。昨日のオークションで十四万の首輪売った奴だろ」

 

 すれ違う探索者や、露店の店主たちの何人かが、隼人の顔を見てヒソヒソと囁き合っている。

 まだ街を歩けないほどの有名人というわけではない。だが、SeekerNetの急上昇や公式オークションの話題性により、確実に顔と名前が売れ始めている。

 

「おっ、兄ちゃん! JOKERだろ? 配信回してないのか?」

 調子の良い防具屋の店主が、声をかけてきた。

「してない」

「なんだよ、回してうちの店を宣伝してくれよ! 安くしとくからさ!」

 

 隼人は立ち止まらずに、横目で店主を睨んだ。

「俺のチャンネルで宣伝してほしいなら、逆にそっちから広告料を取るぞ」

「うわっ、がめついねえ!」

 

 軽いやり取りで躱したが、隼人は舌打ちをした。

 有名税というやつだ。顔が割れていると、足元を見られるだけでなく、逆に過剰なサービスを押し付けられて恩を着せられる可能性もある。

(次から、ここに来る時は変装くらい考えるか)

 

 一軒目。

 ガード下のジェム専門店。前回ヘビーストライクを買ったのとは別の、少し大きめの店舗だ。

 隼人は目的の品を口には出さず、無数のジェムが並ぶガラスケースの端から端まで、値踏みするように視線を滑らせていった。

 

 やがて、青みがかった透明なジェムの前で視線を止める。

 

 《マナ・リーチ》

 売値:32,000円。

 

 隼人は即座には買わない。昨晩調べ上げたデータを脳内で展開する。

 最近のSeekerNetでの成立価格、公式取引所での落札平均、アメ横での実勢価格、そしてこの商品がどれくらいの期間売れ残っているかという推測。

 相場はおよそ、23,000円から27,000円の間だ。

 

「店主。これ、出してくれるか」

 声をかけると、奥から出てきた店主が揉み手で近づいてきた。

「お目が高い! E級の上層に挑むなら、マナ・リーチは持ってて絶対に損しないよ。息切れしないからね!」

「三万二千は高いな」

 

 隼人が一刀両断すると、店主はわざとらしく眉を下げた。

「いやあ、最近は物理職に人気でねえ。仕入れ値も上がってるんですよ」

「嘘をつけ。昨日の公式取引所のログじゃ、二万六千で即決成立してる。一昨日は二万四千だ」

 隼人はガラスケースを指先でトントンと叩く。

「それに、こいつはレベル1の育ってないジェムで、品質補正の追加効果もついてない完全なノーマル品だ。三万円台で売れるわけがない」

 

 相手の顔色を読んだ超能力的な値切りではない。

 市場の情報、商品の状態、比較相場。すべての論理的な材料をテーブルに並べて、相手のブラフを完全に封殺しているのだ。

 

 数分の押し問答の末。

 

「……まいったね。兄ちゃん、よく調べてるよ」

「二万五千だ。それなら今すぐ現金で払う」

「……持ってきな」

 

 購入完了。

 店主にとっても損はしないギリギリの利益ライン。隼人にとっても適正な相場内。双方にとって理にかなった、スマートな取引だった。

 

 二軒目。

 今日最大の目的である、武器の調達だ。

 

 今回は、前回のように「ジャンク箱から一番安いものを探す」わけではない。十万円の予算の大部分を突っ込んで、長く使える相棒を見つける作業だ。

 いくつかの武器屋を回り、実際に手に取って試していく。

 

 候補1:高火力の両手斧。

 基礎となる物理火力は、片手剣の比ではない。圧倒的だ。これを振れば、マナ・リーチの吸収量も桁違いになるだろう。

 だが、当然ながら両手塞がるため、盾を外す必要がある。

 現在、隼人の防御の要の一つであるブロック率24%を捨てることになる。さらに、《万象の守り》の自動防御と盾の併用という、生存率を高める戦術が瓦解する。

(E級の初見で、防御を捨てて火力に全振りするのはリスクが高すぎる。なしだ)

