寺に、穏やかな朝が戻っていた。
鳥の声。
薪が割れる音。
子供たちの笑い声。
そして――。
「獪岳兄ちゃん! 起きて!」
「……うるせぇ」
「朝だよ!」
「あと五分……」
「昨日、悲鳴嶼さんが『早寝早起きは大事だ』って言ってた!」
「…………」
布団の中で、獪岳の眉がぴくりと動く。
「……分かったよ」
「やった!」
子供たちが走っていく。
獪岳は布団から起き上がり、大きく欠伸をした。
「……俺、いつからこんな生活になったんだよ」
前世では考えられなかった。
そして、獪岳として生き始めた当初も。
ただ強くなることだけを考えていた。
だが今は。
「……悪くねぇな」
そう思える自分がいる。
朝食を終えた後。
子供たちは境内で遊び、獪岳は薪を割っていた。
「……ふっ!」
斧を振り下ろす。
パカンッ。
薪が綺麗に割れる。
「獪岳」
「はい」
悲鳴嶼が近づいてくる。
「今日は山へ行く必要はない」
「そうですか?」
「ああ。食料も十分にある」
「じゃあ今日は修行します」
「その前に」
悲鳴嶼が少し間を置く。
「子供たちと過ごしなさい」
「……俺が?」
「そうだ」
「何でですか」
「お前も子供だからだ」
「…………」
獪岳は渋い顔をした。
「俺、もう十分大人っぽいと思うんですけど」
「そういうところが子供だ」
「……納得いかねぇ」
悲鳴嶼が僅かに笑う。
そんな二人を。
寺の子供たちが遠くから見ていた。
「ねえ」
「なに?」
「獪岳兄ちゃんと悲鳴嶼さんって、家族みたいだよね」
「うん!」
「じゃあ、俺たちも家族?」
その言葉に。
獪岳の動きが止まった。
「…………」
家族。
その言葉は。
思った以上に重かった。
前世では。
そんなものを意識したことはなかった。
そして。
この世界に来てからも。
自分は「原作の獪岳」だと思っていた。
寺にいる子供たち。
悲鳴嶼行冥。
自分。
それぞれ別の人生を歩む人間だと。
けれど。
「……家族、か」
その日の夜。
食事が終わった後。
子供たちが縁側に集まっていた。
「獪岳兄ちゃん」
「ん?」
「質問!」
「何だ」
「家族って何?」
「…………」
獪岳は困った。
「……一緒に飯を食う奴ら?」
「じゃあ僕たち家族?」
「そうだな」
「一緒に寝るのも?」
「まあ……」
「一緒に遊ぶのも?」
「……そうだ」
「喧嘩しても?」
「するだろ」
「じゃあ、家族だ!」
子供たちが笑う。
獪岳も思わず笑った。
その時。
「……獪岳」
悲鳴嶼の声がした。
「はい?」
「少し話がある」
「分かりました」
二人で境内へ出る。
月明かりが二人を照らす。
「今日、子供たちが言っていたことを聞いたか?」
「家族の話ですか?」
「ああ」
「……聞きました」
悲鳴嶼はしばらく黙っていた。
「私は、お前たちを守る責任があると思っている」
「はい」
「だが」
悲鳴嶼は拳を握る。
「守るだけでは足りないと思うようになった」
「…………」
「私はこれまで、子供たちを救えなかった」
その声に。
深い痛みが滲んだ。
「だからこそ……」
悲鳴嶼は続ける。
「今度こそ、誰も失いたくない」
獪岳は黙って聞いていた。
「だから」
悲鳴嶼が獪岳を見る。
「お前たちに尋ねたい」
「……何を?」
「この寺で」
「…………」
「私と共に、生きてくれないか」
獪岳の目が見開かれた。
「……それって」
「家族になろう」
その言葉が。
静かな夜に響いた。
獪岳は何も言えなかった。
「…………」
胸の奥が熱い。
前世では。
こんな言葉をかけてもらったことはなかった。
「家族になろう」
それは。
ただの言葉だった。
けれど。
今の獪岳には。
世界で一番欲しかった言葉に聞こえた。
「……俺」
声が震える。
「俺、いいんですか?」
悲鳴嶼は頷く。
「ああ」
「俺、口悪いですよ」
「知っている」
「負けず嫌いです」
「知っている」
「すぐムカつきます」
「それも知っている」
「……面倒臭い奴ですよ」
「それでもだ」
獪岳は俯いた。
「…………」
目元が熱い。
「……ずりぃですよ」
「何がだ?」
「そんなこと言われたら……」
涙が落ちた。
一滴。
そして二滴。
「……泣くじゃねぇか」
悲鳴嶼は何も言わず。
ただ獪岳の頭に手を置いた。
「泣いていい」
「…………」
「ここでは、無理をしなくていい」
「…………はい」
獪岳は涙を拭った。
そして。
ゆっくり顔を上げる。
「……俺も」
「…………」
「家族になりたい」
悲鳴嶼の目から涙が流れる。
「ありがとう」
「……はい」
「今日から」
悲鳴嶼が言う。
「お前たちは、私の家族だ」
「……家族」
獪岳はその言葉を噛み締める。
そして。
「だったら」
拳を握った。
「俺も、家族を守ります」
「ああ」
「子供たちも」
「ああ」
「悲鳴嶼さんも」
「ああ」
「俺が絶対に守ります」
悲鳴嶼は微笑んだ。
「それなら、私も負けられないな」
「……競争ですか?」
「そうだ」
「俺が先に強くなりますよ」
「楽しみにしている」
二人は笑った。
その夜。
寺の中には。
子供たちの寝息が響いていた。
そして。
その真ん中で。
獪岳は初めて思った。
――ここが。
――俺の帰る場所なのかもしれない。
「……家族、か」
悪くない。
いや。
「……大切だ」
絶対に失いたくない。
だから。
獪岳は心の中で誓った。
この家族だけは。
原作の悲劇に巻き込ませない。
自分が未来を知っている限り。
絶対に。
【大正コソコソ噂話】
「家族になろう」と決まった翌朝。
寺の子供たちは大喜び。
「じゃあ獪岳兄ちゃんはお兄ちゃん!」
「今までと何が違うんだよ」
「もっとお兄ちゃん!」
「意味分かんねぇよ」
さらに。
「悲鳴嶼さんはお父さん!」
「……お父さん?」
悲鳴嶼が固まる。
「獪岳兄ちゃんがお兄ちゃんだから!」
「そういう理屈かよ!」
その日から子供たちの中では、
悲鳴嶼=お父さん
獪岳=怖いけど優しい長兄
という謎の家族構成が定着した。
ちなみに獪岳は、
「俺はお父さんじゃねぇからな!」
と何度も念を押した。
しかし子供たちからは、
「お父さん!」
「獪岳兄ちゃん!」
と両方から呼ばれ続けたという。
そして悲鳴嶼は。
「……家族とは、良いものだな」
と、穏やかに笑っていた。
――大正コソコソ噂話・終。