おっきーは登場しません
それでは本編どうぞ
山口には、まだ火の気が残っていた。
朝の光が町を照らしているというのに、通りのあちこちからは白い煙が細く立ち昇り、焼け落ちた家々の間には煤けた柱だけが取り残されている。瓦は砕け、商家の戸口には散らばった品々が転がり、かつて人々が行き交っていた道には、焼けた木材と灰が積もっていた。
八日間にわたって続いた陶軍による放火と略奪によって、大内家の本拠である山口は見る影もなく荒れ果てていた。
歴代の大内家当主が長い年月をかけて育んできた西の京。
京から招かれた公家や僧侶、文化人が行き交い、寺社が建ち並び、商人たちが財を築いてきた町だった。それが今では、ところどころに焼け残った建物が立つばかりで、町そのものが大きな火に呑み込まれた跡のようになっている。
その焼け跡を、陶隆房は馬上から眺めていた。
しばらく何も言わずに町を見下ろしていたが、やがて隆房は鼻から小さく息を吐いた。
「……随分と焼けたものだ」
声には、驚きこそあったものの、後悔の色はなかった。
むしろ隆房の胸にあったのは、長年自分を縛ってきたものから解き放たれたような、奇妙な高揚だった。
これでいい。
大内義隆は死んだ。
その子らも、もういない。
そして、義隆の時代を象徴する山口までが焼け落ちた。
古い大内は、ここで終わったのだ。
ならば、これからは新しい大内を作ればいい。
隆房はそう考えていた。
そのために、自分はここまでやったのだ。
義隆を討ったことも、山口を燃やしたことも、すべては大内家を自分の手で立て直すための過程にすぎない。少なくとも隆房自身は、本気でそう信じていた。
「殿」
背後から声をかけられ、隆房は振り返った。
「なんだ」
「そろそろ姫山城へお向かいになられませぬと、評定の刻に遅れまする」
「ああ、分かっておる」
隆房は手綱を引き、馬をゆっくりと歩ませた。
今日の評定は、山口近郊にある姫山城で行われる。
これから決めることはいくらでもある。大内家をどうするのか。誰を新たな当主として迎えるのか。そして、各地の国人や守護代たちをどう従わせるのか。
だが、隆房の中では、そのうちの一つだけはすでに決まっていた。
大友晴英。
密使を通じて話は進めている。
大友晴英を大内家の新たな当主として迎える。
それが、隆房の描くこれからの大内家だった。
「……大内は、これから俺が立て直す」
隆房は、誰に聞かせるでもなく呟いた。
馬が焼け跡を踏み越えていく。
その背後では、灰に覆われた山口から、なお細い煙が立ち上っていた。
隆房は振り返らなかった。
かつて西の京と呼ばれた町を背にして、ただ前だけを見ていた。
その先にある周防姫山城では、これから自らが作り上げようとしている新たな大内家について、家臣たちとの評定が始まろうとしていた。
❖
山口の町から立ち上る煙は、姫山城からもまだ見えていた。
風向きによっては、焦げた木材と焼けた土の匂いまで運ばれてくる。大内家歴代の当主たちが長い年月をかけて築き上げてきた西の京は、わずか八日の混乱によって、その姿を大きく変えていた。
陶の兵が山口へ入り、館や寺社、町家を焼いた。略奪も起こった。
兵たちにとっては戦の勝利に伴う当然の戦利品だったのかもしれない。だが、焼け落ちた町を見れば、それが単なる勝利の証ではないことは誰の目にも明らかだった。
大内家の威光そのものが、灰になっていた。
その焼け跡を背にして、周防姫山城では評定が開かれていた。
広間の上座には、陶隆房が座わり、円になるように隆房に与同した大内家重臣が座っていた。
鎧を解いてはいるものの、まだ戦装束の名残を残していた。長い戦の疲れなど微塵も感じさせず、隆房は豪快に腕を組みながら、居並ぶ諸将を見渡していた。
「さて」
隆房が口を開く。
「これで山口は我らの手に落ちた」
その声音には、勝利を疑う者などいるはずがないという確信があった。
「御屋形様も討たれた。大内家の旧臣どもも、もはや我らに逆らう力はない」
そう言って、隆房は膝を叩いた。
「後は我々が領国を治めるだけだ」
