それは、数年前の出来事だった。
当時俺にはAという友人がいたんだが、ある日そんなAから突然彼女ができたという報告をされた。
どうやらマッチングアプリで知り合った、田中さんという女性と付き合うことになったらしい。
自慢気に彼女のことを語るAを、俺は他の友人であるBやCと一緒に祝福した。
……まあ、正直に言えばかなり嫉妬していた。
話を聞く限り彼女はとても優しくて、甘やかすのが上手な人らしい。
「仕事から帰ったらさ、美人な彼女が膝枕してくれるんだよ」
そんなことを鼻の下を伸ばしながら話すAを、何度殴ってやろうかと思ったことか。
もちろん、そこは友人としてぐっと堪えた。
しかも彼女は大手企業に勤めているらしく、かなりの収入があるらしい。
Aが働かなくても、贅沢な生活を送れるくらいだという。
「俺、勝ち組になっちゃったわ」
そう嬉しそうに笑うAを見て、嫉妬してしまった俺は悪くないと思う。
だからといって、Aとの関係が悪くなったわけではなかった。
俺たちは今まで通り四人で遊びに行っていた。
まあ、遊びに行くときの費用をAが出してくれることが増えたので、俺たちの出費が減ったという現金な理由もあったのだが……それはご愛嬌だろう。
だが、そんな生活は長く続かなかった。
Aは確かに最初の頃は豪遊していた。
今まで飲まなかったような高い酒を飲むようになり、高級車まで買った。
まるで別人のような金の使い方だった。
しかし、しばらくすると最初の変化が現れた。
Aが彼女に異常なほど執着するようになったのだ。
以前は俺たちと遊ぶことを楽しみにしていたはずなのに、誘っても「彼女と過ごすから」と断るようになった。
最初は、単純に彼女に夢中になっているだけだと思っていた。
そのうち金がなくなって、金目当てで彼女に近づいているのではないかとも考えた。
だが、それも違った。
Aは豪遊をやめ、ほとんど家から出なくなった。
俺たちが誘っても来ない。
電話をしても出ない。
LINEを送れば、しばらくは既読だけが付いていた。
それでも返事はない。
そして、ある日を境に既読すら付かなくなった。
さすがにおかしいと思った俺たちは、Aの家へ向かうことにした。
Aが住んでいたのは、かなり高級なマンションだった。
警備もしっかりしていたが、俺たちはAと何度も出入りしていたため、警備員とも顔見知りになっていた。
そのおかげで、特に怪しまれることもなくAの部屋の前まで行くことができた。
玄関の前に立っても、誰もインターフォンを押そうとはしなかった。
Aが無事なのか…彼女も一緒にいるのか、それとも……
そんなことを考えているうちに、もどかしくなったのかBが勢いよくインターフォンを鳴らした。
しかし、反応はない。
何度鳴らしても誰も出てこなかった。
「……帰るか?」
Cがそう言った直後だった。
俺は部屋の前に漂う妙な臭いに気がついた。
甘ったるいようなそれでいて鼻の奥にまとわりつくような臭いだった。
明らかに普通ではない。
俺たちは顔を見合わせ、マンションの警備員に事情を話した。
そして警備員立ち会いのもと、部屋の中を確認することになった。
扉が開いた瞬間、臭いが一気に強くなった。
その先で俺たちが見たものについて、詳しく話すつもりはない。
ただ俺たちはすぐに警察を呼んだ。
その後、俺たちは警察から事情を聞かれた。
最後にAと連絡を取ったのはいつだったのか。
Aにはどんな交友関係があったのか。
そして、彼女について何か知っていることはないか。
俺たちは知っていることをすべて話した。
彼女の名前は田中さん。
マッチングアプリで知り合ったこと。
大手企業に勤めていると言っていたこと。
そこで俺たちは彼女が勤めていると言っていた会社の名前も伝えた。
だが、警察から返ってきた答えは妙なものだった。
「その会社には、田中という女性が勤務していた記録はありませんでした」
俺たちは顔を見合わせた。
Aが嘘をついていたのか。
それとも、彼女が嘘をついていたのか。
警察はその後も彼女の行方を追っているらしい。
だが、数年経った今でも彼女の身元を特定する情報は何一つ見つかっていない。
それどころか、俺たちは彼女の顔すらまともに知らない。
Aから聞いた話では「美人」ということだった。
…ただ、それだけだ。
写真を見せてもらった記憶もない。
彼女と直接会ったこともない。
そもそも、本当に「田中さん」という名前だったのかすら分からない。
だから、今でも時々思う。
あの女は本当にAの彼女だったのだろうか。
そして……
そもそも、あの女は本当に人間だったのだろうか。
もしあなたもマッチングアプリを使っているのなら、一つだけ気をつけてほしい。
プロフィールや名前だけじゃない。
その相手が、本当に人間なのか。
一度くらいは、ちゃんと確認しておいた方がいい。