季節は秋。早いもので、俺たちが津和野へやって来てから一年が経っていた。
朝晩には肌寒さを感じるようになり、山々の木々も少しずつ色を変え始めている。夏の間はあれほど青々としていた葉がところどころ黄色や赤に染まり、風が吹くたびに乾いた葉が地面へと舞い落ちていった。
なんだか昔からいたような感覚すら覚えるが、実際はまだ津和野に帰て一年。そう考えると、なんだか妙な気分だった。
津和野へ逃げてきたばかりの頃は季節が一つ巡ることすら想像できず、毎日を生き延びるだけで精一杯で、明日が来ることさえ当たり前ではないような気がしていたのだ。
それなのに今では、家臣になってくれた二人。冷泉元豊と元満の姉妹と馬を並べて遠駆けするなんて、人生は何が起きるかわからない。
「若君」
少し前を走る元豊が振り返り、こちらを気遣うように声をかけてきた。
「どうかなされましたか?」
「え?」
「先ほどから、ぼんやりしておられましたので」
「ああ……」
俺は苦笑しながら手綱を握り直し、ごまかすように答えた。
「ちょっと考え事してただけ」
「左様でございますか」
元豊はそれ以上追及せず、再び前を向いた。
その隣を走っていた元満が、ちらりとこちらを覗き込んできた。
「若君、もしかして疲れました?」
「疲れてないよ」
「本当ですか?」
「本当だって」
「では、もう少し速度を上げても?」
「……え?」
元満がいたずらっぽくにやりと笑った。
「競争しましょう」
「嫌だよ!」
「なぜですか!」
「絶対元満の方が速いじゃん!」
「それはやってみなければ分かりませんよ!」
「分かるよ!」
「若君、以前より随分と馬に慣れられたではありませんか」
元豊まで穏やかな調子で口を挟んできた。
「そうだけど……」
「ならば、試してみる価値はございましょう」
「元豊までそっち側なの!?」
思わず声を上げると、二人が顔を見合わせて楽しそうに笑い声を上げた。
「ふふ」
「若君は相変わらずですね」
「なんで笑うのさ!」
俺はむっとしながら馬を進めたが、緩んでしまう口元まで隠すことはできなかった。
こういうやり取りにも、もうすっかり慣れてしまっている。元豊や元満、ここにはいないが氏隆がいて、それぞれ生まれも育ちも違う者たちがこうして同じ場所で笑い合っているのがどこか不思議だった。
「若君」
「ん?」
元豊が静かな声で尋ねてきた。
「本日はこの後、正頼様のもとへ参られるのでしたね」
「ああ、うん」
「宗像殿もお呼びしているとか」
「そうみたい」
俺は少しだけ視線を前方に向けながら答えた。
「何か話があるんだって」
「筑前や豊前のことでございましょう」
「たぶん」
そう答えたところで、俺はふとその事実の重みに気づいた。
氏隆がやって来てからまだそれほど日は経っていないが、彼が来たことで俺たちの見える景色は少し変わり始めていた。それまで俺たちにとって筑前や豊前は地図の上にある遠い国の名前に過ぎず、父上から聞いたことがある土地という程度の認識しかなかったが、そこから実際に人が、それも命からがら逃げてきた氏隆という人間がやって来たからだ。
氏隆自身がその土地の人間だからこそ、今日の話は今までとは少し違う重みを持つものになる気がしていた。
❖
正頼のもとへ集まったのは、昼を少し過ぎた頃だった。座敷には正頼、頼定、天狗、元豊、元満、そして氏隆が揃っており、俺もその中に座って正面に広げられた地図へ視線を落とした。
紙の上には中国地方から九州北部までの地名がびっしりと記されている。以前はこんなものを見る機会などほとんどなく、地図を眺めて戦のことを考えるような子供ではなかった俺だが、今では目の前の地図の上に兵が動く姿を自然と想像するようになっていた。
