鬼殺隊本部。
雲一つない青空の下、白砂利の敷き詰められた庭には、張り詰めた空気が漂っていた。
その中央。
竈門炭治郎は地面へ押さえつけられ、背中に木箱を背負っていた。
箱の中にいるのは、妹――禰豆子。
鬼となった妹を連れている。
それだけで、鬼殺隊の中では重大な隊律違反だった。
「鬼を連れて歩くなど、到底許されることではない」
低い声が響く。
水柱・冨岡義勇。
その隣では、炎柱・煉獄杏寿郎が腕を組み、真っ直ぐ炭治郎を見つめていた。
「鬼殺隊の隊士として、規律を破った責任は取らねばならない!」
さらに――。
「鬼なんざ、殺しちまえばいいだろォ」
不死川実弥が吐き捨てる。
鋭い殺気。
炭治郎は歯を食いしばった。
「違います!」
必死に声を張る。
「禰豆子は人を食べません! 今まで一度も人を襲ったことはないんです!」
「鬼は鬼だ」
実弥の声は冷たい。
「いつか腹が減りゃ、人を食う」
「そんなことは――!」
「なら証明してみろ」
実弥が炭治郎を睨む。
「鬼が人間を食わねぇってことをなァ」
炭治郎は唇を噛んだ。
周囲には柱たちが並んでいる。
岩柱・悲鳴嶼行冥。
炎柱・煉獄杏寿郎。
音柱・宇髄天元。
水柱・冨岡義勇。
風柱・不死川実弥。
蛇柱・伊黒小芭内。
恋柱・甘露寺蜜璃。
霞柱・時透無一郎。
そして――。
蟲柱候補としてカナエの傍らに立つ胡蝶しのぶ。
その全員が、禰豆子という存在を見定めている。
「俺は……!」
炭治郎が顔を上げる。
「禰豆子を守ります!」
その瞬間だった。
ジャリッ。
砂利を踏みしめる音が響いた。
ゆっくりと近づいてくる足音。
「――おい」
低く、よく通る声。
「実弥」
全員の視線がそちらへ向く。
黒地に雷の意匠を纏った羽織。
腰には日輪刀。
そして、鋭い眼差し。
「勝手な真似すんじゃねぇよ」
鳴柱・獪岳。
その隣には、穏やかな笑みを浮かべる花柱・胡蝶カナエ。
さらに、その妹である胡蝶しのぶもいる。
「獪岳……!」
実弥が眉をひそめる。
「お前、まさかこの鬼のことを知ってやがるのかァ?」
「ああ」
獪岳は即答した。
「知ってる」
「だったら何で鬼殺隊に報告しなかった?」
「したさ」
「……何?」
「俺が見た事実をな」
獪岳は炭治郎の前に立った。
まるで壁のように。
「この鬼――禰豆子は人を襲わない」
柱たちがざわめく。
「理由は?」
伊黒が尋ねる。
「浅草だ」
獪岳が答える。
「俺はそこで鬼舞辻無惨と遭遇した」
「――鬼舞辻無惨!?」
その名が出た瞬間、空気が変わった。
柱たちの表情が一斉に険しくなる。
「そして、その場で禰豆子が人間を襲うどころか、人を守ろうとしたところを俺自身が確認している」
獪岳の声には一切の迷いがなかった。
「無惨の血を浴びて鬼になった人間でさえ、人を守ることはできる」
「……」
実弥は黙っている。
「だから俺は、この鬼を即座に殺すべきじゃねぇと思ってる」
獪岳が振り返る。
「それに――」
炭治郎を見る。
「こいつは妹を人間に戻すために戦ってる」
「……!」
「泥をすすってでも、何度転んでも、妹を見捨てねぇって足掻いてる」
獪岳の視線が実弥へ向く。
「お前だって同じだろ」
「……あァ?」
「弟を守りたかったんだろ」
実弥の表情が変わる。
獪岳は続ける。
「家族を失って、それでも弟だけは生きてほしいと思った」
「……」
「だったら分かるはずだ」
獪岳の声が少しだけ低くなる。
「こいつがどれだけ必死なのか」
実弥は拳を握りしめる。
「……余計なこと言いやがって」
「事実だろ」
「チッ……」
実弥は顔を背けた。
そのやり取りを見ていた炭治郎は、胸が熱くなった。
「獪岳さん……」
「黙ってろ」
「はい……!」
その時。
「皆さん」
穏やかな声が庭に響いた。
柱たちが一斉に振り返る。
「おはよう」
産屋敷耀哉。
鬼殺隊の当主――御館様が、妻・あまねに支えられながら静かに姿を現した。
「今日はとても良い天気だね」
その場にいた全員が頭を下げる。
「「お館様、おはようございます」」
獪岳も静かに頭を下げる。
「獪岳。来てくれてありがとう」
「当然の仕事です」
「そう言ってくれるところが、君らしいね」
御館様は微笑んだ。
そして、あまねが一通の手紙を取り出す。
「鱗滝左近次からの手紙を読み上げます」
静かな声が庭に響く。
そこには、炭治郎と禰豆子についての詳細が記されていた。
禰豆子が人を襲わないこと。
炭治郎が決して妹を人喰い鬼にさせないこと。
もし禰豆子が人を襲った場合には、鱗滝左近次、冨岡義勇、そして竈門炭治郎が責任を取り、腹を切って詫びること。
そして――。
