――蝶屋敷。
夜が明ける頃。
静かな部屋で、胡蝶カナエは布団の上で眠っていた。
「……」
顔色はまだ悪い。
肺には童磨の冷気による負担が残っている。
それでも。
命は助かった。
そして――。
「……ん」
カナエがゆっくり目を開ける。
「ここは……」
見慣れた天井。
「蝶屋敷……?」
「お姉ちゃん!」
「カナエ姉さん!」
襖が勢いよく開く。
そこにいたのは――。
「しのぶ……」
妹の胡蝶しのぶ。
そして栗花落カナヲだった。
「お姉ちゃん!」
しのぶが駆け寄る。
「よかった……!」
カナエは微笑む。
「心配をかけましたね、しのぶ」
「……本当に……」
しのぶの声が震える。
「死んじゃったかと思った……」
「ごめんなさい」
カナエがそっと妹の頭を撫でる。
「でも、私はここにいますよ」
「……はい」
しのぶは涙を拭う。
「本当に……よかった」
カナエはその顔を見つめる。
そして。
「しのぶ」
「何ですか?」
「ひとつ、伝えたいことがあります」
「……?」
カナエは優しく微笑む。
「あなたには……大切な人がいますね」
「……!」
しのぶの顔が一瞬で赤くなる。
「な、何を言ってるんですか、お姉ちゃん!」
カナエがくすくす笑う。
「やっぱり」
「何がですか!」
「ふふ……」
カナエは嬉しそうだった。
「獪岳さんが、あなたをとても大切にしていることは知っていました」
「……」
「でも今回、私もよく分かりました」
しのぶは黙る。
「獪岳さんは、私を守ってくれました」
「……!」
「そして、私を生きて帰らせるために、一人で童磨の前に残ったんです」
しのぶの表情が変わる。
「……あの人は」
小さく呟く。
「本当に……無茶ばかりします」
「ええ」
カナエは笑う。
「でも、とても優しい人ですよ」
「……はい」
しのぶの口元に、小さな笑顔が浮かんだ。
その隣で。
「……」
カナヲは黙って二人を見ていた。
そして。
「カナエさん」
「はい?」
「獪岳さんは……帰ってきますか?」
カナエは少しだけ目を伏せる。
「ええ」
迷いなく答える。
「必ず帰ってきます」
「……どうして?」
「約束したからです」
カナエは微笑む。
「私と、そしてしのぶに」
その頃――。
蝶屋敷から遠く離れた山。
「……」
獪岳は雪原に立っていた。
刀を握りしめ。
目の前には――。
「いやぁ……」
童磨。
「本当にしぶといね、君」
獪岳は息を整える。
「お前こそな」
二人とも傷だらけだった。
だが。
獪岳の目には、もう迷いはない。
「俺は帰る」
「誰のところへ?」
「しのぶのところだ」
「……ふふ」
童磨が笑う。
「いいねぇ」
「だから――」
獪岳は刀を構える。
「ここでお前を倒す」
再び雷鳴が轟いた。
――そして。
この戦いの後。
鬼殺隊の中で、ある噂が広まることになる。
「花柱・胡蝶カナエは――」
「上弦の弐との遭遇戦から、生還した」
「鳴柱・獪岳が救ったらしい」
「しかも……」
「一人で上弦の弐を足止めしたって?」
「本当か?」
「さあな」
隊士たちは声を潜める。
「でも、花柱様が生きて帰ってきたのは事実だ」
「だったら――」
「すごいことだな」
「うん」
そして。
大正コソコソ噂話――。
蝶屋敷の隅で。
アオイが小声で話していた。
「ねぇ、知ってます?」
「何を?」
「花柱様が生きて帰ってきた理由」
「え?」
アオイは周囲を確認する。
「鳴柱様が、上弦の弐を相手に一人で戦って時間を稼いだんですって」
「えぇ!?」
「しかも花柱様に――」
アオイは声を落とす。
「『必ず生きて帰る』って約束させたそうですよ」
「……」
「……格好いいですね」
「ですねぇ」
そして。
もう一つ。
「でも、もっと凄い噂があります」
「何です?」
「花柱様が帰ってきたと知った鳴柱様が――」
「何て言ったと思います?」
「……?」
「『約束は守った』って」
「……!」
「ですって」
二人は顔を見合わせる。
「……」
「……恋人って、いいですね」
「はい……」
その頃。
蝶屋敷の病室。
カナエは静かに目を閉じていた。
そして。
胸の中で、あの夜の言葉を思い出す。
――必ず帰ってきてください。
――約束だ。
「……獪岳さん」
カナエは小さく微笑む。
「私も……約束を守りましたよ」
生き残った花柱。
その命は。
一人の鳴柱によって繋がれた。
そしてこの出来事は――。
鬼殺隊の歴史を、大きく変える転機となったのである。