夜の藤襲山。
先ほど一体の鬼を倒した炭治郎と善逸は、再び森の奥へ向かって歩いていた。
月明かりは木々に遮られ、足元は暗い。
炭治郎は慎重に周囲を見回していた。
「……静かだな」
「静かじゃないよ」
善逸が即座に否定する。
「俺には聞こえてる」
「何が?」
「遠くで戦ってる音」
「……!」
炭治郎も耳を澄ませる。
確かに聞こえた。
遠くから響く、金属音。
誰かが刀を振っている。
そして――。
「うわあああああっ!」
悲鳴。
炭治郎の表情が変わった。
「誰かいる!」
「待って、炭治郎!」
善逸の制止を振り切り、炭治郎は走り出した。
「助けに行かないと!」
「だからって俺も行くの!?」
「善逸!」
「分かったよぉぉ!」
二人は森の中を駆け抜ける。
◇
その先。
一人の少年が鬼に追い詰められていた。
「くそっ……!」
少年は必死に刀を振る。
しかし鬼は、その刃を腕で受け止めた。
「遅い!」
「ぐあっ!」
少年の身体が吹き飛ぶ。
「いただきまぁす!」
鬼が飛びかかる。
「水の呼吸――!」
炭治郎が割り込んだ。
「弐ノ型・水車!」
ザンッ!
鬼の腕が斬り飛ばされた。
「なに!?」
「大丈夫ですか!」
炭治郎が少年を庇う。
「早く立って!」
「お、お前……!」
「ここは俺たちが引き受けます!」
「でも……!」
「行ってください!」
少年は一瞬迷った。
しかし、炭治郎の目を見て頷く。
「……分かった!」
少年が走り去っていく。
鬼は腕を再生させながら、炭治郎を睨みつけた。
「余計なことしやがって……!」
「人を喰わせるわけにはいかない」
「生意気なガキが!」
鬼が突進する。
炭治郎は刀を構えた。
「善逸!」
「分かってる!」
二人が左右へ散る。
鬼の爪が空を切った。
「水の呼吸――参ノ型!」
炭治郎が懐へ入り込む。
「流流舞い!」
斬撃。
鬼が身を捻る。
そこへ――。
「雷の呼吸――!」
善逸が踏み込む。
「壱ノ型!」
バリッ!
「霹靂一閃!」
青白い閃光が森を駆け抜けた。
「ぐああああっ!」
鬼の首が斬り落とされる。
灰が夜風に舞う。
善逸は着地した。
「……やった」
そして、へたり込む。
「やったよ炭治郎……!」
「ああ!」
「俺、今ちゃんと戦った!」
「すごかったぞ、善逸!」
「獪岳の兄貴に報告したい……!」
「きっと褒めてくれる」
「本当かな……」
善逸が涙を拭う。
「……褒めてくれたらいいな」
炭治郎は微笑んだ。
「きっと褒めてくれるよ」
しかし。
その瞬間だった。
遠くから――。
悲鳴が聞こえた。
「――うわあああああっ!!」
二人の表情が変わる。
「また……!」
さらに別の方向から。
「助けてくれぇぇぇ!!」
そして――。
「ギャアアアアアッ!!」
一つではない。
二つ。
三つ。
四つ。
次々と悲鳴が上がる。
「……おかしい」
炭治郎が呟いた。
「どうした?」
「鬼の臭いが……急に増えた」
善逸が青ざめる。
「え?」
「さっきまでこんなにいなかった」
「……」
森の奥。
複数の気配が動いている。
炭治郎は刀を握り直した。
「何か起きてる」
「じゃあ逃げよう!」
「善逸」
「だって!」
「逃げるのも一つの方法だ」
「……!」
「でも、逃げた先にも鬼がいるかもしれない」
善逸が固まる。
「……それは嫌だ」
「なら、一緒に進もう」
「……うん」
二人は森の奥へ進んだ。
◇
藤襲山の別の場所。
一人の少女が、必死に走っていた。
「はぁ……はぁ……!」
背後から鬼の声が迫る。
「待てぇぇぇ!」
「いや……!」
少女は足を取られ、転倒した。
「しまった!」
鬼が迫る。
「終わりだぁ!」
その瞬間。
「雷の呼吸――」
声が響いた。
次の瞬間。
バリィィィン!!
一条の雷光が森を横切った。
「ギャアアアアアッ!!」
鬼の腕が斬り飛ばされる。
「え……?」
少女が呆然とする。
しかし、雷光は止まらない。
木々の間を縫うように走り――。
鬼の首を一閃。
ドサッ。
鬼の身体が崩れ、灰へと変わった。
「……助かった?」
少女が顔を上げる。
そこには誰もいなかった。
ただ、遠くで雷鳴だけが響いていた。
◇
同じ頃。
山麓に設けられた監督所。
一人の隊士が、慌てた様子で駆け込んできた。
「緊急報告です!」
その場にいた隊士たちが振り向く。
「どうした?」
「藤襲山の内部で、複数の鬼が一か所に集中して移動しています!」
「何だと?」
「参加者を狙っているようです!」
その報告を聞いていた男が立ち上がった。
黒地に雷の意匠を施した羽織。
腰には日輪刀。
鳴柱――獪岳。
「……場所は?」
「北東側です!」
「分かった」
獪岳は刀を手に取った。
「選別参加者には?」
「まだ知らせていません」
「それでいい」
獪岳は立ち上がる。
「最終選別そのものに手を出すつもりはねぇ」
「では……?」
「参加者が自力で倒せる程度なら見守る」
獪岳の目が鋭くなる。
「だが、想定を超えた数が集まってるなら話は別だ」
「……!」
「死なせる必要のねぇ人間まで死なせるのは、試験じゃねぇ」
獪岳は歩き出した。
「俺が行く」
◇
その頃。
炭治郎と善逸は、鬼の群れに囲まれていた。
「ヒヒヒ……!」
「二人とも喰っちまえ!」
「柱の弟子らしいぞ!」
「なら、喰えば力がつく!」
五体。
六体。
さらに森の奥から気配が増えていく。
「……多い」
炭治郎が息を呑む。
善逸は完全に青ざめていた。
「炭治郎……」
「どうした?」
「俺、今までで一番怖い」
「……俺もだ」
「だよね!?」
「でも――」
炭治郎は刀を構える。
「ここで負けるわけにはいかない」
善逸も震えながら刀を抜いた。
「……うん」
鬼たちが一斉に飛びかかる。
「来るぞ!」
「水の呼吸――!」
炭治郎が迎え撃つ。
「参ノ型・流流舞い!」
斬撃が鬼の腕を切り裂く。
しかし、別の鬼が横から迫る。
「炭治郎!」
「善逸!」
善逸が踏み込む。
「雷の呼吸――壱ノ型!」
バリッ!
