第一回:大内興童子
俺の名は、
……とはいっても、俺自身がそう名乗ったところで、初めて会った人間から返ってくる言葉は大抵決まっている。
「……若君?」
そして、俺の顔をまじまじと見たあと、どこか困ったような顔をする。
まあ、無理もない。
俺はまだ童子と呼ばれる年頃なのだから。背丈も低ければ顔立ちだって幼く、馬に乗れば大人たちから「落ちるなよ」と念を押され、刀を差して歩けば「重くないか?」と心配される。
……別に重くないんだけどな。
重くないったらない。
とはいえ、そんな俺にも胸を張って自慢できるものがある。
それは――
大内家の三男であるということだ。
「俺の父上は
そう言って胸を張ると、周囲の大人たちは大抵苦笑する。
けれど、俺としては別に間違ったことを言っているつもりはない。
だって、本当にすごいのだから。
俺の父上――大内義隆は、
将軍家を別にすれば、武士の中でこれほど広大な領国を持つ者はそうはいない。
つまり、俺の父上はめちゃくちゃ強くて偉い。
……どうだ、すごいだろ。
えっへん。
もっとも、これを父上本人に言うと、
「興童子、お前はまたそのようなことを……」
と、困ったように笑われてしまうのだが。(多分呆れられてる)
俺としては、何も悪いことを言っているつもりはない。
父上がすごいのは事実なのだから。
そして、俺が父上のことを好きなのと同じくらい好きなのが、この山口の町だ。
大内家の本拠である山口は、俺にとって生まれた時からずっと身近な場所である。
通りを歩けば商人たちが威勢よく声を張り上げ、人々が行き交い、寺社には参詣する者たちが集まっている。京から訪れた公家や僧侶の姿を見かけることもあれば、海の向こうから渡ってきた珍しい品が店先に並んでいることもある。
俺は、そんな山口の町が大好きだ。
朝になれば目を覚まし、飯を食って、今日はどこへ行こうかと考える。面白そうなものを見つければ近寄ってみるし、気が向けば寺社を覗きに行く。日が暮れて腹が減れば館へ戻り、父上や兄上たちの顔を見ながら飯を食う。
それで一日が終わる。
……最高じゃないか。
俺は、この生活が大好きだった。
ずっとこんな日々が続けばいい。
心の底から、そう思っていた。
ただ、そんな俺にも、この世界に生まれてからしばらくの間、どうしても納得できないことがあった。
俺は転生者なのだ。
前世でどんな人生を送っていたのか、そのすべてを覚えているわけではない。それでも、自分がかつて別の世界で生きていたことだけは、はっきりと覚えていた。
だから、生まれて間もない頃はかなり混乱した。
知っている歴史と、微妙に違うのである。
歴史上では男だったはずの人物が女だったり(姫武将とか大名の場合は姫大名というらしい)、知っている名前と少し違っていたり、そもそも聞いたことのない人物が重要な立場にいたりする。
最初の頃は、
――ここは本当に俺の知っている戦国時代なのか?
と、ずいぶん悩んだものだ。
ところが、人間というものは不思議なもので、何年もこの世界で暮らしているうちにだんだん気にならなくなってしまった。
男だと思っていた人物が姫武将だった。
……まあ、そういうこともあるのだろう。
知っている人物と名前が少し違う。
……似たような名前の人間なんて、いくらでもいる。
知っている歴史とは流れが微妙に違う。
……まあ、世の中そんなものだ。
そんなふうに考えているうちに、いつの間にか慣れてしまった。
そもそも、俺は歴史学者でもない。戦国時代の出来事を一から十まで覚えているわけでもなければ、未来に何が起きるのかをすべて知っているわけでもない。
だから今では、歴史上で知っている名前を見かけても、
「へえ、この人は女の人なんだ」
くらいにしか思わなくなった。
俺にとって大切なのは、歴史の答え合わせではない。
今、ここで生きている自分の毎日だ。
そして、その毎日には――。
「おーい、興童子!」
聞き慣れた声が飛んできた。
「どこにいるんだー?」
「こっちだよー!」
声を返すと、少し離れたところから山伏姿の男が姿を現した。
天狗だ。
俺の護衛……的な存在ということになっている。
もっとも、俺にとっては護衛というより、近所の
そうあれは――(唐突な導入)
ほわんほわんほわん
俺と天狗が出会ったのは、俺がまだ本当に小さかった頃のことである。
……まあ、今も十分小さいんだけど。
その頃の俺は龍蔵寺の鼓の滝へ遊びに行き、そこで修行をしていた天狗を見つけた。
滝の近くで一心不乱に修行する山伏。
幼い俺にとっては、それだけでも十分に珍しかった。
だから俺は、少し離れたところから、ただじーっと天狗を眺めていた。
天狗も当然、その視線には気づく。
「……なんだ、お前?」
そう聞かれても、俺は答えなかった。
ただ見る。
じーっと見る。
天狗が修行を再開しても見る。
俺があまりにも動かないものだから、しばらくすると天狗のほうが落ち着かなくなった。