ここに城があり、ここに川があり、ここを通れば敵が来て、ここを押さえれば兵糧を運べるというようなことを、いつの間にか考えるようになっていたのだ。
「では、僕から申し上げます」
氏隆が静かに口を開いた。以前の彼ならこういう場で話すだけでもガチガチに緊張していただろうが、今日は少し緊張を見せつつも俺たちの前で落ち着いて話そうとしていた。
「筑前、豊前の情勢についてでございます」
「うん」
俺は頷いて先を促した。
氏隆は地図へすっと手を伸ばした。
「この辺りは、もともと大内家との繋がりが強く、また大友家に対して反感を抱く者も少なくありません」
「大友家に?」
「はい」
氏隆の指が豊前から筑前へと滑らかに動いた。
「大内家が北九州へ勢力を広げていた頃、筑前や豊前では大内家を頼りとする国人も多くおりました。特に大友家と対立してきた者たちにとって、大内家は大きな後ろ盾でございました」
「じゃあ……」
俺は少し頭の中で整理してから尋ねた。
「大内家の味方だった人たちは、今どうしてるの?」
氏隆の表情が暗く曇った。
「……苦しい立場に置かれております」
「苦しい?」
「はい」
氏隆は噛み締めるようにゆっくりと頷いた。
「御屋形様が亡くなられた後、大内家を継いだのは大友晴英殿です」
その名前を聞いた瞬間、胸の奥がざらついた。今は大内義長と名乗っているその男は俺の従兄で俺たちが取り戻そうとしている大内家の当主だが、俺にとってはどうしても父上の後継者とは思えなかった。
「大友家の血を引く方が大内家の御屋形となったことで、これまで大友家と対立してきた者たちにとっては、状況が一変いたしました」
「……そりゃ、嫌だよね」
俺が呟くと、氏隆は静かに同意した。
「はい」
「でも、逆らったら?」
「潰されます」
迷いのない即答だった。その一言で座敷の空気がずしりと重くなる。
「実際に、抵抗した者たちは次々と討たれております」
「……」
「筑前守護代の杉興運殿なども、その一人でございます」
俺は落胆と衝撃を隠せずに地図へ視線を落とした。名前を聞いたことがある人物だったが、それ以上に強く心に残ったのは淡々と感情を押し殺して話す氏隆の声であり、その奥には隠しきれない明らかな怒りが宿っていた。
「だから、今いる人たちは陶の味方なの?」
「そうとは限りません」
そう答えたのは元豊だった。
「若君」
元豊は俺を真っ直ぐに見つめながら、静かに言葉を繋いだ。
「従っていることと、心から味方していることは別でございます」
「……あ」
俺は思わず声を漏らした。言われてみれば当たり前のことなのに、俺は今までそこまで深く考えていなかったのだ。
陶方の旗を掲げてその命令を聞いているからといって、その人が陶晴賢を心から支持しているとは限らず、ただ逆らえないから従っているだけなのかもしれない。
「抵抗すれば命を失うのであれば、表向きは従うしかない者もおりましょう」
元豊が諭すように続ける。
「そうした者たちが、必ずしも陶方のために戦いたいと思っているとは限りません」
「……そうだね」
俺は深く納得してゆっくりと頷いた。
すると、氏隆が少しだけ顔を伏せた。
「僕の家も……」
蚊の鳴くような声に、俺は顔を上げた。
「宗像家のこと?」
「はい」
氏隆は膝の上で固く手を組んだ。
「以前、僕は宗像家の中で起きた争いについてお話ししました」
「うん」
「けれど……あれも、単純に一族同士の争いだったわけではありません」
氏隆の切々とした静かな声が部屋に響いた。
「誰を当主にするのか。誰に従うのか。そうした争いの中へ、外からの力が入り込んでまいりました」
俺は息をひそめて黙って耳を傾けた。
「陶方にとって、自分たちに都合の悪い者が宗像家を継ぐことは望ましくなかったのでしょう」
「……」
「だからこそ、家の中の争いはさらに複雑になりました」