「霹靂一閃!」
一体を斬り伏せる。
だが――。
さらに別の鬼が襲いかかる。
「くっ!」
炭治郎が受け止める。
重い。
「ぐ……!」
腕が痺れる。
「炭治郎!」
「大丈夫!」
しかし、その背後。
もう一体の鬼が迫っていた。
「死ねぇぇぇ!!」
「しまった!」
善逸が振り向く。
「炭治郎!!」
間に合わない。
鬼の爪が振り下ろされる。
――その瞬間。
空が光った。
「……え?」
善逸が空を見る。
雲の向こう。
青白い光が走る。
次の瞬間――。
轟音。
バァァァァン!!
凄まじい雷が藤襲山を貫いた。
「なっ!?」
鬼たちが一斉に動きを止める。
雷は地面へ落ちた。
そして――。
一瞬の閃光。
目の前にいた鬼の首が斬り飛ばされた。
「……!」
炭治郎が目を見開く。
雷の向こうから、一人の男が歩いてくる。
「……ったく」
獪岳だった。
その周囲には、青白い雷気が纏わりついている。
「山中に響き渡るほど騒がしいと思ったら――」
獪岳が善逸を見る。
「やっぱりお前か」
「獪岳ああああああん!!」
善逸が泣きながら叫ぶ。
「兄貴ぃぃぃ!!」
「泣くな!」
「だってぇぇぇ!!」
「まだ戦闘中だぞ!」
「はいぃ!」
獪岳は炭治郎を見る。
「炭治郎」
「はい!」
「怪我は?」
「少しだけです!」
「善逸は?」
「俺も大丈夫!」
「そうか」
獪岳は鬼たちへ視線を戻した。
「なら、ここから先は俺の仕事だ」
炭治郎が目を見開く。
「獪岳さん!」
「勘違いするな」
獪岳は刀の柄へ手を置く。
「お前らを合格させるために来たんじゃねぇ」
「……!」
「これは緊急事態への対処だ」
獪岳の目が鋭くなる。
「お前らは、自分の足で最後まで進め」
「はい!」
「善逸」
「はい!」
「お前もだ」
「……うん!」
獪岳は満足そうに頷いた。
「よし」
刀を抜く。
バチバチバチッ!!
大気が震える。
鬼たちが後退する。
「な、なんだ……こいつ……」
「柱……!」
「逃げろ!」
獪岳が笑った。
「逃げられると思ってんのか?」
青白い雷が刀身を包む。
「雷の呼吸――」
炭治郎は息を呑んだ。
善逸は目を輝かせる。
「壱ノ型――」
獪岳の姿が消えた。
「霹靂一閃・八連」
バリィィィィン!!
雷鳴。
閃光。
一瞬。
そして――。
静寂。
獪岳が刀を納める。
その背後で、鬼たちが次々と灰へ変わっていく。
「……すごい」
炭治郎が呟いた。
善逸は胸を張る。
「当然だよ」
「善逸?」
「俺の兄貴だからな!」
獪岳が振り返る。
「聞こえてんぞ」
「ひぃっ!」
「終わったら覚えてろ」
「ごめんなさぁぁい!」
炭治郎は思わず笑った。
獪岳はそんな二人を見て、小さく息を吐く。
「……まったく」
そして、二人の前へ歩み寄る。
「炭治郎」
「はい」
「善逸」
「はい」
「この山にはまだ鬼がいる」
二人の表情が引き締まる。
「だから気を抜くな」
「はい!」
「そして――」
獪岳は二人の肩を軽く叩いた。
「生きて帰れ」
「はい!」
「絶対に」
善逸が力強く答える。
「絶対帰る!」
「それでいい」
獪岳は背を向けた。
「俺は別の場所へ行く」
「獪岳さん!」
炭治郎が呼び止める。
「ありがとうございます!」
獪岳は振り返らない。
「礼は合格してから言え」
「……はい!」
「善逸」
「なに!?」
「死ぬなよ」
「……うん!」
獪岳はそのまま闇の中へ消えていった。
やがて――。
遠くで再び雷鳴が轟く。
ゴロゴロゴロ……。
善逸が空を見上げる。
「……兄貴、まだ戦ってる」
炭治郎も頷く。
「俺たちも負けていられないな」
「うん」
二人は刀を握り直す。
そして――。
再び森の奥へ歩き始めた。
藤襲山の夜は、まだ終わらない。
幾つもの命を懸けた戦いが続く中。
鳴柱の雷鳴が山中を駆け巡っていた。
それは、選別に挑む若き剣士たちへ向けられた――。
生きろという、静かな激励でもあった。