鬼殺隊本部。
珍しく任務のない朝。
「……暇だな」
鳴柱・獪岳は縁側に座り、庭を眺めていた。
柱になってからというもの、任務、鍛錬、隊士の指導、報告書。
毎日のように何かしらの仕事がある。
だからこそ。
「今日は何もない」
そう言って、獪岳は茶を一口飲んだ。
「……悪くない」
静かな朝。
鳥の声。
風に揺れる木々。
「こういう日も必要だな」
そこへ。
「獪岳さん」
聞き慣れた声。
振り返ると、しのぶが立っていた。
「何だ」
「今日はお休みなんですよね?」
「ああ」
「では――」
しのぶが微笑む。
「一緒に出かけませんか?」
「……」
獪岳は少し考える。
「どこへ?」
「秘密です」
「……嫌な予感しかしない」
「ふふ。大丈夫ですよ」
しのぶは獪岳の手を取る。
「行きましょう」
「おい、引っ張るな」
「早くしてください」
「分かった、分かった」
こうして。
鳴柱・獪岳の休日が始まった。
◆
二人がやって来たのは、町外れの小さな茶屋だった。
「ここか?」
「はい」
「随分と普通だな」
「普通が一番ですよ」
しのぶは席につく。
「今日は任務のことを考えない日にしましょう」
「……努力する」
「努力ではなく、忘れてください」
「無茶を言うな」
二人の前に茶と菓子が運ばれてくる。
獪岳は団子を見る。
「……」
「どうしました?」
「甘いものはあまり食べない」
「知っています」
しのぶは一本の団子を取る。
「でも、今日は食べてもらいます」
「……」
獪岳は渋々一本取る。
一口。
「……」
「どうです?」
「……悪くない」
「ふふ」
「何だ」
「いえ。獪岳さんが素直に褒めるのは珍しいなと思って」
「……うるさい」
しのぶは楽しそうに笑う。
「でも、こうしていると普通の恋人みたいですね」
「……」
獪岳の手が止まる。
「……普通の恋人」
「はい」
「俺たちが?」
「嫌ですか?」
「……いや」
獪岳は少しだけ顔を逸らす。
「悪くない」
しのぶが嬉しそうに微笑む。
「私もです」
◆
茶屋を出た二人は、町を歩く。
「今日は何をします?」
「お前が決めろ」
「では、買い物をしましょう」
「何を買う?」
「獪岳さんの新しい羽織です」
「必要ない」
「必要です」
「まだ着られる」
「古いです」
「問題ない」
「私が選びたいんです」
「……分かった」
店に入る。
しのぶは黒を基調とした羽織を手に取る。
「これなんてどうです?」
「派手だ」
「そうですか?」
「俺には似合わん」
「では、こちらは?」
「……」
しのぶが別の羽織を差し出す。
黒地に、薄い紫の模様。
「……」
獪岳はそれを見る。
「悪くない」
「でしょう?」
「これにする」
「決まりですね」
しのぶは嬉しそうに笑う。
「獪岳さん」
「何だ」
「私が選んだもの、ちゃんと着てくださいね」
「……ああ」
◆
夕方。
二人は町を離れ、静かな川辺へ向かった。
「……」
川のせせらぎ。
夕日に照らされる水面。
獪岳は腰を下ろす。
「静かだな」
「ええ」
しのぶも隣に座る。
しばらく二人とも何も話さなかった。
「……獪岳さん」
「ん?」
「最近、変わりましたね」
「またそれか」
「はい」
しのぶは川を見る。
「以前のあなたは、誰かに頼ることを嫌っていました」
「……」
「自分一人で全部背負おうとしていた」
獪岳は黙っている。
「でも今は違います」
「……そうだな」
「隊士たちにも慕われています」
「慕われているのか?」
「はい」
「俺にはよく分からん」
「ふふ」
しのぶは笑う。
「でも、私には分かります」
「何が?」
「あなたが変わった理由です」
獪岳はしのぶを見る。
「……何だ」
しのぶは微笑む。
「守りたいものが増えたからですよ」
「……」
獪岳はしばらく黙った。
そして。
「そうかもしれないな」
「私も、その中に入っていますか?」
「……」
獪岳はしのぶの手を取った。
「当たり前だ」
しのぶの頬が赤くなる。
「……ずるいですね」
「何がだ」
「そういうことを不意に言うところです」
「本当のことを言っただけだ」
しのぶはそっと肩を寄せる。
「なら――」
「今日は、このままでいましょう」
「ああ」
二人は夕暮れの川辺で静かに過ごした。
◆
夜。
屋敷へ戻ると。
「お帰りなさい、獪岳様!」
「お帰りなさい!」
数人の隊士たちが出迎える。
「……」
獪岳は少し驚いた。
「何だ?」
「今日はお休みだったので、どこかへ行かれたのかなと思って!」
「……」
「楽しめましたか?」
獪岳はしのぶを見る。
しのぶは笑っている。
「……ああ」
獪岳は答えた。
「久しぶりに、ゆっくりできた」
「それはよかったです!」
隊士たちが笑う。
獪岳も。
ほんの僅かに笑った。
その夜。
布団に入った獪岳は、今日一日を思い返していた。
任務もない。
戦いもない。
誰かを守る必要もない。
ただ。
しのぶと歩き。
食事をして。
話をした。
「……」
これが。
普通の人間の休日なのかもしれない。
「悪くないな」
隣の部屋から、しのぶの声が聞こえる。
「獪岳さん?」
「何だ?」
「今日は楽しかったです」
「……俺もだ」
「また一緒に出かけましょうね」
「ああ」
「約束ですよ」
「約束だ」
獪岳は目を閉じる。
そして。
静かな夜の中で。
初めて、自分が手に入れた「普通の幸せ」を噛み締めた。
戦うためだけに生きるのではなく。
守るために生きる。
そして。
守った者たちと共に笑う。
それが――。
鳴柱・獪岳にとっての、新しい人生だった。