『西国の小覇者』~織田信奈の野望二次創作~   作:宇京

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第十三回:動き出す

 人を集める――そう心に固く決めた翌日から、俺たちは早速そのための準備に取りかかった。

 とはいえ、いきなり大々的に兵を集め始めたわけではない。そもそも今の俺たちがどれだけ声を張り上げたところで、一体どれほどの人間がついてきてくれるのかさえ見当もつかないのが現実だった。

 大内家の若君――周囲からはそう呼ばれ、確かに父の血を引く者として扱われてはいる。けれど、いまの俺には大内家の広大な領地もなければ、采配を振るうべき軍勢もない。あるのは大内興童子という名前と、生死を共にして俺を支えてくれている僅かな仲間たちだけなのだ。

 

 だからこそ、まずはどこかの誰かに俺たちの声を聞いてもらい、その言葉を信じてもらうことから始めなければならなかった。

 

「……誰から始めるか」

 

 俺は部屋の中央に広げられた石見国の地図を前にして、ぽつりと呟いた。目の前に広がる紙の上には、石見に根を張る国人たちの名がいくつも並んでいる。

 

「佐波興連殿」

 

 その中でも、俺たちが最初に目をつけたのは佐波家だった。俺がその名を口にすると、傍らに控えていた正頼が深く頷いた。

 

「はい」

 

「どうして、佐波家なの?」

 

「大内家との縁がとても深いからです」

 

 正頼は地図に視線を落とし、佐波家の領地があるあたりを指でさした。

 

「それだけではございません。佐波家が石見において持つ影響力や立場を考えれば、最初に話を持ちかける相手として決して悪くありませぬ」

 

「……でも」

 

 俺は少しだけ眉をひそめ、迷いを口にした。

 

「佐波家だって、俺たちと連絡を取っていることが陶に目をつけられたら、すごく危ないんじゃない?」

 

「その通りです」

 

 正頼は誤魔化すことなくあっ振りと答えた。

 

「だからこそ、細心の注意を払い、極めて慎重に動く必要がございます」

 

「慎重に……」

 

「若君が直接書状をお送りになるのは、時期尚早かと存じます」

 

「え?」

 

「もし、その書状が途中で奪われ、陶方の手に渡ればどうなります?」

 

「……俺たちが裏で動いてるってことが、完全にバレちゃう」

 

「はい」

 

 正頼は真剣な眼差しで地図の上へ指を置いた。

 

「そうなれば、連絡を受けた佐波家にも即座に危険が及びます」

 

 俺は黙り込むしかなかった。これはもう、俺たちだけの問題ではないのだ。以前、氏隆が命からがら津和野へ逃げ込んできた時も、俺はその重みを思い知らされたばかりだった。

 

 外部から人を受け入れるということは、その人ひとりの存在だけではなく、その人間の後ろに繋がる家族や家臣たちの命まで背負うことを意味する。ならば、俺が軽率に誰かを味方に誘うということは、その相手を死の危険に晒してしまう可能性と常に隣り合わせなのだ。

 

「……じゃあ、どうするの?」

 

「取次を立てます」

 

「取次?」

 

「はい」

 

 正頼が力強く頷いた。

 

「我らと佐波家の間に立ち、互いの言葉を秘密裏に伝える者でございます」

 

「誰がそんな役目を?」

 

「それを今、考えております」

 

 正頼の視線が、部屋の隅で手持ち無沙汰そうにしていた男に向いた。

 

「……天狗」

 

「あ?」

 

 急に名を呼ばれた本人は、心底面倒くさそうに顔を上げた。

 

「何だよ」

 

「佐波家へ、密かに話を届けることは可能でしょうか」

 

「できる」

 

 返事は一瞬だった。天狗は迷う素振りを一切見せずに即答した。

 

「山伏の伝手を使えば、表立って人を動かさずとも話くらい幾らでも届けられる」

 

「本当に?」

 

 俺が驚いて尋ねると、天狗はバツの悪そうな顔をして鼻を鳴らした。

 

「俺が何年、この山々を歩き回ってると思ってやがる」

 

「じゃあ、頼める?」

 

「ああ」

 

 天狗はドカリとあぐらをかき直し、地図を覗き込んだ。

 

「ただし、俺が直接佐波の館まで行くとは限らねぇぞ」

 

「どうして?」

 

「俺みたいな目立つ奴が直々に動けば、それだけで勘のいい奴に怪しまれるかもしれねぇからな」

 

「……なるほど」

 

