ドドドドンッ――!!
轟音とともに藤襲山の夜空を青白い雷光が貫いた。
大地が震え、木々が大きく揺れる。地面に落ちた雷は周囲の鬼たちをまとめて吹き飛ばし、濃い紫煙が辺り一面を覆い尽くした。
「な、なんだ……今の雷は……!?」
「まさか……雷を纏ってやがるのか!?」
鬼たちが恐怖に顔を歪める。
その煙の向こうから、ゆっくりと一人の男が歩いてくる。
黒地に雷の意匠を施した隊服。
腰には日輪刀。
その周囲には、未だ消えきらない青白い火花が走っている。
鳴柱――獪岳。
「……ったく。最終選別だってのに、山中の鬼が一斉に騒ぎ出しやがって」
獪岳は面倒そうに首を鳴らした。
そして、その鋭い視線が炭治郎と善逸へ向けられる。
「おい、バカども。生きてるか?」
「獪岳さん……!」
炭治郎の顔がぱっと明るくなる。
一方の善逸は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
「獪岳あぁぁぁん!! 遅いよぉぉぉ!! 俺たち死ぬところだったんだよぉぉぉ!!」
「……まだ死んでねえだろうが」
「そうだけどぉぉぉ!!」
「なら黙って立て」
獪岳が善逸の頭を小突く。
「痛いぃぃ!」
「騒ぐ元気があるなら問題ねえな」
「ひどい!」
炭治郎は思わず苦笑した。
だが、次の瞬間。
獪岳の表情から笑みが消える。
視線の先には、まだ無数の鬼が残っていた。
「……さて」
獪岳が一歩前へ出る。
鬼たちは本能的に後ずさった。
「柱だ……」
「逃げろ! あいつは俺たちじゃ勝てねえ!」
「馬鹿野郎! 逃げ道なんて――」
「ねえよ」
獪岳の声が響いた。
「俺の弟弟子と、俺が認めた後輩を追い詰めたんだ」
刀の柄に手を添える。
「覚悟はできてんだろうな?」
「ひっ……!」
鬼たちが一斉に散開する。
木々の間へ。
岩陰へ。
地面へ潜ろうとする者までいる。
だが――獪岳は動かない。
ただ静かに目を閉じた。
「善逸、炭治郎」
「はい!」
「……な、何?」
「よく見ておけ」
獪岳が刀を抜く。
カァン――。
静かな鍔鳴り。
その瞬間、空気が変わった。
周囲の温度が一気に下がったような錯覚。
いや。
実際には、獪岳の周囲に膨大な雷気が集中しているのだ。
地面の小石が浮き上がり、木々が震える。
バチバチバチッ!!
青白い雷が獪岳の身体を駆け巡った。
炭治郎は息を呑む。
(これが……鳴柱……獪岳さんの本気……!)
善逸は震えていた。
しかし、それは恐怖だけではなかった。
自分が幼い頃から追い続けてきた背中。
厳しくて、怖くて、口が悪くて。
それでも誰よりも自分を見捨てなかった兄弟子。
善逸は涙を拭った。
「兄貴……」
獪岳は背中を向けたまま、低く告げる。
「俺が何度も言ってきたことを覚えてるか?」
善逸は頷いた。
「……泥をすすってでも、生きろ」
「そうだ」
獪岳の口元が僅かに上がる。
「どんなに怖くても、足を止めるな。這ってでも前へ進め」
刀身に雷光が集束していく。
「それができねえ奴は、そこで終わりだ」
そして――。
獪岳の瞳が開いた。
「だがな」
雷鳴が轟く。
「生き残ろうと足掻いた奴には――俺が道を開けてやる」
「雷の呼吸――」
空気が震える。
大地が軋む。
青白い雷光が獪岳を中心に渦を巻き始めた。
「漆ノ型――」
無数の鬼が恐怖に叫ぶ。
「帝釈天!!」
ドォォォォンッ!!
