マスター、このままだとメス堕ちキャンセラーが壊れちゃいますよ~ 作:メスキャン界隈
静かな店内に、洋楽が流れていく。季節はもう秋に近づいていて、窓を開けるだけで少し涼しい。
まあ、虫は入ってくるんだよな。そこはちょっと嫌だから、虫除けぐらいはしておくか。
ことり、とカップを置く音がする。
今日は珍しく、他のお客さんが来ている。
常にスマホをいじっているような小柄な少女だが――ちらりと見せる二の腕付近から、引き締まった筋肉が見える。
一目見る程度では、あくまでそこまで鍛え上げられるようには見えないし、なんなら気弱な女の子にすら見えるのに。
こんな人物がいるのか、とカップを拭いている時だった。
「私、拳がメリィさん」
ん?
「今、喫茶店にいるの」
さて、カップを仕舞うか。どうやら、どこかから声が聞こえてきた気がする。
なんか、変なことを言ってた気がするけど気のせいか?
少女が指にスマホを滑らせて、何やら通話を切っているらしい。
じじじ、と一瞬スマホの輪郭がぶれた気がした。
「マスター、ありがとう。美味しかったわ。会計をお願い」
と言われてハッと我に返る。
「ホットなら値段はこれだけだ」
「どうぞ」
その少女から、お金をもらうときにその顔が目に入る。
儚げな風貌。血の気の失せたような美貌……というか人形染みた美しさがあった。
「マスター、こんにちは!あっ、お客さん来てましたかっ」
「あら、バイトの子かしら?」
「ええ、そうです。機会があったら、また来てくださいね?」
「そうさせてもらうわ」
くすり、と笑ってその少女はナギとすれ違うようにして家を出る。
「珍しいですね、お客さん」
「そうだな」
何やら、変なことを言ってた気がするが。……気のせいだよな、さすがに。
「ちょっと着替えてきますね?」
と、パタパタと奥の方への入っていく。あいつはいい加減、従業員用の出口から入ればいいのに。
そういえば、この前のセミアポカリプスはどうなったんだろうか。気になりはするけど。
ぼーっとしていると、ぴろんとスマホが鳴る。
「アオイからか」
料理を教えてほしいとかで、連絡先を交換することになったんだよな。
「そっちでのナギのことも教えてね」
とか言ってたっけな。でも、「なんかあった時にあんたの連絡先を消すから」って言ってたけどあれはなんだったんだ。未だによくわからん。
「マスター、何してるんですか?」
いつの間にか着替え終わったナギがこちらを覗き込んでくる。ふわり、と甘い香りが鼻孔をくすぐった。
妙に近いな。
「アオイからメッセージが来て、来週料理を教えてほしいんだって」
「えっ、あおちゃんと連絡先交換してる!?」
「別にいいだろ」
「……私、拳がメリィさんの時にようやく交換したのに」
拳がメリィさん、の言葉を聞いた時に不意に今日来た客の少女を思い出す。……あれ、言ってたよな。気のせいだと思いたいんだけどさ、そういう聞き間違いすることもないよな?
ぺしょり、とナギがその場で顔を伏せた。
「なに凹んでんだ?」
「なーんか、あおちゃんとだけ仲良しな感じですね?」
「何に怒ってるんだよ。アオイにはまあ料理を教える過程で何か作ったもの食わすこともあると思うけどさ。ナギには普通に、賄い扱いで料理作ってやるって」
「えっ、そんな食い意地張ってる人だと思われてます!?いや、もらいますけどねっ!」
不満そうに唇を尖らせて、そのままカウンター席に座る。
とんとん、と指で机を叩く。アオイに近づくのが嫌なのか?