「修験の坊主や旅の商人なら、山を越えて国境を行き来しててもそれほど不自然じゃねぇ。そういう連中にそれとなく話を渡して、そこから順々に佐波へ届けるんだ」

 

 天狗は地図の上を長い指で滑らかになぞってみせた。

 

「それに、誰がどこまで話を知ってるかも、なるべく細かく分けておいた方が安全だ」

 

「どうして分けるの?」

 

「全部の事情を知ってる奴が一人でも捕まったら、俺たちの計画が全部外に漏れるだろ」

 

「……」

 

 俺は思わず言葉を失った。戦というのは、ただ刀を交えて兵をぶつけ合うことだけを指すのではないのだ。表に出てこない暗闇の中の化かし合いや知恵比べこそが、すべての始まりなのだと思い知らされた。

 

「分かった」

 

 俺は深く息を吐き出し、頷いた。

 

「それでいこう」

 

「決まりだな」

 

 天狗は億劫そうに立ち上がった。

 

「じゃあ、早速手配してくる」

 

 そう言い残すと、彼は風のように素早く部屋を出て行ったのだった。

 

 

 それから数日後のことである。石見国の寂れた街道を、一人の修行僧が静かに歩いていた。その身なりはどこにでもいる旅の山伏や修行僧と何ら変わりはなく、深くかぶった網代笠の隙間から路面を見つめ、竹の杖を静かに突いている。けれど、その僧の着物の深い懐には、一枚の極めて重要な書状が密かに忍ばされていた。

 それは単なる手紙ではなく、大寧寺の変で討たれたはずの大内家の若君が今も確かに生きているという紛れもない証であり、そして同時に――陶晴賢という反逆者によって力づくで奪われた大内家を、もう一度自分たちの手で取り戻すという固い意思のあらわれでもあった。

 僧は途中で街道の見張りに怪しまれぬよう細心の注意を払い、いくつもの小さな村を抜け、人通りの少ない険しい山道を選んで先へ進んだ。やがて目的地へと辿り着くと、そこにはあらかじめ連絡を受けていた佐波家の人間が密かに待機していた。

 

「佐波越後守様へ、これを」

 

 僧が無言のまま差し出した密書を、男は固い表情で受け取った。

 

「誰からの書状だ?」

 

「それは、越後守様にお読みいただければ自ずと分かるかと」

 

「……」

 

「拙僧はこれにて」

 

 男は怪しむような視線で書状の封を見つめた。しかし、やがて頷くと、それを持って慎重な足取りで館の奥深くにいる主のもとへと向かっていった。

 

 

 

 

「……大内興童子?」

 

 佐波家の当主後見人である佐波興連は、差し出された書状の末尾に記されたその名を見つめたまま、長い間言葉を失っていた。静まり返った室内で、彼はしばらくの間微動だにしなかった。その脇には、緊張した持ち面で家臣たちが控えている。

 

「若君が……いまも生きておられるというのか?」

 

 重臣の一人が、信じられないといった様子でぽつりと呟いた。

 

「そのように、ここには記されております」

 

「しかし、大内の若君が生きているなどと、そんな都合のよい話が……」

 

「噂には聞いていた。大寧寺の惨劇を、奇跡的に生き延びられたということか」

 

 座敷の中に、低いざわめきが波のように広がっていく。興連はそれを手で制した。

 

「静かにせよ」

 

 腹の底から響くような低い声だった。その一言で、立ち込めかけた動揺は一瞬にして消え去り、皆が固唾をのんで黙り込んだ。

 興連は、もう一度手元にある書状へと鋭い視線を落とした。そこには、大内家の若君が密かに石見の地へ逃れ、今も無事に生きていること、そして陶晴賢によって誇り高き大内家が奪われたことを決して許さず、いずれ家名を再興する強い覚悟を持っていることが切々と綴られていた。

 

 書かれている文章そのものは決して長々としたものではない。だが、そのたった一枚の紙に込められた意味の重さは、佐波家にとってあまりにも巨大すぎた。

 

「……大内家再興、か」

 

 興連は噛み締めるように呟いた。その脳裏に過ぎったのは、かつて栄華を極めていた頃の大内家の姿だった。前当主・大内義隆。その類まれなる主君に忠誠を誓い、仕えていた日々。そして、すべてを灰燼に帰したあの大寧寺の変。あの日を境に、この中国地方の秩序のすべてが根底から覆ってしまったのだ。

