才羽モモイは気づけない
「先生、遅ーいっ!」
ごくごく平和なミレニアムサイエンススクール。とある用事で訪れていた先生がゲーム開発部の部室の扉を開けたその瞬間、元気いっぱいの声が内から外へとこだました。
「ごめんね。ちょっと仕事が長引いちゃったんだ」
「むむ、お仕事なら仕方ない……でも、先生なんだから、私との時間も守ってよね!」
「はいはい。肝に銘じまーす」
「うっそだー」
声の主、才羽モモイは腕を組んで先生を睨みつける。しかし鼻から下、口はニマニマと笑いを隠しきれておらず。その顔は、怒っているというよりもどこか嬉しそうな色が浮かんでいた。
「まぁいいや。それじゃ先生、さっそくゲームしよ!」
後ろ手に隠していたコントローラーを差し出すと、待ってましたと言わんばかりにモモイは先生の手を引っ張った。
随分と慣れてきた部室。いつもは賑やかなここも、今日ばかりは誰もいない様子。
「今日はね、前に先生がやりたいって言ってたやつ!……でもまぁ、もう私は結構やりこんじゃってるんだけどね」
「おぉ、それは楽しみだね」
「でしょ?あー、でも先生は初心者だからさぁ、私がしーっかり手加減してあげるね♪」
「……本当に?」
「もちろん!モモイ、ウソ、ツカナイ」
「その割に、この前は結構容赦なくボコボコにされた気がするけど……」
「あー……。ミドリと間違えてるんじゃない?」
「妹に責任転嫁しないの」
「うっさいなぁ。勝てばよかろうなのだ!」
得意げに胸を張るモモイの姿はいつも通りだ。明るくて、うるさくて、調子に乗っていて。そして、誰よりもゲームが好き。
そんなモモイにとって、ゲーム開発部のみんなと遊ぶのと同じくらい、こうして先生とゲームをする時間は楽しみにしているのだ。
「そこ座って先生。さっさと始めちゃお!」
「うん。よろしくね」
いつものように隣同士。肩と肩が触れ合わないくらいの距離感でテレビの前に並び、そしてコントローラーを握る。既に付けられていたテレビの中では、様々なキャラクターたちが走り出した。
「─────もう始まってる!?」
「当たり前じゃんっ。先生そこ右!」
「えっ、右ってどっち!?」
「右も分かんないの!?」
「流石に分かるよ!?わ、分かるけど、操作の方がわかんないんだけどなぁ!?」
これでもかとテンパる先生にモモイは笑う。必死にコントローラーを傾けつつ、横目にそんなモモイを見た先生も笑う。
割とよくある、先生とふたりっきりの部室。ふたりっきりでやるゲーム。誰かが来るまで続くこの空間は、しかしモモイにとって誰にも邪魔されたくないと思えるほどに心地が良いものだった。
少なくとも、その瞬間までは。
「─────え?」
いつもより難しい操作に拙く動く先生の指。モモイの視線がそこに止まる。上手く使うことができないでいるのか、ピンと伸びた小指と薬指。
そう、薬指。そこには確かに、小さな銀色のリングがあった。
「……」
認識して、思考して、処理しきれずに停止して、モモイの動きが止まる。当然操作が入力されず、画面の中のキャラクターがはまっすぐ進んでそのまま壁へとぶつかった。
「─────モモイ?」
「…………」
「どうかした?」
「……んぇ?」
その動きに疑問を持ったのか、不思議がる先生に声をかけられて、ようやくモモイは顔を上げる。
「ううん……。なんでもない」
「本当に?」
「うん」
先生の顔を見て、そして再び画面を見る。けれど、さっきまで見えていたゲームの画面が、内容が、どうにも頭に入ってこなかった。
─────え、そういうこと?
左手の薬指。銀の指輪。それが導き出す答えなんて、たったひとつしかないじゃないか。しかし。
「ポーズしといたし、再開しよっか」
「うん」
一体いつからあるのだろうか。これがもし
そもそも、先生が指輪をしていることなんて、見たことも聞いたこともなかったのだ。
「……モモイ?」
「……んー?」
「さっきから全然動かしてないけど」
「あー……」
またぼんやりとしていたモモイが画面を見ると、それはすでにリザルト画面。自分のハンドルネームとキャラクターには見慣れた敗者の印。とっくに、モモイが負けていたのだ。
「う、うっわ、負けてるじゃん!」
「珍しいね」
「ちょっ、先生が話しかけるからだよ!?」
「いや、話しかける前から止まってたよ」
「……そうだっけ?」
「うん」
「……そっか」
疲れてるのかな。誤魔化すようにそう言って、モモイはいつものように笑った。
「じゃあ、次の勝負だ!」
「いいよ。まだ時間はあるしね」
「……あっ、今のはノーカンだからね!」
「─────ノーカンなの!?」
「ノーカン!」
驚いた顔をする先生が構えるより早く再び試合が始まると、モモイはコントローラーを固く握りしめた。
キャラクターを動かす。敵を倒す。アイテムを取る。先生に嫌がらせをして、その反応をみて、やり返されて、そしてふたりで笑い合う。
全部いつも通り。それなのに、モモイの頭の片隅には、ずっと銀色の指輪があった。
△
「ねえ、先生」
すっかり外が暗くなって、何試合目か分からなくなった頃。私は何気なく先生に尋ねてみた。
「その指輪さ、……いつから、してるの?」
一瞬、休憩にコーラを飲む先生の手が止まった。
「これね」
コーラにかざすようにして差し出された左手。その薬指を見ながら、なんてことは無さそうに先生が答える。
「まぁ、最近かな」
「最近……」
「うん」
「ふーん」
それだけ。それだけだった。
「……誰かにもらったの?」
「んー、あんまりみんなには言わないようにしてるんだけど。モモイならいっか。私から、渡したんだ」
「そうなんだ」