あまりにもあっさりとした言葉だった。
しかし、それを聞いた者たちの反応は一様ではない。
上座から少し離れた場所に座る杉重矩は、険しい顔をしていた。
豊前守護代を務める重矩にとって、今回の謀反は決して陶隆房個人に天下を取らせるためのものではなかった。
大内義隆を倒す。
それはよい。
義隆の政に不満を抱く者は多かった。重矩自身もその一人であり、隆房の挙兵に加わったことに後悔はない。
だが――。
その後の話が違う。
「陶殿」
重矩が口を開いた。
「一つ、申し上げたい」
「なんだ、杉殿」
隆房は気楽な調子で答えた。
「この度の戦、我らは何のために兵を挙げたとお考えか」
「何のため?」
隆房は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに豪快に笑った。
「決まっておろう。大内家を立て直すためよ」
「ならば、その御屋形には誰を立てるおつもりか」
その問いに、広間の空気がわずかに変わった。
隆房は何でもないことのように答えた。
「大友晴英殿だ」
杉重矩の眉が動く。
周囲にも小さなどよめきが起こった。
隆房はそれを気にする様子もなかった。
「すでに話はついておる。大友殿とは密かに使者を通じて話を進めておった。あちらも承知している。いずれ晴英殿を山口へ迎え、大内家の御屋形として立てる」
「……大友晴英」
重矩は低く繰り返した。
「それが、決まったことだと?」
「ああ」
隆房は当然のように頷いた。
「決まったことだ」
その言い方に、重矩の顔がさらに険しくなる。
「陶殿!我らが兵を挙げた時、そのような話は聞いておらぬ!」
「そうだったか?」
「少なくとも、某は義尊様をお立てになるものと思っておった」
その言葉に、広間が静まり返った。
大内義尊。
義隆の嫡男である。
大内家の血を引く正統な後継者として、当然その名が挙がるべき人物だった。
ところが、その義尊はすでに大寧寺で命を落としている。
隆房は、それを知っている。
知った上で、何でもないことのように肩をすくめた。
「義尊様は死んだ」
「……」
「ならば、仕方あるまい」
あまりにも簡単な言葉だった。
重矩の目に、明らかな怒りが浮かんだ。
「仕方あるまい、では済まぬ!そもそも陶殿の軍兵が助命すると言って義尊様が寺から出てきたところを殺したのではないか!!」
広間に声が響いた。
隆房は少しだけ目を細めたが、怒るでもなく、むしろ面白そうに重矩を見た。
「杉殿、声が大きいぞ」
「声を荒らげたくもなる!」
重矩は膝を進めた。
「我らは大内家を簒奪するために兵を挙げたのではない! 義隆様の政を改め、御家を正すために加わったのだ。その上で、義尊様を御屋形として立てる。それがもとの話であったはずだ!」
「だから義尊様を立てるつもりだった」
隆房はあっさりと言った。
「死なれたから、別の者を立てる。それだけのことよ」
「その別の者が、なぜ大友なのだ!」
「血筋があり、一度養子にもなられている」
「それだけか!」
「それで十分ではないか!!」
隆房は怒鳴った。
「大友晴英殿は義隆様の妹君の子だ。大内家と縁が深い。何より、こちらの話を”よく”聞いてくださる。国を治めるには、それが一番大事なことよ」
重矩は唇を噛んだ。
それではまるで、大内家の当主を選ぶことまで陶隆房が決めると言っているようなものであったからだ。しかし、実際その通りだった。
隆房の中では、すでにすべてが決まっていたのだ。
義隆を討ち、山口を押さえる。そして、大友晴英を迎え、新しい大内家を自分が支える。
そこに迷いなどなかった。
「……っ!! 内藤殿は、どうお考えか」
重矩が横へ顔を向けた。
長門守護代・内藤興盛は、しばらく黙っていた。
興盛は今回の謀反に加わったが、その胸中は複雑だった。
大内義隆の次男、亀鶴丸。
自らの孫でもあるその幼子について、興盛は陶に助命を求めた。そして隆房もそれを認めている。そのため、興盛は今すぐ隆房と正面から対立するつもりはなかった。