氏隆が一度言葉を止めると、その瞳が痛みに耐えるようにほんの少し揺れた。
「そして、僕たちは……家族を失いました」
俺は何も言えず、固まった。これ以上彼に辛い過去を語らせる必要はないと感じたからだ。
氏隆は呼吸を整え、もう一度地図へ目を落とした。
「筑前でも豊前でも、同じようなことが起きています。大内家に好意を持つ者がいても、その者たちがまとまって動ける状況ではありません」
「つまり……」
俺は地図を見つめながらぽつりと呟いた。
「味方がないんじゃなくて、動けないってこと?」
「……はい」
氏隆が深く答えたその瞬間、俺の胸の奥でバラバラだった思いが一つに繋がったような気がした。
❖
「若、防長のことでな。俺からも話しておきたいことがある」
話が一区切りついたところで、それまで黙っていた天狗が突然口を開いた。
「防長?」
俺は不意を突かれて顔を上げた。
「何かあったの?」
「ああ」
天狗は太い腕を組み、いつになく険しい表情を浮かべた。
「このところ、俺の知り合いの山伏どもにあちこち見て回らせてる」
「山伏に?」
「そうだ」
天狗は大きな指で地図の周防と長門のあたりをなぞった。
「山道を通る奴もいりゃ、寺に泊まる奴もいる。村に入って飯を食う奴もいる。そういう奴らは、そこに住んでる人間からいろんな話を聞けるからな」
天狗の話を聞くうちに、俺はその言葉の意味と凄みを理解していった。山伏というのは単に山に籠もって修行しているだけではなく、各地を歩き回って人と接するため、通常の武士では決して掴めない生の噂や土地の深刻な様子を知ることができるのだ。
「それで?」
「防長の食い物が、かなり厳しいらしい」
「……食べ物?」
「ああ」
天狗の声が一段と低くなった。
「米が足りねぇ。村によっちゃ、食うものそのものが足りてねぇところもある」
俺は思わず強いショックを受けて眉を寄せた。
「そんなに?」
「かなりな」
天狗の顔からいつもの軽い調子は完全に消え去っていた。
「特に周防は酷い。大寧寺の変の後に山口で何が起きたか、お前も知ってるだろ」
「……うん」
答えながら、俺の胸の奥にあの日の忌まわしい記憶が鮮明に蘇ってきた。焼け落ちた町、崩れた家、悲鳴を上げて逃げ惑う人々といった山口の地獄絵図を思い出し、俺は小さく息を吐き出した。
「戦が終わったからって、すぐに元通りになるわけじゃねぇ。食い物も、道具も、田畑も、人手もな」
天狗は過酷な現実を淡々と突きつけてきた。
「そこへ飢えが重なってる」
座敷の中はしんと静まり返った。俺は地図の上に大きく書かれた「周防」の二文字を見つめたが、その文字の向こう側には腹を空かせ、家族を養うために泥にまみれて田畑を耕し、兵に食わせる米を作る生身の人々が確かに存在しているのだと実感した。
「じゃあ……」
俺は思考を巡らせ、ゆっくりと顔を上げた。
「陶たちは、兵を動かすのも大変なんじゃない?」
頼定の鋭い目がわずかに細くなった。
「……左様でございます」
「やっぱり?」
「兵は人でございます。人が動けば、当然ながら食糧が要ります」
頼定は冷静に地図を指さしながら説明を続けた。
「五百の兵を動かすだけでも、日々の食事が必要となる。それが千、二千となれば、必要となる兵糧も当然増えてまいります」
「うん」
俺は深く頷いた。以前の俺なら頼定の説明を聞いても人ごとのように感心するだけだったろうが、今の俺の頭の中には、長く連なって進軍する兵たちの姿がはっきりと浮かんでいた。
歩けば腹が減り、腹が減れば飯が必要で、飯を用意するには大量の米が必要となり、その米を運ぶには膨大な人手と馬が要るのだから、戦う兵の数だけを見て戦を語ることはできないのだ。
「だから、いくら陶が兵を持ってても……」
「飢饉の影響は無視できません」
頼定が力強く頷いた。
