翌朝。
まだ空が白み始めたばかりの山中に、雷鳴のような怒声が響いた。
「起きろォォォ!!」
「ひゃあああああ!?」
布団が跳ね上がる。
「な、何!? 何事!?」
寝ぼけ眼の我妻善逸が飛び起きた。
その目の前には、腕を組んだ獪岳。
「朝だ」
「朝だじゃないよ! まだ眠いよ!」
「修行だ」
「昨日来たばっかりなのに!?」
「だから何だ」
「普通はもう少し休ませるだろぉ!?」
「鬼はお前が寝てる間に待ってくれるのか?」
「…………」
「待ってくれねぇだろ」
「うぅ……」
善逸は布団にしがみつく。
「じいちゃぁん……」
「自分で起きんか、善逸」
奥から桑島慈悟郎の声が飛んだ。
「獪岳の言う通りじゃ」
「そんなぁ!」
獪岳は鼻を鳴らす。
「ほら、行くぞ」
「嫌だぁ!」
「だったら置いていく」
「待ってよ兄貴!」
「誰が兄貴だ」
「兄貴じゃん!」
「まだ言うか!」
朝から、騒がしい。
その様子を見ながら、桑島は小さく息を吐いた。
「……騒がしい奴が二人も揃うとはのう」
だが。
その顔は、どこか嬉しそうだった。
◇
山道。
獪岳と善逸は並んで走っていた。
いや。
正確には。
獪岳は走っている。
善逸は――。
「もう無理ぃぃぃ!!」
「まだ五分も走ってねぇぞ!」
「五分も走ったよ!」
「五分で何が分かる!」
「足が死んだ!」
「死んでねぇ!」
「心が死んだ!」
「それも死んでねぇ!」
「兄貴ィ!」
「だから兄貴って呼ぶな!」
獪岳は善逸の襟首を掴み、そのまま引っ張っていく。
「自分の足で走れ!」
「走ってるよぉ!」
「それは歩いてるって言うんだ!」
「無茶言うなぁ!」
獪岳は呆れながらも、善逸の速度に合わせていた。
――原作の善逸。
臆病で、泣き虫で。
自分の力を信じられない少年。
けれど。
獪岳は知っている。
こいつは、本当は強い。
極限状態になれば、誰よりも速い。
そして。
雷の呼吸を極める才能もある。
だからこそ。
「……ここで腐らせるわけにはいかねぇ」
獪岳は善逸を見る。
「善逸」
「な、何?」
「お前、雷の呼吸を覚えたいか?」
「……え?」
善逸の足が止まった。
「雷の呼吸?」
「ああ」
「俺が?」
「そうだ」
「でも……俺、才能ないよ?」
「誰が決めた」
「だって、じいちゃんにもよく怒られるし……」
「それはお前がサボるからだ」
「ぐっ……」
「才能の話じゃねぇ」
獪岳は真っ直ぐ善逸を見る。
「やるか、やらねぇかだ」
善逸は黙った。
「…………」
「どうする?」
「……やりたい」
小さな声だった。
「もう一回」
「やりたい!」
今度は大きな声。
「雷の呼吸を覚えたい!」
獪岳は口元を僅かに上げた。
「なら走れ」
「結局走るの!?」
「当たり前だ」
「鬼ぃ!」
「鬼じゃねぇ!」
◇
その日の午後。
桑島の前に、善逸が正座していた。
「じいちゃん」
「何じゃ」
「俺……弟子になりたい」
桑島は目を細めた。
「……何?」
「俺も雷の呼吸を覚えたい」
「ほう」
「獪岳みたいになりたい」
獪岳が横で固まった。
「…………俺みたいに?」
「うん!」
「…………」
「怖いけど、強くて」
「おい」
「なんだかんだ優しくて」
「おい」
「俺をちゃんと見てくれるから」
「…………」
獪岳は顔を逸らした。
「……馬鹿」
桑島はそんな二人を見ていた。
「善逸」
「はい」
「雷の呼吸は、簡単なものではない」
「はい」
「お前は泣き虫で、臆病で、逃げ癖もある」