「火力なら絶対こっちですよ!」と勧めてくる店主を、「盾を捨ててまで欲しい火力じゃない」と一蹴し、却下した。

 

 候補2:魔法等級の高速片手剣。

 刃に微かな冷気を纏った、見た目にも美しい剣だ。攻撃速度の補正が高く、冷気属性の追加ダメージがついている。

 価格は10万円を少し超えるが、予算を少しオーバーしてでも買う価値はあるように見えた。

 だが、隼人は冷静にARコンタクトの数値を分析する。

 

 追加されているのは『冷気属性』のダメージだ。

 《マナ・リーチ》の吸収判定は、あくまで『与えた物理ダメージ』にのみ依存する。属性ダメージがいくら高くても、MPの回収には一ミリも寄与しない。

(表示上の総火力(DPS)は高い。だが、俺が欲しいのはMPを循環させるための『物理の数字』だ)

 これも却下。

 

 帯に短し、襷に長し。

 なかなか要求に合致する一本に出会えないまま、隼人はアメ横のメインストリートから外れた、薄暗い路地の奥へと足を踏み入れた。

 そこには、前回は寄らなかった――あるいは存在にすら気づかなかった、ブルーシートを屋根代わりにした小さな露店があった。

 

 パイプ椅子に深く腰掛けているのは、右目に眼帯をした初老の男だ。

 客を呼び込む気など一切ないのか、腕を組んだまま微動だにしない。

 並べられている商品にも、魔法等級を示すような派手なオーラを放つユニーク武器は一つもない。無骨な鉄剣、刃の欠けた斧、柄の擦り切れた槍。どれも地味で、埃を被っている。

 

 だが、隼人の足は、ブルーシートの端に無造作に立てかけられていた一本の剣の前で、ピタリと止まった。

 

 《無銘の長剣》

 

 見た目には、何の変哲もない鉄の剣だ。豪華な装飾もない。作者の銘も彫られていない。魔法等級の輝きもない、完全なノーマル品。

 だが、隼人は無言でその剣を手に取った。

 

 握った瞬間。

(……軽い?)

 いや、違う。絶対的な重量自体は、初心者用ロングソードよりも確実に重い。

 軽いのではなく、重心の位置が極めて手元に近いのだ。

 そのため、剣を振り下ろすための初動が異様に早く、そして何より、振り切った後の「止め」や「軌道修正」が信じられないほどスムーズに行える。

 

 隼人の現在の主力スキル《ヘビーストライク》は、破壊力と引き換えに、攻撃速度が85%に低下するという『重い振り』が最大の欠点だ。

 単に重量のある高火力の剣を持ってしまえば、振り下ろした後の隙が絶望的に大きくなり、その間に致命的な反撃を食らう。

 だが、この剣なら。

 強烈な重量を乗せた一撃を放ちながら、振り終わりの姿勢を強引に制御し、即座に盾を構え直す防御姿勢へと移行できる。

 

 隼人は狭い路地の空間で、誰に断ることもなく何度か素振りを行った。

 風を切る音が、鋭く、そして短く鳴る。

 

 パイプ椅子に座っていた隻眼の老人が、そこで初めて口を開いた。

 

「……兄ちゃん、目利きだな」

 低く、嗄れた声だった。

 

「ただの鉄剣じゃないな、これ」

 隼人が問うと、老人は鼻で笑った。

「銘なんざない。あり合わせの材料で、俺が適当に打っただけだ」

 老人は眼帯のない左目で、隼人の手の中の剣を見た。

「ただ、昔仕入れて余ってた『ミスリル銀の屑鉄』を、ほんの少しだけ混ぜてある。だから普通の鉄より少しだけ粘るし、魔素との馴染みが良い」

 

 なるほど、と隼人は合点がいった。

 ミスリルが混ざっているからといって、派手な魔法効果が発動するわけではない。だから市場の初心者の目には留まらず、人気もない。

 だが、武器としての物理的なバランスと、使い手からの魔素(スキル)を伝導させる際のロスが極限まで少ないという、実戦において最も重要な基礎が、異常な次元で完成している。

 

 ARコンタクトで詳細な数値を比較する。

 