しかし、義尊を差し置き、大友晴英を新たな当主として迎えるという話が事前に決まっていたからという話に快く頷けるはずもない。
「……某は」
興盛は慎重に言葉を選んだ。
「義尊様をお立てするものと考えておりました」
「内藤殿までか」
「こりゃまいった!はっはっは!!」と隆房は豪快に笑ったが、じろりと興盛の方を見つめる。
「だが、もう義尊様はおらぬ。死んだ者を御屋形にはできまい」
「それは……承知しております」
興盛は静かに答えた。
「されど、後のことについては、慎重に考えるべきかと」
「慎重?」
隆房は鼻で笑った。
「内藤殿は何をそんなに恐れておる」
その言葉に、興盛の顔がわずかに強張った。
恐れているのではない。
危うさを感じているのだ。
大内家は、陶隆房一人のものではない。
これまで大内家に仕えてきた国人たちも、守護代たちも、寺社も、そして大内家の血筋そのものを重んじている者もいる。
義隆を討っただけならば、まだ言い訳はできる。
だが、その後に誰を立てるのか。
そして、その者を誰が操るのか。
そこを誤れば、謀反人たちは一夜にして簒奪者へと変わる。
興盛には、それが分かっていた。
だが、隆房にはまだ分かっていなかった。
いや。
分かっていても、気にする必要がないと思っていた。
「案ずるな、内藤殿」
隆房は豪快に笑った。
「大内家は滅びぬ!各々方も安心めされよ!この隆房が見事!立て直して御覧に入れよう!!」
その言葉には、疑いようのない自信があった。
自分ならできる。
自分が戦を勝ち抜いた。
自分が義隆を倒した。
自分が山口を押さえた。
ならば、これからの大内家を動かすのも自分でよい。
その考えが、隆房の中ではあまりにも自然なものになっていた。
だからこそ、彼は気づいていなかった。
その「自分ならできる」という自信が、少しずつ「自分の思い通りになる」という慢心へ変わり始めていることに。
「まずは山口を整えねばならぬ」
隆房は話を切り替えた。
「焼けた町には兵を入れ、残った者どもを落ち着かせる。寺社や館の始末も必要だ」
「……山口を、あのままにしておくおつもりか」
興盛が尋ねる。
「まさか」
隆房は笑った。
「灰になったなら、また建てればよい」
あまりにも軽い言葉だった。
山口がどれほどの年月をかけて築かれてきた都なのか。
歴代の大内家当主が何を積み重ねてきたのか。
それを知る者にとって、その言葉は到底聞き流せるものではない。
しかし、隆房は気にしていなかった。
彼にとって重要なのは、焼け跡ではなく、その上に自分が新しい大内家を築けるかどうかだった。
「それよりも、各地への使者を急げ」
隆房は周囲の家臣へ命じた。
「大内家の新しい御屋形を迎える。そのことを国々へ知らせるのだ。晴英殿を山口へ呼び寄せる準備も始めよ」
「はっ」
何人かが頭を下げる。
その様子を見ながら、杉重矩は拳を握り締めていた。
もはや、話し合いでどうにかなる問題ではない。
義尊を擁立するという前提で加わった謀反だった。
それが崩れた以上、陶隆房と自分たちの間にある亀裂は、もう隠しようがなかった。
「……陶殿」
重矩が最後に口を開く。
「このままでは、御家中は納得いたさぬぞ」
隆房は重矩を見た。
だが、その表情には不安も焦りもなかった。
「ならば、納得させればよい」
それだけだった。
隆房は立ち上がる。
「儂たちは勝ったのだ」
その声が広間に響いた。
「勝った者が、これからの大内家を決める。それでよいではないか」
重矩は何も答えなかった。
興盛もまた、静かに目を伏せた。
評定は、そのまま終わった。
だが、誰もが同じ気持ちで席を立ったわけではない。
陶隆房だけが、勝利の余韻の中にいた。
自分が大内家を変える。
自分が乱れた国を立て直す。
そして、大友晴英を御屋形に据えれば、すべては上手くいく。
隆房にとって、それは疑う余地のない未来だった。
その足取りは軽かった。
山口を焼き、大内義隆を討ち、旧大内家の秩序をひっくり返した男とは思えぬほどに、晴れやかな顔をしている。
しかし、隆房が広間を出た後も、杉重矩の険しい顔は晴れなかった。
