――山奥の道場。
夕暮れ。
「……」
桑島慈悟郎は、一人で縁側に座っていた。
かつて雷の呼吸を教えた弟子たち。
獪岳。
善逸。
二人のことを思い出すたび、胸の奥が痛む。
「……獪岳」
元・弟子の名を呟く。
以前の獪岳は、強さを求めるあまり、周囲を見ようとしなかった。
そして善逸は、才能がありながら自信を持てず、いつも泣いていた。
「儂の教え方が……悪かったのかもしれんな」
慈悟郎は目を閉じる。
その時。
「じいちゃん!」
聞き慣れた声が響いた。
「……善逸?」
「うん!」
善逸が駆け込んでくる。
「どうしたんじゃ、こんなところまで」
「会わせたい人がいるんだ」
「人?」
善逸が振り返る。
そこには――。
「久しぶりだな」
「……!」
慈悟郎の目が見開かれる。
黒い羽織。
腰には日輪刀。
そして。
以前とは比べものにならないほど、堂々とした姿。
「……獪岳」
「そうだ」
鳴柱・獪岳。
慈悟郎は立ち上がる。
「お前……」
「元気そうだな、爺さん」
「……馬鹿者」
慈悟郎の声が震える。
「何年も顔を見せんかったくせに……」
「悪かった」
獪岳は頭を下げる。
慈悟郎はしばらく何も言わない。
そして。
「柱になったのか」
「ああ」
「鳴柱……」
「そうだ」
慈悟郎の目に、涙が浮かぶ。
「そうか……」
声が震える。
「お前が……柱に……」
獪岳は少し気まずそうに顔を逸らす。
「俺一人の力じゃない」
「……?」
「しのぶやカナエ、仲間たちがいた」
そして。
隣にいる善逸を見る。
「こいつもな」
「えっ、俺?」
「お前も俺の弟弟子だろ」
「……!」
善逸の目が潤む。
「兄貴……」
慈悟郎は二人を見つめる。
「二人とも……」
かつて。
この二人は同じ道場で剣を学んでいた。
片方は才能を持ちながら、自分を信じられなかった。
もう片方は才能への執着に苦しんでいた。
それが今。
「……兄弟弟子が、こうして並んでいる」
慈悟郎の頬を涙が伝う。
「爺さん」
「……すまん」
「何がだ」
「儂は、お前たちをちゃんと導けなかったと思っておった」
「……」
「二人を同じ弟子として見てやれなかった」
獪岳は黙って聞いていた。
「獪岳」
「何だ」
「お前は、儂を恨んでおるか?」
長い沈黙。
やがて。
「……昔はな」
慈悟郎が息を呑む。
「でも、今は違う」
「なぜじゃ」
獪岳は静かに答える。
「爺さんが俺に雷の呼吸を教えてくれたことは、今でも感謝している」
「……」
「俺が鳴柱になれたのも、始まりはあんたの教えだ」
慈悟郎は顔を覆った。
「……そうか」
涙が止まらない。
「そうか……」
善逸も涙を拭う。
「じいちゃん……」
慈悟郎は笑った。
泣きながら。
「獪岳」
「ん?」
「お前は、もう儂の誇りじゃ」
獪岳の目が僅かに見開かれる。
「……」
「そして善逸」
「はい!」
「お前もじゃ」
「……!」
善逸の目から涙が溢れる。
「二人とも……儂の大切な弟子じゃ」
「……」
獪岳は俯く。
「……参ったな」
「何がじゃ?」
「そういうことを言われると……」
獪岳は目元を拭う。
「泣きたくなるだろ」
慈悟郎が笑う。
「泣けばよい」
「……」
「泣くことは恥ではない」
獪岳はしばらく黙った。
そして。
「……爺さん」
「何じゃ」
「ただいま」
その一言に。
慈悟郎の涙がまた溢れた。
「……おかえり」
静かな道場に。
師と弟子の声が響く。
◆
その後。
三人は道場で茶を飲んでいた。
「ところで兄貴」
善逸が獪岳を見る。
「何だ」
「俺、もっと強くなったら兄貴みたいになれるかな?」
「俺みたいになる必要はない」
「え?」
「お前はお前の雷を極めろ」
獪岳は善逸を見る。
「壱ノ型しか使えないなら、それを極めればいい」
善逸は拳を握る。
「……うん!」
「そして――」
獪岳は微笑む。
「いつか俺を追い越せ」
「えっ!?」
善逸が驚く。
「本気?」
「ああ」
「……」
善逸は嬉しそうに笑う。
「分かった!」
「負けないからな、兄貴!」
「言うようになったな」
その二人を見ながら。
慈悟郎は目を細めた。
「……」
師として。
これほど嬉しいことはない。
かつて自分の道場で学んだ二人の少年。
その二人が今。
互いを認め合い、同じ雷の道を歩いている。
「……雷の呼吸を教えて、本当に良かった」
慈悟郎は空を見上げる。
夕焼けが山々を赤く染めていた。
「獪岳」
「何だ?」
「善逸」
「はい!」
「これからも……兄弟弟子として、支え合うのじゃぞ」
二人は顔を見合わせる。
そして。
「ああ」
「うん!」
同時に頷いた。
慈悟郎は再び涙を流す。
それは悲しみの涙ではない。
師としての後悔も。
弟子たちへの愛情も。
そして。
二人が救われたことへの喜びも。
すべてが混ざった涙だった。
「……ありがとう」
誰に向けた言葉なのか。
慈悟郎自身にも分からなかった。
ただ。
その日。
桑島慈悟郎は――。
生涯で一番嬉しい涙を流した。