浅草の夜を、凄まじい轟音が引き裂いていた。
珠世の隠れ家はすでに半壊し、壁には大きな亀裂が走っている。畳はめくれ上がり、柱は何本も折れ、天井からは瓦礫が絶え間なく落ちていた。
その中心で、二体の鬼が笑っている。
「ハハハハハッ! 柱だろうと何だろうと関係ない!」
六本の腕を持つ朱紗丸が、巨大な手毬を次々と投げ放つ。
「鬼舞辻様のお命令だ! ここにいる全員、皆殺しにしてやる!」
手毬が壁を砕き、床を抉り、柱をへし折る。
その横では、矢琶羽が両手の目を見開いていた。
「逃げ場などない!」
不可視の矢印が空間を走る。
炭治郎の身体が強制的に引っ張られ、壁へ叩きつけられた。
「ぐっ……!」
「炭治郎さん!」
珠世が声を上げる。
愈史郎が血鬼術を発動させ、周囲の状況を探る。
「まずい……! 矢琶羽の術で、空間そのものを支配されている!」
「だったら――」
獪岳が一歩前へ出た。
その瞬間だった。
空気が変わる。
青白い雷光が、獪岳の身体から弾け飛んだ。
バチィッ!!
雷鳴のような音が屋敷を震わせる。
「……いい加減、うるせぇんだよ」
獪岳が刀の柄へ手を添える。
「俺の仲間の家を好き勝手に壊しやがって」
朱紗丸が笑う。
「仲間だと? 鬼殺隊の柱が鬼と仲良くするとは、随分と面白いではないか!」
「仲良しだろうが何だろうが関係ねぇ」
獪岳の瞳が鋭く細められる。
「守るって決めた奴を傷つけられたら――」
雷光がさらに膨れ上がる。
「俺は容赦しねぇ」
「殺せぇぇぇ!」
朱紗丸が一斉に手毬を放った。
十、二十、三十。
無数の手毬が獪岳へ殺到する。
炭治郎が叫ぶ。
「獪岳さん!」
「黙って見てろ、炭治郎!」
獪岳が踏み込んだ。
「雷の呼吸――」
刹那。
その姿が消える。
「壱ノ型・霹靂一閃――八連!」
ドドドドドドドドッ!!
八条の青白い閃光が屋敷を駆け抜けた。
手毬が次々と切り裂かれる。
一つ。
二つ。
三つ。
十。
二十。
飛来した全ての手毬が、一瞬にして細切れとなって床へ落ちた。
「な……」
朱紗丸の顔から笑みが消える。
「私の手毬を……全部……!」
その背後。
「隙だらけだぞ」
「――!?」
獪岳が立っていた。
朱紗丸が振り返る。
だが、その刀はすでに振り抜かれていた。
「まだ殺さねぇ」
獪岳は刀を止める。
「まずは炭治郎、お前の仕事だ」
「俺の……?」
獪岳は矢琶羽を指差した。
「あの矢印野郎を斬れ」
「でも、あの術は……!」
「お前は鼻が利くだろ」
獪岳は笑う。
「相手の動きを読め。力で押し切る必要はねぇ」
炭治郎は息を整えた。
「……はい!」
その時。
「炭治郎さん!」
愈史郎が札を投げる。
「これを使え!」
炭治郎が札を受け取る。
「これは?」
「私の視界を共有する札だ。矢印が見えるようになる!」
「ありがとうございます!」
炭治郎は札を額へ貼りつける。
世界が変わった。
空間のあちこちに、赤い矢印が浮かび上がっている。
(これが……矢琶羽の術!)
「面白い!」
矢琶羽が笑う。
「見えたところで避けられまい!」
無数の矢印が炭治郎へ殺到する。
「うおおおお!」
炭治郎は刀を構える。
水の呼吸。
身体を流れる水のように動かす。
「水の呼吸――!」
矢印の力を真正面から受けず、流れに乗せる。
「ねじれ渦!」
ギュルルルッ!!
水流のような斬撃が矢印の力を巻き込んでいく。
「なに!?」
矢琶羽の目が見開かれる。
「俺は――!」
炭治郎が踏み込む。
「お前の力を利用する!」
「馬鹿な!」
刀が閃く。
「うおおおおお!」
――ザンッ!!
矢琶羽の首が宙を舞った。
「ぐ……!」
矢琶羽の身体が崩れ始める。
「この私が……!」
炭治郎は荒い息を吐きながらも、刀を握りしめた。
「やった……!」
「上出来だ」
獪岳の声が響く。
「え……?」
「自分より強い力に真正面から逆らうんじゃねぇ。流せるなら流して、利用できるなら利用する」
獪岳は頷いた。
「覚えとけ」
「はい!」
その瞬間――。
「よくも矢琶羽を!」
朱紗丸が激昂した。
残された手毬を両手に握りしめる。
「お前だけは絶対に許さん!」
「……来いよ」
獪岳が刀を構える。
「今度は俺の番だ」
朱紗丸が跳ぶ。
巨大な手毬が迫る。
獪岳は避けない。
ただ、静かに息を吸う。
「雷の呼吸――」
青白い雷が、周囲一帯を覆った。
雷鳴。
轟音。
そして――九つの龍が姿を現す。
「漆ノ型・帝釈天」
ドォォォン!!