「うん。ここに来る前から大切に持っていて、ようやく最近覚悟を決めて、渡すことができたんだ」
「…………」
そう言って、指輪を見つめるのは、これまでに見た事のない先生の顔。少し目を細めて浅く笑っていて。愛おしそうにとはこういうことを言うのだろうか。
そんな先生を見ていると、なんだか気分が悪くなってきて、私は再び画面を見る。休憩だからと消していて、すっかり暗い液晶。もうゲームなんてどうでもよくなっていた。
「モモイ?」
「んー」
「ほんとに大丈夫?」
「大丈夫だよ!」
反射的に答えたその言葉。こんなものは嘘だ。本当は正体のわからない胸の苦しさでいっぱいいっぱい。
先生は大人ですごくって、私の隠していることくらいきっとお見通しなんだ。だから今だってこうして気を使ってくれている。
「モモイ、今日ちょっと変じゃない?」
「そんなことないって!」
「なら、いいんだけど」
少し強くなる語気に、しかし先生はそれ以上何も聞かなかった。その優しさが、今は少しだけ苦しかった。
「……先生」
「ん?」
「その指輪ってやっぱり─────」
言いかけて、口を閉じる。
「……なんでもないよっ」
「そう?」
「うん!」
そして、先生に向けて精一杯に笑った。笑えているはずだ。きっと、恐らく、いつも通りに。
「ほら、休憩終わりっ。ゲーム続けよ!」
「分かったよ」
画面が再び動き出す。けれど、私はもう勝とうとは思わなかった。
△
─────先生の帰ったあとの部室は、とても静かだった。
ミドリは歯医者。アリスとケイは秋服のお買い物。ユズは格ゲー大会。誰もいない部室で、私はひとり黄昏れる。
ソファに腰掛け天井を見上げ、何となくで気取ったポーズを取ってみる。しかし、脳裏を埋め尽くすのは
お互いにふざけ合って競い合うのも。先生が困った顔をするのも。自分が勝って得意げになるのも。先生に負けて拗ねる真似をする私の頭を撫でてくれるのも。私は、全部好きだった。
でも、今日は違った。
先生が笑うたびに。先生の左手が動くたびに。どうしてもあの指輪が目に入る。
銀色の指輪。それは、ただの小さな装飾品。RPGだったら魔力+10とか魅力+10だとか、もしくはお店で少し高く売れるか。大人の先生からしたら、きっとありふれたアクセサリーであり、つける位置によって重要な意味を持つもの。
どうしてか私には、それがひどく大きなものに見えた。
「…………」
胸の奥は妙に静か。なにか感じたことの無い、上手く名付けられないような感情が波のように襲いかかってきている。
ずんとくるものはあるけれど、泣きたいわけじゃない。そして悔しいとも違う。
何かの拍子にゲームで負けたときみたく、腹が立つわけでもない。
─────じゃあ、これなに?
私には分からなかった。
先生が部室に来てくれるのが嬉しかった。先生とわちゃわちゃふざけるのが楽しかった。先生と私とゲーム開発部と、そんな日常が毎日になればいいのにとは、流れ星に祈ったことがある。そんな先生との全部が、私は好きだった。
そして、先生が私の知らない他の誰かと楽しそうに話していると、なんとなく気に入らなかった。それが何なのか、私は今まで考えたこともなかった。
「ま、だからってさぁ」
今考えたところで、わからないものはわからない。かしこぶって考える人のポーズをしたって、知らないものは知らないのだ。この答えにたどり着きやしない。
「……明日になったら、元に戻ってるよね」
ぽつりと呟いてみる。
何が、なんて自分でも分からない。
ただ、今日まで当たり前だったものが、明日から少しだけ違って見えてしまうような。そんな、嫌な予感だけが残っていた。
「……先生のばーか」
誰もいない部室で小さく悪態をついてみる。もちろん、先生は何も悪くない。
遅刻したことも、ゲームで私に勝ったことも、指輪をしていたことも。何ひとつ悪くない。勝手に私がもやもやして、変に悩んで、考え込んでいるだけ。
だからこれは、ただの私の問題。
「─────よぉーし!」
パンと両手のひらを叩き合わせた。思っていたよりも大きな音と共に、私はソファに腰掛けたままぐっと背を伸ばす。
「考えるのやーめた!」
ぐっと足に力を込めて、手は上にあげたままソファから勢いよく立ち上がる。そして、真っ暗画面のテレビの前へ歩いていく。
─────こんなときこそ、ゲームだ。
ゲームをしていれば忘れられる。いつものように遊んで、笑って、明日になればきっと元通り。そう思いながら少しポテチの油でテカるコントローラーを手に取って。ふと、画面に映った自分の顔を見る。
「…………」
笑おうとした。けれど、ほんの少しだけ頬が引きつって、目が怖くて。私の顔のはずなのに、どうしてか上手く笑えなかった。
「……なんだろ、これ」
どうして、先生の指輪がこんなにも気になるのか。どうして、それを見てから先生との思い出が、少しだけ遠くなったように感じるのか。
もう一度考えてみても、やっぱり答えなんて出てきやしない。だからこそ私は、いつものようにゲームを始めるのだ
「……また今度、先生が来たらゲームしよっと」
きっとそれでいい。今までと同じように先生と一緒にゲームをして、ふざけ合っていっぱい笑って。
そうすれば、きっとまた楽しくなる。そう信じて、私はひとりコントローラーを固く握りしめた。
「あっ、これ先生の好きなキャラだったっけ。そういえばグッズがぁ。……ま、いっか」
─────でも。
その日から少しだけ。先生とゲームをする時間を、楽しみにできなくなったのかもしれない。
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