 大内義隆は理不尽な死を遂げ、誇り高き多くの重臣や家臣たちが命を散らした。興連の甥で佐波家当主だった隆連もそこで亡くなった。

 現在の山口では、大内家の当主として大友家から強引に迎えられた大友晴英――いまは大内義長と名乗る男が傀儡として擁立されている。しかし、その裏で真の権力を握り、すべてを裏から操っているのは他ならぬあの忌々しき陶晴賢なのだ。

 

「……」

 

 興連は無意識のうちに膝の上で拳を強く握りしめていた。かつて大内家に仕えた武士として、胸の奥底に燻り続けている不念や熱い思いがないわけではない。非業の死を遂げた甥のことを思えばなおさらだ。

 だが、ふと周囲を見渡せば、そこには不安げな表情で自分を見つめる家臣たちの姿があった。佐波家には、佐波家としての譲れない事情があるのだ。守るべき代々の領地があり、長年仕えてくれている多くの家臣がおり、その背後には家族たちの暮らしがある。

 

 主君への義理立てという興連個人の感情だけで、おいそれと決められるような単純な話ではなかった。

 

「この書状を届けてきた者はどうした?」

 

「すでに戻らせました。深追いすれば足がつきますので」

 

「そうか」

 

 興連はしばらくの間、深い沈黙に落ち入った。

 

「返事はすぐには出さぬ」

 

「……はい」

 

「まずは、事実を確かめる」

 

 興連は書状を静かに畳んだ。

 

「本当に大内の若君なのかどうか、な」

 

 それが、佐波家当主として提示した最初の問いだった。

 

 

 

 

 それからしばらくして、再び密使が津和野から佐波家へと向かった。今度は単に興童子が生きているという事実を知らせるだけでなく、その人物が果たして本当に大内家の名跡を継ぎ、若君として立つ覚悟があるのかどうか、その真意を伝えるためのものだった。

 

 届けられたのは、俺自身が自らの手で書き上げた書状である。元豊と正頼に何度も文章を改めさせてもらい、言葉の端々にまで気を配りながら、最後に俺が心を込めて筆を取ったのだった。そこには、背伸びをしない等身大の言葉だけを素直に並べた。

 俺が今も生きていること。もう一度大内家を再興したいと強く願っていること。父を討った陶晴賢を討ち取り、失われた大内家を取り戻すつもりであること。そして――佐波家に決して無理な負担や犠牲を強いるつもりはないということ。

 

 俺は最後の一文を書き進める時、胸の中に押し寄せた感情に思わず筆を止めてしまった。

 

 ――もし、志を同じくしていただけるのであれば、どうか俺に力を貸してほしい。

 

 そこまで書き終えると、俺は静かに筆を置いた。

 

「……これでいいかな」

 

 傍らでじっと見ていた元豊が、完成した書状を丁寧に読み終えた。

 

「はい」

 

「本当に、これで大丈夫?」

 

「はい。若君の誠実なお気持ちが十分に伝わる素晴らしい文面言でございます」

 

「元満はどう思う?」

 

「私も実に良いと思います。飾り気のない言葉だからこそ、胸に響きます」

 

「氏隆は?」

 

「僕も大賛成です。押し付けがましくなくて、若君らしいと思います」

 

 最後に、俺は腕を組んで黙っていた男に視線を向けた。

 

「天狗はどう思う?」

 

 天狗だった。

 

「なんで俺に聞く」

 

「いや、せっかく一番近くにいるんだから、感想を聞こうと思って」

 

「知らん」

 

「……」

 

 無礼だとも思うかもしれないが、まあ、天狗という男は昔からこういう奴なのだ。

 そして、俺はそんな媚びず飾らない開けっ広げなこの男が大好きなのだ。

 

「よし、じゃあこれを送ろう」

 

 俺は大切な思いを込めた書状を、信頼できる使者へと託したのだった。

 

 

 

 

 数日後、再び佐波興連の前に、津和野から届いた一通の書状が置かれた。

 

「大内興童子様、ご本人の直筆に間違いございません」

 

「……」

 

 興連はゆっくりと手紙を開き、そこに走る墨跡を見つめた。固い筆遣いで書かれた言葉を、一つひとつ噛み締めるように追っていく。大内家を再興すること。反逆者である陶晴賢を討つこと。だが、佐波家に理不尽な無理を強いるつもりは毛頭ないこと。

 

「……」

 

 読み終えた興連は、しばらくの間、静かに物思ひに耽っていた。

 

「いささか若いな」

 

「はい。まだお幼いと聞いております」

 

「だが」

 

 興連は書状から目を離さないまま言った。

 

「若いからこそ、己の力だけで何でも成せると思い上がっているわけではないらしい」

 

