坂柳との余興から数日後、ライは昼休みの廊下で、大柄な同級生——葛城康平に声をかけられた。
「皇、少し裏まで付き合ってくれないか。二人きりで、静かに話したいことがある」
「いいよ、葛城。行こうか」
ライが快諾すると葛城は生真面目な顔のまま、人気の少ない渡り廊下へとライを先導した。その厳格な佇まいは、前世で出会った規律を重んじる軍人たちをどこか彷彿とさせた。葛城は腕を組み、まっすぐにライの顔を見つめた。
「単刀直入に言う。お前のその容姿と雰囲気はこの学校では目立ちすぎる。他クラスの女子生徒たちが騒いでいるのも耳に入っている。お前にその気がなくとも周囲が勝手に動き、クラスの規律を乱す原因になりかねない」
堅実さを重んじる葛城らしい懸念だった。ライは嫌な顔一つせず、納得したように頷いた。
「確かに、僕の見た目が余計なトラブルを招く可能性はあるね……。今後は気をつけるよ。でも、僕自身は静かに堅実に学校生活を送りたいと思っているんだ。クラスの足を引っ張るつもりはないよ」
「そうか……」
葛城の表情がわずかに和らいだ。彼はライの目をじっと見据え、その奥にある理性的で落ち着いた光を確認していた。
「実を言うと懸念だけではない。お前の授業中の態度や、課題への取り組み方を見させてもらった。お前はただ目立つだけの男ではないな。周囲の状況を常に冷静に観察し、最適解を導き出している。俺はAクラスが今後直面するであろう『試験』において、お前の知性が必要になると判断した」
葛城はライの肩にぽんと手を置いた。
「坂柳は優秀だが、あの奔放なやり方はクラスを二分しかねない。俺はお前を、クラスを支える中心人物の一人として迎え入れたいと考えている。力を貸してくれないか」
その真っ直ぐな勧誘に、ライは前世で自分を信じてくれた仲間たちの姿を重ねた。ギアスという力で人を従えるのではなく、こうして一人の人間として信頼される。それこそが、ライが求めていた「新しい人生」の形だった。
「僕にできることなら喜んで協力するよ、葛城。僕もこのクラスを誇りに思っているからね」
ライが穏やかに微笑んで握手を交わすと、葛城は満足そうに深く頷いた。こうしてライは、Aクラス内の二大勢力の双方から、その存在を強く意識されることとなった。
◇
そして放課後……。Aクラスの教室には、重苦しい沈黙が流れていた。教壇の前では葛城康平が何人かの生徒を集めて真剣な表情で議論を交わしており、その後ろ……窓際の特等席からは坂柳有栖が楽しげにその様子を眺めている。クラスポイントの存在と学校の真のシステムが明かされて以降、Aクラスの分裂は急速に進んでいた。
「皇くん。宜しければ、今日の放課後は私に付き合ってくださいませんか?」
席を立とうとしたライの前に、坂柳が静かに立ちはだかった。その笑みにはライを自分の陣営……ひいては手駒として引き込もうとする明確な意図が隠されている。
「悪いね、坂柳さん。今日は先約があるんだ」
ライは穏やかな笑みを崩さず、視線で教室の入り口を示した。そこには腕を組んでライを待っている葛城の姿があった。坂柳は一瞬だけ目を細めたが、すぐにクスクスと鈴を転がすように笑った。
「あら、それは残念。堅物な彼のお説教に付き合うなんて、あなたほどの人が退屈してしまわないか心配です」
「ありがとう。でも、彼の話はとてもためになるよ」
ライは軽く会釈をして葛城の元へと歩いた。廊下に出ると葛城は一つ息を吐き、ライを伴って中庭へと向かった。
「すまないな、皇。坂柳の引き止めを遮るような形になってしまった」
「気にしないでくれ葛城。僕もちょうど君と話したいと思っていたところだ」
ベンチに腰掛けた葛城は、神妙な面持ちで本題を切り出した。
「お前も気づいている通り、今のAクラスは健全な状態とは言えない。坂柳の独裁を許せばクラスは早晩、彼女の気まぐれで崩壊する。俺はクラス全員の力を結集して、堅実にAクラスを維持したい。お前の冷静な判断力が必要だ。俺の右腕として、力を貸してほしい」
前世の戦場であれば、葛城のような生真面目なリーダーは信頼に足る存在だった。しかし、この高度育成高等学校という特殊な盤面において、堅実さだけでは勝ち抜けないことをライは知っている。そして何よりライは、誰かの勢力に属してかつてのような『組織の歯車』に戻るつもりはなかった。
「光栄な誘いだ。ありがとう、葛城」
ライは一度、葛城の言葉を真っ直ぐに受け止めた。そして、静かに言葉を続ける。
「でも、僕は君の右腕にはなれない。けどそれは、僕が坂柳さんの味方をすることを選ぶ……という意味でもないんだ」
「……どういうことだ?」
葛城が眉をひそめる。ライは中庭の空を舞う桜の木々を見つめながら、己の意志を明確に伝えた。
「僕が望むのは、Aクラスという一つのチームが勝利することだ。君と坂柳さんが対立してクラスが二分されれば、それは他クラスにとって格好の標的になる。だから僕は、どちらの派閥にも属さない。中立の立場で、君たちの双方を繋ぐ結び目になろうと思う」
「結び目、だと? そんな器用な真似、坂柳が許すとは思えん……彼女は敵か味方か明確な線引きを好むぞ」
「それでも、許してもらうさ」
ライはふっと、前世で幾多の修羅場を潜り抜けてきた策士の笑みを浮かべた。『超常の力』なぞ無くとも、人の心の機微を読み、盤面をコントロールする術は染み付いている。
「僕がどちらの派閥にも属さないということは、裏を返せば、どちらの敵にもならないということだ。君が窮地に陥った時は僕が知恵を貸すし、坂柳さんがクラスの利益になる作戦を立てたなら、僕は喜んでその手足になろう。双方が僕という『中立のカード』を必要とする状況を、僕自身が作ってみせるよ」
その言葉に宿る絶対的な自信と端麗な容姿の奥に潜む底知れない器量に、葛城は圧倒されたように言葉を失った。この少年は、ただ守られるだけの存在でも、誰かに従う存在でもない。独立した一つの『極』なのだと、葛城は一先ず理解した。
「……正直、お前という男の本質は俺にはまだ分からん。だが、クラスの利益を最優先するという言葉に嘘はないと信じよう」
「ああ、約束するよ」
ライは立ち上がり葛城に手を差し伸べた。葛城はその手をしっかりと握り返す。こうしてライはAクラスの二大巨頭の間に立ちながら、どちらにも染まらない『中立の策士』としてのポジションを確立した。それは、クラスの誰もが予想し得なかった、彼だけの戦い方の始まりだった。