 ====================================

【初心者用ロングソード】

 レアリティ:ノーマル

 種別:片手剣

 基礎物理ダメージ:10~16

 攻撃速度補正:なし

 

【無銘の長剣】

 レアリティ:ノーマル

 種別:片手剣

 装備条件:Lv5以上

 基礎物理ダメージ:16~24

 攻撃速度補正:なし

 特殊効果:なし

 =======

 

 平均物理ダメージで見れば、13から20へ。約54%の上昇だ。

 攻撃速度そのものに追加補正はないが、片手剣なので現在の盾構成をそのまま維持できる。

 そして数字には出ない重心の良さと、ミスリル銀による魔素馴染みがある。

 文句のつけようがない。

 

「いくらだ」

「六万だ」

 

 老人が提示した金額に、隼人は少しだけ眉を動かした。

 派手な属性追加のついた魔法等級の剣よりも、明らかに安い。

 

「ノーマルの、何の特殊効果もない剣に六万だ」

 老人は隼人の反応を見て、試すように言った。

「高いと思うなら、そこに置いてけ。無理に売る気はねえ」

 

 隼人はもう一度、手の中で剣の柄を握り込み、その絶妙な重心の馴染み具合を確かめた。

 

 そして。

「いや」

 隼人は迷いなく、電子決済の端末を取り出した。

「安い」

 

 一切の値切り交渉はしなかった。それが、この武器と職人に対する彼なりの敬意だった。

 先ほどの《マナ・リーチ》は、相場と情報を使って一円でも安く叩き落とした。

 だが、これは違う。自分の手で触れ、自分の目で見て、確実に六万円以上の価値があると判断したから払うのだ。

 

「買った」

「……毎度あり」

 老人もそれ以上余計なことは言わず、ただ短く応えただけだった。

 

(これで二つ)

 隼人は新しい剣を背中に背負いながら、前回のアメ横での買い物を思い出していた。

 千円のジャンク。三千円の兜。五千円の靴。そんな細々とした数字を積み上げ、八万円という残高の上限を睨みつけながら、必死に生き残るための穴を埋めていた数日前。

 

 今、彼は剣一本に六万円を支払った。

 だが、決して浪費ではない。明確な理由がある。

 基礎物理火力が上がる。直接的なDPS(秒間ダメージ)が増える。火力が上がれば、《マナ・リーチ》のMP回収量も激増する。

 敵を早く倒せるようになれば、必然的に自分が被弾する機会も減る。

 一本の六万円の剣が、「攻撃」「継戦能力」「防御」という三つの要素すべてに、間接的かつ強烈に効いてくるのだ。

 

(悪くない投資だ)

 

 三軒目。最後はユーティリティフラスコだ。

 

 これもすでに目当ては決まっている。路地裏のフラスコ専門店に入り、迷うことなく指定した。

 

 《アメジストのフラスコ》

 効果:使用後6秒間、混沌耐性+35%

 

 価格は15,000円。市場に潤沢に出回っている基本品であるため、ここでも余計な交渉はせずにサクッと購入する。

 現在、隼人の腰のベルトの第五枠には、予備の【ライフフラスコ(中)】が入っている。これを外し、代わりにアメジストをねじ込む。

 

 E級突入用のフラスコ五本が確定した。

 ・ライフフラスコ(中)

 ・マナフラスコ(小)

 ・水銀のフラスコ

 ・解呪のフラスコ

 ・アメジストのフラスコ

 

 外した予備のライフフラスコは、インベントリの保管枠へと移動させる。

「F級の時は、自分のHP管理が信用できなかったから、二本目のライフフラスコが何よりの保険だった」

 隼人は腰の五本の瓶の感触を確かめながら呟いた。

「だが、E級じゃ違う。敵の盤面に合わせて、拘束や混沌系の攻撃という別の理不尽に備える保険を持つ」

 

 敵の手札に合わせて、自分の手札を入れ替える。

 前日に固めた方針が、装備構成に明確に反映されていた。

 

 ここまでの買い物の合計。

 

 《マナ・リーチ》:25,000円

 《無銘の長剣》:60,000円

 《アメジストのフラスコ》:15,000円

 