青白い九頭龍の雷が、朱紗丸を多方向から包囲する。
「な、何だこれは!?」
逃げようとする。
右。
雷龍。
左。
雷龍。
上。
雷龍。
下。
雷龍。
あらゆる方向から雷が迫る。
「逃げ場なんてねぇよ」
獪岳の声が響く。
「これが――俺の雷だ」
九頭の雷龍が一斉に牙を剥く。
「ぎゃああああああ!!」
雷鳴が浅草の夜空を揺らした。
朱紗丸の六本の腕が斬り裂かれ、身体が雷光に包まれる。
そして最後の一閃。
首が落ちた。
「あ……」
朱紗丸の表情から怒りが消える。
「遊び……たかった……」
灰が舞う。
獪岳は刀を収めた。
「遊びで命を奪われた奴らは、遊びじゃ済まねぇんだよ」
静かに朱紗丸を見つめる。
「……安らかに眠れ」
朱紗丸の身体が完全に灰へ変わった。
静寂が戻る。
破壊された屋敷には、夜風だけが吹き込んでいた。
「終わった……」
炭治郎が膝をつく。
「珠世さん!」
「はい」
珠世が駆け寄る。
「炭治郎さん、お怪我を……」
「大丈夫です!」
炭治郎は笑う。
その横で、愈史郎が禰豆子を見つめていた。
「……」
「どうしました?」
炭治郎が尋ねる。
愈史郎は顔を背ける。
「……お前の妹は」
「はい?」
「……美人だ」
「え?」
炭治郎が目を丸くする。
「禰豆子が?」
「そうだ!」
愈史郎は顔を赤くする。
「悪いか!」
「いえ!」
炭治郎は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます!」
「……ふん!」
愈史郎はさらに顔を背ける。
その様子を見ていた獪岳が鼻で笑う。
「何だこいつ」
「獪岳さん」
「まあ、禰豆子が可愛いのは事実だけどな」
「獪岳さんまで!」
禰豆子が箱の中から「ムーッ」と声を上げる。
獪岳は禰豆子の箱を軽く叩いた。
「安心しろ。お前の兄貴はちゃんと妹を守ってたぞ」
「ムー!」
炭治郎が嬉しそうに笑う。
「はい!」
獪岳は炭治郎の頭を荒々しく小突いた。
「痛っ!」
「よくやった」
「……!」
「矢琶羽の術を見切った判断も悪くなかった」
「ありがとうございます!」
「ただし、まだまだだ」
「はい!」
「もっと強くなれ」
「はい!」
炭治郎の返事を聞き、獪岳は僅かに口元を緩める。
そこへ珠世が静かに歩み寄った。
「獪岳様、竈門さん」
二人が振り返る。
「お二人のおかげで、十二鬼月に近い血を手に入れることができました」
珠世は小さな容器を大切そうに抱えていた。
「この血を研究します」
「……頼んだ」
「必ず」
珠世は力強く頷く。
「禰豆子さんを人間へ戻す薬を完成させます」
炭治郎は深く頭を下げた。
「お願いします!」
「顔を上げろ、炭治郎」
獪岳が言う。
「ここからが始まりだ」
「……はい」
「無惨はまだ生きてる」
獪岳の瞳に鋭い光が宿る。
「そして、奴の手下もまだ山ほどいる」
炭治郎は刀を握り直した。
「俺は強くなります」
「ああ」
「禰豆子を守れるように」
「ああ」
「そして、無惨を倒します」
獪岳は一瞬だけ黙った。
そして――。
「その意気だ」
夜が明け始めていた。
東の空が少しずつ白んでいく。
浅草の街に朝日が差し込む。
「おい、炭治郎」
「はい?」
「次の任務だ」
「もうですか!?」
「鬼は待ってくれねぇからな」
獪岳が歩き出す。
「南南東だ」
「南南東……?」
「善逸にも会うだろうよ」
「えっ」
炭治郎の脳裏に、泣き叫ぶ黄色い髪の少年が浮かぶ。
「善逸さんも一緒なんですか?」
「知らねぇよ」
獪岳は肩をすくめる。
「ただ――」
ほんの少しだけ笑う。
「俺の弟弟子なら、どこかで泣き喚いてるだろ」
「はは……」
炭治郎も笑った。
禰豆子の箱を背負い直す。
浅草の血戦は終わった。
だが、竈門炭治郎と鳴柱・獪岳の戦いは、まだ始まったばかりだった。
霹靂の雷と、慈雨のような優しさ。
二つの力に導かれながら、炭治郎は次なる戦場へ歩き出した。