「ただし」
そこで頼定は一度言葉を切り、釘を刺すように俺を直視した。
「それだけで陶方が弱いと考えるのは危険でございます」
「うん」
俺も気を引き締めて素直に頷いた。敵にも相当数の兵がおり、知恵の回る者もおり、何より生き残るために必死である以上、ここで単純に勝算を楽観視するほど俺は甘くはなくなっていた。
❖
同じ頃、周防の富田にある若山城では一人の男がもたらされた書状を静かに読み終えていた。陶晴賢――かつて陶隆房と名乗っていたその男は、書状を握りしめたまま厳しい表情で黙しこくっていた。
彼の目の前には安芸、備後、筑前、豊前、長門、そして周防からの報告がずらりと並べられていたが、そのどれを開いても頭の痛い問題ばかりが書かれていた。
「……またか」
晴賢は苦々しく呟いた。筑前では未だに反乱の火種が消えず、豊前では杉重矩の不穏な動きが目立ち、長門では内藤家の内紛が燻り、東からは尼子の勢力が着々と圧力をかけてきており、その上周防では深刻な飢饉まで発生していた。
戦さえ終われば国は自然と落ち着くものだと安易に考えていた時期もあったが、現実は甘くなかった。長年にわたって大内家が中国から北九州にかけて張り巡らせてきた巨大な権力構造は、一度破壊してしまえばそう簡単に再構築できるものではなかったのだ。
「……殿」
控えていた家臣がおそるおそる声をかけてきた。
「何だ」
「周防の村々より、食糧についての訴えが相次いでおります」
「分かっている」
晴賢は苛立ちを隠さずに吐き捨てるように言った。
「同じ報告を何度も持ってくるな」
「はっ……」
家臣は青ざめて深く頭を下げるしかなかった。
だが晴賢自身、これが決して無視できない致命的な問題であることは痛いほど理解していた。民が飢えれば不満が爆発して国が揺らぎ、兵を動かす足場すら失ってしまうが、それでも彼には今すぐに兵を動かさざるを得ない切迫した事情があった。
「尼子め……」
晴賢は怒りを込めて低く呻いた。東の尼子晴久が大内家の隙を突いて領地を侵食してきている以上、放っておけば長年築いた財産を奪われてしまうため、安芸や備後、筑前や長門、そして身内の杉重矩の動きにも同時に目を配らねばならず、まるで一つを押さえつければ別の場所から問題が吹き出してくる悪夢のようだった。
晴賢は溢れ出る焦燥感を抑え込むように、ゆっくりと立ち上がった。
「……儂が大内家を立て直す」
誰に聞かせるでもなく強く呟いたその声には、まだ微かな揺らぎもなかった。どれほど問題が山積みであろうとも、自分は大内義隆を討ち果たして山口を制し、新たな御屋形を据えたのだから、これからも自分の力だけでこの天下を治めていけばいいのだと自分に言い聞かせた。
「逆らう者がいるなら、潰せばよい」
晴賢の瞳に冷酷で鋭い光が宿った。
「従う者がいるなら、使えばよい」
国を治めるということは全人類に好かれることではなく、絶対的な力を持つ者が力によって強引に秩序を打ち立てることに他ならないと、彼は深く信じ込んでいた。
だが――。
「杉重矩殿より、また書状が」
「……」
晴賢の眉間に深い皺が刻まれた。
「何と?」
「豊前の兵について、独自の判断で動かすことを求めております」
「断れ」
「しかし……」
「断れと言っている」
「はっ」
家臣が恐縮しながら辞去していく背中を睨みつけながら、晴賢は重苦しい息を吐き出した。かつての評定で杉重矩と激しく衝突したことを思い出したが、あの男は大内家再興を唱えながらも、一向に自分の思い通りには動こうとしない不快な存在だった。
今すぐにでも切り捨てたいほど鬱陶しい男だったが、彼が豊前で持っているある一定の影響力を考えれば、今はまだ騙し騙し使い続けるしかなかった。
「……まったく」