 控えていた家臣が慎重に尋ねる。

 

「では、いかがなさいますか?」

 

「直接、会ってみよう」

 

「興連様、それはあまりに危険では……!」

 

「話をするだけだ」

 

 興連は静かだが退けぬ口調で告げた。

 

「その若君が一体何を考えておられるのか、私自身の目でしかと確かめてみたい」

 

 こうして、佐波興連から津和野へ向けて、たった一つの返事が届けられたのだった。

 

 ――一度、直接お会いして話をしたい。

 

 それこそが、俺たちが踏み出した記念すべき最初の一歩であった。

 

 

 

 

 俺はその朗報を使者から受け取った瞬間、思わず座っていた場所から勢いよく立ち上がってしまった。

 

「本当に? 本当にそう書いてあるの!?」

 

「はい」

 

 使者が深々と頭を下げる。

 

「佐波興連殿より、直接の返書にございます」

 

「……」

 

 俺は震える手で書状を開いた。何度も、何度も同じ文字を読み返す。間違いない、興連は俺と直接会って話をする気になってくれたのだ。

 

「……やった!」

 

 抑えきれない喜びが声となって溢れ出た。

 

「若君」

 

 元豊が目元を緩め、穏やかに微笑んだ。

 

「まだ、完全に我が方の味方になられたわけではございませんよ」

 

「分かってる、そんなこと分かってるよ!」

 

「でしたら、なぜそこまでお喜びに?」

 

「だって」

 

 俺は手に持った手紙をぎゅっと握りしめた。

 

「俺たちの話を聞いてくれるんだ。直接会って、話をしてくれるんだよ!」

 

 理由はそれだけだった。けれど、今の俺たちにとってはそれが何よりも嬉しかったのだ。俺たちが勇気を出して動いた。そして、その呼びかけに応えて向こうも動いてくれた。たったそれだけのことが、昨日までの絶望的な状況とは決定的に違っていた。

 

「……じゃあ、早速会いに行こう!」

 

「はい」

 

頼定が力強く頷いた。

 

「ですがその前に、一つだけ」

 

「何?」

 

「佐波家が何を一番に望んでいるのか、それをご自身の耳でお聞きになるべきでしょう」

 

「もちろんそのつもりだよ」

 

「そして同時に、こちらから何をお約束できるのかを」

 

「……」

 

俺は急に言葉を詰まらせ、黙り込んだ。約束――その二文字が、ずしりと重く胸に響いたからだ。

 

 

 

 

 佐波興連との歴史的な対面は、それから数日後に執り行われた。こちらからは大勢の兵を引き連れて行くような真似は一切しなかった。そんな威圧的な軍勢を見せつければ、かえって相手の警戒心を煽るだけだし、何しろ益田やまだ味方になってくれるかもわからない周辺勢力に気取られるからだ。

 俺の側に付き添うのは、頼定、元豊、元満、氏隆の数名だけ。そして、少し離れた木陰の潜むように天狗が控えている。本当にそれだけの最小限の人数だった。やがて、重厚な雰囲気を纏った一人の武士が姿を現した。

 

「大内興童子様でございますな」

 

 その男こそが、佐波家の当主後見・佐波興連だった。俺は自然と背筋が伸びるのを感じた。

 

「はい」

 

「よくぞ、このような場所までお越しになられました」

 

「こちらこそ、急なお願いにもかかわらず会ってくださってありがとうございます」

 

 互いに静かに頭を下げ合った。静まり返った座敷に入り、火鉢を挟んで真っ向から向かい合う。しばらくの間、重苦しい沈黙がその場を支配した。先にその静寂を破ったのは興連だった。

 

「若君は義興公によく似られておいでですな」

 

 興連は懐かしそうな顔をして、過去に思いをはせるように目を閉じていた。

 大内義興。俺の祖父で将軍・足利義稙公を奉じて上洛し、義稙公の将軍再任を助けて左京大夫として政権中枢に君臨した偉大な祖父だ。人によってさまざまだが祖父を天下人と称する人もいると以前聞いたことがある。

 興連は俺に対し祖父に似ていると言った。俺が生まれたときは祖父はもう鬼籍に入ってたから俺は会ったことはないけれど、祖父の「興」の偏諱を受けた興連は会ったことがあるのだろう。

 

 やがて眼を開いた興連はこちらを見て口を開いた。

 

「若君」

 

「……はい」

 

「書状には、大内家を再興すると書かれておられましたな」

 

「はい」

 

「なぜでございます?」

 

