――これは、鬼が寺を襲った事件からしばらく経った頃の話。
寺には、以前とは少し違う空気が流れていた。
「獪岳兄ちゃーん!」
「何だ!」
朝から元気な声が響く。
縁側で木刀の手入れをしていた獪岳は、顔を上げた。
「鬼ごっこしよう!」
「嫌だ」
「なんで!」
「俺は修行がある」
「じゃあ修行終わったら!」
「……それならいい」
「約束!」
「ああ」
子供は嬉しそうに駆けていく。
獪岳はため息を吐いた。
「……まったく」
その顔には。
ほんの少しだけ、笑みが浮かんでいた。
「獪岳」
「はい?」
背後から悲鳴嶼の声。
「お前、子供たちに甘くなったな」
「……別に」
「以前なら断っていただろう」
「…………」
「良いことだ」
「……うるさいですよ」
獪岳は顔を逸らした。
だが。
寺の子供たちは知っている。
獪岳は怖い。
口も悪い。
怒るとめちゃくちゃ怖い。
けれど。
誰よりも自分たちを見ている。
「獪岳兄ちゃん!」
「今度は何だ!」
「靴が破れた!」
「見せろ」
「転んだ!」
「怪我は?」
「お腹空いた!」
「それは俺じゃなくて悲鳴嶼さんに言え!」
「獪岳兄ちゃん!」
「だから何だ!」
「大好き!」
「…………」
獪岳は固まった。
「……急に何言ってんだ、お前」
子供は笑う。
「だって兄ちゃんだから!」
「…………」
獪岳は視線を逸らした。
「……そうかよ」
小さく。
「俺も……嫌いじゃねぇよ」
「え?」
「何でもねぇ!」
――こうして。
獪岳はいつの間にか。
「寺の兄ちゃん」
と呼ばれるようになっていた。
ただ。
本人だけは、その呼び名を認めていない。
「俺は獪岳だ」
「獪岳兄ちゃん!」
「……それはもういい」
「兄ちゃん!」
「……はいはい」
そんなある日のこと。
寺の掃除を終えた子供たちが集まっていた。
「ねえ、獪岳兄ちゃんって強いの?」
「強いぞ」
即答。
「どれくらい?」
「鬼が来ても逃げないくらい」
「すごい!」
「でも、悲鳴嶼さんの方が強いよ」
「……それはそうだ」
「獪岳兄ちゃんは二番?」
「今はな」
「じゃあ一番になる?」
「当然だ」
獪岳は胸を張った。
「俺はいつか柱になる」
「柱?」
「鬼殺隊の一番強い奴らだ」
「獪岳兄ちゃん、柱になったら何柱?」
「……」
獪岳は少し考える。
「雷だ」
「雷柱!」
「いや」
獪岳は木刀を構える。
「鳴柱だ」
「なりばしら?」
「ああ」
「かっこいい!」
「そうだろ」
獪岳は得意げに笑う。
「俺は雷の呼吸を極めて、鬼を全部ぶっ倒す」
「鬼を全部?」
「ああ」
「怖くないの?」
「怖いに決まってる」
子供たちが驚く。
「怖いのに戦うの?」
「そうだ」
獪岳は木刀を握る。
「怖いからこそ、守るんだ」
子供たちは黙った。
そして。
「……獪岳兄ちゃん、かっこいい」
「…………」
獪岳は顔を逸らす。
「当たり前だ」
その様子を。
少し離れた場所から悲鳴嶼が見ていた。
「……南無阿弥陀仏」
その表情は穏やかだった。
――夜。
子供たちが眠った後。
獪岳は縁側で月を見ていた。
悲鳴嶼が隣に座る。
「今日も賑やかだったな」
「……はい」
「楽しかったか?」
「……まあ」
「そうか」
しばらく沈黙。
「悲鳴嶼さん」
「何だ?」
「俺……」
獪岳は月を見る。
「ここを出る日が来るんですよね」
悲鳴嶼は静かに頷く。
「鬼殺隊に入るためか」
「はい」
「寂しいか?」
「…………」
獪岳は答えなかった。
だが。
その沈黙が答えだった。
「……少し」
悲鳴嶼は優しく言う。
「帰ってくればいい」
「え?」
「ここは、お前の家だ」
獪岳の目が揺れる。
「…………」
「柱になっても」
「…………」
「強くなっても」
「…………」
「ここに帰ってきなさい」
「……はい」
獪岳は小さく笑った。
「帰ってきます」
「うむ」
「絶対に」
「うむ」
そして。
獪岳は月を見上げる。
「……俺、ちゃんと兄貴になれてますかね」
悲鳴嶼は即答した。
「ああ」
「……そうですか」
「ああ」
「…………」
獪岳は照れ臭そうに笑った。
「じゃあ……もう少しだけ、兄貴やってみます」
――この日。
寺の子供たちは改めて思った。
獪岳は怖い。
口も悪い。
でも。
自分たちを守ってくれる。
叱ってくれる。
一緒に笑ってくれる。
そして。
帰ってきてくれる。
だから。
彼らにとって獪岳は――。
「寺の兄ちゃん」
だった。
【大正コソコソ噂話】
寺の子供たちによる「獪岳兄ちゃんランキング」が密かに存在する。
第一位。
「強い!」
第二位。
「怖い!」
第三位。
「優しい!」
第四位。
「ご飯を分けてくれる!」
第五位。
「寝る前に布団をかけてくれる!」
なお、獪岳本人にこのランキングを見せたところ。
「……『怖い』が二位って何だよ」
と不満を漏らした。
すると子供たちは。
「だって、怒った獪岳兄ちゃん怖いもん!」
「…………」
「でも大好き!」
「…………そうかよ」
結局、怒れなくなった。
さらに。
悲鳴嶼行冥にもランキングを見せたところ――。
「では、私は?」
子供たちが考える。
「お父さん!」
「…………」
悲鳴嶼は少しだけ目を見開いた後。
「……南無阿弥陀仏」
と、静かに涙を流した。
なお。
獪岳は横で、
「だから俺は兄貴で、悲鳴嶼さんはお父さんじゃねぇって!」
と必死に否定していたという。
――大正コソコソ噂話・終。