とある麗華様ファンの憂鬱 作:panic! core Dump
九校戦会場
九校戦開催前日の昼。
九島烈は、新しく整備された九校戦会場をゆっくりと見渡していた。
長年、日本魔法師界の長老として生きてきた彼は、これまで何度も九校戦を見てきた。
過去に、会場が新しくなったこともある。設備が拡張されたこともある。
だが。
目の前に広がる光景は、そのどれとも違っていた。
広大な敷地。
整然と並ぶ競技施設。
競技ごとに最適化された練習区画。
宿泊施設。
商業施設。
医療施設。
自動交通システム。
どこを見ても隙がない。まるで一つの都市だった。
「これは見事なものだな」九島が感心したように呟く。
「軍はずいぶんと九校戦に力を入れているようだ」隣を歩く実行委員長へ視線を向ける。
「私は何も聞いておらんのだが?」
実行委員長は苦笑した。腰の低い人物だが、軍人としてはかなりのやり手である。
しかし今の彼は、どこか居心地悪そうだった。
「老師がご存知ないのも無理はございません」
周囲を見回す。
「これはオフレコなのですが」
「うむ」
「この施設群は軍の事業ではございません」
九島が眉を上げた。「ほう?」
「御三家筆頭、仁科栄一郎様が」
一拍置く。
「初めて九校戦に出場される仁科家のお嬢様のために建設した施設でございます」
九島は足を止めた。「…………」
無言のまま施設群を見渡す。そしてもう一度委員長を見る。
「もう一度言ってくれ」
「仁科家のお嬢様のために建設された施設です」
「この都市のようなものがか?」
「はい」
九島はしばらく黙り込んだ。
「それは驚いたな」素直な感想だった。
「それにしてもだ」
「はい」
「これだけの施設を娘のために?」
「はい」
「建設にいくら掛かったのだ」
実行委員長の顔が引きつる。「こちらもオフレコですが」
「うむ」
「突貫工事のため、およそ十兆円と聞いております」
九島は思わず立ち止まった。「十兆円?」
「はい」
「良く仁科家が同意したものだ」
「いえ」
実行委員長は遠い目をした。「これもオフレコですが」
「うむ」
「全額、栄一郎様個人の負担だそうです」
九島は完全に固まった。
「さらに」まだ続く。
「施設維持費と運営費、年間約五千億円の百年分を委員会へ寄付されています」
「……」今度こそ九島は沈黙した。
総額六十兆円。
一個人の親心として許される規模ではない。
「御三家筆頭の金銭感覚は異常だな」
実行委員長の顔から血の気が引いた。「九島様っ!」「ここは仁科様の施設です!」「どこに耳があるか知れません!」
九島は豪快に笑った。「何も批判したわけではない」
肩を揺らす。
「噂には聞いておったがな」
「はあ……」
「改めて栄一郎殿の国家予算規模の親ばかぶりに感心しただけだ」
実行委員長は頭を抱えた。「どうか今のお話は全てオフレコで」
「分かっておる」九島は笑う。
そしてふと遠くを見る。
「それにしても」懐かしそうな声。
「久しぶりに麗華君に会えそうだ」実の孫を思うような優しい表情だった。
前夜祭
その日の夕方。
開会式を兼ねた前夜祭が始まった。
会場は華やかだった。
各校の代表選手。
十師族。
百家。
魔法協会関係者。
国防軍幹部。
政治的影響を排除する建前上、政治家や報道関係者はいない。
だが。むしろ魔法界における本当の上層部は揃っていた。
そして。その視線が次々と集まる一人の少女がいた。
仁科麗華。
御三家筆頭の姫君。
今年最大の注目選手。
「お久しぶりです」
「ご活躍を期待しております」
「九校戦初出場と伺いました」
「栄一郎様にもよろしくお伝えください」
挨拶。
挨拶。
また挨拶。
終わらない。
途切れない。
逃げられない。
麗華はいつもの微笑を保ち続ける。
「ありがとうございます」
「お心遣い感謝いたします」
「恐れ入ります」
完璧である。
外から見れば。
だが。
(助けて……)内面は限界だった。
(帰りたい……)
(研究したい……)
(お腹痛い……)
少し離れた場所で真由美がグラスを傾けながら言う。「助かりますわね」
「何がだ」摩利が聞く。
「視線ですわ」真由美は麗華を見る。「今年は全部あちらへ向かっておりますもの」
「確かにな」摩利も頷いた。
十文字も珍しく同意する。「あの人数は大変そうだな」
「去年はあれを私達が受けていましたのよ」
「仁科には感謝だな」他人事だった。
一方。
鈴音とあずさは全く笑えなかった。