 合計:100,000円

 

 昨夜設定した第一次予算の十万円、ピッタリだ。

 

 夕方から夜へと移り変わる時間帯。

 西新宿の四畳半のアパートに戻った隼人は、机の上に今日買ってきた三つのアイテムを並べた。

 

 《無銘の長剣》。

 《マナ・リーチ》のジェム。

 《アメジストのフラスコ》。

 

 最初にアメ横で装備を買い揃え、ベンチでジャンク装備を一つずつ登録していった時とは、心境が全く違う。

 あの時は、ただ空いている穴を数だけで必死に埋めようとしていた。

 だが今は、それぞれのカードが持つ『役割』を組み合わせ、一つの巨大なシステムを組み上げようとしている。

 

 隼人はまず、数日間世話になった【初心者用ロングソード】をステータスから外した。

 売却して数百円の小銭にするつもりはない。何かの理由で主武器を使えなくなった時の、最低限の予備装備としてインベントリの奥底に保管しておく。

 

「世話にはなったな」

 それだけだ。無機物に対して過剰に感傷的になるような趣味はない。

 

 そして、買ってきたばかりの《無銘の長剣》をシステムに登録する。

 右手で柄を握り、軽く構える。

 左腕には、引き続き《凹んだ鉄の丸盾》が固定されている。盾による24%のブロック率も、これで無事に維持された。

 

 次に、スキルの設定変更だ。

 現在の主力スキルは《ヘビーストライク+範囲攻撃》の二つがリンクしている。

 ここでいう【スキルジェムスロット:1】は、ベースとなるアクティブスキルを登録する枠だ。サポートジェムはその一枠を追加で消費するのではなく、登録済みスキルのセットアップへ紐づけて使う。

 隼人はそこに、今日買ってきた青いジェム、《マナ・リーチ》を追加でリンクさせた。

 

 新しい構成。

【ヘビーストライク + 範囲攻撃 + マナ・リーチ】

 

 これによって、重い一撃を広範囲に叩き込みながら、与えたダメージに応じてMPを自動回収するという、理論上の循環構造が形になった。

 だが、隼人はまだこの構成に「絶対無敵の必殺技」のような、大仰な固有名詞を付ける気にはなれなかった。

 

 マナ・リーチのジェムの仕様欄には、ただ一言こう書かれているだけだ。

『物理ダメージを与えた時、その一部をMPとして吸収する』

 

 具体的な吸収率のパーセンテージや、上限値などは明記されていない。

「割合で吸うってことくらいは分かる。だが、実際に何体の敵に当てて、防御力で減衰された後に何ダメージ通るかで、実際の回収量は全く変わってくる」

 特に《範囲攻撃》との相性だ。

 主対象だけでなく、スプラッシュダメージに巻き込んだ複数の敵全員からMPを吸収できるのか。できるとしたら、何体分までが有効判定になるのか。

 それは、机上の空論では絶対に分からない。

 

「数字の上では、循環する可能性が高い。……理屈の上ではな」

 隼人は極めて冷静に、自分の組んだビルドを疑っていた。

「実際のE級の敵に通るダメージが低すぎれば、吸収量も落ちてジリ貧になる。盾持ちの敵に防がれれば、回収はゼロだ」

 

 なら、今日のうちにF級の《ゴブリンの洞窟》に入ってテストしてくるか?

 隼人は一瞬そう考えたが、すぐに頭を振った。

「F級じゃダメだ。敵が弱すぎて、一撃で死ぬ。長期戦のテストにもならないし、E級の装甲を想定したデータ取りにならない」

 試すなら、本番の環境でなければ意味がない。

 

「試験台は、次のテーブルでいい」

 

 続いて、パッシブスキルの画面を開く。

【未使用パッシブスキルポイント:3】

 候補はいくつもある。物理火力を底上げするノードを取れば、マナ・リーチの吸収量も連動して強くなる。HPも欲しい。攻撃速度も欲しい。

 

「まだだ」

 隼人は画面を閉じた。

「E級の一戦目のログを取る。ポイントを使うのは、それからだ」

 