晴賢は再び机上の書状へ視線を落とした。自分の周囲が思い通りに動かない人間ばかりで埋め尽くされている現実に不満を募らせながらも、自分が大内家を支えていくのだという強い自負と執念だけは、まだ途切れてはいなかった。
❖
「……多すぎない?」
俺は整然と並ぶ懸念材料が書かれた地図を見ながら、思わず呆れたように呟いてしまった。
「何がでございますか?」
頼定が不思議そうに尋ねてくる。
「問題」
俺は自分の指を一本ずつ折って数え上げていった。
「尼子が東で動いてる」
「はい」
「筑前も大変」
「はい」
「豊前では杉重矩が陶と揉めてる」
「はい」
「長門では内藤家も揉めてる」
「はい」
「それで周防は飢饉」
「はい」
俺は完全にお手上げだというように両手を広げた。
「多すぎない?」
真面目な雰囲気に耐えかねたのか、隣で元満が吹き出した。
「確かに」
「笑い事じゃないよ!」
「申し訳ありません」
元満は笑いを噛み殺しながらも、すぐにきりっとした表情に戻った。
「ですが、若君のおっしゃることも分かります」
元豊も深く同意するように地図を見つめていた。
「陶方は、決して一枚岩ではないのでしょう」
「うん」
俺は深く頷いた。
「ですが……」
頼定が冷や水を浴びせるように慎重な口調で言葉を挟んだ。
「制約が多いことは、我らにとって好都合とは限りませぬ」
「どういうこと?」
「それぞれが別の思惑を持っているからこそ、陶晴賢は各々を抑え込もうとしております」
頼定は複雑に入り組んだ地名を指でなぞりながら解説した。
「敵が一つの考えで動いているなら、次に何をするか読みやすい。されど、複数の勢力がそれぞれ異なる考えを持っているのであれば、その動きは予想しにくくなります」
「……なるほど」
「何より、陶方もそうですが」
頼定はまっすぐに俺の目を見つめた。
「我らにも、まだ足りぬものが多うございます」
その決定的な一言に、俺は何も言えなくなって黙り込んでしまった。
「兵」
頼定が淡々と一つ目を挙げた。
「兵糧」
二つ目。
「金」
三つ目。
「武具」
四つ目。
「馬」
五つ目。
「そして、何より味方が足りませぬ」
俺はぐうの音も出ず、言い返す言葉が見つからなかった。敵にどれほど問題があろうと、吉見家や元豊、元満、氏隆、天狗、頼定しかいない俺たちの圧倒的な戦力不足という現実は何一つ変わらないからだ。大内家という巨大な存在を取り戻すには、今の俺たちはあまりにも小さすぎた。
「……そっか」
俺は現実の厳しさに小さく呟いた。
すると、元満が心配そうにこちらを覗き込んできた。
「若君」
「何?」
「難しい顔をされていますね」
「だって……」
俺はもう一度落ち込みそうになりながら地図を見つめた。
「やっぱり、俺たちだけじゃ無理だよね」
誰もすぐには答えてくれず、その静寂自体が残酷な答えになっていた。俺は悔しさを噛み締めながら、膝の上でぎゅっと拳を握りしめた。
「若君」
静寂を破り、元豊が穏やかな声で話しかけてきた。
「人を集めることをお考えですか?」
「……うん」
俺は意を決して顔を上げた。
「もし、できるなら」
口に出してみると自分の身の程知らずさに少し怖くなったが、俺は思いを言葉にし続けた。
「大内を取り戻したいって思ってる人たちを……味方を集められないかな」
正頼が静かに俺を見つめ、頼定も、氏隆も、元豊も元満も、誰も俺の言葉を笑ったりはしなかった。
「筑前にもいるんだよね?」
俺は確認するように氏隆を見た。
「大内家を頼りにしてた人たち」
「……はい」
「豊前にも?」
「いると思います」
「じゃあ、周防にも長門にも?」
氏隆は少し思いを馳せてから力強く頷いた。
「恐らくは」
「だったら……」
俺は地図へ力強く手を伸ばした。指先が周防から長門、そして関門海峡を越えて九州へと力強く辿っていく。