 それは、あらかじめ予想していた質問だった。それでも、いざ相手の鋭い眼光を前にして問いただされると、一瞬返答に迷ってしまう。

 

「……亡くなった父上のためです」

 

 俺は一度言葉を切り、深く息を吸い込んだ。

 

「そして、先祖代々続いてきた大内家という存在を、こんな形で壊したくないからです」

 

「……」

 

「あの大寧寺の変で、本当にたくさんの人が死にました」

 

 俺は膝の上で固く拳を握りしめた。

 

「父上も、兄上も、姉上も……俺のよく知っていた人たちが、みんな殺されてしまった」

 

 興連は表情一つ変えず、黙って俺の言葉を聞いている。

 

「だから、俺の手で取り戻したいんです」

 

「取り戻すとは、具体的に何を?」

 

「大内家をです」

 

「それは、大内という家名のことですか?」

 

「……それだけじゃありません」

 

 俺はきっぱりと首を振った。

 

「大内家を頼りにしてくれていた国人や民たちが、また昔のように安心して暮らせる世の中にしたいんです」

 

 興連の瞳が、わずかに動いた。

 

「それはまた、随分と気の遠くなるような大きな話ですな」

 

「分かってます」

 

「今の無力な若君に、果たしてそれができますかな?」

 

「……正直に言って、できるかどうかは分かりません」

 

 俺は誤魔化さずに答えた。

 

「今の俺には、率いる兵も少ない。戦に使う金もない。守るべき領地だってほとんどないんです」

 

「では、なぜそのような無謀なことを?」

 

「それでも、やらなければならないからです」

 

 興連は試すような視線で俺をじっと見つめ続けた。

 

「……」

 

「俺一人だけの力じゃ絶対に無理なのは、最初から分かっています」

 

 俺は後ろに控える頼定や元豊、元満たちの顔を順番に見つめた。

 

「だから、色んな人に助けてもらいたいんです」

 

「……」

 

「俺一人では到底できないことを、皆の手を借りて成し遂げたいんです」

 

 興連はしばらくの間、腕を組んで黙っていた。やがて、重々しく口を開く。

 

「それでは、もし我が佐波家が協力した場合、どうなりますかな?」

 

「……」

 

「若君に従うということは、すなわち陶晴賢と真っ向から敵対することを意味します」

 

「はい」

 

「もし戦に敗れれば、我が佐波家は跡形もなく滅び去るやもしれませぬ」

 

「……」

 

「それでもなお、佐波家に命を捨てて力を貸せとおっしゃるのですか?」

 

「いいえ」

 

 俺は強い意志を込めて首を横に振った。

 

「そんな身勝手なことは、俺の口からは絶対に言えません」

 

 興連の眉が、ピクリと動いた。

 

「ほう」

 

「俺は、興連殿や佐波家に無理をしてほしいわけじゃないんです」

 

「……」

 

「大切な佐波家を、俺たちのために捨ててほしいわけでもありません」

 

 俺は一語一語、噛み締めるように言葉を続けた。

 

「だからこそ、興連殿ご自身が本当はどうしたいのか、そのお気持ちを聞きたいんです」

 

「……」

 

「大内家のことを、今でもどう思っておられるのかを」

 

 長い、静寂が流れた。やがて興連はそっと目を閉じた。

 

「……私は」

 

 しわがれた低い声が座敷に響き渡る。

 

「佐波家は長年にわたり、大内家に深く仕えて参りました。兄誠連や甥にして先代の隆連も同じです」

 

「はい」

 

「亡き義隆様にも、ひとかたならぬご恩がございます」

 

「……」

 

「その御実子がいまも生きておられると聞けば、武士として心が動かぬわけではありませぬ」

 

 興連はカッと目を開いた。

 

「ですが、私は佐波家当主である我が息子の後見人でもあります」

 

「はい」

 

「若君のお気持ちだけで、大切な家臣たちの命を無駄に賭けるわけにはまいりませぬ」

 

「重々、分かっています」

 

「ならば若君は、我が佐波家に一体何を保証してくださるのですか?」

 

 その突きつけられた決定的な問いに、俺は思わず息をのんだ。横を見ると、氏隆が心配そうに俺を見つめている。頼定も元豊も黙ったままだ。誰ひとりとして、俺に助け舟を出そうとはしない。

 いや――助けてくれないのではないのだ。これは大内家の当主として立つ俺自身が、自分自身の言葉で答えなければならない至極当然の試練なのだ。

 

「……佐波家の本領を」

 

 俺は腹に力を入れ、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。

 

「俺たちが大内家を取り戻した時には、佐波家が今持っているすべての土地を責任を持って守ります」

 