「鳴柱・獪岳もまた、この兄妹の行く末を自らの命を懸けて見届けると申し出ている」
「……!」
炭治郎の目が大きく開く。
「獪岳さん……」
「勘違いすんな」
獪岳が横目で炭治郎を見る。
「お前らがしくじったら、俺が直々に斬るって約束しただろ」
「でも……!」
「だから、その約束を守るための一筆だ」
炭治郎の目から涙が零れる。
「ありがとうございます……!」
「泣くな」
「はい……!」
その時だった。
「……お館様」
実弥が一歩前へ出る。
「まだ納得できません」
「そうだね」
「なら、証明させていただきたい」
実弥は腕をまくる。
そして――。
ザシュッ。
「!」
自らの腕を刀で切りつけた。
血が流れる。
その匂いが、庭いっぱいに広がった。
炭治郎が息を呑む。
「禰豆子……!」
箱の蓋が開く。
「禰豆子!」
実弥が血の流れる腕を差し出す。
「さあ、鬼なら食え」
禰豆子の瞳が揺れる。
血の匂い。
鬼にとって、これほど甘美な誘惑はない。
禰豆子の口元から牙が覗く。
「禰豆子……!」
炭治郎が叫ぶ。
しかし――。
禰豆子は震えながら顔を背けた。
ぷいっ。
「……!」
実弥の目が見開かれる。
禰豆子は血から離れた。
それどころか、箱の奥へ身体を引っ込める。
「……そうか」
御館様が微笑む。
「禰豆子ちゃんは、人を襲わない」
静かな声。
「これで十分だね」
悲鳴嶼が数珠を握る。
「南無阿弥陀仏……」
煉獄が大きく頷く。
「見事だ!」
甘露寺は胸元で手を握る。
「よかった……!」
伊黒も静かに視線を逸らす。
「……少なくとも、今はな」
宇髄が肩をすくめる。
「派手じゃねぇが、悪くない証明だ」
無一郎も淡々と呟く。
「人を食べない鬼……か」
そして実弥。
血の流れる腕を見ながら、苦々しく笑った。
「……チッ」
獪岳が隣へ立つ。
「どうだ?」
「……気に入らねぇ」
「だろうな」
「だが」
実弥は禰豆子を見る。
「この鬼が本当に人を襲わねぇってことは、認めてやる」
炭治郎の目から、また涙が零れた。
「ありがとうございます……!」
「礼なんかいらねェ」
実弥は顔を背ける。
「俺はただ、事実を認めただけだ」
獪岳が小さく笑う。
「素直じゃねぇな」
「うるせぇ、獪岳」
「お前も人のこと言えねぇだろ」
「……殺すぞォ」
「やってみろ」
柱たちの間に、僅かな笑いが生まれた。
御館様は穏やかに告げる。
「では、決めよう」
庭園に静寂が戻る。
「竈門炭治郎と禰豆子を、鬼殺隊の一員として認める」
炭治郎は深く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「これからも、二人で歩んでいくといい」
「はい!」
会議が終わり、柱たちがそれぞれ退いていく。
炭治郎も禰豆子の箱を背負い直した。
その背中を――。
「おい」
獪岳が呼び止める。
「はい!」
振り返った瞬間。
バシッ!
「痛っ!」
獪岳が炭治郎の頭を叩いた。
「何するんですか!」
「気が緩んでるからだ」
「えぇ……」
「ここで認められたからって、鬼がいなくなったわけじゃねぇ」
獪岳は炭治郎を真っ直ぐ見つめる。
「むしろ、ここからが本当の戦いだ」
「……!」
「強くなれ」
炭治郎は拳を握る。
「はい!」
「妹を守りたいなら、自分が死ぬな」
「はい!」
「仲間を守りたいなら、自分も守れ」
「はい!」
獪岳は満足そうに頷いた。
「よし」
その横で、しのぶが微笑む。
「頑張ってくださいね、炭治郎くん」
「はい、しのぶさん!」
カナエも穏やかに笑う。
「炭治郎くん、禰豆子ちゃん。これから大変なこともあるでしょう。でも、あなたたちなら大丈夫ですよ」
「ありがとうございます!」
炭治郎は三人の先輩を見つめる。
鳴柱・獪岳。
花柱・胡蝶カナエ。
そして、蟲柱を目指す胡蝶しのぶ。
自分たちを信じてくれる人がいる。
背中を押してくれる人がいる。
その事実が、何よりも心強かった。
「獪岳さん!」
「あ?」
「俺、絶対に強くなります!」
獪岳は鼻で笑った。
「言葉じゃなく、行動で見せろ」
「はい!」
炭治郎は走り出す。
背中には禰豆子。
胸には新たな決意。
その背中を見送る獪岳の隣で、しのぶが静かに微笑んだ。
「……良い子ですね」
「ああ」
「あなたが気に入るのも分かります」
「別に気に入ってねぇ」
「ふふ」
カナエが二人を見ながら笑う。
「獪岳は、本当に面倒見がいいですね」
「……姉貴まで言うなよ」
三人の笑い声が、青空の下へ静かに響いた。
霹靂の雷に導かれ。
慈雨のような仲間たちに支えられ。
竈門兄妹の新たな戦いが、今、始まる。