蝶屋敷。
竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助が揃ってからというもの、屋敷は以前にも増して騒がしくなっていた。
「だから俺は猪じゃねぇ!」
「猪だろ!」
「違う!」
「じゃあその頭は何なんだよ!」
「格好いいからだ!」
「意味分かんないよ!」
廊下の向こうから聞こえてくる騒ぎ声。
村田は深いため息をついた。
「……相変わらず元気だな」
彼は数日前の任務で負傷し、蝶屋敷で療養している隊士の一人だった。
炭治郎たちと比べれば、どこにでもいる普通の隊士。
特別な才能があるわけでもない。
柱でもない。
ましてや、名前すら覚えられていない隊士も大勢いる。
「俺たちは……」
村田は自分の手を見る。
「本当に普通なんだよな」
鬼殺隊には、圧倒的な強さを持つ柱がいる。
鳴柱・獪岳。
花柱・胡蝶カナエ。
蟲柱・胡蝶しのぶ。
そして、他にも多くの柱たちがいる。
その一方で。
村田のような隊士たちは、日々鬼と戦いながら命を繋いでいる。
「柱と比べたら……」
「弱い」
背後から声がした。
「……!」
村田が振り返る。
獪岳だった。
「鳴柱様……」
「何をしている」
「いえ……少し考え事を」
「そうか」
獪岳は村田の隣に立つ。
「今、柱と比べて自分は弱いと思っただろ」
「……」
図星だった。
「はい」
村田は正直に答える。
「俺なんか、柱どころか……炭治郎たちみたいな新人にも追い抜かれそうで」
「……」
「鬼と戦うたびに怖くなるんです」
獪岳は黙って聞いている。
「任務に行くたびに、次は死ぬかもしれないって思う」
「それは普通だ」
「え?」
獪岳は村田を見る。
「怖くない人間などいない」
「……」
「恐怖を感じるのは、弱さじゃない」
村田が顔を上げる。
「じゃあ……何なんですか?」
「生きたいという意思だ」
獪岳は淡々と言った。
「怖いから逃げるのではなく、怖くても刀を握る」
「それが剣士だ」
村田は黙り込む。
「……」
その時。
廊下の向こうから、数人の隊士が姿を見せた。
「村田!」
「おう」
彼らも負傷した隊士たちだった。
誰もが目立たない。
名前を呼ばれることも少ない。
だが。
彼らも鬼殺隊士だ。
一人が口を開く。
「俺たちも、柱にはなれないだろうな」
「……」
「それどころか、次の任務で死ぬかもしれない」
別の隊士が苦笑する。
「でもさ」
「ん?」
「それでも、誰かを守れるならいいんじゃないか?」
村田はその言葉を聞いて、少し驚いた。
獪岳も黙って隊士たちを見る。
「お前たち」
「はい!」
「名前は?」
隊士たちは顔を見合わせる。
「……え?」
「名前だ」
「俺は……」
一人が名乗る。
続いて。
二人目。
三人目。
獪岳は全員の名前を聞いた。
そして。
「覚えておく」
「……!」
隊士たちは驚いた。
「鳴柱様が……俺たちの名前を?」
「当たり前だ」
獪岳は言う。
「お前たちも鬼殺隊士だ」
「柱だけが鬼を倒しているわけじゃない」
「一人の隊士が一人の人間を救うこともある」
「その積み重ねが鬼殺隊を支えている」
村田は拳を握った。
「……」
その言葉が胸に響く。
獪岳は続けた。
「だから、自分を名無しだと思うな」
「……はい」
「お前たちには名前がある」
「生きてきた人生がある」
「そして――」
獪岳は静かに隊士たちを見る。
「守った人間がいる」
誰も言葉を返せなかった。
「それだけで十分、誇っていい」
村田の目が少し潤む。
「……鳴柱様」
「何だ」
「俺……」
村田は刀に手を添える。
「もう少しだけ、頑張ってみます」
「そうしろ」
「柱にはなれなくても」
「なる必要はない」
「……!」
「お前はお前の戦いをしろ」
獪岳は背を向ける。
「生き残れ」
「はい!」
村田たちの声が重なる。
「必ず!」
獪岳が去っていく。
その背中を見つめながら。
村田は小さく笑った。
「……柱って、怖い人ばかりじゃないんだな」
すると。
「村田さーん!」
炭治郎が駆けてくる。
「何してたんですか?」
「ちょっと鳴柱様と話してた」
「そうなんですか!」
炭治郎が嬉しそうに笑う。
「獪岳さん、優しいですよね」
「お前、あの人の昔を知らないからそう言えるんだよ」
「昔?」
「……いや」
村田は首を振った。
「何でもない」
その後ろから善逸がやってくる。
「村田さん!」
「何だ?」
「獪岳さん、怖くなかった!?」
「……まあ、少しは」
「だよね!?」
善逸が安心した顔をする。
「俺だけじゃなかった!」
「お前は少し静かにしろ」
「酷い!」
そこへ伊之助も現れる。
「おい村田!」
「何だよ」
「俺と勝負しろ!」
「嫌だよ!」
「逃げるのか!」
「病み上がりなんだから無理に決まってるだろ!」
「なら治ったら勝負だ!」
「だから何で俺なんだよ!」
再び屋敷が騒がしくなる。
村田は思わず笑った。
「……悪くないな」
鬼殺隊には。
柱だけがいるわけではない。
名もなき隊士たち。
負傷しながらも戦い続ける者たち。
恐怖を抱えながら刀を握る者たち。
そして。
そんな彼らを支える柱たち。
その全てが。
鬼殺隊という一つの組織を作っている。
獪岳は廊下の先で、騒がしい声を聞いていた。
「……」
隣に来たしのぶが微笑む。
「随分と慕われていますね」
「俺が?」
「ええ」
「……そうか?」
「はい」
しのぶは優しく笑う。
「昔の獪岳さんなら、絶対にしなかったでしょうね」
「……」
獪岳は少しだけ空を見上げる。
「変わったのかもしれないな」
「いいえ」
しのぶが答える。
「変わったんじゃありません」
「?」
「本当の獪岳さんが、少しずつ表に出てきただけですよ」
「……」
獪岳は何も言わなかった。
ただ。
遠くで笑う隊士たちの声を聞きながら。
ほんの僅かに口元を緩めた。
名もなき者たちにも。
守るべきものがある。
そして。
その命を守るために戦う者たちこそ――。
鬼殺隊の本当の強さなのかもしれなかった。