「本領安堵をお約束いただけますか?」

 

「はい」

 

「それだけでございますか?」

 

「……」

 

 俺は必死に頭を回転させた。

 

「もし戦で目覚ましい手柄を立ててくれたなら、その働きに見合うだけの報いを必ず与えます」

 

「どのようにして?」

 

「俺がしかるべき立場になり、大内家の当主になった時に、文書をもって約束します」

 

 俺は逃げずに、まっすぐに興連の目を見つめ返した。

 

「手に入れた土地を勝手に取り上げたり、理不尽な扱いをしたりは絶対にしません」

 

 興連は固い表情のまま黙っている。

 

「俺が一度口にした約束を、後になってなかったことにするような真似は決してしません」

 

 自分で言葉にしながら、なんて重い約束なんだろうと身震いした。いまの俺には、その約束を現実のものにするための力も財力も何一つない。けれど――だからといって何も言わずに逃げ出すわけにはいかないのだ。

 

「……」

 

 興連が静かに口を開いた。

 

「若君」

 

「はい」

 

「いまおっしゃったその言葉を、固い誓いの証にしていただけますか?」

 

「証……ですか?」

 

「はい」

 

 興連の瞳に、武士特有の鋭い光が宿った。

 

「口約束だけでは、私は家臣たちを到底納得させることはできませぬ」

 

「……」

 

「神仏に誓いを立て、互いに決して裏切らぬという確固たる証拠を示すのです」

 

 俺はその言葉が意味する真意を、即座に理解した。

 

「起請文を……書くということですね?」

 

「左様でございます」

 

 興連は重々しく頷いた。

 

「若君が佐波家を未来永劫裏切らぬこと」

 

「……」

 

「そして我らもまた、若君を生涯裏切らぬこと」

 

 俺は少しの間考えを巡らせたが、迷いはなかった。

 

「分かりました。起請文を書きましょう」

 

俺は力強く頷いたのだった。

 

 

 

 

 起請文を執筆する当日、俺はこれまでにない激しい緊張に包まれていた。目の前に置かれた特別な紙に向かい合って座る。そこには、佐波家との間に交わされる厳粛な約束が箇条書きで記されていた。

 大内家再興のために互いに力を尽くすこと。佐波家の現在の領地を永久に保証すること。互いに裏切りや二心を抱かないこと。そして、いかなる理由があろうともこの誓いを破らないこと。

 俺は一文字ずつ、その意味を噛み締めるように確認していった。

 

「……本当に、これでいい?」

 

 傍らに立つ正頼が静かに頷いた。

 

「はい」

 

「本当に、伯父上もこれでいい?」

 

「若君がよいとお考えになったのであれば、それが我が方の道にございます」

 

 俺は意を決して筆を取った。墨をたっぷりと含ませ、自分の名前を書き進めていく。

 大内興童子――たったそれだけの文字数なのに、筆がまるで鉄のように重く感じられた。これは単なる紙切れではない。

 俺が誰かの人生や、その家族の命まで背負うための、命懸けの約束なのだ。筆をそっと置く。書き終えた。興連もまた、自らの署名と花押を力強く書き入れた。二枚の起請文が、畳の上に恭しく並べられる。そして、神仏に対して互いの誓いを点てる厳格な儀式が執り行われた。

 俺はその場に座りながら、込み上げる恐怖と必死に戦っていた。正解なんて分からない。これから先、一体何が起こるのかも予想がつかない。もし俺たちが戦に負ければ、興連も佐波家も悲惨な運命を辿ることになる。俺が判断を誤れば、信じてくれた人たちまで地獄へ巻き込んでしまうのだ。それでも――いま俺の目の前にいる男は、無力な俺を信じようとしてくれている。

 

 ならば、俺も絶対にその思いを裏切らない。俺は心の中で、そう強く誓ったのだった。

 

 

 

 

 すべての儀式が無事に終わった後、佐波興連は俺の前に一通の密書を静かに置いた。

 

「若君」

 

「はい?」

 

「どうぞ、こちらをお受け取りください」

 

「これは……?」

 

 俺はそれをおそるおそる受け取った。

 

「私が正式に、若君の御味方となったことを証明する書状でございます」

 

「……」

 

「まだ、世間に広く言いふらせるものではございませぬが」

 

「はい、重々承知しています」

 

「佐波家としての不退転の意思は、確かにそこにございます」

 

 俺は手に持った書状を、愛おしむように見つめた。

 

「興連殿」

 

「はい」

 