「大丈夫でしょうか」あずさが心配そうに言う。
「大丈夫じゃないわね」鈴音は即答した。
「顔色悪い?」
「かなり」
あずさは青ざめる。
「助けた方が」
「私達じゃ無理よ」
相手は十師族当主クラスである。
高校生がどうこうできる相手ではない。
そして。その時だった。
「失礼」穏やかな老人の声。
空気が変わる。
周囲の大人達が自然と道を開けた。
九島烈。
魔法界の長老。その一言で場の主導権が移る。
「老師」麗華が頭を下げる。
九島は微笑した。「相変わらず人気者だな」
周囲へ視線を向ける。
「さて」
「?」
「少しこの子を借りても良いかな」
誰も反対しない。
できるはずもない。
こうして。麗華は挨拶地獄から救出された。
「助かりました……」二人きりになった瞬間。麗華が小さく呟いた。
九島は苦笑した。「やはり限界だったか」
「はい」
「知っておった」
「そんなに分かりやすかったでしょうか」
「かなりな」
麗華は少し落ち込んだ。
九島は笑う。「安心しろ」
「?」
「来賓の中で気が付いたのは儂だけだ」「後、第1高校の女子生徒が2名程気付いておったな」
(多分、鈴音さんと、あずささんだ。)麗華は微笑んだ。
「良い友人ができたようだな?」
「はい」自然と答えが出る。
「市原さんと中条さんです」
「そうか」九島は嬉しそうだった。
まるで本当に孫の成長を喜ぶ祖父のように。
「光宣さんはお元気ですか?」
「元気だ」九島は笑った。
「相変わらず真面目すぎるほど真面目だがな」麗華も少し笑った。
その笑顔を見ながら九島は思う。
一年前とは違う。友人が出来て変わったのだろう。それは良い変化だった。
前夜祭が終わった頃には。麗華の体力は限界だった。
部屋へ戻る。
ドアが閉まる。
そこで緊張の糸が切れた。
ふらりとよろめく。
「麗華?」鈴音が振り返る。
次の瞬間。
倒れた。
「麗華!」鈴音が支える。
あずさも駆け寄る。
「熱い!」額に触れた瞬間分かった。
異常だ。体温計。
三十九度。
「完全に無理してましたよね!?」
「あぅ……」麗華は反論できなかった。
「大丈夫です……」
「大丈夫じゃありません」鈴音が即答する。
「休んでください」
「でも」
「ダメです」あずさも珍しく強かった。
「私達が看病します」
「お二人とも忙しいですし」
「関係ありません」「関係ありません」ハモった。
その時だった。
ガチャ。ロックされたはずのドアが開いた。
いや。開けられた。勢いよく。
「姫様ぁぁぁぁぁっ!!」女性の悲鳴に近い声。
氷室だった。仁科家私設情報工作部隊指揮官。
麗華は固まる。「なぜ?」
「姫様!」氷室が駆け寄る。「酷い熱です!!」「お気を確かに!」
「誰にも言ってないのですが」
「ここは御当主様が姫様のために作られた施設ですので」
全く説明になっていない。
氷室は振り返る。「お二人共、ありがとうございました」「これより姫様のお世話はこの氷室にお任せください」
部下達がストレッチャーを持って現れた。
麗華は呆然とする。「え?」
「移送します」
「え?」
「移送します」有無を言わせない。
数分後。麗華は運ばれていった。
残された二人
静かになった部屋。
あずさが呟く。「どうして分かったのでしょう」
鈴音は即答する。「ここを作ったのは麗華のお父様よ」
「はい」
「麗華は二十四時間モニターされているわ」
あずさが固まった。「今も?」
「安心しなさい」鈴音は平然としている。「バイタル監視だけよ」
「だけ?」
「特別な事がない限り音声も映像も見てないわ」
あずさは青ざめた。「それって」一歩下がる。「いつでも見られるって事ですよね?」
「大丈夫」鈴音は言った。「その権限は私も持ってるから」
あずさは叫んだ。「それのどこが大丈夫なんですか!?」
翌日の大会初日
九校戦が始まった。
第一高校は順調だった。
真由美も。
摩利も。
十文字も。
着実に勝ち進んでいく。
一方。
麗華は。
「姫様、お薬です」
「ありがとうございます」
超豪華医療スイートにいた。
天蓋付きベッド。
壁全面モニター。
専属医療スタッフ。
高級ホテル顔負けである。
(何でこうなったんだろう……)モニターには仲間達。頑張っている。
そして気付く。(私、体力無さすぎる……)研究ばかりしてきた結果だった。
(反省しよう)本気で思う。
(今度から運動しよう)この時の麗華は知らない。
その決意が。三日後には研究に夢中になって忘れられる未来を。
もっとも。それはまた別の話である。