「探してみたい」
「若君」
正頼の声は重く静かだった。
「人を集めるということは、味方を集めるということは、その者たちの先行きに責任を持つことにもなります」
「……うん」
俺はしっかりと頷いた。味方が増えることを無邪気に喜んでいた以前の俺とは違い、今の俺はその人の背後に家族や家臣、守るべき土地があり、失敗すればそれら全てを奪ってしまうという責任の重さを理解していたからだ。
「……分かってる」
俺はもう一度、自分に言い聞かせるように答えた。
「それでも、探したい」
元豊が温かい眼差しで目を細めた。
「若君」
「うん」
「なぜ、そこまでなされたいのですか?」
俺は少し言葉に詰まりながらも、自分の胸の奥底にある気持ちを探ぐり寄せた。大内家を取り戻したい、父上の無念を晴らしたい、陶晴賢を倒したいという思いはもちろんあったが、それ以上の強い衝動が俺を突き動かしていた。
俺は、目の前にいる氏隆を見た。家を追われ、家族を失いながらも俺を信じてここまで来てくれた少年の姿を。
「……氏隆みたいな人が、他にもいると思うから」
「……」
「大寧寺のせいで大内の影響力がなくなったから、行く場所がなくなった人」
俺は自分の想いを溢れ出るままに言葉にしていった。
「大内家を頼りにしてたのに、陶たちに従わなきゃならなくなった人」
地図の上に残された多くの人々の営みに思いを馳せる。
「そういう人たちがいるなら……俺は、できる限り拾いあげたい」
氏隆が感動に震えて目を伏せ、元豊も元満も真剣な眼差しで俺の言葉を受け止めてくれていた。
「俺たちが動いたら、一緒に動いてくれる人がいるかもしれない」
その言葉を口にした瞬間、俺の中で何かが弾けて大きく意識が変わるのを感じた。今までの俺は誰かが助けに来てくれるのを受動的に待っているだけだったが、これからは俺自身が動き、声をかけ、手を伸ばして引き寄せていくのだと強く決意した。
「……探そう」
自分でも驚くほど力強い声が腹から出た。
「大内を取り戻したいと思ってる人を」
正頼はしばらく俺の成長を噛み締めるように見つめていたが、やがて満足そうに深く頷いた。
「承知いたしました」
「伯父上?」
「若君がお決めになったのであれば、私も力を尽くしましょう。とりあえず、石見の他の国人や安芸に書状を送ってみようかと」
「……うん」
信頼してくれる伯父の言葉に、胸の奥が熱くなった。
頼定も静かに深々と頭を下げる。
「私もお支えいたします」
「頼定殿」
「はい」
「……ありがとう」
「もったいなきお言葉にございます」
元豊と元満も誇らしげに笑顔を浮かべて続いた。
「私も」
「私もお供いたします」
「二人とも?」
「当然です。私たち姉妹は家臣ですから」
元満が頼もしく笑ってみせた。
「若君がどこへ行かれるにせよ、私たちはお供いたします」
「……そっか」
そして最後に氏隆へ視線を向けると、彼は自分に振られたことに少し驚いた顔をしていた。
「氏隆は?」
「僕は……」
彼は一瞬躊躇したものの、すぐに凛とした表情で前を見据えた。
「僕も、お力になりたいです。筑前・豊前の国衆に連絡を取りたいので天狗殿の伝手をお借りしてもよろしいでしょうか」
「天狗?どう?」
「ああ、任せとけ。こっちで話付けとくからよ」
「……うん」
俺は心からの笑みを浮かべた。
「みんな、ありがとう」
❖
その日の夜、俺は考えをまとめるために一人で庭へ出ていた。昼間よりも冷え込みが増した風が頬をかすめていき、秋の夜長らしいしんとした静寂が周囲を包み込んでいた。
風に揺れる木々の葉擦れの音と、遠くで鳴く虫の声だけが響く中、俺は縁側に腰を下ろして夜空を見上げた。満天の星々を眺めながら、一年前の自分にはこんな風に夜空を見上げる心の余裕すら一分もなかったことを思い出していた。