藤襲山全体を揺るがす轟雷。
獪岳の刀から放たれた瞬間、九頭の巨大な雷龍が一斉に夜空へ飛び出した。
「な……なんだ、あれは……!?」
「雷が……龍になってやがる……!」
九頭の雷龍はそれぞれ別の方向へ散った。
一頭は木々を薙ぎ倒しながら鬼を追う。
一頭は岩陰へ逃げ込んだ鬼を包囲する。
一頭は地面を這う鬼の退路を塞ぐ。
そして残る雷龍たちが、逃げ場を完全に奪っていく。
「う、うわああああ!!」
鬼たちが一斉に逃げ惑う。
しかし、どこへ逃げても雷が待っている。
「逃げられると思ってんじゃねえよ」
獪岳が刀を横薙ぎに振るった。
瞬間。
九頭の雷龍が一斉に牙を剥いた。
轟音。
閃光。
そして――静寂。
鬼たちは悲鳴を上げる暇すらなく、次々と灰へ変わっていった。
やがて最後の雷光が消える。
焦げた土。
倒れた木々。
舞い上がる灰。
その中心に、獪岳は一人立っていた。
刀を鞘へ納める。
カチン。
「……終わりだ」
炭治郎は、しばらく言葉を失っていた。
「すごい……」
目の前で見たものが信じられない。
これほどの数の鬼を、たった一人で。
しかも、一瞬で。
「これが……柱……」
善逸は誇らしげに胸を張った。
「だから言っただろ……」
涙を浮かべながら笑う。
「俺の兄貴は、世界一強くて……世界一かっこいいんだよ!」
「……うるせえ」
獪岳は振り返る。
そして二人の前まで歩いてくると――。
バシンッ!
「痛っ!」
「ぐぇっ!」
二人の頭をまとめて小突いた。
「いってえな!」
「何すんですか獪岳さん!」
「調子に乗るな。まだ選別は終わってねえ」
獪岳は二人の傷を確認する。
善逸の足。
炭治郎の腕。
呼吸の乱れ。
どちらも限界に近い。
それでも――生きている。
それを確認すると、獪岳は小さく息を吐いた。
「……よくやったな」
「え?」
「手鬼を倒したんだろ」
「はい!」
炭治郎が力強く頷く。
「善逸と一緒に、倒しました!」
「そうか」
獪岳は二人の頭へ手を置く。
今度は叩かなかった。
「なら、胸を張れ」
善逸の目から、また涙が溢れた。
「……兄貴……」
「泣くな。鬱陶しい」
「だってぇぇ……!」
「泣くなら帰ってからにしろ」
その時だった。
東の空が、ほんのりと白み始める。
夜明けが近い。
紫藤の花々が、朝の風に揺れていた。
獪岳は空を見上げる。
「もうすぐ朝だ」
そして二人へ視線を戻す。
「最後まで生き残れ。最終選別ってのは、鬼を何匹殺したかを競う場所じゃねえ」
「……?」
「生きて帰るために、最後まで足掻く場所だ」
炭治郎はその言葉を胸に刻んだ。
善逸も涙を拭い、力強く頷く。
「うん……俺、絶対に帰る」
「俺もです!」
「よし」
獪岳は背を向ける。
「行くぞ、バカども」
「はい!」
「待って兄貴ぃぃ! 歩くの速いよぉぉ!」
三人の足音が、朝を迎えつつある藤襲山へ響いていく。
やがて空が黄金色に染まる。
長く暗い夜を切り裂いたのは、霹靂の雷光。
そしてその雷光の後には――。
若き剣士たちを包み込む、穏やかな朝の光があった。
こうして藤襲山の最終選別は、若き二人の剣士にとって忘れられない一夜となった。
そして炭治郎と善逸は、この日、改めて心に刻んだ。
――生きる。
どれほど惨めでも。
どれほど怖くても。
泥をすすってでも。
大切な人の待つ場所へ、生きて帰る。
それこそが、鳴柱・獪岳から受け継いだ――「霹靂」の教えだった。