 最後に、フラスコベルトの最終調整だ。

 新しい構成は、左から順に。

 ①ライフ ②マナ ③水銀 ④解呪 ⑤アメジスト。

 並び順は、自分が最も咄嗟に押しやすい配置に調整した。

 

 隼人は目をつむり、腰のベルトに手を伸ばした。

(水銀)

 指先が三番目のガラス瓶の形状を捉える。

(解呪)

 四番目。

(アメジスト)

 五番目の、少し丸みを帯びた瓶の感触。

 

 何度も、何度も、見ずに指定したフラスコを掴む反復練習を行う。

 戦闘の極限状態の中で、ARの表示を見てから「アメジストはどれだ」と探しているようでは、E級では確実に死ぬ。思考を介さず、反射で手が動くレベルまで体に叩き込む。

 

 すべての調整を終え、最終的な装備構成を呼び出す。

 

 ====================================

【E級突入用・暫定セットアップ】

 武器:《無銘の長剣》

 盾:《凹んだ鉄の丸盾》

 頭:《傷だらけの鉄兜》

 胴:《継ぎ接ぎの革鎧》

 手:《万象の守り》

 足:《使い古された革のブーツ》

 首:《清純の元素》

 指輪・左:《元素の円環》

 指輪・右:《ひび割れた銀の指輪》

 ベルト:《革巻きの腰帯》

 

 主力スキル:

 《ヘビーストライク》+《範囲攻撃》+《マナ・リーチ》

 

 フラスコ:

 ・ライフ ・マナ ・水銀 ・解呪 ・アメジスト

 

 # 未使用パッシブ:3

 

 あくまで「暫定」だ。

 前日に洗い出した五つの課題に対して、今の状況を再評価する。

 

 ①武器:【○ 一旦解決】(初心者剣から無銘の長剣へ)

 ②MP循環:【△ 仮説上解決】(マナ・リーチの実戦確認待ち)

 ③対多人数:【△】(範囲攻撃あり。E級の陣形を見てから判断)

 ④物理・毒・拘束:【△】(拘束は解呪、混沌はアメジストで対応。ただし毒の実態は未確認。物理は既存HP+盾+万象頼み)

 ⑤能動防御:【× 未解決】(初回は敵の攻撃パターンを見ることに専念)

 

 五つの穴のうち、完全に埋まったと言えるのは武器の一つだけ。

 配信でこれを見せれば、間違いなく視聴者から『まだ穴だらけじゃん』『準備不足だろ』と突っ込まれるような、スカスカの盤面だ。

 

 だが、それでいい。

 完璧になるまで、一生準備だけを続けているのもまた、ギャンブラーとしては三流だ。

 未知の相手については、現場で実際にチップを張らなければ取れないデータがある。

 

「既知の危険には、回答を持った」

「未知の理不尽に対しては、逃げるための《ポータルの巻物》を持った」

 

 ならば、初見調査へ踏み込む最低条件は揃った。

 危険を感じたら、すぐにポータルを破って帰ればいいだけのことだ。

 

 隼人はPCのモニターに視線を戻した。

 E級ダンジョン《棄てられた砦》。明日の、出発予定地。

 

 隼人は立ち上がり、新しい《無銘の長剣》を一度抜き、そして静かに鞘へと納めた。

 初心者用ロングソードの時とは違う、重く、硬質な金属音が部屋に響く。

 腰には五本のフラスコ。首元には《清純の元素》。左腕には《万象の守り》。

 そして、システムに組み込まれた《マナ・リーチ》の青い光。

 

 隼人は、今日アメ横で支払った十万円を思い返した。

 問題は、使った額そのものではない。

 明日、その十万円の手札が、自分の命を守り、どれだけの稼ぎ(リターン)へ変わるのか。それだけだ。

 

 《棄てられた砦》の禍々しい石造りの入り口の画像を、モニターの最前面へと引き出す。

 

「理屈じゃ、回る」

 新しい剣の柄を、強く握りしめる。

 

「あとは――」

 JOKERの口元が、獰猛な弧を描いた。

 

「本当に回るかどうか、試しに行くか」

 




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