ただ生き延びることだけに必死だったあの日々を経て、今の俺には信頼できる仲間や守りたいと思える存在ができていた。
「……次は、俺から動く」
暗闇に向かって呟いた直後、背後から聞き慣れた呆れ声が響いた。
「何をぶつぶつ言ってやがる」
「天狗」
「俺以外に誰がいるんだよ」
いつもの軽いやり取りに心がほぐれるのを感じながら、天狗が俺のすぐ隣へとドカリと腰を下ろした。
「で?」
「何が?」
「お前、何を考えてる」
俺は夜空の星々に視線を戻しながら静かに答えた。
「味方を探したい」
「ほう」
「大内を取り戻したいって思ってる人」
「……」
「いると思うんだよね」
天狗が静かに耳を傾けてくれているので、俺は自分の思いをそのまま言葉に乗せて続けた。
「氏隆みたいに、今の大内家を納得できない人もいる。大友の血を引く人が大内家の当主になったことで、苦しんでる人もいる。陶に従ってるけど、本当は味方じゃない人もいる」
「そうだな」
「だったら、そういう人たちを探せばいい」
俺は膝の上で固く拳を握りしめた。
「俺たちが動いた時、一緒に動いてくれる人がいるかもしれない」
天狗が横目で俺の横顔を覗き込んできたが、その表情にはどこか嬉しそうな色が浮かんでいた。
「……ようやくか」
「何が?」
「お前が自分から動こうって気になったことだよ」
「……うん」
俺は気恥ずかしさを隠すように少し笑った。
「まだ何も決まってないけどね」
「当たり前だ」
天狗は鼻で笑い飛ばした。
「兵もねぇ。金もねぇ。味方も少ねぇ」
「分かってるよ」
「それでもやるのか?」
「やる」
一切の迷いを捨てて即答すると、天狗は満足そうに口元を緩めた。
「なら、まず探すこったな」
「うん」
「誰が味方になるか」
「うん」
「誰なら信用できるか」
「うん」
「誰となら一緒に戦えるか」
「……うん」
俺は一つ一つの問いかけに力強く頷き、再び静かな夜空を見上げた。星々は何も語りかけてはくれないし、この先俺たちが勝つのか負けるのか、無事に大内家を取り戻せるのかも神のみぞ知る領域だった。
けれど、一つだけ確かな真実があった。ただ待っているだけでは運命は1ミリも変わらず、救援を待つだけでは失われた大内家が戻ってくることは絶対にないのだ。
ならば、自分たちの足で探しに行けばいい。大内家を取り戻したいと願う者を、今の不条理な世の中に抗おうとする者を、俺たちと共に歩んでくれる真の仲間を。
今はまだ兵も金も領地もなく、何も持たない裸一貫と同然だったが、俺の隣にはかけがえのない仲間たちが勢揃いしていた。元豊がおり、元満がおり、氏隆がおり、頼定がおり、正頼がおり、そしてこの天狗もいるのだから、ここから新しい歴史を始めることくらいはできるはずだった。
「……よし」
俺は意を決してその場に立ち上がった。
「まずは、探そう」
夜の静寂に向かって力強くそう呟くと、背後から天狗の豪快な笑い声が聞こえてきた。
「その意気だ、若」
振り返ると、天狗はいつものように腕を組んで立っていたが、その目には俺の成長を心から喜ぶ温かい光が宿っていた。
俺はもう一度、深く澄み渡る秋の夜空を見上げた。吹き抜ける冷たい風は、どこか新しい時代の始まりを告げているかのように感じられた。
俺たちはまだ何一つ大きなことを成し遂げてはいない。けれど、確かに今、止まっていた運命の歯車が静かに動き始めていた。
大内家を取り戻すという果てしない道に向かって、俺たちはようやく自らの足で、確かな一歩を踏み出したのだった。
おっきー:大内家奪還に向けて行動開始
SUE:俺はにはできる。大内家を建て直すことができるのは俺だけなんだ!!
正頼:秘儀!お手紙攻撃!!(源氏名物)
今宵はここまでにいたしとうございまする。
読んでいただきありがとうございました。