「……本当に、ありがとうございます」

 

 胸がいっぱいになり、それ以外の言葉が出てこなかった。興連は静かに頭を下げた。

 

「こちらこそ、感謝申し上げます」

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺の胸の奥底に熱いものが込み上げてきた。

 ついに――俺たちには、たった一人かもしれないが、本当の味方ができたのだ。

 

 

 

 

 しかし、興連の働きは単に自分が味方になるだけに留まらなかった。

 

「若君」

 

「はい」

 

「私にもう一つ、やらせていただきたいことがございます」

 

「やらせていただきたいこと……ですか?」

 

 興連は脇から一枚の地図を取り出し、手際よく広げた。

 

「ここ石見には、我ら佐波家と同じように、旧大内家と深い縁を持つ国人がほかにもおります」

 

 地図の上に、武士らしいゴツゴツした指で幾つかの家名が示されていく。

 

「福屋」

 

「……」

 

「周布」

 

「……」

 

「そして、出羽」

 

 俺はその名前にじっと見入った。

 

「この人たちも、俺たちの味方になってくれるの?」

 

「大内家との過去の関係性は、それぞれ微妙に異なります」

 

 興連は淡々と解説を続けた。

 

「だからこそ、若君ご自身が直接不躾な文を送られるより、同じ石見の人間である私から密かに話を通した方がよい者もおります」

 

「……」

 

「我らが若君を信じて立ち上がったことを伝えれば、必ずや話に耳を傾ける者が出てまいりましょう」

 

 俺は思わず顔を上げ、興連の顔を見つめた。

 

「興連殿が……他の人たちにも声をかけてくれるの!?」

 

「はい」

 

「でも、それってすごく危険じゃない?」

 

「ええ、危険でしょうな」

 

 興連は拍子抜けするほどあっさりと答えた。

 

「しかし、私ひとりが若君に従ったところで、この惨状は何一つ変わりませぬ」

 

 その力強い言葉に、俺は息をのんだ。

 

「だからこそ」

 

 興連は地図を見つめ、鋭い眼光を放った。

 

「私自身の手で、次の一人を探し出して見せます」

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺は以前元豊と元満が俺のもとへ駆けつけてくれた日のことを思い出していた。

 最初の一人。そこから繋がる二人目。そして三人目。あの日、決意したことが脳裏に鮮やかによみがえる。

 

 ――最初の一人がいなければ二人目も三人目もいないのだから、まずは一人ずつ自分を信じてくれる人を増やしていこう。

 

「……どうか、お願いします」

 

 俺は深々と頭を下げる。

 

「俺も、自分にできる限りのことをします」

 

「若君」

 

「はい」

 

「どうか、頭をお上げください」

 

 俺が顔を上げると、興連は穏やかな表情を浮かべていた。

 

「共に歩む以上、我らはこれより主従となるべき間柄」

 

「……」

 

「されど、今はまだ小さな一歩を踏み出したばかりにございます」

 

 興連は誇らしげに、静かに微笑んだ。

 

「まずは焦らず、一歩ずつ進んでまいりましょう」

 

 

 

 

 津和野への帰り道、俺は馬の揺れに身を任せながら、ぼんやりと空を眺めていた。佐波興連という頼もしい男が味方になってくれた。

 そして彼自身が、他の国人たちへも働きかけてくれるという。俺たちが最初に動かしたたった一人が、いまや次の人を動かそうとしてくれているのだ。

 

「……なんだか、すごいね」

 

「何がでございますか?」

 

 並んで馬を走らせていた頼定が、不思議そうに尋ねてきた。

 

「俺たちが一人を探し出したら、その人がまた次の一人を探してくれるんだよ」

 

「左様でございますね」

 

「これが、人を集めるってことなのかな」

 

 頼定はまっすぐ前を見つめながら答えた。

 

「人間というのは、人の熱意や動きによってこそ動かされるものでございます」

 

「……」

 

「若君がすべての作業を直接おこなわねばならぬ理由など、どこにもございませぬ」

 

 その言い回しに、俺は思わずくすりと笑ってしまった。

 

「ずいぶん前にも、全く同じようなことを言われた気がするよ」

 

「大切なことでございますから、何度でも申し上げます」

 

「分かったよ、肝に銘じるよ」

 