内藤興盛もまた、何も言わぬままその場を離れた。
そして誰も知らなかった。
この日の評定で生まれた小さな亀裂が、やがて大内家そのものを揺るがすほど大きな亀裂へ変わっていくことを。
❖
評定を終えた諸将が、それぞれの役目へ戻ろうとしていた。
広間にはまだ人の気配が残っていたが、先ほどまで張り詰めていた空気は少しずつ緩み始めている。陶隆房もまた、家臣たちと言葉を交わしながら廊下へ出ようとしていた。
その時だった。
「殿!」
廊下の向こうから、荒々しい足音が響いた。
何事かと振り返るより早く、江良房栄が姿を現した。普段の落ち着いた様子とは違い、息を切らしながらこちらへ駆けてくる。
「どうした、房栄。そう慌てて」
「申し上げたいことがございます」
房栄は一度息を整えようとしたが、それもままならない様子だった。
「噂……ではございますが」
そこで一度言葉を切り、周囲を見渡すと扇を少し広げ内々の話をし始める。
「……興童子様が、生きておられるという話がございます」
隆房の笑みが消えた。
❖
「……興童子様が?」
隆房は聞き返した。
房栄は頷いたものの、その顔には確信がない。
「はい。まだ確かな話ではございませぬ。山口を逃れた者の中から、そのような話が出ているだけにございます」
「どこにいると言うのだ」
「それが……分かりませぬ」
房栄は慎重に答えた。
「ただ、山口を出た大内家の者が、幼い若君を連れた山伏を見たという話がございます。その者は石見方面へ向かったとも……」
「石見か」
隆房は顎に手を当てた。
興童子。
大内義隆の子。
義尊が死んだ今となっては、ただの幼子ではない。大内家の血を引く遺児であり、しかも内藤興盛の孫よりも血筋の良さから義隆の嫡流に近い存在である。
もし本当に生きているのなら、話は変わる。
大友晴英を新たな御屋形として迎えることに反発する者が出た時、その者たちが担ぎ出すには、これ以上ない旗になる。
「……なるほどな」
隆房は呟いた。
「死んだと思っていた鼠が、まだ穴の中にいたというわけか」
房栄は返事をしなかった。
「それで、誰がその噂を流しておる?」
「そこまでは……」
「吉見か?」
その名が出た瞬間、房栄の顔がわずかに強張った。
「吉見家の名を口にする者もおります」
「そうか」
隆房は笑った。
しかし、その笑みには先ほどまでの評定で見せていた明るさとは、ほんの少し違うものが混じっていた。
吉見正頼。
大内家に忠節を尽くしてきた国人であり、義隆の義兄でもある男。
もし興童子を匿っているのが本当なら、単なる逃亡ではない。
大内家の旗を掲げるつもりなのかもしれない。
「……面白くなってきたではないか」
隆房はそう言った。
それでも、声にはまだ余裕があった。
大友晴英を迎える。
山口を押さえる。
国人どもを従わせる。
その大筋が崩れたわけではない。
ただ一つ、予定にはなかった駒が盤上に残っていた。
「噂なら、まず確かめろ」
隆房は房栄へ命じた。
「生きているのなら探せ。死んでいるのなら、それでよい」
「はっ」
房栄が頭を下げる。
隆房はその背を見送りながら、先ほどまでの評定を思い返した。
義尊を立てるという話は、もう終わった。
これからは大友晴英を御屋形にする。
その決意は変わらない。
だが――。
「……興童子、か」
隆房は小さく呟いた。
その名が、妙に胸へ引っかかった。
勝ったと思った。
すべて決まったと思った。
ところが、まだ一つだけ片付いていない。
隆房は苦笑し、踵を返した。
「まあよい」
その顔には、まだ自信があった。
「生きているなら、生きているで始末すればよいだけのことだ」
謀反人SUE:御屋形様の子供生きてるとかチョーだるいんですけど
杉&内藤:聞いてた話と違うんだけど、陶ナイワー
次話から新章突入!
大乱に向かって真っ逆さまに落ち行く大内家。
最後に笑うのは陶か興童子か。
そのころ雲州では不穏な動きが…?
次章❖大乱前夜
お楽しみに!
今宵はここまでにいたしとうございまする。
読んでいただきありがとうございました。