「うっ……」
「だが」
桑島の声が変わる。
「それでも強くなりたいと思ったのなら、その意思だけは本物じゃ」
「…………!」
「よかろう」
善逸の顔が輝いた。
「では、お前を正式に弟子として預かる」
「本当!?」
「ああ」
「やったぁぁぁ!」
善逸が飛び上がる。
その横で。
「……よかったな」
獪岳が呟いた。
「兄貴!」
「だから兄貴じゃねぇ」
「兄貴だよ!」
「……勝手にしろ」
獪岳はため息を吐いた。
だが。
その表情は。
どこか嬉しそうだった。
◇
その夜。
獪岳は一人、庭で木刀を振っていた。
一。
二。
三。
何度も。
何度も。
「…………」
頭の中に原作の未来が浮かぶ。
善逸。
自分。
鬼。
そして――。
「……変える」
木刀を振る。
「絶対に」
もう一度。
「変えてやる」
さらに一撃。
「俺は、あいつを置いていかねぇ」
善逸が鬼殺隊に入る。
自分も入る。
二人で戦う。
二人とも人間のまま。
「今度こそ……」
木刀を振り下ろす。
「兄弟弟子として、最後まで一緒にいる」
その時。
「……獪岳」
桑島が声をかけた。
「はい」
「お前も正式に弟子になるか?」
「…………」
獪岳の手が止まる。
「俺はもう、教えてもらう気満々ですけど」
「口ではな」
「……」
桑島は真剣な顔になる。
「雷の呼吸は厳しいぞ」
「分かってます」
「命懸けになる」
「望むところです」
「何年もかかる」
「何年でも」
桑島は黙った。
そして。
「ならば」
ゆっくり頷く。
「お前も今日から、私の弟子じゃ」
獪岳は深く頭を下げた。
「……お願いします」
「うむ」
「俺、絶対に強くなります」
「ああ」
「雷の呼吸を極めます」
「ああ」
「そして――」
獪岳は顔を上げた。
「誰も守れないような弱い自分とは、今日で決別します」
桑島はその言葉を聞き。
「……馬鹿者」
と呟いた。
「え?」
「強くなることばかり考えるな」
「…………」
「強さは目的ではない」
「じゃあ、何ですか?」
「守るための手段じゃ」
獪岳は黙った。
「忘れるな」
「……はい」
「そして」
桑島は善逸の眠っている家を見る。
「弟子を守るのも、師の務めじゃ」
獪岳は微笑んだ。
「じゃあ俺も、善逸を守ります」
「お前は弟弟子じゃ」
「兄弟子みたいなもんでしょう」
「勝手にせい」
「はい」
獪岳は木刀を握り直した。
「明日から、よろしくお願いします」
「うむ」
こうして。
桑島慈悟郎の弟子として。
獪岳と善逸の本格的な修行の日々が始まった。
一人は。
「過去の自分を変えるため」
もう一人は。
「自分の弱さを変えるため」
二人の少年は。
同じ雷の道を歩き始める。
やがて。
その雷は――。
鬼殺隊の歴史を大きく変えることになる。
【大正コソコソ噂話】
正式に兄弟弟子となった翌朝。
善逸は朝から大喜び。
「兄貴!」
「何だ」
「俺、今日から正式な弟弟子!」
「……そうだな」
「じゃあ兄貴って呼んでいい?」
「好きにしろ」
「やったぁ!」
そこへ桑島が現れる。
「では、兄弟弟子二人とも、まずは山を十往復じゃ」
「「え?」」
「返事!」
「「はいっ!!」」
その日。
山中には、
「じいちゃんの鬼ィィィ!」
「桑島さん、容赦なさすぎるだろォォォ!」
という二人の悲鳴が響き渡った。
なお、桑島はその声を聞きながら、
「元気で結構」
と満足そうに頷いていたという。
――大正コソコソ噂話・終。