まあ、ナギのことも知りたがってたから、そういうことを察しているのかもしれんが。
「ねえ、マスター。そうやって、女の子引っ掛けすぎたらダメですよ」
「なんだいなんだい、修羅場かい?」
からんからん、とその時ちょうどコヨミが入ってきて、雰囲気を察して口角を上げる。
「マスター、何をやらかしたんだい?気になるねえ」
「コヨミさんは関係ないですよ。マスター、あおちゃんは好きな子いますからね?」
「いや、別にそういうのじゃないから」
なんで俺がアオイを狙ってることになるんだ。
「じゃあ、コヨミさんの方!?」
「えっ、こっちに来るのかい?それ」
「ややこしい話にするな。なんで俺が、誰かを狙ってる前提になってるんだ」
思えば、喫茶店関係は女の子ばかりいるような気がしなくもない。まあ、元男もいるんだが。
コヨミは何事もなかったかのように、席に座って指でメニューのホットのところを指している。たぶん、注文のつもりなんだろうな。
「そうやって、あんまりよくないことしてるとやばいですからね?」
スッと、ナギは目を細める。
ナギの話を聞きながら、一応コヨミの分の準備もするか。
「マスター、このままだと――」
ここでそれが来るのか。
「――サテライト口裂け女が来ちゃいますよ~」
「待て待て、また変なことを言ってないかい?」
おっ、コヨミのお陰であんまりツッコミを入れなくても良さそうか?
「なんですか?サテライト口裂け女に文句でも?」
「えっ、君はそのよくわからない存在の肩を持つのかい?そもそも、なんだいそのサテライト口裂け女とやらは」
コヨミにコーヒーを出すついでに、ナギの前にコーヒーとケーキを出してやる。
ぴくり、とナギがケーキに釣られて動く。甘いものとか好きなのかもしれないな。
「口裂け女は足が早いじゃないですか?そのまま進化を経て、空へと進出し衛星軌道上まで行ったのがサテライト口裂け女ですよ」
「ねえ、マスター。よくわからないんだけどもね。どういうことだと思う?」
「俺にもわからん」
なんだ、衛星軌道上まで到達した口裂け女って。そもそも怪異を進化させるな。なんで宇宙まで行ってんだ?
ぱくり、とナギがケーキを口に運んだ。
「サテライト口裂け女は、衛星軌道上からさらに、日本のどこかへと射出されるんですよ」
すまないが、内容を整理してもわからない。宇宙から口裂け女が飛んでくるってことか?
メテオ口裂け女ってことか。なにがだよ。
コヨミはもう、理解を放棄してコーヒーを飲んでいる。
「サテライト口裂け女はですね、なーんか知らないですけどね?悪い人を襲ってくるそうなんです」
「それ、俺が悪いやつだから襲われるってことか?」
すごい言いがかり。いいのか、その悪いやつが出したケーキとコーヒーをそんな美味しそうに味わってるけど。
むすっとしてる風で、微妙に口元が綻んでるぞ。
「女の子にあんまりちょっかいかけてると、悪い人になっちゃって。そのままサテライト口裂け女に狙われますよ?」
「怖いことを言うな。別にちょっかいだしてないだろ」
「あれ、私ももしかしてちょっかいかけられてる側になってないかい?」
別に、喫茶店の客に何かするわけがないのにな。ただの喫茶店のマスターだぞ。
「ちなみに、サテライト口裂け女にもポマードとかは効くのか?」
「衛星軌道上に逃げられますよ?」
ダイナミックすぎるな、それは。
「……なのでその、私に何かしても気にませんけどね?あんまり、お客さんに変なことしちゃダメですよ?」
こちらを見上げるようにして、ナギの瞳が揺れた。
「だそうだよ、マスター。かわいいバイトちゃんのことをちゃんと見といてあげないとね?」
「コヨミはどの立場なんだよ。っていうか、人のことを客狙ってるやつみたいにするな」
「あだっ」
ぺち、とナギの額にデコピンを食らわせた。
ナギはもうケーキもコーヒーも平らげたみないだから、その食器を取って洗い始める。
ケーキで割と機嫌が直った気がするんだけど、もしかして料理でも食わせたら結構回復するんじゃないか。
飯で釣れそうだしな。
ナギも、サテライト口裂け女の話をし終わって満足したみたいで、普通に机を拭いたりして仕事を始めた。
「あれ、いつの間にか普通になってないかい?ナギくんも、もうマスターに自分以外にちょっかいかけないでって言わなくてもいいのかい?」
「あっ、セミアポカリプス止まったんだ。でかいセミ倒したんだ」
「話聞いてないよね???」
結局、最初の客のことが気になるがまあいいだろう。
「そういえば、お客さん他に来ないですね?私が来る前にはいたみたいですけど」
「えっ、他にいたのは珍しいね」
「マスター、このままだとお店潰れちゃいますよ~」
「もうそれ言いたいだけじゃないかい?」
いつもの言葉を聞きながら、カップを拭いた。