 俺は視線を前方へと戻した。遠くには青々とした山々が連なっている。

 秋の空はどこまでも高く澄み渡り、心地よい風が頬を撫でていく。俺たちの戦いは、まだ始まったばかりだ。率いる兵も少ない。金もない。武器も防具も決定的に足りていない。

 それでも――昨日の俺たちとは確実に違っているのだ。俺たちは自分たちの足で動き出した。そして、その呼びかけに命懸けで応えてくれた人間が一人いる。

 佐波興連。そのたった一人の存在が、いま次の仲間へと声をかけてくれているのだ。だったら、俺ももっと動き回ろう。もっとたくさんの人を探そう。

 

 もっと色んな人と直接会って話をしていくんだ。大内家を取り戻したいと心から願っている人が本当にいるのかどうか、この自分の目で確かめに行こう。

 

 

 

 

 その日の夜、俺は屋敷の静かな庭にぽつんと座っていた。

 

「……味方が、一人増えたよ」

 

「そうだな」

 

 隣に腰掛けた天狗が、短く答えた。

 

「でも、まだたったの一人だ」

 

「ああ」

 

「これからもっと、仲間を増やしていかないとね」

 

「そうだな」

 

 天狗は夜空を見上げた。

 

「ただし」

 

「ん?」

 

「仲間が一人増えるってことは、お前が背負わなきゃならねぇ重荷も一つ増えるってことだぞ」

 

「……」

 

 俺は黙って自分の手を見つめた。以前の俺なら、その言葉の重みに押し潰されそうになっていたかもしれない。けれど、いまは違っていた。

 

「分かってるよ」

 

「本当にか?」

 

「うん」

 

 俺は懐から、佐波興連から預かった大切な書状を取り出して見つめた。

 

「だから、逃げずにちゃんと背負っていくよ」

 

 天狗はしばらくの間、俺の横顔をじっと見つめていた。やがて、

 

「……そうか」

 

 とだけ短く呟いた。俺は再び夜空を見上げる。満天の星が綺麗に輝いていた。

 大内家再興という途方もない道は、始まったばかりだ。けれど今日、確かに一人の人間が俺たちの輪に加わってくれた。

 その一人が、また次の仲間へ声をかけてくれる。そうやって少しずつ、人の輪を広げていく。それこそが、今の俺たちにできる最高の戦い方なのだ。俺は力強く立ち上がった。

 

「明日からも、忙しくなりそうだね」

 

「当たり前だろ」

 

「書状、何通書けばいいのかな」

 

「自分で考えやがれ」

 

「元豊は手伝ってくれるよね?」

 

「知らん」

 

「天狗だって手伝ってよ」

 

「俺は字を書くのが大嫌いなんだよ」

 

「じゃあ、元満にお願いしようかな……」

 

「おいおい、それだけはやめておけ。一番恐ろしい結果になるぞ」

 

「ひどいなぁ!」

 

 俺たちは顔を見合わせて笑った。こんなバカげたやり取りをしていると、これから命懸けの戦が始まるなんて嘘みたいだ。

 けれど――暗闇の向こうでは、すでに誰かが着実に動いている。

 俺たちも動き出した。

 佐波興連も動き始めてくれた。

 

 そしてこの小さな動きが、いつか時代を飲み込む大きな激流になると、俺は強く確信していた。大内家を取り戻すための戦い。

 

 その栄光ある最初の一歩は――一人の人間と固い心を通わせることから始まったのだった。

 

 

 

 

 同じ頃、石見国の暗い夜道を、一人の密使が急ぎ足で進んでいた。その懐には、佐波興連から託された重要な書状が納められている。

 宛先は一つだけではない。福屋。周布。出羽。それぞれの家にあわせ、異なる文言でためためしく書かれていた。だが、その根底にある思いはすべて同じだった。

 

 大内家の若君は生きている。大内家を再興する強い意志を持っておられる。

 そして――我が佐波家は、その若君と共に歩むことを固く決意したのだと。まだ誰も知らない。これらの書状が一体どこまで人の心を動かすのか。

 温かい返事が来るのか、それとも冷たく拒絶されるのか。誰が真の味方となり、誰が陶晴賢のもとへ留まるのか。それはまだ神のみぞ知る未来の話だった。

 

 ただ――これまで静まり返っていた石見の地で、確実に何かが動き始めていた。

 そしてその小さな胎動は、やがて山口に鎮座する陶晴賢の耳にも届くことになるのだ。

 

 大内興童子――死んだと思われていたはずの幼き若君が、密かに息を吹き返し、人を集め始めたという驚くべき知らせが。




興童子:味方になってくれる有力国人を一人ゲットした!!
興連:怨敵・陶許すまじ……!!秘儀!お手紙攻撃!!

 今宵はここまでにいたしとうございまする。
 読んでいただきありがとうございました。
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