「……なんなんだよ、お前は」
それでも俺は、じーっと見ていた。
そして、いつの間にか天狗について回るようになった。
「若、俺は修行中なんだぞ」
「うん」
「だから帰れ」
「やだ」
「……」
「一緒にいていい?」
「……好きにしろ」
そんなやり取りを何度繰り返したことだろう。
最初は俺を持て余していた天狗も、いつの間にか俺を放っておけなくなっていたようで、今では俺が何かしでかすたびに
「お前はもうちょっと自分を大事にしろ!」
と怒鳴る。
……まあ、俺が悪い時もある。
認めたくはないが、あるにはある。極稀ではあるが。
でも、結局のところ天狗は何とかしてくれる。
だから大丈夫だ。
たぶん
「興童子!」
「今行くー!」
俺は天狗のもとへ駆けていった。
「今日はどこへ行くんだ?」
「んー……」
少し考えてから、俺は答える。
「お寺!」
「またかよ」
「だって面白いじゃん」
「お前、寺へ行って何がそんなに楽しいんだ?」
「知らないものを見るのが楽しいんだよ」
そう言うと、天狗は呆れたように笑った。
俺も笑う。
こうして他愛のない話をしながら山口を歩く時間が、俺は好きだった。
俺には家族もいる。
父上に母上、姉上に義尊の兄上。そして、まだ顔を合わせる機会の少ない兄弟たち。
みんな好きだ。
もちろん、父上は忙しい。
大内家の当主なのだから当然である。家臣たちとの話し合い、領国のこと、寺社との付き合い、朝廷や公家との交流、それに戦のことまで、やらなければならないことはいくらでもある。
だから、父上と一緒に過ごせる時間はそう多くない。
それでも、たまに館で顔を合わせると嬉しかった。
「興童子、またどこへ行っていたのだ?」
「ちょっと遊びに!」
「そうか。怪我はしていないか?」
「してないよ!」
「ならばよい」
そんな短いやり取りだけでも、俺には十分だった。
父上は優しい。
もちろん、怒られることもある。
「興童子! また勝手に館を抜け出したな!」
「……はい」
「何かあってからでは遅いのだぞ!」
「ごめんなさい」
こういう時は、ちゃんと反省する。
反省はするのだ。
ただし、翌日にはまた出かけてしまう。
「天狗!」
「……今度はどこへ行くんだよ」
「面白そうなところ!」
「お前なぁ……」
そんな毎日だった。
平和だった。
穏やかだった。
戦国の世なのだから、争いが起こることくらいは知っている。大内家だって戦をするし、父上が大軍を率いて出陣することもある。館の中を家臣たちが忙しそうに行き交い、何やら険しい顔で話し込んでいることだってある。
それでも、俺の日常は穏やかだった。
山口には人がいて、町があって、寺がある。
父上がいて母上がいて、姉上や兄上たちがいて、天狗がいる。
みんながいて笑ってる。
毎日飯を食って、遊んで、眠る。
今の俺にとっては、それだけで十分だった。
だから、俺は何となく思っていた。
このままずっと、こんな毎日が続けばいいのにな、と。
山口で生まれて、山口で育って、大内家の三男として暮らす。たまに町へ出て天狗を連れ回し、父上に怒られ、兄上たちと話をして、また次の日になれば同じような一日が始まる。
そんな毎日が、ずっと続いていくのだと思っていた。
少なくとも――この頃の俺は、本気でそう信じていた。
夕方になると、天狗に急かされながら俺たちは館へ戻った。
西の空が赤く染まり、山口の町並みに長い影が伸びている。遠くから人々の声が聞こえ、寺からは夕暮れを告げる鐘の音が響いていた。どこかの家から漂ってくる夕餉の匂いに腹を鳴らしながら、俺はその景色を眺めていた。
「なあ、天狗」
「なんだ?」
「俺、山口が好きだな」
「……急にどうした?」
「なんとなく」
天狗は少しだけ目を細めると、何も言わずに笑った。
「そうかい」
「うん」
俺はもう一度、夕暮れの町を眺めた。
この町が好きだった。
この家が好きだった。
父上も、兄上たちも好きだった。
そして、こうして天狗と馬鹿な話をしながら歩く時間も好きだった。
「なあ、天狗」
「今度はなんだ?」
「明日も遊びに行こうな」
天狗は呆れたように俺を見る。
けれど、最後にはいつものように笑ってくれた。
「……ああ。好きにしろ」
「やった!」
俺は笑った。
❖
この時の俺は、まだ知らなかった。
自分がこれから何を背負うことになるのかも。
大内家が、この先どんな運命を辿るのかも。
そして、自分自身がやがて「西国の小覇者」と呼ばれることになるなどということも。
ただ、この頃の俺が願っていたことは、ひとつだけだった。
どうか、この穏やかな日々がずっと続きますように。
――それだけだった。
❖
大寧寺の変まであと僅か
おっきー:僕、山口だーい好き♡
謀反人(推定)S:ぐへへへ、これで防長は俺のものだぁ!!
今宵はここまでにいたしとうございまする。
ご視聴ありがとうございました。